― 朧月 03




がの世界に来て、気づけば3年が経っていた。
体力づくり、念の修行、そして森の中の奇妙な獣との実戦。
あっという間だった気がする。

「そろそろ人相手の経験が必要ですよね、マスター」

にこりっと鬼のような事を言うのは、今のにとっての師匠であり同居人でもあるミスティだ。
彼女は念の塊という事で、3年経ってもその姿が変わることはない。
3年経った今、は自分でも信じられないほど規格外の状態になっていることに気づいた。
だが、ミスティは「まだまだです」というのだから、まだまだ朧月には追いついていないのだろう。
念の系統は言うまでもなく具現化系だった。

「マスターの念は空間を操作できるものを具現化する、いわば特質系寄りの具現化系ですね」
「特質系寄りの具現化系なんてあるの?」
「普通はありませんね。きっとそんな変わった系統はマスターだけです」

にっこりきっぱり言われてしまった。
森の動物さん達や、人の形をしていないもの、そしてミスティとの手合わせならば何度もあるが、実際の人と念で戦った事はない。
この3年、金銭面では朧月の残してくれたものがあったのでものすごく余裕に生活ができた。
自分の前世かもしれない人のものを使うのはなんとなく申し訳なかったのだが、これがなければ生活できないのならば仕方ないと開き直りを見せたである。
近くの町にも歩いて行ったりしていたので、人との交流がなかったわけではない。

「丁度今夜殺し屋の方が見えるそうなので、相手をしてみましょう、マスター」
「は?殺し屋?」
「はい。3日程前に『朧月』を開店させようとしましたら、何を勘違いしたのか殺し屋を差し向けてきた方がいるようで今日来るそうですよ」
「って!なんでそんなに落ち着いてるのー?!」

の前世らしい人である朧月が、この世界の裏で有名であったのは本当らしい。
ミスティから聞く朧月の性格がとても自分によく似ているので、裏の世界などとは間違いではないのだろうか…と思ったのだが、そうでもないらしい。
仕事はハンターとして色々やっていたそうだが、自分が気に入ったものを集めることをしていたのが有名になった原因らしい。
ミスティが言った『朧月』というのは、朧月が経営していた趣味の本屋の名前だ。
本を読むことが好きだったらしく、しかもその本に登場するものが実際にあるとそれがどんな辺境にあっても取りにいったらしい。
勿論ちゃんとした正攻法でだ。
だが、その集めていたものの中には幻の一品といわれるものもあったりするので、狙われるのは当然、それを防いでるうちにいつの間にか有名になってしまったらしい。
本人にはあまり自覚がなく、のほほんと趣味の本屋をやっていたらしい。
裏の世界で有名な朧月が、本屋を営んでいる事を知っている人は少ないはずなのだが、本屋の名前が同じ『朧月』の為、何かを勘違いした闇の住人が殺し屋を送り込んでくることは以前もあったらしい。
今回もそれなのだろう。

「実戦経験を積むいいチャンスですよ、マスター」
「でも相手は殺し屋だよ?!」
「マスターは時間を稼いでくだされば、あちらの依頼主とわたくしがコンタクトを取って依頼を強制的に取り消させます。本当は殺し屋の方が来る前にキャンセルしたかったのですが、少し気づくのが遅れてしまいましたので…」
「時間を稼げばいいだけなのね」
「はい」

ほっとする
それなりに腕に自信は出てきたが、いきなり殺し屋相手はものすごく嫌だ。
時間稼ぎならばなんとかなる、かもしれない。

「にしても、どうやってそんな情報なんて手に入れたの?」
「マスター、わたくしは念でできていますから実体があるようでないのです。ですから、意識だけ気配をさせずにどこへでも飛ばす事は可能なんですよ」

にっこりとものすごいことを言うミスティ。
ミスティは、もはや1人の人間と言っていいほど独立している。
1度がすごいね〜と言えば、ミスティは「親がマスターだからです」と返されてしまった。

「本屋再開するの?」
「はい、外とのふれあいも必要でしょうし、実践も経験できるようになりますし」
「…何で一介の本屋が狙われなきゃならないの…。『朧月』以外の名前にすればよかったんじゃないの?」
「ですが、わたくしには他に名前が思いつきませんでしたので…。今から『』に変更しても構いませんよ?」
「『朧月』でいい……」

自分の名前を本屋の名にするなど恥ずかしすぎる。
朧月は反対しなかったのだろうか?
はちらりっとミスティを見るが、朧月が自分と同じような性格ならば、どんな店名にするか迷いまくってミスティに名前でいいと押し切られてしまった気がする。
そう思うと、そうだったに違いないと確信できてしまいそうだ。

「本は嫌いですか?」
「う〜ん、どちらかと言えば好きかな?でもかなり偏るよ」
「朧月様も随分と偏った趣味でしたよ。フィクション小説や、神話を集めたりしていました」
「へぇ〜、そういうのは私も好きだな」
「神話の本は古いものがありますし、実在する宝石もあったりしますから、1度マスターがその宝石を本当に探して持ってきた時は驚きましたよ」
「…へ、へぇ〜」

朧月に関してはもう何も言うまい。
の好きな本は、やはり朧月と似ているのかもしれない。
心躍るようなフィクション小説や神話は大好きだ。
たしかに小説に登場するものが実際にあれば見てみたいかもしれない。
それを探す能力があるなら尚更だ。
そんな事を思うあたり、やっぱりは朧月なのだろう。

「そろそろ時間のようです、マスター」
「う、了解」
「無理と思ったらわたくしを呼んで下さいね」
「最大限の努力はしてみる」
「マスターならば大丈夫ですよ」

殺し屋相手にミスティのその自信はどこから出てくるのだろう…とは思ってしまった。
は自分が多少強くなったとしても、殺し屋相手にどうにかなるとはあまり思っていない。

頑張って時間稼ぎをしよう。

時間稼ぎならばなんとかなるかも、と思っていたいところである。



とミスティが住んでいるのはあの大きな森の中の屋敷だ。
2人で暮らすにはいささか大きい。
だから、使っているのはほんの一部の部屋だけだ。
は屋敷の外でひんやりとした空気を身体に感じながら待っていた。
そう、ここに来るだろう殺し屋を。

来た。

気配と静かな殺気を感じ、は戦闘体勢に入る。
普段のはオーラ垂れ流し状態だ。
戦いをあまり好まないは、ミスティに普段はそうしているといいというアドバイスを受けたのだ。
どうも朧月も同じ事をしていたとの事。
なんか、もう、朧月のイメージが粉々に崩れてしまっている。

「…女か?」

すぐ近くで聞こえた声に、は構える。
気配を感じて両手と念でガードする。
がっと蹴りを受け止めて、はすぐさま距離を取る。
相手を気配で探るが捉えられない。
となれば、全て勘だ。
相手の動きをは全て勘で防ぐ。
勘と思っているようだが、これは身体が攻撃というものから身を守る為に無意識に動くだけだ。
ミスティとの手合わせが活かされている。

「なかなかやるようだな」

相手の顔がちらりっと見える。
ふわりっと動きで揺れる癖のある銀髪。
を見つめる瞳には、静かな殺気が込められている。

うっわ〜、すごい怖い殺気。
ミスティに慣らされてなければ、絶対に腰を抜かしていたかも。

そんな事を考えるあたり余裕があるのかもしれない。
だが、相手は本気を出していない。
は時間を稼ぐ事ができればいいのだが、それがどれだけ時間なのか分からない。

となれば、相手が油断しているうちに相手の能力を出させないで叩きのめす…か。

はだんっと地を蹴って相手に向かう。
手と足で攻撃し防ぐ、それの繰り返しがものすごい速さで行われている。
拳を出せば腕で防がれ、蹴りが来れば同様に足で止める。
ミスティ以外の相手との組み手は初めてで、相手が自分と同レベルに合わせているのか分からないが、同じくらいの強さで少し楽しくなってきてしまう。

って、駄目だ。
楽しんでいる場合じゃない。
相手は一応殺気をバリバリはなってきている殺し屋なんだから。

相手が念能力を使ってこないのならば、そのうちに押さえてしまえばいい。
ばっと組み手を解いて、一歩下がりその隙には念能力を発動させる。

「空間を創る賢者の杖(スペース・ワイズ・ロッド)」

の手に現われたのは銀色の細い杖。
その銀色の杖をくるんっとまわす。
その瞬間、相手の周囲の空気だけがずんっと重くなる。
相手に隙ができる。
その隙を逃さず、はありったけの念を右足に込めて相手を蹴った。
重い空気ごと、相手は吹っ飛ぶ。
トドメとばかりに再び杖をふって、重力波を3発くらい相手に向かって放つ。

ばきばきばき…!

森の木々が次々と倒されていく光景を見て、ちょっと後悔する。
自然に罪はない。

「マスター、解約完了です」

ふっとすぐ隣にミスティが現われる。
念が具現がした姿なので、移動などもぱぱっと可能な彼女。
初めて見たときは驚いたものだが、慣れればもう驚かなくなってしまっている。
慣れというのは怖いものだ。
離れたところからピピピっと電子音が聞こえてくる。
音の方を見れば、いつの間にか近くまで戻ってきていた相手がケータイを取っている所だった。
二言三言話して、相手はピッとケータイを切る。

大丈夫かな…?

草木で服がボロボロなのに身体に傷ひとつ見えないとは、ものすごく損した気分だ。
はそれなりに全力を出したつもりなのだが、無傷だと自分の能力に自信をなくしてしまいそうになる。
相手が殺気を放たずにこちらに向かってくる。
殺気すら放たずに殺しをする殺し屋もいるらしいので、警戒は解かない。

「こっちの契約が解除されたようだ。そっちでやったのか」
「はい。流石にゾルディック相手では、マスターが怪我ひとつなしというわけには行かないでしょうから。幸い今回の依頼人は小物、貴方も本気ではなかったでしょう?」

ぞ、ぞるでぃっくぅ?!

ミスティの言葉には盛大に顔を引きつらせていた。
暗闇で相手には見えないだろうが、思いっきり動揺もしている。

「いや、本気になりかけたな」
「それでは、契約を解除して正解でしたね」
「ああ、あの程度の報酬では割りに合わない」
「ええ、そうですね。マスターを相手にするならあの1000倍の金額くらいで受けてください」
「そうしよう」

相手はふっと小さく笑みを浮かべたようだ。
ちらりっとの方を見たような気がしたが、はゾルディックの名前に混乱中だったりするのでそれに気づかない。
銀髪の相手はそのまま、には何も言わずに森の中に消えるように去っていった。

「よかったですね、マスター。シルバ・ゾルディックに傷を負わせるくらいならば、なんとか書店を再開しても大丈夫そうですよ」
「き、きず…?」
「マスター、気付いていなかったのですか?彼に右腕のこのあたりがさくっと切れてましたよ」

トドメとばかりに放った重力波のひとつがかすったのだろう。

「並大抵の能力では彼には効きませんからね。さすがマスターです」
「さ…」
「マスター?」
「流石じゃないーー!」

はその場で頭を抱えた。
ゾルディック家が屈指の暗殺一家で、その仕事の成功率はほぼ100%であることは、町の噂などでも聞いていたので、ここがあの世界でないにしろゾルディック家が存在する事は知っていた。
しかし、シルバ・ゾルディックである。

な、なんて人を相手にしていたんだ、私…!!
しかも、全然平気だった自分が信じられない!

ちらりっとミスティを見る。
シルバとそこそこ手合わせができてやっと殺し屋を向けられるかもしれない本屋の開店。

ミスティの基準って、きっと普通とものすごく違うんだね。

3年間の物凄く大変だった、言葉では表せられないあの修行は、予想以上の効果をもたらしてくれているのだった。




  


― 空間を創る賢者の杖 スペース・ワイズ・ロッド
具現化された銀色の杖。
能力は重力操作。
一定範囲内の重力の変化、及び重力を利用した風の刃のようなもの、壁のようなものを作ることが可能。
用途は応用次第。
但し、世界のどこかで反動あり。例えば一定範囲内の重力変化で一部の重力を増加させると、世界のどこかで一部重力が軽くなるという…。