―いつか愛しい人を護るために、覚えておきましょう?

優しい声で優しい気配で、とても厳しい事を教えてくれた。
空気の読み方、気配の捉え方、そして刀の使い方。
1対多数を想定した戦い方。

それを教えてくれたのは貴女でしたよね。
盲目である事は、やはりごろつきに絡まれる事が普通の人より多いんです。
ごろつきなんて目じゃない強さが私にあるのは、きっと貴女たちのおかげです。

私が身に付けたのは護身術程度のものじゃないことも分かっているんですよ。
これは人を殺す事も出来る手段。
でも、今はその技術を身につけさせてくれた事にとっても感謝しています。



瞳の中に眠るもの 05




その日、この邸の主である奇人がなかなか邸に戻ってこない。
仕事で忙しく戻れない時でも、便りのひとつやふたつくらい寄越してくる気遣いをしてくれる人だ。
こんな暗くなってまでなんの連絡もないのはおかしい。

「んじゃ、俺達はその辺りを見てくるな!」

ひらひらっと手を振って邸を出て行ったのは、この邸の警備を担当している花蓮の旦那さんと同僚達だ。
花蓮と一緒には彼らを邸の門の中から見送った。
日も落ち、ひんやりと冷たい外は真っ暗なのだろう。

「大丈夫かしら、奇人様」
「はい、心配です…」

の心に嫌な予感が広がる。
こういう予感がする時は当たることが多いから嫌だ。
ものすごく不安になってくる。

「私も…」
?」

はぎゅっと手を握る。

「私も少し様子を見てきます」

だっと駆け出す
後方から花蓮がやめなさい、と言っているのが聞こえた。
でも、そんな言葉なんて気にならないくらい心が不安で覆われていた。
何かがあったかのような、何かがあるような。
動かなければ後悔してしまうような、そんな予感。

嫌だわ、この予感。
物凄く嫌。
だって、まるで…。

焦るようにざっと駆け出すの走りは、とてもではないが盲目とは思えないほどのもの。
暗い夜道を風のように駆け抜ける。

あの人が亡くなった夜と、似た嫌な予感なんだもの。

邸の警備の人たちが探しに出たのだから、安心かもしれない。
頭の中でそう分かっていても、飛び出さずにはいられなかったのだ。

この嫌な予感が当たらなければ、奇人様の無事な気配を感じる事さえできれば、すごく安心するのに…。

向かう先は朝廷がある方向。
この方向であっているかどうかすら分からない。
どくどくと心臓の音がうるさいほど響いてくるのが分かる。

大丈夫よ、絶対に大丈夫なんだから…!
そう、信じたいのに……!どうしてこの道の先から殺気がするの!

泣きそうなほどに顔をゆがめながら、こんな時は人の気配に敏感すぎる自分が嫌で、すごく良かったと思える。
が向かう方向で何かしらの諍いを感じる。
しかも、そこに殺気が混じっている。
そして、とてもよく知る気配が混じっているのも分かる。

は普段は衣服の中に隠している、小さな刀を数本取り出す。
主に暗器として使われるこれは、が姉のように思っている人からもらったもの。
盲目だから身を守るすべが必要だろうと、これの使い方と身の守り方を教えてくれた。
それは護身術というには、あまりに行き過ぎたものだったけれども、それに今はとても感謝する。

ひゅっと刀を諍いの中へと投げつける。
投げつけたのは3本。
そのうち一本が誰かに当たり、が…っとうめき声が聞こえた。

「奇人様!」

は奇人の気配の所に駆けつける。
奇人が驚いたのが分かったが、気にせず主を背にかばうように立つ。

…?」
「お帰りが遅いので、邸の皆が心配しています」
「何故君がここに?」
「嫌な予感がしたので…」

殺気を持った相手に囲まれる。
すぐ側に軒があるのが分かる。
軒で邸に戻る途中で襲われたのだろうか。

「御者の方は?」
「もう殺られた」

静かに答える奇人の声に僅かな怒りを感じる。

「今、邸の警備の方々が奇人様を探しています」
「間に合わないだろうな」
「奇人様?」

すぐ側から血の臭いがする。
はさっと顔色を変える。
血の臭いは、ここに駆けつけた時からしている。
それは殺された人のものの血のにおいだと思っていた。

「奇人様、もしやお怪我を…?」
「大した怪我ではない」

答える声に余裕がない。
嫌な予感が頭の中をよぎる。
手が震えそうで、不安でこの場でしゃがみこんでしまいたくなる。

落ち着け、私。
話が出てきているということは、そんなに酷い怪我ではないはずよ。
ここで応急処置をすれば絶対に大丈夫。

「け、がは…、奇人様、怪我はどこですか?」
「大した怪我ではないと言っただろう」

はむっとして、奇人の右手を無理やりぐいっと引っ張る。
血の臭いが一番濃いのが右手だったからだ。

「っ…!」
「やっぱり、右手ですね。応急処置をさせていただきます」

迷わずには自分の服の裾をびりびりっと破く。
それを包帯代わりにぐるぐるっと奇人の怪我をしている腕に巻きつける。
きついほどに巻きつけなければ止血にならない、痛みを訴えるうめき声が聞こえたが、構わずに縛り上げた。

「邸に戻ったら、ちゃんとした医師に見てもらってください」
「無事、戻れればいいがな」
「珍しく弱気ですか?奇人様」

周囲の殺気がぽつぽつと増えてくる。
と奇人が会話をしている間に囲まれてしまったようだ。
声こそ落ち着いてはいるが、奇人は内心とても焦っていた。

「大丈夫、大丈夫ですよ、奇人様」

はにこりっと笑みを浮かべる。
こんな状況では、場違いなほどの笑み。

「話は済んだか…」

凶手の1人が声をかけてくる。
話が終わるまで待っていてくれたのだろうか。
なんて律儀な凶手なのだろう。
それともそれだけ自信があるのか。

「黄尚書、恨みはないがその首をもらおうか」

周囲を刃で囲まれる。
一体何人の凶手がいるのだろうか。

「相手は凶手だ。君は邸に戻れ」
「嫌です」

奇人が小さく呟いた言葉を、はきっぱり否定する。
そして、奇人を凶手から護るようには再び刀を手にして構える。
相手は十人近くいるだろうか。
だが、不思議とは落ち着いていた。

相手は十人もの凶手。
でも、平気だと確信できる。
だって、たった一人のあの人ほどの威圧感を感じないもの。

はこの国一とも言える凶手を知っている。
とても凶手とは思えないほどのとてもとても優しい人。
のこの技術は、その人や、その人を慕っている人に教わったもの。

「奇人様を置いては戻れません」

嫌な予感が心の中を覆った時、分かってしまった事がある。
感じた予感は大切な者がなくなるかもしれないという恐怖。

「だって、私は…貴方にならば命をかけてもいいと思えたんです」

構える刀は暗器。
まとう雰囲気は、対峙する凶手と同じようなもの。
護るべき人は1人だけ。

大切な人のためなら凶手になっても構わない。
そう思えるほど、貴方に何時の間にか惹かれていたの。

、君は…」

奇人はの雰囲気に驚きの声をあげる。
お茶くみをしていた邸の女官が、これほど雰囲気が豹変してしまえば驚くのは当たり前だろう。
だが、今のはそんなことはどうでもよかった。
大切な人を護りぬく事さえ出来ればいい。

「奇人様」

は一度だけ奇人の方を振り返る。
目がなくとも、奇人を”見ている”のが分かる。


「愛しています」


その言葉はまるで羽根のようだった。
ふわりっと舞い降りたかと思えば、幻であったかのように消え去ってしまったような感じさえした。
なぜなら次の瞬間、は凶手の1人に刀を投げつけるという行動に移っていたから。

刀を投げるだけでなく、は相手の気配を感じ取って体術を繰り出す。
目に頼らないの戦い方は、相手の動きを見失う事がない。
手にしている小さな刀で相手の首をかききり、ばきばきっと骨が折れる音すらするほどの蹴りを下す。
周囲を取り囲んでいた凶手の1人たりとも、奇人に近づかせる事はしなかった。