― 朧月 28
耳にかかる吐息にドキドキし、首筋を伝う感触にびくりっとなる。
クロロの袖をつかんでいる手の力が強くなる。
もはやつかんでいるというよりも、縋っていると表現した方がいいだろうか。
首筋に触れる唇の感触と、チリっとした痛み。
「っ…!」
首筋に走った小さな痛みには一瞬何が起こったのか分からなかった。
だが、無意識にクロロの体を押し返そうとする。
そんなの抵抗はまったく意味のないものだった。
クロロの体は動きもしない。
「クロロ…!」
やめてというようにクロロの名を呼ぶが、クロロはの首筋に顔をうずめたまま、再び首筋に唇を寄せる。
びくりっとなり、は思わず念を両腕に込めた。
力いっぱいクロロの体を押しのける。
ばんっと叩きつける様にクロロの体を押しのけ、クロロはあっさりとから吹き飛ばされた。
だが、空中でくるんっと一回転して綺麗にすとんっと着地する。
は痛みを覚えた首筋を隠すように、片手でその部分に触れる。
「」
名前を呼ばれてぎくりっとなる。
クロロの視線は、殺気が込められているんじゃないかと思えるほどに鋭い。
「ちょ、ちょっと待って、クロロ」
ゆっくりとの方に近づき戻ってくるクロロ。
先ほどの続きをされてはたまらない。
は事情を話そうとするが、今の状態のクロロが耳を傾けてくれるだろうか。
「オレは」
は逃げようとせずにその場を動かないので、すぐにクロロに再び捕まる。
クロロはつかんだの手を自分の口元まで持っていく。
その仕草が物凄くイヤラシイと思うのは気のせいだろうか。
「欲しいものを見逃すほど、お人良しじゃないんだ」
「あ、あのね、クロロ」
「が帰ると言うのなら」
「だから、私の話をちょっとだけ」
「ベッドに組み伏せて」
「聞いて」
「両手首を押さえ込んで」
「お願いだから」
クロロの言葉の内容には焦る。
「その口を口で塞いで」
「あの、クロロ?」
「舌を絡めて」
「っ…!」
「オレだけを感じさせて、オレだけしか想わないようにさせる」
かぁぁっとの顔が赤くなる。
こんな言葉を言われれば誰だって恥ずかしいだろう。
しかも一方的で、クロロは果たしての言葉が耳に入っているのだろうか。
「オレはできる限り奪わずにそのままのが欲しい。だから、帰るなんて言わないな、」
クロロの口元は笑みの形をつくる。
目は全く笑っていない、が否と言わないと確信しているような笑みだ。
はふっと目を逸らしながらも顔は真っ赤だ。
「だ…から、帰るとかそういうのはなんというか…」
ごにょごにょと小声で呟く。
帰らないとは言えない。
1度だけでいいから、帰らないと心残りができてしまうから。
「はそんなにオレにヤられたい?」
「っ!」
こ、この人は…っ!
どうして平然とそういう事をさらっと言えるの?!
「欲しいものは全て力づくででも奪ってきた。それはこれからもそうだ。だが、だけは、心も全て欲しい。だからこそ、力づくでは奪わないつもりだ」
クロロはこう言いたいのだろう。
が帰ると言うのならば、力づくで奪うことも厭わないかもしれない、と。
の意思など関係なく、欲しいままに奪う。
「オレはまだの全てを手に入れていない。がいなくなるのはそのまま消えてしまいそうで嫌だ」
その言葉に心を動かされそうになる。
別にそんなに急いで元の世界に戻ろうとしなくてもいいのではないのか、と思ってしまいそうになる。
だが、流されては駄目だ。
いずれ後悔するのは自分。
後悔すると分かっているのならば、ここで自分が折れるわけにはいかないのだ。
「じゃあ、絶対戻ってくるって約束するから」
「口約束はあまり当てにならないな」
「誓いでも立てればいいの?」
「そうだな…」
少し考える仕草をするクロロ。
口調こそやわらかくなってきたものの、クロロの雰囲気は少しも和らいでいない。
クロロはすっとの頬に右手を添える。
「の方からキスしてくれたら、その約束を信じよう」
「私の方から?!」
ちらりっと困った表情を浮かべてクロロを見上げる。
どうしようか迷っているのだろう。
頭から否定しないところを見ると、別に嫌ではないようだ。
はきょろきょろっと周囲を見回して、誰の目もないことを確認する。
流石に人前でどうどうとやるのは恥ずかしい。
くいっとクロロの袖をひっぱる。
「ちょっとしゃがんで」
頭1つ分くらい身長が違うとクロロなので、が背伸びしてもクロロが少しかがんでくれないと届かない。
クロロは少しだけかがむ。
はぐっとつま先で立ち、顔をほんのり赤くしながらもクロロの唇に自分のそれを近づける。
触れるだけ、触れるだけ。
どういうキスとかって言ってないから、触れるだけオッケーだよね。
顔を近づけて、くっついただけと一定程度にちょこんっと唇が触れる。
は触れた唇をすぐに離したが、クロロの左手がの後頭部に添えられてぐいっと顔を引き寄せられる。
少しだけ触れただけで離れた唇は再び重なり合う。
今度は触れるだけでなく、重なり合うように深く。
「ん…くろ…ろ!」
合わさった唇の隙間からの声がもれる。
声をもらしたの合わさった口の隙間から舌がもぐりこんでくる。
ぞくりっとした感覚が背を伝う。
寒気なんかではなく、感じたことがないようなもの。
クロロの舌がの舌に絡まり、ピリっとした痛みが走る。
何…?
まるで何か焼き付けられたような痛みがした気がしたのだ。
が何が起こったのか分からず少し混乱していると、クロロの舌が離れ唇が離される。
「保険」
「ほけん?」
こくりっと首を傾げる。
くいっとの顎を持ち上げて軽く口を開かせる。
「舌にってのはオレの趣味だけどな」
「舌?」
は思わず自分の口に手を当てる。
先ほど舌に感じた小さな痛み。
口の中でもごもごと舌を動かしてみるが、いつもと変わらないように思える。
「な、何をしたの?」
「ただの拘束だよ」
「…拘束って、え、まさか…!」
はポケットの中から手鏡を取り出して…一応出かけるときは小さな手鏡を持つようにしている…自分の舌を見てみる。
舌には黒い文字がひとつ刻まれていた。
そう目立つものではないが、それがあると分かると物凄く気になる。
「念?」
「がオレから離れらないような拘束の念。ま、簡単なものだけどな」
ぱたんっと本を閉じる音がした。
ぱっとクロロの方を見てみれば、クロロが持っていた何かの本がふっと消えるところだった。
あれって、あれって…クロロの念じゃなかったっけ?
見るの初めてだけど。
「がちゃんと戻ってきたら解除するよ」
「この念ってどういう効果なの?」
「ん?」
拘束の念なんてロクなものではないだろう。
さっさと解除してもらいたいものだが、特に支障がないなら除念師を探して解除してもらえばいい。
「オレから3日以上離れると、オレを求めるようになるっていう効果」
「も、求めるって?」
「その念をに刻み付けた時と同じようなことをしたくなるだけ」
「同じ…」
盗ったはいいが、実際あまり使い道はなかったんだよな…とクロロが呟いているが、には聞こえなかった。
先ほどこの念を付けられた時にした事をはぱっと頭に浮かべる。
ぐわぁぁぁっと目に見て分かるほどにの顔が真っ赤になった。
「な、な、…何でよりによって舌なの?!腕でも脚でもいいじゃない?!」
「その方がオレ好みだから」
「好みだからって…、大体これって絶対に本来の使い方じゃないよ」
それにはクロロもそうだな、と同意する。
クロロが言うには本来は首や手首に刻み付けるものらしく、相手を求めるのではなく、相手から離れるとその印が痛みを訴えるというものということ。
いわゆる犯罪者のようなものを捕まえた時の逃亡禁止の念のようなものである。
ちなみに刻み付ける印は、舌からではなく、手でやるのが通常。
クロロがに使ったのは少し変則的なものだ。
「相手への効果と、刻み付ける方法は選べるんだ」
「もうちょっとマシなのにしてよ」
期間は3日。
たったの3日だ。
流石に3日で元の世界から戻ってこれる自信はにはない。
短くても10日はかかるだろうと思っているのだ。
「期間とかは選べないの?」
「もう少し短い方がよかった?」
「違う!いくらなんでも3日は短すぎなの!」
クロロは少し考える仕草をする。
「期間を変える事は可能だが、その場合は上書きする事になるからもう一度念を刻み付け直す為に再度同じ方法をとる必要がある。ま、解除の方法も同様だけどな」
つまりもう一度あのキスをすることになるという事だ。
クロロはにこりっと笑みを浮かべる。
「の希望の期間にするから、もう一度する?」
「っ…!」
は首をぶんぶんっと横に振る。
クロロは残念そうに、そうか…と一言もらしただけだった。
その目がどこか面白がっているように見えるのは気のでせいではないだろう。
ハンター試験終わったら、ミスティに頼んで除念師を絶対に探してもらうっ!
は心の中でそう深く決意したのだった。