アズカバンの囚人編 63




しばらく洞窟が続き、そこの突き当りを上ると叫びの屋敷である。
ハリー達は2階にいるはずだ。
とヴォルは足音を立てないように叫びの屋敷に入り込み、そっと階段を上っていく。
ここからは目線だけで会話だ。
とは言っても、ヴォルのように察しがいいわけではないはヴォルの言いたい事を理解することは難しいだろうが。
丁度が二階への階段を上りきった所で、ハリーの声が聞こえた。

「エクスペリアームズ!」

呪文の声と共に、どがっと何かが壁に激突したような音。
思わずびくりっとなってしまうだったが、そっと部屋の中を覗き込んだ。
部屋の中にいたのは思った通りの人達。
杖を構えているハリー達3人。
ゴホゴホっと咳き込むようにしているリーマスと、少し驚いた表情のシリウス。
そして、壁に激突して気絶しているセブルス。

教授…!

壁に赤い血がこびりついているのが見えて、はセブルスに駆け寄ろうとするが、それをヴォルがの腕を掴んで止める。
とヴォルの姿は人には見えない状況だが、駆け寄って声をかけてしまえばその存在が分かってしまう。

だ、大丈夫なのかな?
頭の怪我って1つ間違えれば大変なの事になるのに…。

「さあ、ピーターを渡してくれ」

シリウスがロンに向かって手を差し出す。
ハリー達はまだシリウスを警戒しているように見ているし、ロンはネズミを隠すように持っている。

「冗談だろ。スキャバーズを殺す為だけにアズカバンを脱獄したとでも言うつもりか?」

ロンにとってスキャバーズはペットであって、ピーター=ペティグリューではない。
はそのやり取りを横目で見ながら、そっとセブルスの方に近づく。
今度はヴォルも止めなかった。
倒れてているセブルスの側にしゃがみ込んで、とりあえず息を見るがちゃんと息をしている。
頭から出ただろう血もそう大量の出血ではないようだ。
そのことにほっとする。
このまま、ハリー達とシリウス、リーマスの話が無事に終わってそしてここから出た後、逃げたピーターを追えばいい。

カタリ

何かが動いた小さな音がして、はきょろきょろっと周囲を見回す。
ハリー達は言い合いをしているの聞こえていなかったようだが、ヴォルがくいっとの袖を引っ張り、目線で音のしたほうを示してくれた。

目を向けてみれば、セブルスが頭から血を流したまま杖を持って起き上がろうとしている。
だが、目の焦点は合っていない。

「きょ…むぐっ!」

思わず声が出そうになったの口を、後ろからヴォルの手が塞ぐ。
声を出しては姿を消していることに意味がなくなってしまう。
はハラハラしながらセブルスとハリー達のいる方を見守る。

「この猫は狂ってないよ。こんなに賢い猫はいないさ。ピーターのことを見破り、私に出会った時も私が犬でないことを見破った。信用するまでには随分かかったが、信用してくれてからは私を助けてくれたよ」
「それ、どういうことなの…?」
「ピーターを私の所に連れてきてくれようとしていたんだよ。でも、それはできなかった」

シリウスは優しそうな目をしてクルックシャンクスを撫でている。
ハーマイオニーの猫であるクルックシャンクスはシリウスと行動を共にしていることが多かったはずだから、ここにいるのは不思議でないだろう。
が知る”本来の話”でもクルックシャンクスはここにいたはずだ。

「話し相手になってくれるだけで十分救われたよ。何しろアズカバンではずっと1人だったからね」
「そう言えば、シリウス。君、今まで食事とかはどうしていたんだい?それに服もそんなにボロボロでもないようだし…」

混乱しているハリーをよそに、リーマスがシリウスに尋ねる。
リーマスの表情を見る限りでは、シリウスへの誤解は解けたのか、それともリーマスは信じ続けていていたのか、それはには分からない。
視線をシリウスの方に向けていたは、目の端に杖の先が見えたような気がしてはっとセブルスを見る。
震える手で杖をシリウスに向け、セブルスがゆっくりと口を開くのが見えた。

「ステュー…ピファイ!」

セブルスが口を開くと同時には駆け出した。
この状況でセブルスが目を覚ますのは予想外のことだが、そんな事を考えるよりも身体が先に動いた。
向かった呪文の先にはシリウスがいる。
シリウスの視線はロンが持っているネズミに注がれ、固定されたまま動くことがない。
セブルスは気絶したと思い込んでいるのだろう、こちらに注意を向けることはない。

「危ない!」
「シリウス!」

叫んだのは誰の声だったのか。
危ないと叫んだのはハリーとハーマイオニーだったのかもしれない。
シリウスの名を呼んだのはリーマスの声だろう。
麻痺の呪文の赤い光がシリウスに向かうのを感じて、はそれを受け止めるように身体をシリウスの目の前に滑り込ませる。


ぱしんっ


「…っ!」

少しだけ身体に衝撃があった気がした。
は両手を広げて呪文を光を全て受け止めた。
魔法の効果はには効かない。
魔法の衝撃だけが僅かに伝わる。
ぱしっと小さな弾けるような音が聞こえた気がした。

間に合った…かな?

は自分に呪文の衝撃が来て、シリウスに呪文が当たることなく受け止めることができたのだとほっとする。

「お…前っ!ばっかやろ!大丈夫か?!」

シリウスの焦ったような声が後ろから聞こえてきた。
きょとんっとして見上げればシリウスの顔。
あれ?とは思う。
自分とヴォルは姿が見えないようにしていたはずなのだ。

「衝撃で解けたんだろ」
「ヴォルさん?」
「普通に見えてる状態に戻ったな」
「…………へ?うそっ?!」

呆れたようにヴォルがの方にゆっくり歩いてくる。

「教授は?」
「さっきのは無意識の行動って所だな。今は完全に意識がない状態だ。精神が潰れたり頭が潰れたりでもしない限りは、聖マンゴ病院でどうとでもなるだろ」

物凄くどうでもいいような言い方である。
ちょっと酷くないだろうかと、は思ってしまう。
ヴォルなのだから仕方ないと言えば仕方ないかもしれないだろうが…。

「おい!大丈夫なのか?!」
「は?!え…、あ、大丈夫、です」

シリウスがすごく心配そうに聞いてくるので、は勢い良く頷く。
普通の呪文を受けたところでに影響は全くない。

「呪文が不発だった、のか?」
「みたいですね」

にこっと笑みを浮かべて誤魔化す
リーマスやジェームズならともかく、シリウスを騙すことくらいはにも出来そうだ。
さすがにこの場で、魔法が効かない云々を説明するつもりはない。

…、どうしてっ?!」

ハリーが顔を歪めてに怒鳴りつけるように言葉を投げつけてきた。

「そいつは僕の父さんと母さんを殺したヤツなんだよ?!なんで、そんなヤツを庇うんだ!」
「ハリー、私は…」
「黙れ!」

シリウスが何か言おうとするが、ハリーがその言葉を遮る。
ロンは明らかにを警戒するように見て、ハーマイオニーは複雑そうな表情をしている。
ハーマイオニーのペットであるクルックシャンクスはシリウスの側に気持ち良さそうにすりよっているし、はシリウスを庇った。
だが、シリウスはハリーの両親を裏切った事でアズカバンの囚人となっている人。
ハーマイオニーは一番気持ちが複雑だろう。

「ポッター君、僕は…!」
。どうせ墓穴を掘るから、何にも言わないでおけ」

トンっとを自分の後ろに隠すように押す。

「へ、ちょ…ヴォルさん?!」

ヴォルはシリウスよりハリー達に近づき少し距離を保ったまま、すぅっと杖をロンに向ける。
ぎょっとする顔になるハリー達3人。
思わぬ相手から杖を向けられて、さらに混乱しているだろう。
ヴォルは表向きは同じホグワーツの同級生なのだ。

「単純馬鹿のやり方を見ているとイライラする。こういうのはさっさとやるべきだ」

ヴォルの言葉にぴくりっと反応したのはヴォルのすぐ側にいたシリウス。

「単純馬鹿って誰のことだぁ?!」
「貴様のことに決まってるだろ?ブラック家の異端児」
「なっ…!てめぇ!」
「シリウスさん、落ち着いて下さい!」

ヴォルに飛び掛ろうとするシリウスを何とかなだめる
ヴォルもヴォルだが、シリウスもシリウスである。
双方共にいい年した大人なのだから、もうちょっと穏やかな関係でいて欲しいものだ。
シリウスに分からないように、小さく息を吐く。

「ウィーズリー」

すぅっとヴォルは目を細める。
その瞳はぞくりっとするほどの闇が宿った深紅の瞳。
ヴォルが”誰”であるかなど知らなくても、一瞬はその身をすくませてしまうだろう。

「リ…ドル。君、なんでロンに杖向けているの?」
「ソレに用があるからに決まっているだろう」

ハリーはギッとヴォルを睨む。
ヴォルはハリーの視線など気にせずに、ロンが持っているネズミにのみ視線を向ける。
シリウスのように殺気だった視線でもなんでもない、ただそこにあるものを見ているだけのそれでも冷たい視線。

「君もスキャバーズがピーターだとかって言うのか?!」

ロンはスキャバーズを庇うようにぎゅっと抱え込む。

「ピーター?いや、違うな」

ヴォルは少しだけ顎を上げ、まるで見下すように”彼”を見る。
それは上の者が下の者に命を下すかのような視線だ。

「そうだろう、ワームテール?」

ぴくりっと”彼”が反応する。
ロンの手の中から、震えながらゆっくりと顔だけを向けてくる。
ヴォルの姿を視界に入れた途端、ぴしりっと固まったように動かなくなる。
その姿は幼い姿であっても、目が、威圧感が同じ。

― なぜ…?

”彼”がそう言ったように聞こえた。
言葉として発しなくても、”彼”が目でそう訴えているように、には見えた。