アズカバンの囚人編 71




”戻って来た”ハリー達とは別れ、はグリフィンドール寮へと戻っていた。
念の為、シリウスが脱出するのを確認してからだ。
遠目で確認しただけだが、バックビークに乗った黒髪の男はシリウスだろう。
寮の自分の部屋のベッドに座り込み、大きなため息をつく。
ヴォルはスリザリン寮の方に戻っている。

部屋の中には人の寝ていないベッドが2つ、ハリーとロンのベッドだ。
そしてもう1つのベッド、ネビルのベッドは埋まっている。
ごろりっとベッドの上に横になったはいいが、は眠れずにいた。

― 何もしない君がどうして生きていられるんだ!

ピーターの悲しさをにじませた怒りの言葉と

―無事でよかった

ハリーの笑顔と言葉が頭の中に何度も浮かぶ。
きっとこのまま眠っても、悪夢にうなされるだけで、体が休まることがない気がする。
精神的にも、肉体的にもとても疲れているのは分かっていても、眠りたくない。

私は、覚悟が足りないんだね。

ゆっくりとその身を起こす
暗い部屋の中を見回しても何があるわけではない。
はベッドから立ち上がり、ローブを羽織って部屋を出た。

ひたひたっと裸足で談話室へと降りる。
当然だが談話室には明かりもなく、誰もいない。
満月の明かりが窓から僅かに射し、談話室を照らし出す。
はゆっくりとソファーに腰を下ろす。

「ふぅ…」

眠れない夜。
変わらず朝は来る。

―罵られても、裏切り者と言われても動じない強さがなければ駄目よ。

先代の時の代行者であったシアン=レインブンクローの言った言葉。
ピーターに憎まれても、ハリーに笑顔を向けられたことが後ろめたくても、が知っていたことがバレてしまっても、動じない強さがなければ先を変えてはいけない。
先を変えてしまったことで、その全ての責を自分で背負うほどの覚悟がなければいけないのだ。

「無理…かもしれない」

今は迷わず行動しようと決めていた。
誰も殺されない、犠牲者は出ない、だから今はまだ迷わずに役目を果たすことを考えておけばいい。
そう思っていたのに。

「そんなに、強くなれないよ」

は特殊な環境化で育ったわけでも、誰かに訓練されたわけでもないのだ。
突然この力と役目を与えられた、それまではただ普通のマグルだった。
1人でいると弱気になってきてしまう。
考え込めば考え込むほど、思考は悪い方にいってしまうだろうことが分かっていても、眠って次の日目が覚めれば、気持ちはすっきりしているかもしれないと思えても。

カタン…

物音がしてはっとなる
今この時間、起きている生徒はいないはずだ。
誰かが談話室にでも降りてきたのだろうかと、周囲を見回す。

「まだ起きていたんだ、

少し驚いた表情で男子寮に続く階段から姿を見せたのはジョージだった。

「ジョージ先輩?」

フレッドの姿はない。
2人一緒に何かしようと思って降りてくるはずだと思ったのだが、1人なのは珍しい。

「もう夜中だよ?」

ジョージはを見てふっと苦笑する。

「ジョージ先輩こそ、寝ないと明日に差し支えますよ?」
「大丈夫だよ、試験ももう終わったしね」

試験が終了すれば帰省までの期間、遊びまわる人が殆どだ。
だが、夜中まで起きている生徒は殆どいないだろう。

「ちょっと目が覚めただけだったんだけど、誰か談話室の方に行く足音が聞こえたから、なんだろうと思っただけなんだ」

はその言葉に苦笑する。
全く好奇心が本当に強いものだ。
真夜中に目が覚めたといっても、まだ眠いだろうに、好奇心を満たす為に眠気がふっとんだとでも言うのだろうか。

「最も、その談話室に向かってたのがっぽくなかったら、そのまま部屋に戻って今頃は寝てただろうけどね」
「僕に何か用事でもあったんですか?」
「別に用事なんてなかったんだけど…、ちょっと心配だったから」
「心配?」

ジョージはゆっくりと近づいてきて、の隣にすとんっと腰を下ろす。
ふわぁっと眠そうにあくびをしているのを見ると、無理して起きてきたのだろう。

「こんな時間に談話室に降りてくだなんて、心配だろ?何かあったんじゃないかって思うのは当然だと思うけど?」

いつものならばそこで適当に誤魔化していただろう。
だが、今のは小さく笑みを返すだけだった。
何かあったというそれを隠しきれないほど、は疲れているのかもしれない。
ジョージはそんなを見て、ばっと立ち上がる。
は立ち上がったジョージを見たが、そのジョージに腕をつかまれ立たされる。

「ジョージ先輩?」
「気分転換に行こう、
「は…?」
「夜の散歩でも行こうか」

にっと笑みを向けられ、ジョージはをひっぱりながら駆け出す。
そのまま逆らうことなくはジョージにひっぱられて談話室を出る。
こんな夜中にどこに行こうというのだろう。
フィルチの見回りが夜中にないわけではない。
ジョージがフィルチを怖がるかどうかは別として、まだ吸魂鬼も退いていないというのにどこに行くのか。

「アクシオ!箒よ来い!」

ジョージの呪文に少ししてから箒が飛んでくる。
クィディッチの試合でも使っている箒のようだが、ジョージはひょいっと箒に乗り、を後ろに乗せての両腕を自分の腰に回す。

「は、え、ジョージ先輩?!」
「行くよ、!」
「行くって……うあ?!」

ふわりっと感じる浮遊感。
は飛行訓練の成績は全然駄目ということになっているので、箒でまともに空を飛んだことは数えるほどしかない。
ぐんっと一気に浮き上がる感覚、頬に感じる風に一瞬焦る。

「あの!どこに行くんですか?!」
「いい所!!」

ぐんっとスピードを上げて空を舞う。
相変わらずのジョージの様子には苦笑する。
今の季節、夜風は冷たいが、それが逆に心を落ち着かせる。

気持ちいい…。

箒で空を飛ぶことがないは、今の状況を素直に楽しんでいた。
受ける風、変わりゆく周囲の景色、下を流れるホグワーツの情景、そして空に輝く満天の星と満月。
広がる情景はとても大きく広い。
は目をつぶってしばらく風を感じていた。

気分転換っていうのも、結構いいものなのかもしれない。

空の散歩もいいのだが、吸魂鬼がまだ存在することを忘れてはならない。
餓えている吸魂鬼、その存在をぞくりっと寒気を感じることでは察知した。

「ジョージ先輩!吸魂鬼が…!」
「大丈夫!上手く避けてみせるさ!クィディッチ代表選手を舐めるな!」
「無茶ですって!」

ふわりっと待っている黒い影である吸魂鬼の数はそう多くはない。
ハリーが1度一気に追い払ったからなのだろう。
だが、1体でかなりの影響を及ぼすのは確かだ。
はいいのだが、ジョージがそれに耐えられるとは思えない。

「まったく…!」

ジョージの強引さに呆れながらも、は口元は少しだけ笑みを浮かべていた。
今は心がとても安らいでいる。
それはジョージのお陰なのだ。
は杖を呼ぶ。

「杖をここに」

今なら余計なことを考えないで力を使える気がする。
だって、この空を飛ぶ気持ちよさが全てを吹き飛ばしてくれている気がするから。

それはただの思い込みなのかもしれない、それでも、やってみようと思えたのだ。
ひゅっと音を立てての手に杖が出現する。
その杖は意味を成さないが、杖なしで力を使うのを知られるわけにはいかないだろう。
呪文は魔法の呪文を、ただその呪文に思いを込める。

時の力は思いの力、言霊の力というわけじゃないんですよね。
シアンさん。

シアンと会ってはこの自分の持つ力の使い方が分かってきた。
言葉にすると発動する力。
言葉は決して意味を持ったものでなくても構わない。
その言葉に思いがこもっていれば。

「エクスペクト・パトローナム!」

黒い影、吸魂鬼へと力を放つ
杖先から白い光が広がる。
言葉にしたものは魔法の呪文、だが、発動したのはの光、吸魂鬼を追い払う為の銀色ではなく、白い光。
吸魂鬼を追い払うイメージをするにはこの呪文を使うのが一番いい。

?!」
「突っ切って下さい!」

白い光を放ち続ける杖。
白い光は吸魂鬼を強引に撥ねつけていく。

「すごいや、!」

ジョージが喜びながら白い光で開けた道を一気に突っ切っていく。
は力を使うことに集中してジョージの言葉は耳に届いていない。
それだけ力を使うことに集中しているということなのだろう。

今は、今はただ、何も考えずに吸魂鬼のみを追い払う!

それだけを考えさせてくれたのは、きっとこの状況のせい。
空にあり、飛ぶことで心が開放され、そして集中できている。
白い光が限界まで広がり、吸魂鬼を撥ねつけ、その光がおさまる頃にはジョージとの姿はそこにはなかった。

吸魂鬼の群れからなんとか逃げ切ることが出来たジョージとは、ホグワーツの森から少し離れた丘に来ていた。
草原が広がる丘に一本の大きな木が生えている場所。

「はぁ…!流石に吸魂鬼の群れには焦ったよ」
「吸魂鬼がまだいるのに、夜中に飛ぶからですよ」

地面に足をつけたは、先ほど使った力に実感が沸かなかった。
空を飛びながら力を使っていた時は、できると感じていたのに、今同じ事をしようとしても出来るかどうか自信がない。
まるで、地面に足をつけたことで沈んだ気持ちが舞い戻ってきてしまったような感じだ。

「それにしても、はやっぱりすごいや!」
「そんなことないですよ」
「そんなことあるよ!だって、吸魂鬼を追い払ったんだよ?!いつの間にそんな魔法使えるようになっていたのさ?」

興奮した様子で話すジョージには笑みを返すだけに留めた。
答えないをジョージは気にした様子もなく、その場にすとんっと座り込む。
はぁと大きくため息をついて、ごろんと寝転がった。

「あ〜あ…」

どこか残念そうな声に、は思わずジョージを見る。

「ちょっと沈んでいるっぽいに気分転換させたかったんだけど…」

ジョージはちらりっとの方を見る。
そして再び大きなため息。

「別にそんな必要なかったみたいだね」
「え?」
「今は、なんかすっきりしたような顔しているよ、

その言葉には驚く。

「そう、ですか?」
「うん。自分で結論出したのか吹っ切れたのかは分からないけど、談話室の時よりもすっきりした顔してるよ」

別に何が変わったわけでもない。
空を飛んでいるという気持ちの良い状況で、何の迷いもなく力を使えただけ。
もうそれも、もう一度同じようなことを出来るかと言われても難しいことなのだが。
はふっと笑みを浮かべる。

「ジョージ先輩のお陰ですよ」
?」
「ありがとうございます。お陰で、少しだけ分かった気がします」

迷いを抱かずにやると決めたときだけやると思っていた。
その決意は確かに弱かった。
でも、迷いを失くすことはできなくても、力を使うことは出来る。
憎まれるのは悲しい、罪悪感に押しつぶされそうになるのも嫌だ。
迷いがあってもあれだけの力を使うことが出来た自分に少し自信を持ってもいいのかもしれないと思えたから、だから、気分が少しだけ浮上した。

、感謝してるなら言葉じゃなくて別のものが欲しいな」
「別のもの、ですか?」
「そう」

にっこりとした笑みを浮かべるジョージには首を傾げた。
こうして気分転換が出来たことで、気分が浮上してきたのだから、言葉だけのお礼でなくてもいいだろうとは思う。
どんな言葉をもらっても、どんな時間を1人で過ごしても、今のに必要だったのは、気分転換が出来る行動だっただろうから。