― 朧月 39
すぅっとゆっくり意識が浮上する。
気持ちいい太陽のにおいがする布団の中で、はゆっくりと目を開く。
目に入ったのは懐かしいけど見慣れた天井。
「私の…部屋?」
懐かしい天井は、いつも寝起きして目に入っていた元の世界の自分の部屋の天井。
はゆっくり身を起こして部屋の中を見渡す。
部屋の中はの記憶にある通りのまま。
あの日、高校に遅刻しそうになった時のまま残っている。
ふと、この部屋に人の気配が近づいてくるのが分かった。
この部屋に一般人として住んでいた頃は、気配なんて分からなかった。
自分の変わりように思わず苦笑してしまう。
こんこんっと軽くノック音がして、かちゃりっと部屋の扉が開く。
「…?」
部屋に入ってきたのは、とてもとても懐かしい人。
驚いた表情でを見ている。
「お母さん」
「!目が覚めたのね…、良かったわ」
3年ぶりの母の姿。
変わっていないように見えたが、少し痩せたように見える。
涙ぐみながらの寝ていたベッドの側に座る母。
「身体は大丈夫?痛い所はないわね?」
「うん、平気」
「ミスティさん達が下で待っていらっしゃるの。その方々から事情は聞いたわ、大変だったのね、」
「え?」
をいたわるように見る母に、は少し混乱した。
確かに突然異世界に飛んで大変だったには大変だった。
だが、ミスティがその事情を母に話したのだろうか。
異世界など、とてもではないが信じられるものではないだろうに。
「まさか、拉致されてしかも記憶喪失になっていただなんて…」
なにそれ?
思わず口に出そうになったが、なんとかその言葉を飲み込む。
大体異世界なんて普通信じられないものだ。
恐らくミスティが適当に嘘を並べたのだろうと想像をつける。
「お母さん、私どれくらいの間いなかったの?」
果たしてこの世界とあちらの世界の時間軸が同じなのか。
それが気になるところだ。
「3年よ。高校は休学という形にしてもらっているけれど、卒業するつもりはある?」
「あ…」
「高校に通うとしても周りの子達とは年齢が違うし、1年以上も時間を取られてしまうものね」
高校に通うかという問いに迷いを見せたに対して、母は怒らなかった。
3才も違う子達の中で学生生活を送ることが出来るほどの神経は図太くはないし、1年以上もの期間を高校で拘束されるのは、今のにとっては嫌だと思った。
この世界で暮らすならば、高校くらい卒業しておくべきだとは思う。
でも、この世界に戻ってほっとはしたが、ずっといたいとは思えなかった。
お母さん、こんなに心配してくれているのに、私、すごく親不孝なこと考えているかもしれない。
「起きれそうならば居間にいらっしゃい。ミスティさん達がいらっしゃるわ。一緒に話をしたほうがいいでしょう?」
「そうだね」
「起きれる?」
「うん、平気」
はベッドから降りる。
服装はトレーナーとズボンになっていた。
「着替えはミスティさんがやってくれたのよ。サイズが変わってないようでよかったわ」
「これ、高校の時パジャマ変わりにしていたもの」
「そうよ。がいつ帰ってきてもいいように、定期的に洗濯もしていたのよ」
はじっと自分の姿を見る。
「着替えた方がいいかな?」
母はの方をじっとみる。
そして頷いた。
「そうね、着替えてから降りてらっしゃい」
「わかった」
母はそのまま部屋を出ていった。
いくらミスティの前だとはいえ、母からすればミスティはお客様だろう。
お客様の前でパジャマのような格好はまずい。
は変わらない自分の部屋のタンスから服を漁る。
タンスに入っている服も、あの時と全く変わりがない。
その中からなるべくシンプルなものを取り出して、ささっと着替えた。
居間の方に降りていけば、話し声が聞こえる。
気配が母のものとミスティ、それからもう1人。
ミスティと母は分かるが、もう1人は誰だろうとは思う。
父ではないはずだ。
父は、が知っている職業から変わっていなければこの時間はまだ仕事に行っているはずである。
「お母さん」
は居間に入って母のに呼びかける。
「、いらっしゃい」
母の隣に来るように言われたので、は母の隣に座ろうとする。
向かい側に座る事で、居間の扉からは丁度背しか見えなかったミスティともう1人の姿が見える。
はミスティの隣に座っている青年を見て、驚きのあまり目を開く。
「く…?!」
クロロ?!
え?何で?!
「、どうしたの?ルシルフルさんよ」
「オレがここにいることを驚いているんでしょう。オレがここに来るとは思っていなかったしょうから」
座りかけた状態で固まってしまってる。
ここはあの世界ではない、がいた現実世界だ。
なぜクロロがここにいるのだろう。
「、ルシルフルさんがミスティさんとを助けてくれたのよ。そんな反応では失礼でしょう?」
「助ける…?」
「様は状況が分からないのですから仕方ありませんよ。それよりも話を進めてよろしいでしょうか?」
「ええ、そうね。お願いします、ミスティさん」
の視線は青年、クロロの方に向いてしまう。
じっと見てもクロロの姿が変わるわけではない、間違いなくクロロだ。
よく感じ取れば気配も念もクロロのものだ。
クロロがここにいる理由を考えても仕方がない、ここにいるのは確かなのだから。
「お母さん、話って?」
「今丁度の今後のことを話していたのよ」
「へ?今後?」
「お母様、様にはまず何が起こったのかの事情を説明された方がよろしいかと思います」
穏やかな笑みを浮かべてミスティがを見る。
何かを感じたので、は凝をして見る。
ミスティの前に念の文字があるのが見えた。
― 事情を少しずつ交えて話しますので、話を合わせて下さいね
はわかったと自分も念で文字を描く。
「様は、我が国のとある方のご落胤と間違えられ拉致されました。すぐに救出したのですが、その時様は記憶を失くされ、持ち物だけではどちらの方なのかをすぐに特定することができなかったのです」
という設定になっているらしい。
ミスティがを”マスター”と呼ばずに”様”と呼んでいるのも、その嘘を信じさせるためなのだろう。
「そこまでは、様も分かりますよね」
「うん」
は無難に頷くだけで留めておく。
余計なことを口にすれば、ミスティが先に母に説明してあるものと矛盾が生じてしまうかもしれない。
はこの世界のどこかにある…ことになっている…小さな島国の権力者の子と間違えられて浚われ、その国の者に救出されたが記憶喪失になっていた為、家に戻ってくることが出来なかった。
最初は色々不自由があったものの、だんだんとその国なじみ笑顔を見せるようになってきた。
だが、ふとした切欠では思い出し、日本に戻ろうとした所、とある組織に浚われてしまったらしい。
そこからミスティとクロロで救出して今に至ると言うわけだ。
「オレがと親しくしていたために、が狙われてしまったようで申し訳ないです」
「いえ、ルシルフルさんのせいではないでしょう?それに、ルシルフルさん達がを助けてくださったんですし、本来ならばこちらがお礼を言わなければならない程です」
はものすごく奇妙な気持ちになってしまう。
間違っても母があの漫画を知らなくて良かったと、今心底そう思う。
例え読んでいたとしても、流石に主人公側からどちらかといえば敵側にあたるだろう相手の頭のファミリーネームまで覚えているわけはないだろうが…。
クロロがここに存在しているのがものすごく違和感がある。
「それで、様の今後のことなのですが…」
どうやらミスティはその国の外交関係の職業の人で、クロロは若き権力者の1人という役割のようだ。
どこで誰が考えたのか分からないが、妙に納得できるのは気のせいだろうか。
「様の希望を尊重したいのですが、あの国でも様はとても好かれていまして…」
「ミスティさんの言いたいことは分かります。主人とも話し合いましたが、が望みに反対するようなことをするつもりはありませんよ」
手回しがいい、とがそう思ってしまっても仕方がないだろう。
元の世界に戻って、は両親をどう説得するかが一番の難問だと思っていた。
同じ時間が流れていたとして、3年の月日が流れているのだ。
やっと戻って来たかと思えば、この家に戻る気はないなどとは言えないだろう。
「、私達はが無事であると分かっただけで十分よ。だから、の好きにしなさい」
「お母さん?」
「がこの3年間、どんな暮らしをしてきたのかはお2人に聞いたわ。永遠に会えなくなるわけじゃないもの、子供はいつか親元から離れてしまうのはずっと分かっていたことだわ」
一体どんな話をしたのだろうか。
母はまるで、がこの家に残らない事を前提に話しているように見える。
はミスティとクロロをちらりっと見る。
母は一般人だ。
それに比べて、ミスティもクロロもあちらの世界では有名。
一般人を騙すくらいは朝飯前のようなものかもしれない。
「私、お父さんもお母さんも大切だよ」
「分かっているわ、」
ミスティとクロロを見る。
その2人がとても大切だと思っている。
そして、あの世界が好きだと思える。
「お父さんに会う。それから、行くよ」
の心はもう決まっていた。
この世界で暮らすことになっても、きっとこの世界の生活にはなじめないだろう。
この世界を忘れなければ、両親にはいつでも会える。
母には会った、だから父に会ったら戻ろう。