には、見えないからこそ感じ取れる何かがあるのではないのかえ?

それは、とてもお世話になった人の奥さんの言葉。
ころころととても楽しそうに笑う声を良く聞いたのを覚えている。
この人が亡くなってしまった事を聞いた時は、信じられない気持ちで一杯だった。

とても綺麗で鋭い雷のような気配を持った人だった。
私には、目に見えない、肌で感じる何かを教えてくれた人。
もう1人の母のように思っていた人でした。

貴女に教わった事、とても役に立っています。
私、一人前以上に働けるって自信があるんですよ。
それって、貴女のおかげでもあるんです。



瞳の中に眠るもの 02




黄邸でお茶くみの仕事を始めてからもうすぐひと月。
主である奇人とは、お茶を出す時に少し話すだけで接点という接点はあまりないである。
ただ、今日は少し違っていた。
奇人が昼間なのに邸にいるのだ。

「花蓮さん」
「貴女の聞きたいことが何かは分かるわ、

庖厨でお茶の準備を一応しているは、同じく庖厨にいる花蓮に声をかける。
花蓮は一番最初にお茶の入れ方などを教わってから、この邸では一番仲良く話をさせてもらっている。
この邸の人たちはとても気がよくやさしい人ばかりだ。
盲目ののことを快く迎えてくれている。

「景侍郎…副官の方にお休みを取らされたそうなのよ」
「副官?」

は奇人がどんな仕事をしているのかを知らない。
黄東区の邸に勤める事だけを聞いていたので、詳しいことを全く知らないのだ。

「奇人様は朝廷の戸部尚書をしていらっしゃるのよ」
「尚書ですか?声からして、尚書にしては随分とお若いように思えますが…」
「そうでもないのよ。奇人様と同期の方で尚書になられている方も他にもいらっしゃるもの」
「そうなんですか…」

随分と優秀な同期がいるものだ、とは思う。
尚書という位が高いものであることは朝廷内部に疎いでも分かる。
年若いながらも尚書についている知り合いのような人を1人知ってはいるが、あれは特別なのだろうと思う。

「お饅頭も持っていく?」
「はい、そうですね。疲れているときは甘いものがいいと思うので、持って行きます」
「それなら、こっちね」

が準備しているお茶一式のお盆の上に置かれたのは、が作った小さなお饅頭だ。
目が見えなくても庖厨にあるものの配置をすぐに覚えたは、お饅頭つくりもすぐできるようになっていた。
とは言っても、は置かれたのが自分が作ったものだとは気付かない。
作ったお饅頭の中には、花蓮がつくったものもあった為、それを乗せてくれたのだと思い込んでいる。
見る事ができないに分かるはずもない。

「それでは行ってきます、花蓮さん」
「ええ、行ってらっしゃい」

迷わない足取りですすっと歩く
それを見て花蓮が感心するのはいつものことである。


は最初は奇人の自室に向かうつもりだった。
しかし自室に向かっている途中で、その部屋にその主の気配がないことに気付く。
こういう時、気配を探る事が出来る自分の感覚はとても便利だ。
普通の人ではここまで気配を捉える事はできないだろう。

「でも、どこに…」

は歩みを止めず、奇人の気配がするほうに歩く。
この邸の構成はある程度覚えている。
どの道をどう行けばどこにでるか、頭の中に入っている。
確かこちらは書庫になるはずだ。
それでも自分の感覚を信じてそのまま進む。

かたりっと足の先が何かに当たる。
丁度書庫の入り口辺りに何かがある。

「誰だ?」

とても聞き覚えのある声。
それは主である奇人の声だ。
この声の大きさからして、この書庫の入り口にある卓にいるのだろう。

「奇人様、お茶をお持ちしました」
「必要とは言っていない、下がれ」

ここまで来たのにさくっと断られてしまう。
だが、は引かない。

「お仕事ですか?休暇をもらったのでしたら、十分にお体を休めるべきだと思いますよ」

了解を得ずにそのまま書庫に足を踏み入れる。
先ほど足の先にあたった何かをきちんと避ける。
どうやら本だったらしいが、他にも床に転がっているかもしれないので、足取りは慎重になる。

「休む時間が惜しい」
「それでも、休息を入れなければ効率が下がってしまいますよ」

かたりっと卓の邪魔にならない隅っこにお茶一式を置く。

「声も随分お疲れのように思います」

耳に聞こえる声に僅かに疲れを感じる。
は、そういう些細な変化をとらえる事が出来るのだ。
表情が見えない分、気配と声の調子で相手の感情などが分かるように。

「声…か」
「そうですよ、声に出た疲れというのは意識してとれるものではありませんからね。きちんと休憩してください」

茶を注いだ茶碗を置いて、お饅頭を置く。
奇人の小さなため息が聞こえた。

「わかった、休憩しよう」
「それがいいと思いますよ、奇人様」

どこか諦めたような声音には笑みを浮かべる。
綺麗な空気を入れるために、書庫の窓を開けに書庫を回る。
途中本が散らばっているので転びそうになるが、慎重に歩けばそうでもない。
さわっと心地よい風が部屋の中に広がる。

「本当は今日はとてもお天気が良いですから、外でお茶をするのもいいんでしょうけど、どうしますか?」
「いや、ここで構わない」
「たまには日に当たることも必要ですよ?」
「また機会がある時には、そうしよう」

奇人は茶碗のお茶を口に運ぶ。
筆を置き、完全に休憩する事に決めたようだ。
普段仮面をしている奇人だが、邸で仮面をつけることはあまりない。
その邸には比較的彼の素顔に免疫のある人が集まっているので、そう気を使う必要はない。
だが、全員が全員平気であるわけでもない為、自室でのみ仮面を外すようにしていたのだが、書庫でこもっている時にまで仮面をしていたいとは思っていなかったのか、今は仮面をしていない。

「お饅頭もどうぞ食べてください。甘いものは疲れがとれると言いますよ」
「ああ、そうだな」

奇人の手がお饅頭に伸びる。
普通のお饅頭よりも小さめのお饅頭にほんの少し表情を変えるが、構わず口に運ぶ。
これはが自分が食べやすいようにと思って作った大きさなのだ。

「珍しい大きさの饅頭だな」
「え…?」
「普通の饅頭ならばこの倍の大きさだろう」
「え、え、ちょっと待って下さい。奇人様が食べられたお饅頭って…」
「何か問題でもあるのか?特に味に問題はないが…」

もうすでにそのお饅頭を食べてしまったらしい奇人に、が顔色を変える。
が作ったお饅頭は、が自分で食べるもの用で作ったもので、間違ってもこの主に食べさせていいような代物ではない、と自分では思っている。
味には自信はあるが、人様に出そうと思っていたわけではないのだ。

「だ、駄目です、奇人様。これ以上食べないで下さい!」
「何故?」
「と、とにかく駄目なんです!え、どうして、花蓮さんが作ったものを持ってきたとばっかり思っていたのに…」

わたわたする
卓に出されたお饅頭を片付けようとするが、動揺していて手が目的のものに届かない。
奇人は初めてが慌てている様子を見たので、少し驚く。
盲目のこの女官は、まるで目がどこかについているかのようにしっかりと落ち着いた態度でいつもお茶を持ってきている。
そのが動揺しているのだ。

「失敗作というわけでもないだろう?」
「ですが、その、自分で食べる為に適当に作っただけのものなんです」
「私が食べてしまっては自分の分がなくなるからか?」
「そういうことを言いたいんじゃないです!その、自分が食べるので少しくらい失敗していてもいいって思って作ったものですので、奇人様に差し出せるようなものでもないということで…」

味も適当でいいや、と思いながら作ったものなのだ。
そんなものを主に差し出していいものだろうか、いやまずいだろう。

「これで十分だ。食べやすい」
「で、ですが…」
「また昼間お茶を運ぶ事があるようならば、同じものを頼む」
「え、あ、はい。それでしたら花蓮さんに…」
の作ったものをな」

どうして念押ししてくるのだろう。
別に何の変哲もないお饅頭だろうに。
花蓮が作ってもが作っても同じである。
はそう思っていたが、同じような事を奇人が思っていることなど分からないだろう。

「わ、…分かりました」

諦めて承諾する
主の頼みなのだから断れるはずもないのだが、できれば断りたかった。
でも、自分の作ったものを望んでくれるのは少しだけ嬉しい。
は自然と口元に笑みを浮かべる。

「次の休暇の楽しみが出来たな」

ふっと奇人が笑った気がした。
奇人のまとう雰囲気が変わったのだ。
に奇人の顔を見る事はできないのが、その時ちょっとだけ寂しいと思えた。


でも、奇人様、私にお仕事を与える為にあんな事をおっしゃったのかしら?

奇人がわざわざが作ったものを、と指定したのは、お茶だしのみを仕事としているだろうに対して気を使ったのかと思った。
お饅頭を作って差し出すのは少し気が引けるけれども、新たな目標が出来ただった。

絶対に、彩雲国一おいしいお饅頭作れるようになるわ!