賢者の石編 22
あの後、は質問責めにあう前に一目散に大広間を逃げ出した。
唯一の救いは、クリスマス休暇で家に帰っていた生徒が多かったこと、教師全員があの大広間にいたわけではないこと、である。
は寮に戻ったわけではなった。
寮に戻れば、結局は双子やハリー達につかまってしまうのだから、適当に校内を走り回って、近くの部屋に入り一息つく。
部屋の中を見回してみれば、どうやらここは使われてない空き部屋だということが分かる。
所々埃が溜まっている。
そして、不自然なように置かれた大きな鏡。
金色の縁取りと装飾。
「みぞの鏡、か」
を追いかけてきたヴォルが呟く。
何の変哲もないようにみえるその鏡。
それは望む姿を映し出してくれる鏡。
はその鏡を見て固まっていた。
映るのは、元の少女の姿の自分。
そして後ろに見えた姿はとても見覚えがある姿。
ヴォルも少しその鏡に見入っていたが、の様子がおかしいことに気付く。
見上げれば、はその瞳から一筋だけ、涙を流していた。
「?」
ヴォルは驚いたようにの名を呼んだ。
望む姿を見て何故泣く?
みぞの鏡は映ったものの望むものを見せる。
喜ぶこそすれ、泣くことなどないはずなのだ。
自身、自分が泣いていることに全く気付いてなかった。
すっと自分の涙が誰かに拭かれるまでは。
溢れる涙を掬い取る手。
はその手の主を見る。
「え?…ヴォル、さん?」
そこには人の姿になったヴォル。
17−8歳のスリザリンの制服を着た少年の姿。
「魔力を普段から少しずつだが溜め込んでいたからな。だが、この姿はほんの数分しかもたないだろうが」
「い、いつの間にそんな芸当身につけたのさ…」
「芸当じゃなくて魔法だ」
くすくすっと無理に笑おうとするを抱き寄せるヴォル。
自分の胸にの頭を押し付ける。
「ヴォルさん?」
「よく分からないが、泣きたいのなら泣けばいいだろう?」
「べ、別に泣きたかったわけじゃなくて、驚いただけで…」
(そう、驚いただけだよ。まさか、みぞの鏡がこんなところにあるなんて思わなくて、うつったものが思いもしなかったものでだったから。まさか、自分がこの光景を望んでいるだなんて、思ってもいなかったから。)
「寂しくなったわけじゃない…」
「そうか」
何を見たのかヴォルには想像がつかない。
ちらりっと鏡を見れば、ヴォルの目には、少女姿のの頭を自分の胸に押し付けている少年の姿があった。
鏡は普通の鏡の機能を果たしているようにしか見えない。
の姿が元の姿であることを除けば。
「うつすものの望みを見せる鏡、か」
自分の望みは随分平凡なものだったな、とヴォルは思う。
猫の姿の時、鏡に映ったのは人の姿をした自分。
そして、少女の姿をした。
「こころの底にある一番強い望み。ね、ヴォルさんには何が見えた?」
顔をふっと上げてヴォルの顔を見る。
「いや。俺には普通の鏡にしか見えない」
「へぇ、意外だね。てっきり、悪の大魔王になって高笑いしている姿でも見えたのかと思ったよ」
「…」
はははっと笑っていたは、自分の名前を呼ぶヴォルの声の低さにぴたりっと笑いを止める。
ヴォルはにっこりと笑みを浮かべてを見ていた。
(な、なんか怖いんですけど…。半分冗談で言った言葉が気に触った、のかな?)
「余計なことを言うその口、塞いでやろうか?」
ヴォルはゆっくりとの顔に自分の顔を近づける。
(塞ぐって、塞ぐって…?!)
「ちょっ、ヴォルさん、なんで顔近づけてくるの?」
「口を口で塞ごうとしてるだけだが?」
「ま、まってってば!どうしてそういう展開になるのさ?!」
「が俺を馬鹿にしたからだろう?」
「馬鹿になんかしてないって!!半分お茶目な冗談と直感的に思ったことを述べただけだってば!」
「尚悪い」
ヴォルは左手をの腰に手をまわし、右手で顎を掴む。
やけに手際が良い。
(いや、待って、何でこんな展開になってる?!ヴォルさんが人間で、私も人間で…って、ちがぁぁう!!ああ、なんか今、ものすごく混乱中かもしれない。今の私は少年の姿で、ハタから見れば男同士ってなわけで、いや、そういうカップリングも客観的に見る分には全然構わないし寧ろ…って場合じゃないし!)
こつん…
「なんてな。本当にすると思ったのか?」
触れたのは額と額。
ヴォルはの反応が面白くて笑みを崩さない。
一瞬はぴたりっと止まった。
「はい?」
呆然とするの目の前で、ヴォルの温もりが消えていく。
どうやら時間切れのようだ。
ヴォルの姿は縮み猫の姿に戻っていく。
は猫に戻ったヴォルを見る。
目線を合わせるようにしゃがみこみ、ぺしっと頭を叩く。
「冗談でもさっきみたいな事はしないでよね。物凄く焦ったんだから」
「嫌だと言ったら?」
はぺしっと再びヴォルの頭を叩く。
「力で吹っ飛ばすよ?」
「ほぉ…」
「吹っ飛ばされたくなければ、やめてよね!」
ぴしっとヴォルを指差す。
ヴォルはそんなの言うことなど気にした様子もなく、ひょいっとかがみこんだの膝に乗る。
器用にも前足を浮かせ、顔を近づける。
ふっと軽くだが、の唇に何かが触れる。
「やれるものならやってみろ」
ヴォルはそう呟いて、の膝から降りひたひたと何事もなかったように部屋を出るための扉に歩いていく。
はしゃがんだままの格好で暫く凍り付いていた。
(い、今の何?唇に猫の口が触れたような気がするんだけど。そう、黒い猫の口が…。黒い猫といえばヴォルさんだよね)
かなり混乱している様子だが、何が起きたか自覚したらしくうっすらと頬を赤く染める。
「ヴォルさん!!!」
ばっと扉の方を振り返ってみれば猫の姿は影も形もなかった。
「………」
(ちっ、逃げたか…。まぁ、でも人の姿の時じゃなくて猫の姿の時だったからよしと…できるわけないでしょうがっ!!ヴォルさんの馬鹿ぁ!!!)
*
ハリーの様子が少しおかしい。
クリスマスから3日後のことである。
はようやくそのことに気付く。
ロンも心配そうにハリーを見ているがどうにも出来ないらしい。
(みぞの鏡を見たんだ)
その日の夜、ハリーがこっそりと透明マントで姿を隠して部屋を出ていくのが見えた。
「鏡に取り込まれなければいいけど」
「心配ならついていけばいいだろう?」
ぽつりっとはベッドの中で呟く。
その呟きにヴォルがこっそりと言葉を返す。
一昨日の事などすっかり忘れたようにはいつものようにヴォルに接していた。
いや、なかったことにしようと思い込んでいるだけなのかもしれない。
「無理だよ。透明マントなんかもってないし…」
ダンブルドアがとめてくれる事を祈る。
そして、ハリーが鏡などに囚われない強さを持っているだろう事を信じるしかない。
「大丈夫、大丈夫だよ、きっと」
自分に言い聞かせてハリーが戻ってくるのをじっと待つ。
静かな暗い部屋の中、ロンの寝息だけがかすかに響く。
そして、どれくらい経っただろうか…。
カタン
かすかな物音でハリーが帰ってきたことが分かった。
「きっと、あれは聞いちゃいけないことだったんだ」
透明マントを丁寧にたたみ呟くハリー。
その顔は何処か寂しそうだった。
「何が聞いちゃいけないことだったの?」
部屋に妙に響いたの声。
ハリーはびくっとして振り向く。
がベッドから上半身を起こしてハリーの方を見ていた。
「?君起きてたの?」
「うん、ちょっとね。…それで?何が聞いちゃいけないことだったの?」
「実は…」
ハリーはゆっくりと話し出す。
一昨日クリスマスプレゼントでもらった透明マントを使ってみぞの鏡を見つけたこと。
その鏡をみて、うつったのは自分とその家族。
でも、ロンが見た鏡には別のものが映った。
今日、また行ってみれば、ダンブルドアに注意された。
これは心の一番奥で望んでいることを映す鏡だと、だから鏡に囚われてはいけない。
「先生には何が見えるんですか?って質問したんだ。そしたら、先生には靴下を持ってる自分が見えたって言ってたけど、その時の先生の顔が少し悲しそうに見えたんだ。だから先生は嘘、ついたんじゃないかなって。やっぱり、聞いちゃいけないことだったのかな?」
「でも、ダンブルドアが言った事は本当かもしれないよ?人の望みなんて人それぞれだよ。自分では想像もしてなかった望みが見えることもある」
(私の時のように)
「でも、僕、両親の顔が見れて嬉しかった。だって、顔も全然知らなかったんだ」
「そっか。じゃあ、今度はご両親の友達に写真とか見せてもらうといいよ」
「お父さんとお母さんの友達なんて知らない」
「大丈夫、そのうち会えるよ」
は微笑みハリーの頭をぽんぽんっと軽く叩く。
「うん。がそう言うと本当に会える気がするよ」
「ほら、もう寝ないと。いくら休暇中だからって言っても夜更かしはよくないよ」
「もね」
くすっと笑みをこぼし、ハリーはベッドに入った。
もそれをみてベッドに潜り込む。
ヴォルがの頭のすぐ隣で丸くなる。
「それで、はみぞの鏡で何が見えた?」
「べつにたいしたい事じゃないよ。ごくごく普通の日常の光景」
少し前までのごくごく普通の光景。
当たり前だと思っていた光景。
それが今はない。
が見たもの。
それは、両親とが楽しそうに談話している姿だった。
いつ戻れるか分からないこの世界では、両親に会うことはできない。