アズカバンの囚人編 69
どのくらいそうしていたのかは分からないが、気づけばの涙は止まっていた。
ぎゅっと抱きしめられていると気持ちも落ち着いてくる。
ピーターに言われたことは事実で、それを今はしっかり受け止められる気がする。
その言葉を思い出すと、泣きそうになってしまうがそれでも大丈夫だと思える。
「吸魂鬼が来たな」
「ヴォルさん」
ぞくりっとにも寒気に似た感覚が走ったことで分かった。
恐らく上空を黒い影が多数舞っているだろう。
は心を力で閉じ、ヴォルには吸魂鬼の力は通じない為、吸魂鬼はとヴォルを素通りしていく形になるが、向かう先へと次々に集まる黒い影。
「行くか?」
ヴォルの言葉には頷く。
見守ること。
それが今のに出来ることだ。
後悔しないとは言い切れない、だが、心を強く持たねば時の代行者としての力は発揮できない。
心の強さがこの力の強さになるのだから。
先代シアン=レインブンクローの言った忠告を頭の中に入れ、今この時は、迷いを最低限に。
「ポッターとグレンジャーに鉢合わせしないようにしないとならないだろ?」
「うん。一番近くで見れればいい」
ヴォルは上空を舞っている吸魂鬼の進む先を見る。
恐らくその先にシリウスがいるはずだ。
タイムターナーで戻ってきているハリーとハーマイオニーがいるはずだ。
「ねぇ、ヴォルさん」
「何だ?」
ピーターから向けられた憎しみとも言える強い感情。
「ペティグリューさんにとってヴィアさんはとっても大切な存在だったから、だから、私を許せないんだよね」
がこの世界に来て、初めて自分の存在を否定された気がする。
1年生の頃のドラコのような態度くらいならまだ可愛い。
ノクターン横丁にいる所をハグリッドに見られ、少し警戒されるくらいならば仕方ない。
そんなものよりもはっきりとした感情。
「」
ヴォルは静かにの名を呼ぶ。
「少なくとも」
ヴォルは真っ直ぐを見る。
ふっと浮かべるヴォルの笑みは、きっとにしか見られない優しい笑み。
「俺はがいるからここにいる」
すでにホグワーツは卒業しているだろうに編入してきたヴォル。
猫の姿での側にいてもよかったのかもしれないが、生徒として側にいることを選んだ。
元闇の帝王で、ダンブルドアのことなど嫌いだろうに、の側にいるためにヴォルはここにいる。
「ぺティグリューが何を言おうが、どんな真実があろうが、俺がここにいる存在理由は変わらない」
がここにいるからヴォルもここにいる。
それは何があっても変わらないこと。
「ワームテールはヴィア=マルフォイの方が優しかったかのように言っていたが、俺から見れば、の方が優しく、それで十分お人よしだと思うがな」
「ヴォルさん?」
ヴォルとピーターの考えは全然違うのだろう。
互いに最も大切な者が全く違う人であるように。
「自分以外の誰かの為に動くなど、考えられん」
「ヴォルさんだって私の為に色々助けてくれるのに?」
「俺は以外の為には動かない」
それは自分以外の誰かの為に動くという事なのではないのだろうか。
は別に誰かの為に動いているつもりはない。
だからお人よしだと言われても、全然そんなことはないと思う。
「私の為に色々助けてくれるヴォルさんの方が優しいしお人よしだと思うんだけど」
「どこがだ?」
「だって、私、誰かの為に動いているわけじゃないよ?」
ヴォルが盛大なため息をつく。
「ならばどうして今夜動いた?」
その言葉にはぐっと黙る。
答えは持っていてもそれに答えることができなかった。
見守らなければならない”役目”だからというのと、変わってしまうかもしれない可能性があったから。
「俺が言っているのは、何もせずに見守っていたことじゃない。ポッターの為にかどうかは分からんが、ペティグリューから真実を聞き出そうとした事を言っているんだ」
「だって、それは…私が、知りたかったから」
ジェームズが知りたいと言ったからというわけではない。
も知りたかった。
ヴィアという彼女とピーターの関係を。
「知ったからと言って何が変わるわけでもないのにか?」
「でも!誤解しているならば、真実が違うならば、それはやっぱり悲しいことだと思うし」
この先の周囲の行動が変わるわけではないのかもしれない。
それでも、真実を知っていれば心が変わる。
「憎しみや悲しみを抱いたままというのは悲しいし、寂しいよ」
ピーターに全ての責がないのならば、ジェームズの言ったように、彼にも幸せを感じて欲しいとは思う。
「そういう所がお人よしなんだ、」
「そう、かな?」
再びヴォルの深いため息。
自覚がないのはタチが悪いのかもしれない。
だが、はそう言われても分からないのだから仕方ない。
これがなのだから、ヴォルは唯一の人なのだと思うようになったのだし、あの時リドルも救われた気持ちになったのだから。
「もっと沢山頼って欲しいものだ」
「ヴォルさんには十分頼ってるよ」
「どこがだ?」
ヴォルからすれば、は殆ど頼ってくれないようなものなのだろう。
「は欲がない」
「そんなことないよ」
「望みを口にしないだろ」
「そんなこと…」
望まなくてもヴォルは側にいてくれる。
にとってそれだけで十分なのだ。
普通ならば、の全てを知れば離れていってしまうかもしれないという恐れがあるが、ヴォルは離れていかないだろうと思えるから。
「だってヴォルさん、今一緒にいてくれるし」
変わらずに、きっとずっと側にいてくれること。
それが何よりも嬉しいこと。
「一緒にいることがの望むことか?」
「え?…うん。知っていて一緒にいてくれるっていうのは、とっても心強いから」
それだけで強くなれる気がする。
独りではないと感じるから。
が先を知っていても、先を知っていて何をしなくても、ヴォルは側にいてくれる。
それは泣きたくなるほどに嬉しいこと。
「が望むならばいつでもどんな時でも側にいる」
ヴォルもそれを望んでいるのだから、の側から離れるつもりはない。
きっと、が望むよりも強く、ヴォルはの側にいたいと思っている。
「それが俺の望みでもあるからな」
ずっとずっと側にいて欲しい、側にいたい。
それは、ヴォルが何よりも強く願うこと。
が大切だから、それだけでいいとすら思えるほど。
「ベッドの中でも側にいることにするさ」
「っ…!」
は思わずヴォルから距離を置くように離れる。
反射的なものなので仕方ないだろう。
こういう台詞をヴォルはさらりっと言うが、やっぱりは慣れない。
「そ、そこまではいいっ!」
「そうか?」
「ヴォルさんって、どうしてそういう事をこういう時にさらっと言えるの?!」
は顔をほんのり赤く染めてヴォルを睨むように見てしまう。
上空には吸魂鬼の大群。
状況が状況なのは確かだ。
「別に恥ずかしい事でもないだろ?」
「…っ?!ヴォルさんにはそうかもしれないけど、私は違うの」
感覚が違うのだろうとは思った。
育った環境が全く違うのだから仕方ない。
「別にナニをするわけでもない、一緒にベッドにいるくらい何でもないことだろ」
「ふ、普通はベッドで一緒に寝ないよ」
「2年程前は散々一緒だったのにか?」
「だって、それはヴォルさんが猫だったからでしょ!」
猫のヴォルならば全然平気である。
寧ろの方から猫のヴォルに抱きつくくらいだ。
中身が同じだということは分かっているのだが、姿が違うと接し方は変わってくる。
の反応にヴォルはくくっと笑い出す。
「ヴォルさん?」
笑い出したヴォルをきょとんっとしたように見る。
しかし、ハタと気づく。
「ヴォルさん、からかっただけなんだね!」
「いや…、からかったわけじゃない」
「本当に?」
疑わしそうにはヴォルを見る。
ヴォルはまだ少し笑いながら、の左頬に右手で触れる。
少しひんやりとしたヴォルの手の感触が頬に伝わる。
「どんな時も一緒にいたいと思っているのは本当だからな」
声に含まれた感情は本気なもので、ヴォルが本当にそう思っているのは伝わってきた。
その思いにすごくほっとすると同時に嬉しいと思う。
しばらく見つめ合うかのように顔を合わせていたが、の方がハッと今の状況に気づく。
空を舞う黒い影たち。
「って、今はそれどころじゃないよ」
吸魂鬼が向かう先に急がなければならない。
万が一シリウス、そしてハリー達が吸魂鬼に襲われてしまってはまずい。
”戻ってきている”ハリーとハーマイオニーはこの時間軸にいるのは確かなので、ハリーとハーマイオニーが無事であることは確かだろう。
それでも、どんな時でも絶対とは言い切れない。
「とにかく急ごう!」
が小走りで吸魂鬼たちの集まる場所へ向かいだし、ヴォルがそれを追う。
顔は恥ずかしさでまだほんのり赤くなったままだ。
暗い森の中だから、ヴォルにはの顔色は見えないかもしれないが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
だが、先程までの泣きたくなるほどの感情が消えてしまっている事に、は気づかなかった。
ヴォルがのその感情をなくすためにそんなことを言ったのか分からないが、確かにの心は、少しだけ軽くなっていた。