ゴドリックの谷 10
は暖炉の前で立ちすくんでいた。
持っている荷物はそんな大きなものではない。
姿は、元の少女の姿で服は普通のマグルが着るようなものにローブを羽織っただけである。
「何している?。はやく行くぞ」
暖炉の中から呼びかけるヴォル。
しかし、は動かない。
暖炉を使う。
それは、煙突飛行粉(フルーパウダー)を使うということ。
暖炉の中でフルーパウダーをぶちまけて行き先をきちんと言えば、その場所に飛んでいけるという優れものなのだが、初心者は絶対咳き込む、というなんとも言い難いもの。
「ねぇ、ヴォルさん。私、フルーパウダー使ったことないんだけど…」
「そうだろうな」
そんな躊躇しているようでは、使った事があるようには見えない。
マグルの世界では、暖炉で移動など考えられないことである。
「だから、来い」
ぐいっ
の腕を引っ張り、ヴォルは荷物とを抱える。
暖炉の側のフルーパウダーを一掴み。
迷いなくフルーパウダーを使う。
「狩りの宿!」
ぼっと炎のようなものが暖炉に広がり、一瞬浮遊感が体を襲う。
は咳き込まないようにしてヴォルにしがみつく。
ぎゅっと目を瞑ったまま。
*
が目を開けば、そこは見たこともない部屋だった。
そっと暖炉からでて、きょろきょろと見回してみる。
ヴォルは、荷物を持って暖炉から出てくる。
「誰もいないのかな?」
見回しても人の姿など見えない。
留守の時に来てしまったのだろうか?
ふとヴォルは気配を感じ取り、気配のした方を見る。
「いや、ちゃんと住人はいるようだぞ、」
「え?」
がヴォルを見ると、ヴォルはそっちを見ろと視線を部屋の扉の方に向ける。
ヴォルの視線の先に目を向ければ、そこに驚いたように立っている一人の男性。
鳶色の少し長めの髪を後ろでゆるく結び、ヨレヨレのローブを着ている30前後の男性。
彼は、すぐに笑顔を浮かべる。
「もしかして、君がかな?」
「え?はい!そうです」
は慌てたようにお辞儀をする。
お辞儀をしてしまうのは反射的なものである。
「それで、そっちの彼は誰かな?」
彼はヴォルの方に視線を向けた。
「ヴォルさんです。黒猫になったりしますけど気にしないで下さい。それと、一応ヴォルさんは表向きでは私のペット扱いになっています」
「よけいなことは言わなくていい、」
「でもさ、ヴォルさんは一応ホグワーツでは私のペット扱いなわけだし」
ダンブルドアからのことは聞いているだろうが、ヴォルのことを知らないだろうから、猫になれることくらいは知っておいた方がいいだろうと思う。
後で説明するのは面倒だ。
「ヴォルって言うのかい?アニメーガス?」
「えっと、まぁ、似たようなものです。ね、ヴォルさん」
「知るか」
にこにこしている彼とは対照的にヴォルの表情は不機嫌そうである。
荷物を下に降ろし、彼を睨むように見る。
「ああ、そういえば挨拶がまだだったね。ダンブルドアから少しだけ話は聞いているよ。私はリーマス・ルーピン、よろしく、」
「あ、はい、ルーピ…え…?」
にこっと微笑む目の前の男の言葉に驚く。
正確には、彼の名前に、だ。
「あ、えっと、あの、すみません。私は・です。よろしくお願いします」
一応、も自分の名前を名乗って挨拶する。
(リーマス・ルーピンって、彼が?)
どことなく、笑顔に寂しさが見える気がする。
「おい、の部屋はどこだ?」
「2階の一番奥だよ。君は、そうだね、その隣の部屋を使うといいよ」
「ああ、じゃあ、遠慮なく使わせてもらう」
ヴォルは荷物をひょいっと持ち上げ、とっとと2階に上がっていく。
はどうしようか迷ってヴォルとリーマスを交互に見る。
「あの、お世話になります。でも、いいんですか?」
「大丈夫だよ、この家は部屋だけは沢山余っているからね。それより、まずは荷物の片づけをしなさい。詳しい事はその後で聞かせてもらうよ」
「あ、はい」
「お茶でも入れて待ってるよ」
くすくす笑うリーマスを後ろにヴォルを追いかけようとした。
だが、ぴたっと止まり振り返る。
リーマスのことでひとつ、ジェームズに聞いた事を思い出したのだ。
「私とヴォルさん、砂糖は入れませんから」
「そうかい?わかったよ、少なめだね」
「いえ、砂糖なしでお願いします」
「苦いよ?」
「甘すぎるよりましです」
そう言って、は2階に上がっていった。
確か、ジェームズ曰く、リーマスは大の甘党だと。
お茶を入れてもらったはいいけど甘すぎて飲めないなんてことがありえそうなので、事前にクギを指しておくことにしただった。
*
2階では1人部屋の整理をしていた。
教科書をならべ、参考書もならべ、洋服を分けてしまう。
意外と時間が掛かる。
ヴォルの方は荷物など殆どなく、すぐに終わって先に1階に降りていた。
1階ではリーマスがお茶を入れて待っていた。
ヴォルを見るとどうぞ、と席を勧める。
不機嫌そうな表情のままヴォルは席に大人しく座る。
「はまだ片づけをしているのかい?」
「…のようだ。は俺と違って荷物が多いからな、ホグワーツで使うものとかな」
「そう、詳しいことはが来てから聞くことにするよ」
リーマスはカップを口に運び一口飲む。
穏やかな笑顔のままヴォルに視線を向け
「君のことはダンブルドアから少し聞いているよ」
「あの耄碌爺から何を聞いた?」
ヴォルの言葉に顔を顰めるリーマス。
尊敬するダンブルドアを耄碌爺などと言われれば嫌にもなるだろうが、そこはリーマス、とりあえず気にしないことにする。
「を僕のところに寄越したのは、君がといると心配だからだってね」
「…そうか。俺がをヤツに売り渡すとでも思っているんだろうな」
「違うよ」
「他に何がある?」
別にダンブルドアに信用されていなくてもヴォルは全然構わない。
どうでもいい。
しかし、リーマスの考えは違うらしい。
「は女の子だよね?のことを好きな君と二人だけで暮らすなんて、万が一のことがあったら困るってダンブルドアは考えていたんだよ」
ホグズミードのあの古い屋敷があまり安全でないということもあったが、ダンブルドアの心配はそれだった。
賢者の石の力を手に入れて、人の姿に簡単になれるようになったヴォル。
ダンブルドアから見て、ヴォルの気持ちはすぐに分かった。
「私でも一目で分かったよ。君はが好きなんだろう?」
ヴォルは少しだけ驚いた表情をする。
「俺が…を?」
確かに、ヴォルにとっては特別だ。
いらないと、全てから自分からまでも否定されたこの身を受け入れてくれた存在。
ヴォルは、が動けば動く。
の為だけにしか動かない。
「悪いが、そういう感情は分からない。ただ言える事は、俺を動かせるのはだけだということだな。以外のヤツなどどうなっても構わん」
口にしてみて、改めて気付くヴォル。
好きか、嫌いかと言われれば、好きなのだろう。
しかし、愛情も恋する心もヴォルには分からない。
それを教えてくれるような環境で育たなかったからだ。
この想いがそれだというのなら、そうなのかもしれない。
だが、そんな言葉で想いで片付けられるほど小さなものでないと言い切れる。
「それが、好きだってことだよ。成る程、ダンブルドアの心配する気持ちが分かる気がするよ。君は何をするか分からない目をしているからね」
「何をするか分からない、か」
「そう、君からは闇を感じる。闇に呑まれてはいないけど、確かに深い闇がある」
「否定はしない。しかし、俺はヤツの元に戻るつもりはない」
「ヤツ?」
「世間ではヴォルデモートと呼ばれているヤツのことだ」
「じゃあ君は、元は闇の陣営にいたのかい?」
「ああ、そうだ」
隠す必要もないだろう。
「はそのことを知っているのかい?」
「知ってる。は全部知っているようだな、俺が過去にどんなことをしたのかも、な」
それを知っていても受け入れてくれているのだ。
嬉しい…のだろう。
ヴォルはふっと笑みを浮かべる。
そうか、俺は結構に執着しているんだな。
言われてみて改めて思い知らされた気がしたが、に逆らえない、逆らわない。
側にいる、側にいたい、想って欲しい、想っていたい。
「…ダンブルドアは気付いていたのか」
ヴォルは呟く。
自覚を持てば自分の気持ちはなんて深く強いものなのだろうと気付かされる。
他はどうでもいい、だけ。
たった一人だけに全ての想いを向けるのは、向けられた相手に時として負担になる。
「君が暴走しないように見張るのが私の役目だからね」
「好きにしろ。ただ、一つ言っておこうか」
「何だい?」
「俺はお前が嫌いだ。おそらくお前も俺を知れば嫌いになるだろう。だが、の前では出来る限り不自然でない行動をとる」
「私は君のことを知っているっていうのかい?」
「ああ、知っている、そして憎んでいるだろう」
「そんなこと分からないじゃないか」
「いや、断言できるさ。だが、お前に憎まれようが嫌われようがどうでもいい。俺はここにいる以上は共にいる。だから、不用意に追い出そうとするなよ?」
「しないよ」
にこにこと笑顔で答える。
その笑顔はヴォルの真実を知ってもそのままでいられるだろうか。
いや、無理だろう。
受け入れているの方が不思議なのだ。
「俺は、誰が敵にまわろうともの側にいると決めている。手段は選ばないつもりだ」
「まるでスリザリン生みたいな言い方だね」
「狡猾か?俺は元々スリザリン生だったからな」
手段を選ばないのはスリザリンの特徴。
ヴォルはふぅっと軽く息を吐く。
改めて自分の気持ちに気付かされたが、生憎嫌じゃなかった。
昔の自分だったら絶対に認めようとしなかっただろう気持ち。
1人の人間、しかもマグルに執着するなんて考えられなかった。
「を守るという点ではダンブルドアは君を信用しているようだからね」
「守るという点では…か」
*
「何?楽しそうだね」
がタイミングよくというか、2階から降りてくる。
リーマスとヴォルが仲良く会話をしているようで、ちょっと嬉しかったりする。
ヴォルとリーマスの初対面時は、ヴォルの機嫌が悪かったようなので険悪ムードになってないかちょっと心配だったのだが、上手く会話が出来ているようだ。
ちなみに、は二人の話の内容は全く聞いてない。
ちょうど今片付けが終わったばかりなのだ。
「片付けは終わったのかい?」
「はい、なんとかザッとですけど終わりました」
にこにこ微笑んでいるリーマスに、も笑顔を返す。
元々持ち物は少ないのだからそんなに時間はかからない。
はふと気付く。
「あれ?ヴォルさん、何かあった?」
「何でだ?」
「うん、ちょっと雰囲気変わってるような気がしたから…」
「別に何もない」
「そう?」
意外に鋭い。
自分の気持ちを完全に自覚したヴォルはに対しての雰囲気がさっきと比べて柔らかくなっているのだ。
はリーマスと話でもして和やかな気持ちにでもなったのだろうと勝手に思っていた。
空いている席につき、はリーマスに話すことにした。
ただ、どこまで話せばいいものか。
「時の代行者」であることは話すつもりなどない。
もちろん未来を僅かながら知っていることも。
そして、別の世界から来たということも。