アズカバンの囚人編 30
重なった唇は温かかった。
触れるだけのキスはそう長い時間ではなかったけれども、短い時間でもなかった。
は驚いて目を開いているだけしかできなかった。
「ごちそうさま」
「…っ!!」
にっこりとリドルの顔が目の前に見えて、は何をされたのか自覚する。
思わず右腕で口元を隠すように覆ってしまう。
顔もほんのり赤く染まる。
「僕は…男ですよ?」
「分かっているよ。でも、忘れているよ、」
「何を…ですか?」
「スリザリン生はそういうのは気にしないってことをね」
う…そうだった。
気に入った相手の性別は全く構わないのが常識だった。
「それにね、」
「何ですか…?」
リドルを上目遣いで睨む。
「同性にキスされてそういう反応するってことは、相手を意識しているって言っているようなものだよ?ごく普通の感情があるなら、嫌悪感が先に出るはずだからね」
それはとて分かっている。
だが、の本当の性別は女だ。
こういう反応は仕方ないだろう。
最も、相手が整った顔立ちであった場合は男女関係なくこういう反応になってしまうだろうが…。
「き、綺麗な人にそういうことされて、顔を赤くしない人なんて少ないと思います…よ」
リドルもヴォルも綺麗な人の部類だ。
今まで純血名家の人達を見てきている中、綺麗な顔立ちの人が多すぎる。
ドラコなどは、今はまだ可愛い部類に入るが、綺麗な顔立ちと言えばそうなのだろうと思う。
「綺麗…?確かにこの顔は綺麗な部類に入るけどね」
「…普通、そうやって自分の顔を綺麗だと認めますか?」
「どうしてだい?間違っていないだろう?この顔立ちは十分利用できるものだからね」
にっこりと笑みを作るリドル。
分かっていてこの顔立ちを利用する。
顔立ちがいい人は得をするものだ。
にっこりと笑みを浮かべれば、その笑みを見た人は嬉しくなってしまうものだから。
はぁ…と軽くため息をつく。
「とりあえず、離してもらっていいですか?ホグワーツ城に戻りましょう」
「…………」
の言葉にリドルは答えずにを抱きしめる力を強くした。
「え?ちょっと、リドル先輩…?」
ぺしぺしっと軽くリドルの背中を叩いてみる。
離してくれと言ったのにどうして逆をやるのだろうか…。
抱きしめる力を強められて、の顔はリドルの胸に押し当てられているような形である。
リドルの表情が見えない。
「このままってのは危ないですよ。グリンデルバルドの合成獣がまだうろうろ……」
がさがさっ
は途中で言葉を止める。
草を掻き分ける音。
セウィルが来たという可能性もあるが、音が人が1人動いているというような小さな音ではない。
1人ではない、多数の何かが草を掻き分けてきたようだ。
リドルに抱きしめられて顔しか動かせないには、周りが良く見えないのだが…。
『違う獲物か……まぁ、いい…』
低く響く、聞き取りにくい声。
この声の響きには聞き覚えがあった。
あれは去年の防衛術の授業中だった。
「リドル先輩!離してください!」
「駄目だよ」
「駄目とかじゃなくて!今の状況分かっているんですか?!」
低い声はの後ろからだった。
の背後の方に何体かの獣達がいるのだろう。
「大丈夫……腕一本あれば、杖は使えるよ」
「そういう問題じゃありませんよ!僕だって……!」
「残念だけど、ホグワーツの2年まで習う呪文じゃ何もできないのと一緒だよ」
リドルは左腕での腰を引き寄せて、右手で杖を握り構える。
両手で抱きしめられていたの体がずれて、は自分の背後にいた獣達を見ることができた。
声を出してきただろう獣は中でも一番大きい白い毛並みの獣。
そう、も知るファンダールだ。
その他にリドルの側に倒れていた獣達と似たような合成獣が3匹。
ファンダールに従うかのように控えている。
「モビリアーブス!」
リドルの呪文に森の木々が騒ぎ出す。
がさがさっと木々が揺れる音がすると思ったとたん、大木の枝がファンダールと合成獣に襲い掛かる。
ファンダールは飛んで避けるが、合成獣たちはまともにその枝の攻撃を受ける。
「インセンディオ!」
ごぅっ!!
間を置かずにリドルは呪文を唱える。
杖から火炎放射と言っていいほどの炎が放たれる。
この呪文はここまでの炎が出る呪文ではなかったはずなのだが、リドルが何か呪文をアレンジしたのだろうか。
木々を巻き込んで合成獣たちを燃やす。
「リ、リドル先輩…、ちょっと過激すぎじゃぁ…」
「これくらいで丁度いい。まだ、一番手ごわいのが残っているしね」
「でも、森が燃えて……」
いいのかなぁ…?
炎はおさまることなく燃え広がる。
合成獣を燃え尽くすまで燃えているかのように…。
『小僧…、意外とやるな、だが……』
ぐぉぉぉぉっと吼えるファンダール。
吼える声に空気がキィンっと揺れる。
「クルーシオ!!」
リドルの呪文が放たれる。
しかし呪文の光はばしっと音を立ててはじかれる。
禁じられた呪文が全く効かない様子に、流石のリドルも驚く。
「ファンダールに禁じられた呪文は効きにくいですよ、リドル先輩。魔力が違いすぎるんです」
「魔力が違いすぎる…?どういうことだい?」
ファンダールから目を逸らさずにリドルは問う。
くくくくっとファンダールが哂う声が聞こえた。
『そっちの小僧の方が賢いか…?そうだな、我に人の魔法は通じん』
は一度対峙したことがあるから知っているだけだ。
この知識はヴォルからのもの。
だが、あの時のファンダールよりもこちらの方が力が上のような気がする。
リドルとヴォルの魔力の違いもあるかもしれない。
あの時、ヴォルの禁じられた魔法は全く効いていないわけではなかったのだから…。
「ファンダールは内包する魔力が大きすぎるんです。それこそ人の持つ魔力なんて微々たるものだと思えるほどに…。だから、人の魔力を使った魔法の攻撃などは、ファンダールの持つ強大な魔力に影響しない…効かないんです」
大海に小石を投げ込むようなものである。
に魔法が効かない原理とは正反対の理由である。
魔力が泉の水だとしよう、そこに石を投げ込めば波紋が広がる。
には魔力がない為泉は空、空の泉に石を投げても何も変わらない。
そして、大海原に小石を投げても殆ど影響を及ぼすことはない。
『そう、我を滅ぼすことが出来るのは、魔法でない力でのみ』
くくくっと哂うファンダール。
白い毛並みが僅かに逆立つ。
襲い掛かってくる前触れのようなものだ。
リドルはそれでも杖を構え、を離そうとしなかった。
「そうね…、魔法でない力で貴方を滅ぼすわ」
ふっと突然ファンダールのすぐ後ろに人影が現れる。
このホグワーツでは過去であれ未来であれ、姿現しはできない造りになっている。
それは創立者が施した魔法であり、誰であろうと例外はないはずだ。
けれど、人影は姿現しを使ったかのように突然に現れた。
辺りは薄暗いためにその人の姿は良く見えない。
『何?!!』
ファンダールが驚き、後ろを振り返ろうとする。
だが、その行動はすでに遅く、ファンダールの動きと共に光が体を突き抜ける。
「光によって塵となれ!!」
人影の声が響く。
ファンダールを貫いている光が強くなり、突き抜ける。
ファンダールの苦しげな吼える声が聞こえる。
その声は次第に弱くなり……光を残して、ファンダールの体は塵となった。
ざっ……
砂のようなファンダールであったものが舞っていく。
それと同時に人影に月の光が差し込む。
人影の姿が見えてくる。
長い金色の髪、緑色の瞳。
杖も持たず、服装はマグルが着る普段着のまま、ローブすらも羽織っていない。
顔立ちは整っている方なのだろうか…しかし、僅かに年を感じさせる30前後の女性。
優しげな笑みを浮かべたその女性に、は見覚えがあった。
一度だけ、会ったことがある。
あれを会ったと言っていいのか分からないが……。
「シアン…さん?」
呟くの言葉に、少し悲しげな笑みでその女性…シアンはを見る。
そして、肯定するかのように頷いたのだった。