― 朧月 40
夜になって父が仕事から帰って来て、は久しぶりに父に会った。
母と同じで少し痩せたように見える。
やっぱり心配をかけてしまっていたのだろう。
が家には戻らないという事を言うと。
「そうか」
そう小さく答えただけだった。
父はその答えを予想していたかのようだった。
その日はは自分の部屋に泊まり、夜は必要なものをまとめたりしていた。
必要とは言ってもそんなに沢山のものをもって行くわけにも行かないし、それにまたここには来ようと思えば来れるのだ。
ミスティとクロロは家の客間に泊まったらしい。
次の日、は父を仕事に見送り、母に見送られて家を出た。
小さなバッグを持って、ミスティの後についていく。
クロロはの隣に並んで歩く。
「近くに公園があるようですから、そこで周囲の気配を確認してから戻りましょうね、マスター」
今日は平日のようだが、の住んでいる所は住宅街で殆どの人が仕事か学校に行っているだろう。
近くにある公園というのも、平日の昼間は閑散としたものなのだ。
「それにしても…」
は隣のクロロをちらりっと見る。
「ミスティは分かるけど、クロロはどうしてここにいるの?」
ミスティが一緒に来るのは最初から分かっていた。
もそのつもりで念を発動させたのだから。
「マスター、全く気づかないのですね」
「え?何が?」
「移動の念を使った後、は倒れただろ?」
クロロの言葉には頷く。
異世界へと自分が意識して飛ぶことは初めてだったため、念の配分を間違えたからなのだと思っていた。
それにミスティは正確には人ではなく、念能力である為、その辺りの違いを認識できていなかったのかもしれない。
「マスターが倒れたのは、恐らくルシルフル氏が同行していたからですよ」
「へ?」
「絶をしていたから気づかなかったのも無理ないだろうが、移動範囲内にオレもいたんだ」
「…うそ」
良く考えればそれは分かったはずのことである。
世界を渡る移動の念を使える能力者など、そうそういないだろう。
しかも世界は無数あるだろうに、この世界を指定することはとても難しいことだ。
がこの世界に戻ってこれたのは、元々がこの世界の生まれであるという繋がりがあるからだ。
「でも、なんでクロロ…!」
「マスター、念の拘束をお忘れですか?最も、その拘束がなくても元々ルシルフル氏を同行させることは計画していましたけど」
「ミスティ?」
「すみません、マスター。こちらの世界に来る前に言いました念の効果が薄くなるという件ですが、あれ、全くのでまかせです」
は一瞬何を言われたのか分からなかったが、クロロにかけられた念を除念せずに来たのは、ミスティがこちらの世界では念の効力が弱くなるから平気だと言ったのを思い出す。
思わず口元を押さえてしまう。
つまりこの念は今でもバッチリ有効であり、クロロが側にいなければ3日後には何かが起こってしまっていたことになる。
「の移動の念が、いずれ”どこか”に行くものであることは想像はついていた。だから、彼女に協力してもらったんだ」
「でも、クロロは異世界から来たってことはハンター試験で知ったんだよね?」
「オレが協力をするよう頼んだのは、が”どこか”へ行く時の同行。その時はその”どこか”が隔離されたような場所であるという事くらいしか想像つかなかったよ」
どうやら今回の件は、がハンター試験を受ける前に打ち合わせをしていたことらしい。
そうと分かると納得できる事がいくつかある。
ミスティとクロロがやけに親しそうだったこと、ハンター試験終了後にミスティがクロロに言った言葉。
「2人して、色々企んでいたんだね」
はぁっとは思わず大きなため息をつく。
この世界に戻ることも、両親のことも、色々考えて悩んでいた。
この世界に永住するにしても大変だろうし、3年も経っているのならば両親がどう反応するのかも分からない。
それでも戻ろうと覚悟していたというのに、その諸々を深く悩んだだけ無駄だったような気がする。
「ですが、マスターも悪いのですよ。わたくしが何も言わなければ1人でさっさとこちらに戻って、あちらの世界に帰ってこなかったかもしれないじゃないですか」
「う…、だって3年前は本当に帰る事しか考えてなかったし、ミスティとの修行の間は何かを考えるほど余裕がなかったし」
「それで、黙ってオレの前から姿を消すつもりだったと?」
「うう」
きっぱり否定できないのがの正直な所である。
「ミスティは連れて行くつもりだったよ?」
「それはマスターの記憶が戻っているからですか?」
「…それもある」
ミスティがどれだけ自分と一緒にいたかったが、一緒にいたいのかが分かったからミスティから離れるのはやめようと思った。
ミスティだけならばこの世界に来ても、特に問題はないと思ったからだ。
「オレは?」
「く、クロロは…」
クロロはまずいのだ。
何がまずいといえば、クロロはあの世界でが”知って”いた人なのだから。
この世界にも”クロロ・ルシルフル”を知る人は多いだろう。
このクロロを見ても漫画のクロロとすぐに結び付けられる人は少ないだろうが、万が一という事もある。
「わたくし、マスターがルシルフル氏の同行を快く思っていない理由が分かりませんでした。ルシルフル氏がいれば、ルシルフル氏は頭の回転が速い方ですし、ご両親の説得等への協力に強い味方となってくれるでしょう?」
「で、でも、変なこと言われたら困るし!」
「マスターはあちらの世界で暮らすと決意されていたのでしょう?」
「うん」
「ハンター試験を終えてルシルフル氏とも随分仲良くなったようですし、ご両親の説得の為にもマスターはルシルフル氏も同行させると思っていたのですが…」
「自分の事なのに、クロロには頼めないよ」
「ルシルフル氏はマスターから離れたくないとは言わなかったのですか?」
ミスティはクロロを見る。
「オレは十分言葉にも出したし、態度でも示したつもりだったんだが?」
「でも、クロロ、ミスティと企みしていたでしょ」
「万が一があると嫌だからな。打てる手は全て打っておいただけさ。実際、には声もかけてもらえなかったことだしな」
「う…」
そうは言われても、はクロロを連れて行くという選択肢は最初からなかった。
あの世界でが”知らない”人ならいい、でもクロロを”知って”いるのだから。
「わたくし、マスターがどうしてルシルフル氏を連れて行こうとしなかったか。こちらの世界に来てあるものを見つけて分かりました」
はぎくりっとなってミスティを見る。
ミスティはにこりっと微笑んだまま、手に持っていたバッグから一冊の単行本を取り出す。
タイトルが書かれているそれは、紛れもなくが見たことがある漫画である。
「ルシルフル氏はこちらの文字が読めないようですら、これが何なのか分からないでしょうが、とても興味深い本ですよ。ね、マスター」
「み、ミスティ…それ」
「とても興味深いので、思わず現在の既刊分全て購入してしまいました」
「え?!どうやって?だって、お金…!」
「マスター、世の中にはどこにでも裏金というものが存在します。ここでも念が有効である以上、その裏金をちょちょいっと私物にするのはわたくしにとっては簡単でしたよ」
情報収集も元より、ミスティにとって情報操作も慣れたものなのだろう。
ちなみに朧月はそんなことは教えていないし、朧月もも情報収集どころか情報操作など全く出来ない。
全てはミスティの努力の賜物である。
「勿論、お金は沢山あるところから少し拝借しただけですのでご心配には及びませんよ、マスター」
とても満足そうな笑みを浮かべているミスティ。
は内心冷や汗ダラダラである。
「でも、ミスティ、どうやって日本語なんて…」
「その国の言葉のデーターベースを漁ればある程度は理解できますから。ですが、マスターの世界のこの国の言葉は少し難しいですね」
ミスティは持っていた単行本をバッグの中にしまう。
ちらりっとバッグの中を見たが、他にも何冊か見えた所によると、既刊分全部購入したというのは本当らしい。
「そんなに興味深いものなのか?」
「ええ、とても」
それ以上クロロに言わないで、ミスティ…!
ミスティがさっき取り出したのは1巻だったからまだいいけど、その先は絶対にクロロには見せられない!
「の母国語か…。難しいものなのか?」
「そうですね、覚える文字がとても多いのです。この本は”ふりがな”があるので、ひらがなさえ覚えれば十分かもしれませんが…」
ミスティはを見る。
は思いっきり首を横に振っていた。
絶対にクロロに見せては駄目だ。
「マスターがルシルフル氏には読まれたくないようですから、読むのは諦めてくださいね」
「がオレには見せたくないのか。大体何が書かれているのか想像はつくな」
「ええ、想像通りのことだと思いますよ」
を見て、クロロはくすりっと笑った。
そんなに分かりやすいだろうか、とは思ってしまう。
クロロはその本からは興味を失ったようで、ミスティの方から目を離す。
それがには意外だった。
何が書かれているか想像がつくのならば、もっと興味を持つと思っていたのだ。
それともクロロの想像が違うのだろうか。
どちらにしろ、興味を失ってくれるのはありがたいことだ。
「それにしても、ミスティもクロロも、お母さんに言ってた事、よくあんなことをぽんぽん思いつくことができるよね」
が高校の頃にとある国に拉致されて記憶喪失だったという事だ。
異世界云々よりも余程信じられる話である。
「その場で適当にでっち上げたことなので、後で裏を取るのが大変でしたけれども」
「どの世界にも、閉鎖的な小国というのは案外とあるものだな」
「でっち上げ…」
平然と話すミスティとクロロには少し不安になった。
「大丈夫ですよ、マスター。マスターが浚われたことになってる国の名はどことは言いませんでしたし、お母様には”わが国は閉鎖的でその存在を知る者も国の重要ポストにいるほんの一握りの者のみ”と言っておきましたし」
「適当にぼかして答えたから、”どの国”と特定するのは難しいだろうな」
それだけの嘘を堂々と話せる2人はすごいと思う。
ならば絶対にその嘘が顔に出る。
もしかしてこの2人が組んで詐欺をすれば、最強なのではないだろうかとちょっと思ってしまう。
穏やかな雰囲気のミスティと、とりあえず好青年に見えるクロロ。
2人とも襲われても対処できるほど強いし、頭の回転も速いし、突発的なことにもすぐに対応できそうだし。
何より思っていることが全然表情に出ないし。
さ、最強コンビ?
いや、というより人によっては最凶かもしれない。
「マスター、何か失礼なこと考えていませんか?」
ミスティがいつもの穏やかな笑顔でを見る。
は慌てて首を横に振る。
クロロもミスティと同じ事を思ったようで、の方をじっと見ていた。
やっぱり最凶コンビかも…。