― 朧月 20




次に出てきた囚人は先ほどの人と比べて肉体派に見える。
現在2勝。
あと1勝すれば進むことは可能だ。

「次は私が行こう」

ばさりっと上着を脱ぎ、クラピカがリングへと向かった。
左胸に小さなハートマークが並んでいる妙な男だ。
筋肉質だが、強そうには見えないとは思った。

でも、確かこの人だ。
偽者さん。

相手がクラピカに勝負の方法を提案し、クラピカは持っていた武器をひょいひょいっと取り出す。
勝負の方法はデスマッチ。
がやったのと同じ方法だ。

「大丈夫か?クラピカのやつ。相当な相手だと思うが」
「大丈夫だよ」

心配しているレオリオにゴンがきっぱり言い放つ。

「ヒソカ相手の時みたいにゾクゾクしないから」

ゴンの言葉にレオリオは良く分からないという表情をしていたが、キルアはふっと笑みを浮かべているのが見えた。
はクロロをちらりっと見て、クラピカそして次にクラピカの相手を見る。

「どうした、
「いえ、なんでもないです」

が気にしているのはクロロの反応だ。
どうなるか分からないが、勝負は始まる。
相手の男が声を上げて高くジャンプし、拳を床にめり込ませる。
ドゴォっと音を立ててめり込んだ拳は床を砕く。
その際に見えたのは背中の刺青。

「12本の足を持つクモのイレズミ!あれはまさか…」

レオリオが顔色を変える。
クロロは男のイレズミを見て一瞬驚いた表情を浮かべていたが、次の瞬間笑い出す。
くくくっと声を上げて笑うクロロを奇妙なものでも見るかのように見ているのは、レオリオだ。
あっけにとられたのは、ゴン、キルア。

「偽者、か。随分と有名になったもんだな、オレ達も」
「は?ちょっと待て、オレ達ってどういう意味…!」

レオリオの疑問はゴンとキルアも同様の疑問を抱いているだろう。
だが、その言葉が途中で切れたのはクラピカの目の色が変化したからだ。
バキベキっと音と共に相手の顎の骨が砕ける。

ごすんっ

相手を床へとたたきつけるクラピカ。
クラピカの雰囲気が目の色と共に変わっている。

「3つ、忠告しよう」

静かに倒れた相手を見るクラピカ。
その瞳の色は深紅。
クルタ族の証であり、世界7大美色の1つである色だ。

「1つ、本当の旅団の証にはクモの団員ナンバーが刻まれている」

はクロロをちらりっと見る。
クロロにもその証があるのだろうが、はそれを見たことがない。

「2つ、やつらは殺した人間の数なんかいちいち数えない」

相手は19人殺したと言っていた。
本物の幻影旅団ならばその程度の数ではないだろう。
クルタ族全てを惨殺してその目を抉り取ったのだから、それだけでも相当の数だったはずだ。

「3つ、2度と旅団の名を騙らぬ事だ。さもないと私がお前を殺す」

倒れ伏した男をそのままに、クラピカが戻ってくる。
はクロロの方を見る。
特に表情に変わりがないクロロだが、何を言い出すか分からない。

「クルタ族か、あの時の生き残りがいたんだな」

ばっとクラピカが顔を上げる。

「クロロ、お前さっき言っていたオレ達ってのは、まさか…」

レオリオがクロロを指差す。
先ほどはクラピカの変化で言葉が途中で止まってしまったレオリオだったが、気になっていただろう。
クロロのあの言葉から考えられることはひとつ。

「あの時だと?」
「緋の目は全て”オレ達”が抉り取ったと思っていたがな」

クロロの口調はまるで世間話でもしているかのような、気軽なものだった。
クラピカの雰囲気がざわりっと変わる。
先ほどのように緋の目に変わることはないが、暗い雰囲気へと変わっていく。

「意外と顔は知られていないらしいから、あの程度のヤツでも偽者に成りすますことができるものなのか」

クロロはリングの上に倒れている男を見る。
幻影旅団の名を騙った男に対しての感情は何も見えない。
ただ、事実をたんたんと述べているだけなのだろう。
クロロにとって偽者などどうでもいいことなのか。

「貴様幻影旅団なのか?!」

クラピカの問いを肯定するかのようにクロロはふっと笑みを浮かべる。
その笑みは爽やかな笑みではなく、闇の色を帯びた笑み。
クラピカの瞳の色が再び緋色へと染まる。
ははっとなる。
このままでは駄目だ。

「クラピカ君、駄目です!」

はクロロをかばうように、クラピカとクロロの間に立つ。

「クロロさんに攻撃しないで下さい、クラピカ君」

クラピカの視線はクロロに向けられる。
それは殺気のこもった視線。
はクラピカの方に近づいていく。
クラピカは邪魔をするをのけるように、手で払おうとする。
はその手をぱしりっと受け止めた。

「駄目です、クラピカ君」

ぎゅっとクラピカの腕を握る

「どけ!!」

の腕を払うとするクラピカだが、は手を離さない。
クラピカを感情の赴くまま行動させてはいけない。

「止める必要はない、。オレがその程度のヤツにやられるとでも思うか?」
「思わないから止めているんです!」

がクラピカを止めたのはクロロが強いからだ。
念能力者とそうでないものは、それだけでかなりの差ができる。
今のクラピカではクロロの念をこめた殺気でも向けられるだけで、攻撃すらできなくなってしまうだろう。
それが駄目だと思ったのだ。

「クラピカ君!」
「君に私の何が分かる?!」
「分かりません!」

親しい友や両親を奪われた悲しみなどには分からない。
それでも…

の頭の中に朧月の記憶が渦巻く。
”としては親しい者を奪われたことはない。
だが、朧月として親しい者達との別れは何度も経験した。
弱肉強食を否定できないこの世界。
強さがなければ弱き者は虐げられることすらある。

の言う通り、やめたほうがいいぜ」

キルアがすっとクラピカのすぐ側に立つ。

「正確な判断つけられなくなってるって訳でもないだろ?今ここであんたがクロロに攻撃すれば、一瞬のうちに首が飛ぶぜ」

クラピカがぴたりっと動きを止める。
睨みすえる先のクロロは悠然としていて、余裕があるようにしか見えない。
クラピカはぎゅっと目を閉じ、拳を握り締める。
それはまるで何かを押さえ込んでいるように見える。

「クラピカ君?」

クラピカはふっと目を開く。
開いた目は緋色ではなく、黒に戻っている。

「何故…」

クラピカの表情が憎しみでなく悲しみに彩られているように見えた。

「何故、ああも簡単に命を奪うことができる?」

は思わずクロロの方を見た。
クロロの顔には何の動揺も見られない。
クラピカの言葉をただの問いとして受け止めている。

「その答えは必要か?人によって命の重さは違うだろう。オレには何故自らを犠牲にしてまで復讐を成し遂げたいと思うのかが分からないな」

育った環境による考え方の違いのせいだろう。
恐らくクラピカにはクロロの考え方は一生分からない。
クロロにクラピカの想いが分からないように…。

「復讐は所詮自己満足。亡くなった者が復讐を望んでいたのならば別だろうがな」
「仲間の無念をはらすことが私の自己満足だと言うのか!」
「無念をはらす?自分のみが生き残ってしまった罪悪感を誤魔化す為の言い訳じゃないのか?」

ざっとクラピカの顔色が変わる。
はクロロとクラピカの顔を交互に見る。
クラピカはふっと顔を伏せてにつかまれていた腕をばっと外させる。
も今は力を込めていたわけではないので、すぐに腕は離される。

「今は制限時間が限られたハンター試験の最中、最大優先事項はここを突破することだ」

そう言ってクラピカは顔を伏せたまま、奥の方に行き座り込んだ。
誰とも目を合わせ様としない。

「クロロさん」
は復讐が正当だと思うか?」

は頭を横に振る。
だが、否定の意味ではない。

「私には分かりません。大切な人を失ったことがありませんから」

朧月ならば少しだけ分かったかもしれない。
だが、の中にある朧月の記憶は過去のものでその時の想いはすでに消化されてしまっている。
だから、復讐したいという気持ちは分からない。

「でも…」

はクラピカの方を見る。
クラピカがクロロを憎み恨むのは当然のことかもしれない。
だって逆の立場だったら恨まずにいられなかったはずだ。
だから、憎むなと恨むなとは言えない。
その代わり…

「クラピカ君がクロロさんを殺そうとするならば、私は全力でそれを阻止します」

クロロが少しだけ驚いた表情をする。

「クラピカ君に復讐をして欲しくないなんて綺麗事を考えているわけじゃないです」

恨むなと言えないから復讐をして欲しくないとも言えない。
にはクラピカの気持ちは分からない。
だから、クラピカを止めるのは別の理由。

「この”世界”で私が大切だと想う”人”はクロロさんだけだから、クロロさんが傷つけられようとするのを黙って見ているわけにはいきません」

A級首の盗賊団の団長でも、人の命の重みの感覚が違っていても、クロロはがこの世界で初めて親しくした”人”だから。
恋愛感情とかそいういうものじゃなく、友人とかそんな関係じゃなく、ただ大切だと思うから。
ミスティは人と同じようなものだが、人ではない。
の両親や友人はこの世界にはいない。
少し知っているけど、全く知らない世界。
そこで初めて親しくなった人。

最初は、絶対に絶対に深く関わらないようにしようって思ってた。
だって幻影旅団なんて怖いし、色々面倒そうだし。
でも、一緒にいて楽しいって思ったから。

「クラピカ君。復讐とか考えても別にいいです。私にはクラピカ君の気持ちは分かりませんから止めようなんて考えません。でも、私がいることを覚えておいて下さい」

に守られるほどクロロは弱くないし、の力なんて必要ないだろうとは思う。
すっとの雰囲気が変わる。
戦闘の時の雰囲気とはまた違ったもの。

「私は、弱くないですよ」

静かな雰囲気を纏う。
それは深く優しい闇のような雰囲気。
は知らないだろうが、かつての朧月が外で見せていた雰囲気と同じものだ。