― 朧月 22




残り1人の囚人がばさりっと上に被っていた布をとる。
がこんっと拘束具が外れ、ゆっくりとリングの方に歩いていく。
雰囲気が他の囚人たちと違う。

「キルア…、オレ達の負けでいい、あいつとは戦うな」

相手の囚人を見て顔色を変えたレオリオがそんなことを呟く。
レオリオの視線は相手に向けたまま、汗を額に浮かべている。
キルアは表情を変えずに歩き出した。

「おい!キルア!」
「大丈夫ですよ、レオリオ君」

今にも飛び出していきそうなレオリオを、は手で制す。

「相手は大量殺人者とはいえ独学での殺し屋だ、プロには敵わないだろ」

クロロが冷静に分析する。
そう、相手は大量虐殺をした囚人とはいえ、自分の快楽の為の殺人を犯しただけだ。
それだけでも十分なものだろうが、だがプロの暗殺者というのはそんなものではない。
もそれが分かる。
リングに立っている囚人と、1度だけ対峙したシルバを比べれば分かる。

感じる殺気もまだ甘いし、シルバさんに比べればまだまだだよね。

「プロ?」

レオリオが怪訝そうな顔をする。

「キルアの歩き方を見れば分かる。あれは暗殺者特有の静かな歩き方だ」
「あ、暗殺者?!」

ぎょっとするレオリオだが、驚いたのはレオリオだけだ。
ゴンは知っていたし、も聞いてはいなかったが知ってはいた。
リングの上ではキルアと相手が勝負の方法を決める。

「キルア君、ゾルディックですからね」
「ゾルディックか…。なるほど、父親に似てるな」
「あ、クロロさんもそう思います?キルア君って髪質とかシルバさんに似てますよね?」

クロロが同じように思っていたので、思わずにこにこしてしまう

はシルバ・ゾルディックと会ったことがあるのか?」
「え?まぁ、以前ちょこっと。クロロさんもあるんですね」
「ああ、団員が1人殺られた時にな」

クロロのその言葉になんて答えていいのだろうか。
そう言えばとは思い出す。
シルバが以前幻影旅団の団員を1人、仕事で殺していたという事があった。
それはが知っていたあの原作の記憶でもあり、ミスティがそんなようなことを言っていた覚えもあって思い出した。

「キルアって家族の中でもエリートだったみたいだよ」
「家族ってどういうことだ?」
「暗殺一家なんだって」

ぎょっとした表情をするレオリオ。
リングの方ではキルアがにやりっと笑みを浮かべて”何か”を手に持っていた。
勝負はもう始まっているようだ。

「おい…、キルアが持っているのってまさか」

リングの様子に気づいたのか、レオリオの額の汗が今度は別の意味となって浮かぶ。
先ほどは対戦相手に対してだったが、今はキルアに対してだ。
相手の”心臓”を手に盗ったキルアが浮かべている笑みは、無邪気なものではなく残酷なものだ。
男の表情が歪む。
キルアはためらいもなく、手の中の心臓を綺麗に砕く。
その瞬間、それまで冷静に見ていた囚人たちの顔色が変わった。
囚人たちは100年以上の刑期を科せられた犯罪者だ。
だが、そんな彼らとはキルアはレベルが違うのだ。

「これで3勝1敗1分け。ここはパスしてもいいだろ?」
「…ああ、ここを通り過ぎると小さな部屋がある。そこで負け分の時間、30時間を過ごしてもらおう」

答えたのはと一番最初に対戦した男だ。
額に汗を浮かべている。
キルアはその言葉に、何事もなかったかのようにこちらに戻ってきた。

「さっさと行こうぜ」

キルアの今の表情を見る限りでは、人の心臓を抜き取るようなことをできる子には、とてもではないが見えない。
ゴンは気にせずにキルアににこっと笑みを見せるが、レオリオとクラピカはそうはいかなかった。
とクロロはゴンとは別の意味で気にしていなかった。
先に進んだゴンとキルアに続いて、囚人たちがいるところを通る。
そこを抜けると彼が言った通りの小さな部屋がある。
やわらかそうなソファーと、ガラスのテーブル、それから本棚と本。
入り口の反対側には頑丈そうな鉄の扉。

『この部屋で30時間過ごしてもらえば、先に進めるドアが自動で開くようになるから待っていたまえ』

頑丈そうな鉄の扉とは別に、扉が1つ。
がそちらに向かって片方を開けてみれば、トイレだった。

そうだよね、トイレがないと困るもんね。

なんとなく納得をしてぱたんっとドアを閉じる。
問題は30時間をどう過ごすかだ。
ゴン達は思い思いの場所に座り、本を読んだりぼーっとしたりしている。
クロロは本棚の前に立ったまま、本の背表紙をざっと見ている。
はクロロに近づく。

「クロロさん、何か面白そうな本ありますか?」
「読んだものばかりだ」
「う〜ん、確かに一般的なベストセラーな本ばかりですね」

ざっとタイトルに目を通せばも3分の1ほどは読んだことのある本ばかりだ。
自分で面白いと思えない本は、たとえベストセラーでも読まないことがあるのでタイトルを知っている程度の本もある。

「30時間も待つだけなのは退屈だな」

クロロはぎゅっとを抱える。

「わ、クロロさん?!どうして退屈だからって私を抱えるんですか?!」
「寝よう」
「寝るのは構わないですけど、なんで私を抱えるんですか?!」

の肩と腰に腕を回して抱え込み、そのまま座り込んで目を閉じるクロロ。
飛行船の時と同じ格好だ。
ぐぐっと身体を動かそうとするが、腕は外れない。
ははぁっと大きなため息をついて体の向きだけ変える。
飛行船の中でぐっすり眠ったは、全然眠くない。
クロロに背を向けて、部屋の中を見回す。
ふと、じっとこちらを見ているクラピカに気づく。

「どうました?クラピカ君」
「いや…」

ふっとクラピカの目の感情が少し暗いものへと変わる。

「幻影旅団とは、もっと快楽殺人者のようなイメージがあったのだが…」
「つまり、こうやってクロロさんが私にひっつているのがものすごく意外ってことですか?」

は親指で自分の後方をくいっと示す。
後ろからをがっしり抱きしめて離さないクロロ。
どう見てもA級首とは思えないだろう。

「でもですね、クラピカ君。穏やかそうなクロロさんも本当ですが、邪魔するものは全て殺す盗賊団やってるクロロさんも本当です」
「…クルタ族を殺し、目を抉り取った顔も存在するという事か」

ぴりっと空気が張り詰める。
クラピカから殺気が放たれるが、は表情を全く変えなかった。

「この人に命の大切さを説いてもきっと無駄です。そういう感覚を持てるように育たなかったと思いますから」

の考え方は恐らくクラピカと似ているだろう。
自分が考えている命の大切さをクロロに訴えてもきっと無駄なのだろう事は分かっている。
生まれて過ごしてきて得た価値観はそう簡単に変わるものではない。
がこの世界に来て簡単に人を殺すことができないように、クロロはどこにいても邪魔だと思えばそれが意思疎通ができる人間でも躊躇いなく消すだろう。

「育たなかった?」
「幻影旅団の初期メンバーの方々は、確か流星街出身です」
「流星街…。そうか、そういうことか」

クラピカの顔が歪む。
何を捨ててもいいといわれる流星街。
全てを受け入れるが干渉されることをいとい、仲間が害されれば命を投げ出してでも抗議をする。
そんな街で育ち、結成された幻影旅団。
クラピカは彼らがどうして平気で命を奪えるようになったのかを理解できても、納得はできないだろう。

「命を奪うものは同等に奪われる覚悟が必要だと私は思います。クロロさんはその覚悟はきっと出来ていますよ。私は邪魔する気満々ですけど、クラピカ君が復讐するのを止めろとは言いません」
「先ほどあれだけ駄目だと言っていたじゃないか」
「あれは状況を考えて言ったんです。今のクラピカ君じゃ、瞬殺されちゃいますよ」

悔しいだろうがそれは事実だ。
クラピカとクロロの力の差は歴然としている。
クラピカとて、今まで鍛錬はしてきただろう。
そして幻影旅団を捕らえる為にハンター試験を受ける事ができる程の強さを手に入れたつもりなのだろう。

はどうして、その男と一緒にいるんだ?」

は後ろのクロロをちらっと見る。
本当に寝ているのだろうかと思うが、クロロの瞳は閉じられたまま。

「最初に会ったのがクロロさんだったから…かな?」

この世界に来て、初めて気が合ったのがクロロだったから。
クロロは暇つぶしだったかもしれないし、リーディスの情報が目当てだったからなのかもしれない。
何が切欠でこんな風に好かれるようになったのかは分からないが、にとってのクロロは最初だから特別なのだ。

「私にもちょっと事情がありまして、友人とか仲間とか呼べる人がいないんです」
「家族は?」
「家族もいないんです。あ、別に亡くなったわけじゃないですよ?生きてはいるとは思うんですけど、いないんです」

クラピカの表情から、少し誤解を与えてしまったようには感じた。
血の繋がりのある家族はどこかに存在していても、家族として育たなかったと思われたのだろうか。

「家族のようなひとはいるんです。でも、それはやっぱり友人とは違うもので…、クロロさんと話した時、初めて楽しく話せたって思ったんです」

この世界では、と注釈がつくことになるが、あえてはそれを言わない。
そのことでクラピカに誤解を与えることになってもだ。
それでも、先をほんの少しだけ知っているとしては、ここでクラピカの考えが少しでも変わってくれればいいと思う。
恨みの気持ちがなくならなくても、復讐するという決意がなくならなくても、何か少しだけ変わることができるかもしれない。

「その男が……大切な存在、なんだな」

そう呟いたクラピカの表情はとても苦しそうなものに見えた。
は自分の言葉でクラピカを悩ませているのは分かっている。
クラピカにとってクロロは憎むべき相手だろう。
でも、幻影旅団とは実質何の関係もないは、クロロが傷つくと悲しむ。

クラピカ君は優しいから。
悩むだろう事を分かって、クロロさんが大切だって言った私はずるいかな?
復讐なんてやめて欲しいって思う。
でも、それを私が言っても、クラピカ君は説得されてくれないと思うんだよね。

はどうあってもクロロ寄りになってしまうから。
こういうものは、第三者からの意見の方が受け入れられやすいものだ。