賢者の石編 29
各寮の点数状況は砂時計のようなもので分かる。
寮ごとの巨大な砂時計があり、点数が加算されると砂が上にのぼる。
砂時計は全部で4つ。
グリフィンドールの砂時計が、昨日の夜を境に一気に減っていたのだ。
勿論スリザリンの砂時計も減っているが、グリフィンドールほど大量ではない。
大量減点の原因であるハリー、ハーマイオニー、ネビルは居心地悪そうに顔色を変えて授業を受けている。
(そっか、ネビルも確か夜中抜け出していたんだっけ?1人50点減点で合計150点減点…か)
グリフィンドール生の責めるような視線をびしばしっと受けて、ハリー達が少しだけ気の毒になってしまうと同時に、それを知っていて止めなかった自分に罪悪感が残る。
(こういう時は、知っている自分が少しだけ嫌になるかも…)
励ましの言葉もかけられない。
知っていたのに、”気にするな”という言葉はとてもじゃないけど口にできない。
*
はじっと前を見る。
今は授業中だ。
の隣には、大量減点で顔色を真っ青にしているネビルがいる。
いつも以上に授業に集中できないようだ。
今は『闇の魔術に対する防衛術』の授業である。
「このぶ、部分は、こ、こ、このようであるからし、して…」
いつものようにおどおどした話し方で授業を続けるクィレル。
紫色のターバンはそのままの位置で、態度も変わる事がない。
磔の呪文をかけられて、次の日普通に授業に出てきたにクィレルは何の反応も示さなかった。
もしかしたら、が気付かなかっただけで、一瞬何か反応したのかもしれないがそれは分からない。
一瞬だけの人の表情の変化を読み取れるほど、は人の気配に敏感なわけではないのだから…。
(何かしかけてくるかも…って、少しでも警戒していた方がいいのかな。でも、ヴォルデモート卿も賢者の石盗るためで忙しいだろうし、私みたいな魔力の低い見習い魔法使いに構っている場合じゃないだろうからな)
そんな事を思っているうちに授業は終わりになる。
がたがたっと席を立ち始める生徒達。
も念のためあまりクィレルには関わらないように早めに席を立とうとする。
「ミ、ミスター・!す、少し手伝って欲しいことが、あ、あるのですが…」
はぴくりっと反応し、すぐににこりっと笑みを浮かべる。
「はい、なんでしょうか?」
まだ教室に生徒達は半数以上残っている。
こんな場所で何かをしでかすほど馬鹿ではないだろう。
生徒がいるうちに済ませてしまえばいい。
「こ、これを、図書室に、か、返すのを、た、た、頼んでもいいでしょうか?」
「え?…はい、構いませんよ」
クィレルに差し出された本は2冊の本だった。
普通の用事で少し驚いてしまう。
素直にその本を受け取る。
「そ、そ、それでは、頼み、ま、ましたよ」
「はい、わかりました」
表面上笑みで請け負ったものの、内心首をかしげずにはいられない気持ちだった。
なぜ本を図書室に返すのをに頼んだのだろうか。
本をちらっと見てみても、何の変哲もない本に見える。
紺の表紙の本と、こげ茶色の表紙の本。
どちらも『闇の魔術に対する防衛術』関係の本のようだ。
(ま、いっか)
「ネビル、僕、この本を図書室に返しに行って来るから、先に大広間に行ってて」
「あ、う、うん」
比較的ネビルと行動を共にする事が多いは、ネビルにそう断りを入れる。
そのまま本を持って図書館のある方向へと向かった。
防衛術の授業をしていた部屋から図書館までは動く階段を通らなければならない。
別に他の道もあるのだが、この道が一番近いのだ。
は何の警戒心もなく、動く階段へとひょこひょこと歩いていく。
ガガガっと音をたててゆっくり動く階段。
それを気にせずには、遠回りになろうとも階段を適当に降りていく。
(慣れれば結構平気だよね、こういうのも)
とてとてと歩きながら、そんな事を考えていたが、真ん中辺りまで来たところでがくんっと揺れが襲う。
「え…?」
階段ががくんっと下がった気がしたのだ。
はくるりっと周りを見回そうとしたが、またすぐに階段ががくりっと下がる。
違う、階段が下がっているのではない、動きが早くなっただけだ。
それも尋常ではないスピードに…。
「え?え?!」
下がったような感覚を覚えたのは、階段がスピードを上げる為に一度がくりっと動いたからだろう。
ごごごごっと響くような音とともに階段はを振り回すように動く。
妙な動きをしているのはがいる階段だけのようだ。
何か仕組まれたかのように、がいる階段にはのみ。
他の生徒の姿は見えない。
丁度今の時間は食事の時間が近いため、多くの生徒が大広間に向かっている。
この階段を利用する生徒は少ない。
その少ない生徒達はおかしな動きをしている階段を見て、騒ぎ出す。
ある生徒は悲鳴をあげ、ある生徒は慌ててパニックを起こす。
(慌てたいのはこっちだってば!)
そんな生徒達の様子を見て、は心の中でそう叫ぶ。
そんな事を考えていられるのだから、まだ余裕があるのかもしれない。
ばさばさっと持っていた本が手の中から零れ落ちる。
「あ、やばっ…!」
本はそのまま重量に従うかのように階段から零れ落ちて落ちそうになる。
は手を伸ばすが届かない。
クィレルに図書室に届けるよう頼まれた本とはいえ、本そのものに罪はないのだからちゃんと図書室に届けなければならない。
間に合わないか…と、そう思った瞬間、本からにょきりっと何かが出てきた。
「へ?」
それは蔦のようなもので本からまさに生えてきたと言ってもいいだろう。
蔦はの手に巻きつく。
本の落下に巻き込ませるようにをぐいっと引っ張る蔦。
(まずい、やっぱり警戒すべきだったか!)
本はクィレルがに渡したものである。
自身に魔法は効かなくても、間接的な魔法は効果がある。
それは自身にかけれた魔法でない為、どうあっても巻き込まれてしまうのだ。
(地面にぶつかる前に力を使えば、なんとかなるはず!って、でもどういう力を使えばいい?!地面にぶつかる力をそのまま受けるわけにはいかないからっ…!)
『衝突時の力を無効化しろ!』
「…!」
の声と誰かが呼ぶ声が重なった気がした。
その声はどこか焦っているような声で、にはちょっと信じられない声だった。
その声の主がを心配するはずがない。
そんな事を思いながらも、の身体は地面に落ちる。
衝撃は来ない。
はすぐに自分の手に巻きついている蔦を睨む。
『外れろ!』
消えろという意味を込めた放ったその力は、本にかけられていただろう魔法を消し去る。
その瞬間くらりっと眩暈が襲う。
(やば、力の使いすぎ)
の力は万能に思えるが、そうでもない。
とっさに使った力は思った以上の負担をかける。
「スネイプ教授!こっちです!」
かつかつかつっと近づいてくる足音。
はなんとか軽く頭をふって、立ち上がる。
「大丈夫か、」
「え、ええ、はい。大丈夫、です、教授」
声をかけてきたのはセブルスだった。
だが、セブルスを呼んだ声はよく聞く声ではなかった。
はその相手を見て驚く。
先ほど名前を呼ばれたのは気のせいではなかったようだ。
「マルフォイ君?」
ドラコは名を呼ばれてぎくりっとなるが、慌てて口を開く。
「か、借りを返しただけだ!グリフィンドールなんかに借りを作っておくのは冗談じゃないからな!」
「別に貸しをしたなんて思ってなかったんだけど…」
「そう言いながらも後でそのことを持ち出されでもしたら、気分悪いだけだからな!」
「でも、ありがと」
にこっとが笑みを浮かべると、ドラコは顔を逸らす。
ほんのちょっぴり顔が赤いのは照れているからだろうか。
可愛いな〜と思うが、は眩暈がまだおさまっていない事に気付く。
どこかふらふらする。
一歩踏み出そうとするが、ぐらっと身体がバランスを崩す。
だが、それをぽすんっと受け止める腕があった。
「教授…」
「、約束だ」
「へ?」
受け止めてくれた腕の主は、すぱっと言い放つ。
「”怪我”をしたら”入院”しなければならないだろう?」
「いえ、でも僕は怪我なんて…」
「校長には我輩から報告しておこう」
「え?ちょ…教授、わっ!」
ひょいっと担ぎ上げられる。
抱き上げられるのではなく、担ぎ上げられる。
すぐ側にいたドラコがすごく驚いた表情になる。
「教授!マルフォイ君がめちゃくちゃ驚いていますよ!下ろしてくださいって!」
「知らんな」
「知らんって…って、どこに行くんですか?!」
「怪我人が行く場所など決まっているだろう?」
かつかつっと歩き出すセブルス。
暴れても仕方がないので大人しくする。
驚いたままのドラコを置いて、セブルスは地下へと向かう。
「あの、教授?もしかして、僕は入院になるんですか?」
「今期一杯は当分大人しくしておけ。貴様がいると余計な事が起こって面倒だ」
「あ、それ、ちょっと酷いです」
「幸い今期の残りの授業は貴様の成績ならあとは自習で何とかなるだろう。実技に関しては今更頑張ったところでどうにもならん、やるだけ無駄だ」
結構ぐさりっとくる事を平気で言ってくれる。
別に成績の良し悪しなどにとってはどうでもいいので、構わないといえば構わないのだが…。
「でも今期一杯と言われてもテストは?」
「後で校長に言えば特別に追試をやってくれるだろうな」
諦めたようなため息をつく。
ちゃんと見届けたいと思っていたが、ちょっと無理そうである。
ヴォルを介して状況を伝えてもらうしかないかもしれない。
―今度また、無茶をするようならしばらく”入院”しててもらうぞい。
ダンブルドアのその言葉はちゃんと覚えていた。
だから余計な事はしていなかったのだ。
ちなみに、夜中抜け出してノーバードの見送りを見届けたのは、は無茶な事だと全然思っていなかったりする。
(無茶したつもりはないんだけどな…。最後、ハリーとヴォルデモート卿との対峙の所に行ければなんとかなるか)
今期が終わるまではどうやら”入院”決定のようである。
クィレルに目をつけられたのが悪かったらしい。
このまま狙われてしまうよりも”入院”していたほうが安全であるというのがダンブルドアの考えなのだろう。