― 朧月 37
ゴン達はキルアの家のあるククルーマウンテンへと向かっていった。
あとは『朧月』へと戻るだけである。
クロロはホームへ。
「迎えに来てくれたんだね、ミスティ」
は笑顔でミスティを見る。
久しぶりに見るミスティだが、いつもと変わっていないようだ。
迎えに来てくれたことが嬉しくて、は自然と笑顔になってしまう。
「それもありますが、ルシルフル氏に少し忠告をと思いまして」
「クロロに忠告?」
「はい」
にっこりと深い笑みを浮かべるミスティ。
ミスティの顔立ちは綺麗だ。
恐らく朧月のセンスなのだろうが、美的感覚はまともだったらしい。
ミスティは笑みを浮かべたまま、クロロの前に立つ。
何をするかと思えば、素早くクロロの横腹めがけて回し蹴りをした。
がっ
クロロはとっさに避けたがミスティのつま先が掠り、念をこめられていた為かそのまま吹っ飛ばされる。
壁にたたきつけられることはなく、綺麗にこらえた。
「わたくし、マスターと一緒に行動することは許可しましたが、手を出してもいいとはいいませんでした。勿論覚えていますよね、ルシルフルさん」
脚を蹴り上げた状態からすっと下ろして、ミスティは笑みを浮かべたままクロロを見る。
は一瞬何が起こったのか状況を把握できなかった。
いや、ミスティの蹴りは見えたし、それを避けたクロロの動きも見えたのだが、どうしてこんな状況になっているのかが分からない。
「手は出していないだろう?」
「どの口がそんな嘘を言えるのでしょうね」
「オレの基準とそちらの基準が違っていただけのことだろ」
「マスターが嫌がった時点で、何をしても手をだしたことになります」
「は別に嫌がっていなかった」
「え?」
思わず声を出してしまう。
手を出す出さないとは、クロロが色々触れてきたりキスしてきたりした事を言うのだろう。
確かに嫌ではなかったとは思う。
「基本的に強引に出られたら嫌と言えないマスターが、貴方に真正面から堂々と嫌だなんて言えるわけないじゃないですか」
「だが、ヒソカに対してはあからさまな態度だったが?」
「アレは明らかに対象外でしょう」
きっぱり言い切るミスティ。
見える所にヒソカがいないとはいえ、ここに来るかもしれないというのに気持ちいいほどにきっぱりと言い切った。
「変態ドSのピエロがマスターと同じ人種であるなど、わたくしが認めません」
み、ミスティ…。
なんか、物凄い酷いこと言ってない?
「貴方がマスターに対して、合意であれ、最後までコトに及ぼうとするつもりならば姿を見せてでも止めるつもりでしたが…」
「人目があるところでヤるほど、オレは悪趣味じゃないよ」
「ええ、その点は安心しました。やるならやるでベッドの上にして下さい」
なにやら会話がものすごい方向にいっている気がしてくるである。
その前に、ミスティとクロロはいつの間にこんなに仲良くなってしまったのだろう。
が知る限り、ミスティとクロロが会ったのは2〜3回ほど。
どれも挨拶を交わした程度で、話し込んだわけでもなかったはずだ。
話をしただろうと思える時は、クロロがをハンター試験に誘う時くらいだろう。
「それから、例の件は予定通りでお願いします」
「ああ」
は首を傾げる。
ミスティとクロロで何か約束でもしているのだろうか。
「それでは、マスター。帰りましょう」
「あ、うん」
ミスティが手を差し伸べてくるので、はその手をとる。
「」
「うん?」
「3日後に、の家に行くよ」
「え?あ…、う、うん」
拘束の念がある。
3日以上クロロと離れていてどんな状況になってしまうか想像はつかないが、変なことになるくらいならばクロロの側にいたほうがいいだろう。
その前に除念師を見つけることができれば一番いいのだが…。
クロロはすっとに顔を近づけて、触れるように唇を落とす。
「く…!」
「また、3日後に」
クロロは笑みを浮かべてから離れる。
は口元を手で押さえ、顔をほんのり赤くしたのだった。
『朧月』に戻り、はほっと一息つく。
ハンター試験の期間は過ぎてみればあっという間だったが、結構長いといえば長かっただろう。
およそ2週間ほど、はここに戻っていなかった。
閑散としたこの書店の奥にある部屋に、はごろんっとそのまま寝転がった。
『朧月』にある部屋は和室と洋室がある。
朧月は和室の畳が大層お気に入りだったようで、森の中の屋敷にも物凄く違和感があるかのように和室がひとつだけあるのだ。
ちなみにコタツ付である。
「色々疲れたよ〜」
体力的にはそうでもなかったが、精神的にはかなり疲れた。
「マスター、お茶入れましたよ。日本茶でよかったですか?」
小さなちゃぶ台の上に置かれたのは湯のみだ。
ほんのりと湯気が立つ。
「うん、ありがとう、ミスティ」
はひょいっと起き上がって湯飲みを取る。
この世界に日本の食べ物や文化と似たものがあってよかったとは思う。
それさえもなければ、物凄く寂しかったかもしれない。
勿論ミスティがいることで、寂しさを感じない時もあったかもしれないが、生まれ育った場所と同じような文化や食べ物があるのは嬉しいことだ。
そう言えば朧月も長くジャポンで暮らしていたことがあったことを思い出す。
「それでね、ミスティ」
「マスターの言いたいことくらい分かりますよ。除念師ですね」
「うん」
ゆっくりと温かいお茶を口の中に流し込む。
日本茶は口に入れた瞬間、ほっとできるのがいい。
これはが日本人だからなのかもしれないが、お茶を飲むときはほっとできる。
「戻る、おつもりなのですね」
ミスティが少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。
「うん。やってみないと分からないけど、こちらに長く留まれば留まるほど、成功率は下がる気がする。だから、早いうちに1度でいいから帰りたい」
この世界に長い間いれば、あちらとの繋がりが薄くなってしまうのは仕方ないだろう。
そうなる前には1度でいいから戻りたいのだ。
「絶対に3日以上かかると思うから、除念しないと…」
「いえ、必要ないですよ、マスター」
「へ?」
ミスティはにこりっと自信ありげな笑みを浮かべる。
「マスターがいた世界で”念”が有効である確率は限りなく低いです。有効であっても効果は従来の効果が出ることはないでしょう」
「平気ってこと?でも、どうして?」
「マスターが今まで念を使うことを知らなかったからですよ。マスターほどの念を持ちながら、普段の生活で何も起こらなかったという事は、やはりマスターがいた世界では念の効力が弱いという証明になります」
「そういうものかな…?」
「ええ、わたくしが断言いたしますよ、マスター。ですから、除念師を探す必要は、こちらに戻って来た時必要ならばそうしましょう」
ミスティがそういうのならばそうかもしれないとは思う。
確かには朧月とう前世を持っていたが、前の世界ではなんの変哲もない平凡な人生を送ってきた。
運動神経が飛びぬけていたわけでもないし、不思議な現象が周りで起こったわけでもない。
「ミスティは、私のいた世界に行くの嫌かな?」
は気になっていたことを聞く。
少しだけ不安だった。
ミスティはこの世界で朧月と生きてきた。
が過ごしてきた世界は、ミスティのような存在はきっととても生き難い。
「わたくしはマスターがいる世界ならば、マスターと一緒にいられることができれば、どの世界でも幸せですよ」
笑みを浮かべているミスティだが、どこか寂しそうに見えてしまう。
ここには朧月がいたという痕跡が沢山ある。
朧月の記憶が蘇りつつにとっても懐かしいものが多くある。
この世界で暮らすことも悪くないと、は思いつつあるのだ。
「うん…」
は迷っている。
元の世界に戻れば、この世界よりも元の世界にいたいと思うかもしれない。
だから、ずっとここにいると言い切ることができない。
ミスティはの手をそっと握る。
「マスター。わたくしはマスターの側にいられることが幸せなのです。お願いですから、もう、先に逝かないで……」
最後の方は本当に小さな言葉だった。
でもその言葉はの耳に聞こえてしまった。
は覚えている、朧月の最期を。
『逝かないで、マスター!!』
ミスティは穏やかな笑みを浮かべていることが多く、たまに悪戯っ子のような顔をすることもあれば、こちらが驚くようなことをやってのけることもあった。
それでも悲しい顔は少なく、たまに怒っている顔があったりした。
ミスティが声を荒げるのは、いつも朧月が危険に晒された時だった。
『わたくしを、1人に……!』
目がかすれていて、その時のミスティの表情は覚えていない。
声だけがとても悲しそうで、泣かないでと言いたかったのに口が動かなくて…。
『マスター!!』
深い眠りに誘われ、意識がだんだんと薄れていく中、ミスティの悲鳴のような声だけが心残りだった。
ずっとずっと側にいた、暖かな永久の霞。
家族であり、相棒であり、妹のような存在であり、娘のような存在だった。
大切な大切な存在。
泣かないで、悲しまないで。
『俺』は君に笑顔でいて欲しいだけ。
幸せに笑っていて欲しいだけなんだ。
『俺』に尽くす幸せでなく、別の幸せを見つけて欲しいと思っただけなんだ。
悲しませたくなかった、幸せを知って欲しかった。
だから、念をかけなおしたのだ。
今となっては、それはただの自己満足で、余計にミスティを悲しませるだけにしか過ぎなかった。
今はそれが分かるから、今度はそんなことはさせない。
「大丈夫、今度は側にいるから」
側にいる。
悲しませたくない。
それはとても強い気持ちで、朧月だけでなく自身の中でも大きな気持ちになっている。
元の世界には戻る。
そして両親にはちゃんと事情を話す。
多分、全部正直に話すことはできないけど…。
それだけは、やっておかないとならないと思うから。