古の魔法 11





ジュースを一気に飲み干して、ぺろりっと舌で鼻を舐める。
はくすくすっと笑いながら、ハンカチで口の周りを拭いてやる。
お腹もいっぱいでとても満足そうだ。
それにしてもよく食べたと思う。
お菓子は残っているが、持ってきた食事は3人前はあったはずだ。

「えっと…、シリウス、さん?」

でいいんですよね?
この犬がシリウスかどうか確かめるためにそう言おうとした。
犬はぴくりっと反応してすっとを見る。


どさっ


の視界が反転した。
何かに押し倒されたらしい。
黒く長いさらさらの髪がの頬にかかる。
見上げればそこには一人の青年の顔。
月の光の逆光で表情と顔立ちは見えない。

「どうして俺の事を知っている?」

低くを警戒するような声。
だが、不思議と恐怖は感じなかった。
は、ふっと笑みを浮かべる。

「伝言、預かってます。シリウスさんに」
「伝言だと?」

シリウスが顔を顰めただろうことがなんとなく分かった。
はジェームズからの伝言を心の中で一度復習する。
それでから言葉にする。


「『プロングスからパッドフットへ。僕が無実を証明してやるから馬鹿な真似はするなよ!馬鹿犬!!』」


一瞬沈黙が流れる。


「…はぁ?」


シリウスの間抜けな声が聞こえた。
それは当たり前だろう。
見ず知らずのホグワーツの生徒にそんなことを言われれば誰だって困惑する。

「生きてますよ、ジェームズさんとリリーさん。だから、無茶しないで下さい」

はシリウスの頬を両手で包み込む。
包み込めるほどの手は大きくないのだが。

「それを知ってるのは、まだ、ダンブルドアと私と私の両親だけですけど」

知る者はごく僅か。
それでもシリウスには知っていて欲しいと自身も思っていた。
あの時のシリウスの声が、苦しいと悲しいと、後悔と自分への責めのこもった声が忘れられないから。

「苦しまないで、悲しまないで、後悔なんてしないで、自分を責めないで。貴方は何も悪くないです。それを、私は知ってるから」

裏切ったのはシリウスではないことも、無罪なのにアズカバンにいたことも、親友を救えなかった辛さも。
見てきたから。
理解できるとは言わない。
でも、知っているから。

「お前…、誰だ?」

少し警戒心を解いてシリウスが問いかけてくる。

「私は。ただのグリフィンドールの3年生です」
「…?セイスの娘か?」
「はい」

は頷く。
友人の娘ということで警戒心を解く。

「ただ、私は少し前に過去に行って来ました。12年前の10月25日に」

そこで見た真実。
襲ってくるヴォルデモート。
ピーターを追いかけるシリウス。

「全てを見ました。見たのは水晶球の映像を通してですけど。あの時の貴方の声が、悲しくて、苦しくて…、見てるほうが苦しくなるほどだった」

笑い続けるシリウスに涙が出るほどだった。

「ジェームズさんも、リリーさんも生きているから、今は貴方の無実を証明するために動いているから、だから…無理、しないで下さい」

は自覚してなかったが、泣きそうな表情をしていた。
シリウスはその表情をみて苦笑する。
自分の頬に触れているの手を片方だけそっと掴む。

「知ってるんだな、お前」

シリウスがふっと笑った気がした。

「過去に飛ぶなんて誰が考えたのか知らねぇが」
「発案者はお父さんとお母さんで、他にもいろいろ協力者がいたそうです。…スネイプ先生とか」
「あぁ?!スネイプだぁ?!絶対ありえねぇ!」

(同感です)

心の中で呟く
あのグリフィンドール減点大好き陰険教師がそんなのに協力するはずがない。
しかし、両親はセブルスの事を信用しているようだ。
シリウスはの手を離す。
もこれ以上シリウスの頬に触れているのもなんのなので、手を下ろした。

「父親はセイスだろ?母親って誰だよ?」
「お母さんは、『カレン』ですよ」
「げ、マジかよ。あいつらいつの間に結婚なんてしたんだ」
「あ、それ、ジェームズさん達も同じようなこと言ってました」

どうやらの両親は友人達に結婚報告を全然してなかったらしい。
後で報告したのかもしれないが、いろいろごたごたが落ち着いた頃に連絡が取れなくなった友人達は知らないのだろう。

「あの、ところで、シリウスさん?」
「何だ?」

聞きたいことがあったのをは思い出す。
シリウスがグリフィンドール寮に侵入したのは何故か?

「誰か生徒を襲ったって…」

そんなことはしてないとは思ってる。
でも、周りは皆シリウスを信じていないから不安になってしまう。
誰かを信じきるにははまだ幼い。

「別に…、生徒を襲ったわけじゃない」

シリウスは何か耐えているな表情になる。
表情が逆光で見えないでも、言葉からにじみ出る感情から様子は伝わる。
それと同時にほっとした。

「じゃあ、どうして?」

(どうして、寮に侵入したの?ハリーを狙っているはずなんてない。だって、貴方は無実なんだから!)

「ピーター、のことは知ってるか?」
「はい。あの時の光景を私は見てましたから。指を千切ってネズミになって逃げたあの人を…」
「そうか」

自分の指を千切るだなんて、すごく痛い事だ。
でも、親友に裏切られ、親友を殺されたその時のシリウスの心の方が何倍も痛かったはずだ。
自分が逃げるために、指を千切って逃げるなんて…勇気でもなんでもない。

「ピーターはネズミのまま、ロナルド=ウィーズリーのペットになっている」
「え?」
「アイツは…、この12年間!魔法使いのペットとしてのうのうとして生きている!!そんなことは、俺が許さねぇ!」

はロンのペットを思い出す。
小太りでちょこちょことしたペットだったような気がする。

(あれが、ピーター=ペティグリューだった?…なんで私、気がつかなかったんだろう。あの時、ピーターのネズミの姿も見たのに!)

はそうは思うが、見分けがつく方がすごいというものだ。
一瞬だけみたピーターのネズミの姿。
いくらロンのネズミを何度か見たことがあるからといって、普通は分からない。

だが、は自分の考えを押し込めてシリウスを見た。
シリウスはピーターへの憎しみを隠しきれないでいる。

「駄目だよ!無茶は駄目だよ!シリウスさん!」

は大きく首を振って、シリウスの首にしがみつく。
というより、が下でシリウスが上なので、無理やりシリウスを抱き寄せるような感じなのだが。
シリウスに力があるのか、がシリウスにぶら下がるような形になる。

「お願いだから無茶はしないで、貴方のあんな声はもう聞きたくないよ。自分を責めないで、貴方は悪くないよ」

シリウスは困ったようにため息をついて体をゆっくり起こす。
の腰に右腕を回して支えるように上半身を起こす。
はシリウスから離れないので、そのまま抱き合うような形になる。

「お前さ…」

シリウスは苦笑しながら言う。

「警戒心とかないのか?」

はシリウスにしがみついたまま、きょとんっと顔を上げる。
シリウスはその様子に深いため息をつく。

「どうして?だって、貴方は無実なのに、殺人犯なんかじゃないのに。だって、危ない人じゃないでしょう?」
「いや、そういう意味じゃなくてな」
??
「知らない男にそう気軽に抱きついていいのかってことを俺は言いたいんだよ」
「え?あ…、ごめんなさい!もしかして、人に触れられるのは嫌いですか?」

は慌ててシリウスから離れる。
の中では、シリウスは寂しく独りだというイメージがあったから、抱きしめて安心させてあげたいと無意識に思っていたのだ。
つまりは、幼いながらもある母性本能というもの。
抱きしめて、包み込んで…安心させてあげたかっただけなのだ。

「そうじゃなくてだな」

シリウスは頭を抱える。
そもそもまだ13歳の子供にその危険性をわからせようと言うのが無理なのか。

「なんの警戒もなく、知らない男に抱きつくな。でないと」
「でないと?」

ぐいっ

の腕が引っ張られ、シリウスがのあごを上に手を添えて顔を近づける。
腕を引っ張った手はいつの間にか腰に回され、の目の前にはシリウスの顔。

「え?」

近づいてくるシリウスの顔。
は反射的に目をぎゅっとつぶる。

ちゅっ

音の出る軽いキスを頬にされた。
驚いて目を開ければ、シリウスのニヤリとした表情。
かぁぁぁっと顔が赤くなる。

(な、何、今の?!キス…、されるかと思った。いや、されたと言えばされたんだけど…頬にだけどさ)

「こういうことだ。無防備になって襲われてから気づいても遅いぞ?」
「お、襲うって!」
「これでも分からねぇようなら、実践でもしてやろうか?」
「結構です!」

きぱっと断る
シリウスがくすくす笑うのが聞こえた。

「悪ぃ、悪ぃ。怒るなよ、…な?」

の髪を軽く梳き、ふわっとした笑みを浮かべるシリウス。
不覚にもその笑みにドキっとしてしまう。
顔が更に赤くなるのが分かった。

(お父さん、お母さん。シリウス・ブラックは、脱獄犯でもなく、殺人犯でもなくて…、ただの女たらしのような気がするよ)