アズカバンの囚人編 29
最初は禁じられた森を避けてリドルを探していた。
しかし、そうも言っていられない。
今のところ合成獣との対面はしていない。
そろそろ日も暮れ始めてきた。
のんびりともしていられないだろう。
セウィルがリドルを見つけてくれていればいいのだが…何しろホグワーツは広すぎる。
「これで、実は城の中にいました、とかだったら……想像するのやめとこ、虚しくなる」
ぽつりっと呟きながら禁じられた森の中を散策する。
人の気配をつかめるわけでもなし、魔力を感じることが出来るわけでもなし。
探す手段は目で見える光景と、耳で聞こえる音のみである。
しばらく木々が生い茂る森を歩いていただが、がさりっと草の揺れる音が聞こえた気がした。
足を止めて耳をすませてみる。
風が草を揺らす音だけが聞こえる。
けれども音でなく、僅かに異臭が漂ってくる。
気になってはその異臭の方へと向かうことにする。
魔法生物の中にも異臭を放つものがいる。
この森をうろついているのは、グリンデルバルドの合成獣らしいが、もし、異臭を放つような魔法生物と合成されたものがいたとしたら…。
がさがさっ
草木を掻き分け少し大きなスペースのある場所に出る。
その場所には木々がなく、草のみがある。
いくつかの小さな花が咲いており、普段ならば日の光が射し込み、ほんわかとした所なのだろう。
だが…そこに咲いているはずの小さな花の殆どは切り裂かれ、踏み潰され、そして…枯れていた。
その中心に立つのはリドル。
力なく下げられている手には杖、彼の周りには十数体の合成獣だろう異形の獣達が倒れている。
が気付いた異臭は、倒れている合成獣からのようだった。
「リドル…先輩?」
の声にリドルは視線のみこちらへ向ける。
その瞳にぞくりっと寒気がした。
リドルの深紅の瞳には光が見えなかった。
まるで昏い闇の色彩がその瞳にそのまま宿っているかのようだ。
「何しに来たんだい?」
リドルの口からこぼれた声は凍えるような声で、普段からは考えられないもの。
は少し戸惑う。
いつも、似非優等生の仮面を完璧に被り、たとえがマグル出身でもその仮面をはぐことはなかったリドル。
今は自分の本性を隠そうともしていないように見える。
「何って、リドル先輩を探して…」
「何のために?」
の言葉を遮るリドルはどこまでも冷たい眼差しをしている。
「セウィル君と二手に分かれて探していたんです。危ないから城に戻るように先生が言っていたって伝えるために…」
セウィルもリドルならば大丈夫だとは言っていたが、この様子だと本当に大丈夫だったらしい。
だが、このリドルの雰囲気はなんなのだろう。
何かあったとしか思えない。
「そう…、別に僕ならこの程度のことは平気なのにね。セウィルはそれを分かっていたはずだけど……」
「リドル先輩…?」
リドルの声には覇気がない。
淡々と呟いているような感じだ。
はリドルに近づこうと足を踏み出す。
だが、リドルはそれを拒むかのようにに杖を向けた。
「近づかないでもらえるかな?でなければ、今の僕は君を殺してしまいそうだからね」
向けられた杖。
が近づけば、禁じられた呪文が容赦なく来るだろう。
リドルの瞳は言葉が本気であると示していた。
「何かあったんですか?リドル先輩」
はその場から動かずに尋ねてみる。
リドルは答えずにに杖を向けたまま、視線をから外した。
静かな禁じられた森の中、日の光ももう殆どとどかなくなり薄暗い。
それでも周囲が全く見えないわけではない程度の暗さだ。
何も答えないリドルに、は近づこうと足を踏み出した。
「ディスパード」
カッ
リドルは視線を移さず静かに呪文を唱える。
杖からは白い閃光が走り、の足元の地面がえぐれる。
その光で草の焦げたような臭いが漂った。
その様子に僅かに顔を顰める。
「近づくなと僕は言ったはずだよ。今度は……死の呪文だ」
すぅっと視線をに向けるリドル。
何故こんなことになっているのかは分からない。
ただ、リドルがグリンデルバルドの合成獣が来ていると知らないから伝えに来ただけだ。
昨日までは普通の似非優等生だった。
「リドル先輩…?」
「その呼び方は呼びにくいんじゃないのかい?別に気を使ってくれなくても構わないよ」
「何を……?」
「君の言葉遣いと呼び方には違和感があるんだよ」
リドルの言葉に僅かに反応を示す。
確かにリドル相手では”リドル”という呼び名の方が慣れている。
記憶のリドル相手のことは”リドル”と呼んでいた。
口調も今のリドル相手の時のように丁寧口調ではなかった。
だが、どこかイラつくようなリドルの口調が気になる。
「それでもこの時代では、僕は貴方を”リドル”と呼ばないと決めたんですよ。他の方々との違和感をなくす為にも…」
「それは随分と親切な…余計なお世話だね」
何…?
何なのだろう…。
リドルのこの様子がすごく気になる。
本当に何があった?
「何があったんですか、リドル先輩?貴方はそう簡単に優等生の仮面を捨てるような人ではなかったと思いますが…」
の言葉にぎっと睨んでくるリドル。
既に感情を完全に表に出していることに本人は気付いているのだろうか。
どんな衝撃的なことがあったのか、には分からない。
「何があった…?それを君が言うのかい?」
「…?リドル…先輩?」
ふっと笑みを浮かべるリドル。
その笑みは嘲笑うかのようなものだ。
「僕に絶望を与えておいて、君がそれを言うのか?!」
目を開いて驚く。
絶望…?
は自分自身に問う。
自分はリドルに絶望を与えたのか、と。
「何のことですか?」
「何のこと…だって?君さえ来なければ、僕はこの可能性をずっと考えずに過ごせたはずだった!」
「可能性…?」
「どうして、君がそのピアスをつけているんだ!」
こんな風に叫ぶリドルは初めてだ。
記憶のリドルすらもこんなに取り乱したことはなかった。
いや、それはが知らないだけなのかもしれないが…。
目の前のこのリドルも、完璧な優等生ではない、ただの1人の人間でもあるのだと感じさせられる。
は自分のピアスに触れる。
これがセウィルと同じものだと言うのならば、セウィルからセブルスに…そしてに渡ったのだろう。
セウィルから直接セブルスに渡っていったのかは分からない。
「ピアス…?」
リドルがセウィルに忠誠の証として渡したものだ。
これが何だというのだろう。
それに、これがセウィルと同じものだと教えたのはリドル自身。
特にその時も、今までも反応はなかったのに…何故今更…?
「リドル先輩…?」
「……煩い!」
感情的になっているリドルには冷静さが見られない。
怒っているのか、それとも…。
には、リドルが寂しがっているように見えた。
「僕がいる時代、セウィル=スネイプという人物を僕は知りません。セウィル君が今後どうするのか、どうなるか分かりません。でも、ヴォルデモート卿の側にはいないと、はっきり言えます」
のその言葉にリドルから発せられていた激しい感情が薄れていくのが分かった。
これが原因か…。
キツいことを言ってしまったのかもしれない。
だが、これでハッキリした。
リドルはセウィルが未来で側にいないことに絶望していたのだろう。
セウィルが大切にしていたピアスはが付けている。
の時代にヴォルデモートは確かにいる。
セウィルがそう簡単にピアスをはずす訳がない…ということは、結論は出るだろう。
「セウィル君がヴォルデモート卿を庇って亡くなったのか、アズカバンにいるのか、それとも…裏切ったのか、僕には分かりません。でも……」
どうして…!と言いたい。
「短い間だけれど、セウィル君が貴方をどれだけ大切に想っているかなんて僕でも分かります!なのに…どうして信じてあげないんですか?どうして、裏切る可能性を考えるんですか?!」
何故あれだけの想いを否定するような考えを出すのか。
あのセウィルが裏切るかもしれないとどうして考えるのか。
「分かっているさ…。それでも…、一度浮き出た疑惑を消し去ることは出来ない」
寂しげに…リドルは顔を歪めた。
信じたい。
そいういう想いもあるのだろう。
だが、今のリドルはまだ17歳の少年だ。
いくら優等生の仮面の演技が上手でも、魔法の知識が豊富で成績優秀でも…心は未熟。
誰か1人を信じきってしまえるほどに純粋に育ったわけでもない。
疑わしいと思える要素がなかったからこそ…いや、気付かなかっただけかもしれないが…今までは信じていたのかもしれない。
「リドル先輩」
はリドルにゆっくりと近づく。
リドルはそれに気付くがちらりっと視線を向けただけだった。
魔法で攻撃されないことに、少し安心しながらは足を進める。
軽くため息をつきながら、リドルに近づき…
ふわりっ
優しく抱きしめた。
いや、背丈を考えればがリドルに抱きついたという表現の方が正しいかもしれない。
「信じることは難しい、誰かを信じきることはとっても難しいことだけど……たった1人だけでも側にいてくれる人がいると救われることがあります」
はヴォルの存在に救われていた。
隠し事をしながらの生活は思った以上に精神的に負担がかかる。
それでも、ヴォルという存在が側にいてくれたから、今のがあると言ってもいいかもしれないのだから…。
「ここでセウィル君を疑って手放すのは駄目ですよ」
「それでも以前のようには無理だよ…」
「以前と同じじゃなくて別の関係を築けばいいだけ。そんな難しいことじゃないですよ、リドル先輩」
「忠実なる僕でない関係を?」
「上下がある関係よりも対等な関係の方がいい。自分が後悔するような行動を取ろうとしてしまいそうな時、止めてくれると思うから…」
自分の行動全てが正しい保障などどこにもない。
時にはその行動を止めてくれる存在は必要だ。
「そうだね…、そんな関係ができたらいいね」
呟いたリドルの声は優しげな響きがあった。
の体をそっと包み込むように抱きしめ返す。
手に持った杖がの背にあたる。
「やっぱり君は変だ…」
くすくすっとリドルが笑う。
「僕はさっきまで君を殺そうとも思っていたんだよ?そんな相手に普通抱きついたりするかい?」
今でもリドルはを殺そうと思えばすぐに実行に移せる。
杖はその手に持っている。
はその言葉にきょとんっと顔を上げる。
「そんなこと本当に思っていたんですか?」
リドルが思っていたことなど全く知らなかったかのような表情。
殺してしまうかもしれない、とは言われた。
でもそれ以上に、そんなことが気にならないほどにリドルの寂しげな様子が気になった。
「杖を向けられた時点でそういうことは気付くよ?普通」
「そんなものでしょうか…?うん、でも……いいかなって」
「全然良くないよ。死の呪文は防げない上に命を落とすんだよ?」
「それは分かってますよ。でも、リドル先輩のそんな顔は見たくなかったんです」
悲しそうな寂しそうな表情をしていた。
そんな表情をして欲しくなかった。
「それは僕が君の大切な人に似ているから…?」
「え…?」
「似ているんだろう?僕の顔。君の大切な誰かに」
寂しそうな笑みを浮かべるリドル。
そんな表情もさせたくないのに…。
リドルが言っているの大切な人はヴォルのことだろう。
初対面の時、呟いた言葉でも覚えていたのかもしれない。
リドルとヴォルは違うようで全く同じだ。
似ているから…という理由じゃない。
同じだからという理由でもない気がする。
「えっと…、顔立ちが似ているというかそういう理由じゃないですよ。似ているというか同じというか…」
なんと言えばいいのか分からない。
はリドルの事情を少なからず知っている。
どうしてマグルを憎むのか、どうしてヴォルデモート卿になろうとしていたのかを。
リドルの想いまでは分からないが、状況を知っているのだ。
「そうじゃなくて…!やっぱり、17歳の子供がするような表情じゃないんですよ!」
「17歳の………子供?」
「そういう突っ込みはしないで下さい!とにかく僕が言いたいのはですね、自分が独りだというような表情をするものじゃないってことです。人は独りでは生きていけません!そんな悲しい表情はしては駄目なんです!」
リドルが驚いたような表情をしている。
だが、すぐにくすくすっと笑い出す。
「分かるけどね…、僕の性格上それは無理だよ。そう簡単に信用できないんだ。信用できたと思ったセウィルは今はもう無理だしね」
「セウィル君との関係はこれから新しく始めていけばいいんです。セウィル君の想いは変わってないですよ、絶対に」
「そうだね。でも…君の時代にセウィルはいないんだ…僕はまた独りなんだよ」
「どうしてそうネガティブなんですか!新しく作っていけばいいじゃないですか、これから!僕の時代まで、あと50年はありますよ。50年です、50年!!これだけあれば十分ですよ!」
50年なんて今まで生きてきた年数よりも多い。
これからまだまだ出会いはある。
どうして出来ないと決め付けてしまうのか。
「それでも無理だったら?セウィルみたいな子はそうそういないしね」
まだ、そんな事を言うか。
それなら…
「その時は僕が側にいます」
ははっきりと言い切る。
「は中立なんじゃなかったっけ?」
「それでも側にいます。ずっと側にいることも、僕は皆さんと一緒に闇の陣営に加わることも出来ませんけど…」
「それは側にいるって言えるのかい?」
「ずっと側にいなくても…!会いにいきます!会って話しましょう!くだらない話でも何でも……」
現実の居場所の距離で決まるものではないはずだ。
心が側にいれば…心の距離が近ければ寂しくない。
「が側にいてくれるの?」
「います。貴方を独りにはしません」
「僕がマグル殺しをしている状況でも?」
「それが間違っているようなら、殴ってでも止めてあげます」
「過激だね…」
「そして…今みたいに抱きしめて大人しくさせてあげますよ」
ぎゅっとリドルを抱きしめる腕に力を込める。
実際、リドルが…否ヴォルデモート卿が人として間違った道を歩んでいても、止めることは出来ないだろうと思う。
それを止める事はの役目を果たさないことにつながってしまうかもしれないから。
それでも……独りにさせないことは出来る。
「絶対に、独りにしないよ……」
だからもう、悲しそうな表情を見せないで欲しい。
ヴォルには支えになってもらった。
は、ならば今度は自分が彼の支えになりたい。
「それじゃあ、証、もらおうかな?」
くすりっと笑うリドルの声。
その声はどこか楽しそうなものだ。
「…え?」
リドルの言葉の意味がは理解できなかった。。
にこっと笑みを浮かべたリドルはの腰に左腕を回し引き寄せる。
右手は頬を包み込み、の顔を上に向かせる。
リドルのペースでは何も抵抗しない。
そのまま、リドルはゆっくりと顔を近づけ……静かに唇をのそれに落とした。
触れるだけのキスは、誓いの証。