― 朧月 35
キルア対ギタラクルの試合。
はその試合を見ようとクロロの側に戻る。
クロロの横でゆっくり見ようと思ったが、クロロの側まで行くと、突然ぐいっと引き寄せられて抱きしめられた。
「クロロ?」
肩と腰にクロロの腕がまわされて、は顔をクロロの肩下あたりに押し付けられるように抱きしめられていた。
ぎゅっと強い力が込められて、少し痛いくらいだ。
「クロロ、ちょっと、他の人が見てるし、ちょっと痛いよ」
はクロロの腕の中から抜けだそうと体を動かす。
だが、クロロの力は予想以上に強い。
一体何なのだろう、とは思う。
クロロの雰囲気からして、からかうようには思えず、何か意味がある行動のような気がした。
「」
「うん?」
クロロはを抱きしめている腕の力を緩め、を少し放しての顔を覗き込むように見る。
肩にあった腕は離され、その手はの頬を撫でるように触れる。
「が消えそうだった」
「へ?」
はきょとんっとする。
そんなに自分は儚い存在ではない。
消えるも消えないも、ちゃんとここに存在している。
「オレの前から消えるな」
「消えないよ?どうしたの、クロロ?」
唐突な話題には何がなにやらさっぱりだ。
「さっきは何を考えていた?」
「さっき?」
「レオリオとの試合の時だ」
どこか怒ったようなクロロの口調。
はレオリオとの試合の時の事を頭に浮かべる。
レオリオにまいったと言わせる方法もあったにはあったが、はそれをしようとは思わなかった。
拷問じみたことは自分には無理だろうと思ったからだ。
なによりも、自分はハンター資格がどうしても欲しいわけではない。
「ただ、私は別に何か目的があってハンター資格が欲しいわけじゃないって思っただけ、だよ?」
別に隠す必要もないは正直に答える。
のその答えにクロロは少しだけ顔を顰めた。
「そう、だな…」
「別にハンター資格を取れなくても、クロロの前から消えたりしないよ?」
「絶対にか?」
「うん。だって、クロロがかけた拘束が残ってるし」
除念をしない限りは、3日以上離れる事はないだろう。
とにかくさっさとこの念は解除してしまいたいとは思う。
拘束は構わないが、もうちょっとましなものにして欲しかった。
クロロはの頬に触れていた手の親指で、の唇をなぞるように動かす。
「3日でなくて、もっと短くすればよかったな」
「は?!それは困るよ!」
「オレを不安にさせるが悪い」
「私何もしてないのに…」
一体何を考えてそんな結論に至るのだろう。
別には不安にさせるような事を言ったつもりもないし、そんなそぶりを見せたつもりもない。
「だって、クロロを一緒に連れて行くわけにはいかないし…」
は小さな声でぽつりっと呟く。
クロロにはその言葉が聞こえたのか聞こえなかったのかは分からない。
の頬に手を添えたまま、の頬に軽く唇を落としてくる。
「クロロ!」
「の試合の時間だ」
「へ?」
クロロはを解放して、立会人がいる方へと促す。
とレオリオの試合が終わった後は、キルアとイルミの試合だったはずだ。
その試合はいつの間にか決着がついていた。
俯いたままどこか虚ろな目をしているキルアと、そんなキルアの頭にぽんっと手を置いているイルミの姿。
ギタラクルではなくイルミの姿である。
試合の結果は恐らくが”知って”いる通りになってしまったのだろう。
はキルアと向かい合う。
トーナメント方式の試合、最終試合はとキルアだ。
キルアの目はどこか虚ろで、が見えているのかどうか怪しいように見える。
「始め!」
立会い人の合図の開始と同時に、ふらっとキルアが動く。
に対して攻撃を仕掛けてくるが、それをは避ける。
避けられないほどのスピードではない。
だが、キルアの指の形が変化しているように見えた。
これが噂の肉体操作?
トリックタワーの時にそんな説明をしていたようなしていなかったような気がするが、暗殺者として、このくらいは出来るのが当たり前のようだ。
は攻撃を仕掛けてきたキルアの腕をぱしりっと掴む。
「キルア君?大丈夫ですか?」
先ほどのイルミとキルアのやり取りをはしっかり見ていなかった。
何が起こったのかは推測でしかないが、本来の流れと殆ど変わらないことが起こったのだろう。
違うのは、キルアがクロロと対峙した後でイルミに対峙したこと。
「キルア君?」
キルアは自分の腕をねじっての手を外そうとする。
空いているキルアのもう片方の手が、の心臓めがけて突き抜こうと動いた。
はキルアから手を離して、キルアを飛び越えて後方に回る。
だが、すぐにキルアは振り返り、に攻撃を仕掛けてくる。
「キルア君!」
キルアはの言葉に反応せずに、無言で攻撃を仕掛けてくる。
念を使えばキルアをねじ伏せることは簡単だ。
念を使わなくても、が本気を出せばキルアを倒すことは出来るだろう。
受身ばかりだったは仕方ないと構える。
キルアの腕を流し、脚を振り上げるがそれは受け止められる。
は拳を繰り出すが、それも受け止められ、もキルアの攻撃を受け止める。
しばらくそうやって攻撃の防ぎ合いが続く。
は自分も攻撃をしてはいるが、ヒソカの時のような雰囲気を出さず本気ではない。
キルアもどこか操られているように見える。
なんだろ?
キルア君の攻撃って、全部急所狙ってきてる。
急所への攻撃を全部逸らしているだが、この試合の方式を考えると急所を狙うよりか、少しズレた所を狙う方が正解だ。
相手を殺してしまっては意味がない。
このまま続けていても仕方ないし、キルア君がなんとか正気に戻ってくれればいいんだけど…。
痛いけど、痛いの嫌だけど、やっぱりこれしかないよね?
はキルアが突き出してきた手を自分の手で受け止める。
ずぶりっと音がして、キルアの手がの手の平を突き抜ける。
「っ…!」
の顔が痛みで歪み、血がキルアの頬に少しだけ飛びキルアがぴくりっと動きを止める。
とっさに念でこれ以上血が流れないように、神経が痛まないように傷を覆うようにした。
本当は叫び声を上げたいくらい痛い。
物凄く痛いが、痛みで震えそうになる手でそのままキルアの手を掴む。
血を止めたと言っても刺された瞬間に溢れた血はそのままだ。
ぬるりっとする血がキルアとの手を染める。
「キルア君」
キルアは大きく目を開いてを見る。
その目は虚ろな目ではなく、光が少し戻ってきている。
「…?」
「勝つにしても、負けるにしても、ちゃんと自分の意思でやって下さい」
イルミに操作されているのか、それとも自分の意思なのかは分からないが、あんな状態のキルアと戦うのはは嫌だった。
「痛くないのか?」
キルアは何気に自分の手が突き刺さっているの手を見る。
血が流れ出ているわけではないが、結構グロい。
「物凄く痛いです」
「だよな。見事に突き抜けてるし」
「出来れば抜いて欲しいです、キルア君」
「いいけど、抜くと出血多量になるんじゃねぇの?」
「その点は大丈夫ですよ」
キルアは不思議そうな顔をしながらも、ずぶっと自分の手を抜く。
が言ったとおり、傷からは血は流れてこない。
だが、見事に突き抜けた穴が痛々しい。
うう、見ていて痛いし、実際物凄く痛いよ。
念でなんとか保護しているからいいけど…。
は懐からハンカチを取り出してしゅるりっと手に巻く。
「続き、やりましょう、キルア君」
キルアは驚いたような表情を浮かべる。
「その傷でオレと戦うの?」
「ちょうどいいハンデですよ」
「ハンデぇ?」
「ハンデ必要でしょう?キルア君は気づいているはずです」
は遠慮なく念を纏う。
念を纏ったを見て、キルアはぴくりっと反応した。
念を知らないのに感覚的に分かるのは、やっぱりキルアが天才だという事なのだろう。
「も兄貴と同じの使えるんだな」
「はい。これが何か見極めるチャンスを上げますよ、キルア君。殺意は込めません、妨害もしません、ただ純粋に戦いましょう」
すっと構える。
キルアの雰囲気がすぅっと変わる。
殺気を帯びた暗殺者の者へと。
「オレ、一応暗殺者のプロだぜ?元だけど」
「知ってますよ」
「殺すつもりで行くけど?」
「構いませんよ」
は笑みを浮かべるが雰囲気が変わる。
この戦いでキルアが念について何かを得ることはできないだろう。
だが、感覚でどういうものがあるかを知ることくらいはできるはずだ。
口では教えることは出来ない。
それがハンター試験の規約だから。
誰かを殺して不合格というのは、後味悪いよ、キルア君。
は勝つつもりもないが負けるつもりもない。
キルアが負けを認めてくれればよし、そうでないならば一定時間が経ったら自分が負けを宣言すればいい。
念を纏ったとキルアの戦いが再開される。
スピードのキレも、攻撃の早さも先ほどとは比べ物にならないほどのものになる。
結局、何時間か戦い続け、勝ったのはの方だった。
キルアは殺すつもりだったかどうかは分からないが、急所を狙ってくることはなかった。
負けたのはキルアの方だったのに、キルアは妙にすっきりした表情で負けを宣言していたのだった。