アズカバンの囚人編 15






の頭の上まで上げられたバックビークの前足。
それがの頭上に下げられることはなかった。
バックビークの前足はを庇った何かを掠っただけ。
紅い血が僅かに飛び散る。


「ステューピファイ!!」


尚もに向かおうとしていたバックビークを止めたのはヴォルの呪文だった。
よほど強力な効果にしたのか、再び前足を上げようとした状態でバックビークは固まり、ずんっと大きな音を立てて倒れた。
麻痺したというよりも、強力すぎて痙攣まで起こしているようにみえる。

襲われたはその状況を他人事のように見ていたが、はっと気付く。
自分には怪我が一つもない。
自分を庇うように覆いかぶさった相手がいる。
見えたのはサラサラの金髪にも見える銀色の髪。

っ…ドラコ?!

ドラコが顔色を青くしながらもに覆いかぶさっていた。
右腕の袖はボロボロでシャツまでが切り裂かれている。
そこから覗いた腕には大きく裂かれた傷。

「止血…しないとっ!!」
急に…動くなっ…!

止血する布がないかと探すにドラコは動くなと怒鳴る。
と言っても、その怒鳴り声にも力がない。
の上に覆いかぶさっているような状態のドラコ。
が動けば傷に響いて痛いのだろう。

「あ、ご、ごめん…、でも、どうにかしないと!ちょっと動くよ、ドラコ」

そっと体をずらす

いっ…!!

痛みに顔を顰めてはいたものの、どうにかドラコを座らせる。
右腕の傷からは血があふれ出ている。
は自分のローブを脱いで一部分を手で切り裂く。
ネクタイをとって、切り裂いたローブでドラコの傷を覆いネクタイで止める。

「痛っ…!もっと優しくやれ!」
「キツイくらいじゃないと止血にならないんだよ!とりあえず腕上げて!」

止血をする時はその傷を心臓より上に上げる。
マグル育ちならば誰もが知っていることだろう。
はドラコの腕を上げさせる。
傷はかなり酷いものだった。
の素人並の止血方法では全然駄目だろう。
すぐにでも医務室に行かないと駄目だ。

「ドラコ!大丈夫…?」

スリザリンのパンジーが心配そうにドラコに駆け寄ってくる。
はドラコの怪我をしていない左手をパンジーの肩へと無理やりかけた。

「ちょっと、?!」

ほんのり顔を赤くするパンジー。

「パーキンソン。ドラコを医務室までお願いできるかな?」
「え…?あ、も、勿論よ」
「右手、下げさせないで。大丈夫だとは思うけど、出血多いからこれ以上増やすのよくないし」

パンジーにドラコの右手をそっと握らせる。
女の子1人ではちょっとドラコを運ぶのは厳しいかもしれない。
ハグリッドが慌てたように駆けつけてきた。

「医務室までは俺が運ぶからな…。心配するな!死ぬほどの傷じゃねぇ」

ハグリッドはひょいっとドラコを担ぎ上げ、ホグワーツの城の方に向かっていった。
ハグリッドのドラコの扱いには心配になる。
医務室のマダムの腕は確かだから大丈夫だろうとは思う。

「パーキンソン…」
「私、心配だから見てくるわ」
「うん、お願い。ちょっとあの扱いは僕も不安になったし…」
「全くだわ。こればっかりは貴方と意見が合いそうね」

苦笑しながらパンジーはハグリッドの後を走って追いかけていった。
あの傷は確かに魔法使いにかかれば大したことがないかもしれない。
しかし、肉が抉れて切り裂かれていた。
はぞっとする。
他の誰かが傷つくことがここまで怖いことだったとは思わなかった。
自分が傷つくのは多少は我慢ができる。
けれども他の誰かが怪我をするのを見るのは嫌だ。

だが、何故バックビークはを襲ったのだろうか。
突然なんの前触れもなく襲われた。
がバックビークに近づいたわけでもない。
刺激するようなことをしたわけでもないのに……。


、大丈夫か?」


掛けられた声に顔を上げてみれば、ヴォルがすぐ側にいた。

「あ、うん…。僕には何も怪我……ないし」

なんとか笑みを作ろうとする
ヴォルはため息をついての頭を撫でる。

「気にするなよ。それから……」
「それから?」
「授業が終わるまでは俺から離れるな」

ヴォルはの腕を掴んで引き寄せる。
ヴォルの後ろに隠れるような形になるのだが、ヴォルはの腕を離さない。
真剣なヴォルの表情には不思議に思ったが、ヒッポグリフ達の様子がおかしいことに気付く。
生徒達と一緒に戯れていたはずの数匹のヒッポグリフがこちらを睨んでいた。
このおかしな状況に生徒達の何人かはざわつく。

鎮める事は、できるか?

ヴォルが誰にそれを言ったのかは一瞬分からなかった。
だが、ヴォルの言葉に答えるように声を上げたのはヴォルに懐いた黒いヒッポグリフ。
黒いヒッポグリフがうなる様な声を上げて、睨んでくるヒッポグリフを威嚇する。
いや、もしかしたら説得をしてくれているのかもしれない。
にらみ合い、唸りあうのがしばらく続く。
諦めたのか、を睨んでいたヒッポグリフ達は諦めたかのように視線を逸らした。
ほっとする
でも………。


「何で…?」


どうして睨まれなければならないのだろうか。


「怖いからだろうさ」


の呟きにヴォルは小さな声で答える。

「ヒッポグリフは魔法生物だ。魔力が全くない相手というのは存在が霞のようなもので恐ろしいんだろう。怯える、恐ろしい、だから消してしまえばいいと思うんだ」
「私に…魔力が全くなかったから?」
の今纏ってる魔力は指輪からのものだろう?それの違いがヒッポグリフには分かったんだろうさ。でも安心しろ、魔力がない相手に反応する魔法生物なんてそうそういないからな」

を安心させるかのようなヴォルの声。
怖かったのは襲われたからではない。
どうして襲われたのか分からなかったわけでもない。


「でも…ドラコの怪我……!


本の中ではドラコは確かに怪我をした。
しかし、それは自業自得ともいえるような怪我でそう酷くなかったはずだ。

が悪いわけじゃない、落ち着け」

ヴォルはを抱きしめる。
落ち着かせるように頭をゆっくりと撫でる。
はドラコの怪我に混乱していた。
だから、今がどんな状況かも気にせずに、自分が落ち着くためにヴォルのローブを握る。

「ごめん、ちょっと混乱してた」
「構わないさ。落ち着いたか……?」

はゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐く。
こっくりと小さく頷く。
気持ちはなんとか落ち着いた。

「ありがとう…ヴォルさん」

特に混乱して不安になっている時は誰かの体温を感じるとほっとするものだ。
しかし、そこではっとなる
ヴォルのローブを握ったまま自分の状態を改めて考えてみる。

「あ、あの……ヴォルさん?」
「なんだ?」
「離して欲しいな〜と思ったりしているんだけど…」
「なんでだ?」

ヴォルのを抱きしめる力が少し強くなる。
僅かに密着度が増す。

「何でって、今授業中!」
「今授業は中断だ。特に問題を起こしているわけでもないからいいだろ?」

よくないよ!
うあ〜!もう、顔上げるのが怖いよ!
絶対注目浴びてる!

周りの反応が怖いもののこのままの状況はまずい。
なんとかヴォルの腕の中から抜け出ようとするだが、力の差で全然動けない。
少年の姿だからといって、普通の少年ほどの力が備わるわけではないのだ。

?」
っ?!!…み、耳元で喋るのやめてよ!」
「聞こえやすくていいだろ?」
「そ、そういう問題じゃなくてっ!!

くすくすっとヴォルが笑っているのが分かる。
絶対確信犯だ。
周りの反応もの反応も分かっていてやっている。

「とにかく離してってば…!この状況おかしいから!
「どこがだ?」
「どこも何も、普通男が男を抱きしめるのはおかしいでしょうが!」
「別におかしくもなんともないだろう」


それはヴォルさんの中での感覚だけだってば!


そう言い返したいが、状況は変わらないだけだろう。
は諦めたようにヴォルの胸にこてっと頭から寄りかかる。
ため息も反射的に出てきてしまう。

「ハグリッドが早く戻ってくることを祈るよ…」
「戻ってきても授業はこれ以上できないだろうけどな」

確かにそうだろう。
怪我人が出た授業なのだから、何もなかったかのようにそのまま続けるのは難しい。
今日はここまでになるだろう。


「いつまでの側にひっついてるの?」


ヴォルに抱きしめられたままのの背中にかかった声。
それは低めの不機嫌そうなハリーの声のようだ。

「俺の行動を制限する権利がお前にあるとでも言うのか、ポッター?」
「別に君が何しようとしても僕には関係ないけど…は「離してくれ」って言ったじゃないか。いつまでひっついているのさ」
「お前には関係ないことだろ?」

むっとするハリー。
ヴォルは僅かに笑みを浮かべている。
だが、何かに気付いたのかヴォルはすっとを離した。

「案外早かったな…、戻ってきたようだ」

ヴォルがそう呟いたのが聞こえたは城があるほうを見る。
すると医務室にドラコを連れて行ったハグリッドが戻ってくるところだった。
パンジーが来ないところをみると、ドラコの付き添いをしているのだろう。
ハリーはヴォルのことが気に入らないようでまだ睨んでいる。
生徒達は戻ってきたハグリッドに気付いたようで、ハグリッドの元へと集まっていった。

その後授業はそこで中断となり、ヒッポグリフをハグリッドが森の方に戻して終わった。
残念なようなほっとしたような気持ちの生徒達が殆どだろう。