アズカバンの囚人編 70




吸魂鬼が集まっている場所は森の中の泉。
そこに倒れているシリウス、僅かな銀色の光を放つ杖を振るハリーと、そして杖を構えているハーマイオニー。
立っている2人の顔色はとてつもなく悪い。

「完全に囲まれているな」
「……うん」

必死な様子が分かるだけに、放っておいていいものかと思ってしまう。
とヴォルは、彼らが良く見える木の陰から様子を見ている。
”戻って来た”ハリーとハーマイオニーもここから見える。
声を少し大きくすれば、その2人には聞こえてしまうくらい近くにいる。
過去の自分達へと手を出さないようにハラハラしながら見ている2人にとって、とヴォルの存在は気づきににくいのかもしれない。

「放っておいていいのか?」
「多分、大丈夫」

ハリーがぐっと杖を握り締めるのが見えた。
吸魂鬼達に襲われている”自分”達。
何かを期待するようにその光景を見ているハリー。

「ハリー手を出しちゃ駄目よ」
「分かってる…。だって、父さんが…、父さんが来てくれるはずなんだ」

この時助かったハリーが見たのは、ジェームズらしき人物が魔法で助けてくれたこと。
誰かが魔法で助けてくれたのは見間違いではない。
見間違いではないのだが、それは決してジェームズではないのだ。

「ハリー、何を言っているの?貴方のお父さんは…」
「分かってる!でも、僕はあの時確かに見たんだ!父さんが僕を助けてくれたのを!」
「まさか…」
「だから、父さんに会えるのを待っているんだ」

しかし、いつまで経っても助けが来る様子はない。
吸魂鬼達に囲まれている”ハリー”達は、吸魂鬼の気配に弱気になってくるのが見える。
振る杖から零れる銀色の光はとても弱く、”ハーマイオニー”は泣きそうな表情をしている。
はハリーと”ハリー”達を見比べる。
本当に大丈夫なのだろうか。
倒れているシリウスはもう限界のように見える。
ハリーが今ここにいる事を考えれば、”ハリー”達はこのハリーによって助けられるのは確実だろう。
それでも少し不安になる。

ハリー、早く気づいて。
シリウスさんたちを助けたのは、ハリーなんだよ。

見ているだけというのはとても歯がゆい。
自分が飛び出して助けてしまいそうになるが、そうするわけにはいかない。
ハラハラしながら見ているをヴォルはちらりっと見てから、足を踏み出した。
見ていることに夢中になっているは、ヴォルが動いたことに気づかなかった。

「死人が助けることなどできるわけないだろう?」

かさりっと音を立てて足を踏み出し、杖を構えるヴォル。
その声は少しだけ大きく、恐らくハリー達にも聞こえた。
ハリーとハーマイオニーがはっとして振り向く。
は言葉をはっしたヴォルにぎょっとした。

「リドル…っ?!」
まで?っまずいわ、ハリー!私たち姿を…!」

タイムターナーで戻って来た姿を見られるわけにはいかない。
それは過去を変えてしまいかねないことだから。

「お前らが”2人”いる時点で何をしてここにいるのかくらいは検討がつく。”今”ここにいるお前たちは手を出すわけにはいかないんだろう?」
「ヴォルさん…!」

ハリー達が今手を出してはいけないように、もここで手を出すべきではないのだ。
ヴォルが何をするつもりなのか分からず、は少し不安になる。
決しての不利になるようなことはしないだろうが。

「死人が助けに来るのを待っているポッターに、それが無意味だと教えてやるべきだろう?
「でも、ヴォルさん…」
「ジェームズ=ポッターが来ることは有り得ない。お前はそんなことも分からない馬鹿にでもなったか?ポッター?」
「っ!君に何が分かる!僕はあの時見たんだ!確かに父さんが、父さんが僕たちを助けてくれるのを!」

ハリーの言葉にヴォルはふっと馬鹿にしたかのような笑みを浮かべる。

「あれがジェームズ=ポッターであると何故言い切れる?お前が見間違えただけではないのか?」

ヴォルはゆっくりと歩き、ハリーの前を通り過ぎて泉を挟んだ”ハリー”達の方に杖を向ける。
すでに”ハリー”達は守護霊の呪文をまともに発動できないほどに弱ってきている。
このままでは本当に助かるのかとすら思ってしまう。

「アレらを助けたのが俺だと分かれば、お前はその顔を歪めながら這いつくばって礼でも言ってくれるんだろうな、ポッター」

構えた杖の先がぼぅっと銀色の光を帯びる。
その光にはっとなるハリー。

「何を、する気?」

その言葉にヴォルはニヤリと笑みを浮かべる。

「っ冗談じゃない!君に助けられるなんて真っ平ごめんだ!」
「ならば他に手段でもあるのか?”今”この時に存在していい状態であり、アレらを助けられるのは俺かだけだ」

ヴォルの言葉は決して間違っていない。
すでに守護霊の呪文を使えなくなりつつある”ハリー”自身がどうにかできるわけでもないし、それが出来ないことはハリー自身が良く分かっているはずだ。
そして、ジェームズがこの場に駆けつけて助けてくれることなど、ありえないことだとも頭の隅では分かっているはずだ。

の実技の成績が散々なことは同じ授業を受けていれば分かるだろう?ならば、ここでお前らを助けることが出来るのは誰だと思う?」

正直すぎるヴォルの評価にちょっぴりぐさっとくる
魔力がないので実技関係の魔法がさっぱりなのは確かに事実だが、はっきり言われると悲しくなってくる。

「君に助けられるくらいなら…!」
「お前がやる、か?」
「駄目よ、ハリー!私達は手を出しては駄目よ」
「だけどっ!」

タイムターナーを預かった時、ハーマイオニーはくどいほどに注意されたはずだ。
決して”起こってしまった事”を変えようとしてはいけないと。
時間に関する魔法というのはそれだけ危険なものなのだから。

「僕たちを助けたのは、少なくともリドルなんかじゃない!」
「そうか?」
「僕が君と父さんを見間違えるはずなんて絶対にない!」

ぎゅっと杖を握り締めるハリー。

「本当にジェームズさんだった?」

は静かにハリーに問いかける。
ハリーはの方をゆっくりと振り向く。

「黒い髪、丸い眼鏡、そしてどこか幼い、まるで学生時代かのようなジェームズさん?」

のその言葉にハリーははっとなる。
空は吸魂鬼たちが多数舞う。
ハリーはばっと上を見上げてその吸魂鬼たちを見る。
こんなにも多くの吸魂鬼を追い払うことなど、普通の魔法使いに出来るはずがない。
でも、”誰か”がこの吸魂鬼達を追い払ってくれたからこそ、ハリーが今ここに居る。

…」
「ん?」
「僕達は、あそこから向かいにあたる場所、そうここにいる”誰か”に助けられたのは本当なんだ」
「うん」

ハリーは”ハリー”達へと視線をうつす。
もう守護霊の呪文の銀色の光は全く見えない。
”ハリー”達は限界なのだろう。

「それは」

さくりっと地面を踏みしめ、ハリーはすっと杖を上に上げる。

「リドルでも、でもない」

ハリーの杖先に銀色の光が宿る。
ヴォルが1歩後ろに下がったのが見えた。
はここでハリーが”ハリー”達を助けることをヴォルには言っていなかったが、ヴォルはそれに気づいたのだろうか。
だから、ハリーを挑発するような事を言ったのか。

エクスペクト・パトローナム!

かっと目がくらむ様な眩しい銀色の光が広がる。
光は波のように広がっていき、銀色の光はやがて形を成す。
ハリーの守護霊の形、そう、ジェームズのアニメーガスの姿、プロングズ。
銀色の牡鹿は泉に波紋を広げ、その上を駆ける。
黒いマントを被ったかのような吸魂鬼は、その光に弾かれるかのようにこの場から離れていく。
牡鹿は吸魂鬼を全て追い払うかのように、泉の上を綺麗に駆ける。
銀色の光に吸魂鬼達は逃げるように去っていく。
”ハリー”がハリーを一瞬目に入れ驚いたような顔をしたように見えた。
彼らの位置は遠く、表情までははっきりとは見えないのだが、そう感じた。

ふわりっと風が夜の中を舞い、吸魂鬼が全ていなくなったことを確認すると、ハリーはふぅと小さくため息をついた。
ゆっくりと杖を下げる。

「ハリー!貴方今何をしたか分かっているの?!」

ハーマイオニーが顔色をを変えてハリーを問い詰める。
本来起こるべき事を変えてしまったとハーマイオニーは思っているのだろう。

「分かってる」
「見られたかもしれないのよ?」
「うん、見られた」

ハリーはハーマイオニーに問い詰められながらも、冷静に答える。

「”僕”に見られたよ、ハーマイオニー」
「ハリー!」
「でも、”僕”は僕のことを父さんだと思ったよ。だって、さっきまで僕もそう思っていたから」

ジェームズが現れるなど普通ならば考えられないこと。
でも、思いも寄らないことが起こるのが魔法である。
だから、すでに亡くなった人が助けてくれたとしても、不思議はないのかもしれないと思わせてしまう。


「うん」
「ありがとう」
「僕は何もしてないよ」

そう、自分は何もしてない。
本当に”何も”していなのだ。

「それでも、僕に気づかせてくれた」

”ハリー”達を助けたのはハリーであると。
気づかなければ今のハリー達はここにない。
ハリーはそのお礼を言ったつもりなのだろう。
だが、が何も言わなくても、恐らくハリーならば気づいたはずだ。
それをは”知って”いる。

「それから」

にこりっとハリーは笑みを浮かべる。

「無事でよかった」

ハリーのほっとしたようなその言葉に、の心がずきんっと痛む。
ピーターを追いかけていったとヴォル。
その後を追うようにリーマスも森の中に入っていたはずだった。
だから、ハリー達は心配してくれていたのだろう。

心配される資格なんて、私にはないんだよ、ハリー…。

心配され、感謝を述べられる。
でも、自分にはそんな資格はないのだと、何もしなかった自分にそんなことを言う必要はないのだと、心の中ではそう思っていた。