― 朧月 02
、ごくごく普通の少女…であったはずだ。
それなのに、今はわけのわからない森の中にある屋敷でゆっくり紅茶をすすっている。
紅茶が好きではないが、彼女、ミスティが入れる紅茶はとても美味しい。
とっても座りごこちがいいソファー。
最高な気分だ。
「マスターの今の名はどのような名なのですか?」
向かいのソファーに座ったミスティが問いかけてくる。
そういえば言っていなかった。
「。が姓でが名前ね」
「様ですか?」
様付けに口に含んだ紅茶を噴出しそうになってしまう。
自分は様を付けられるような大層な人間ではないので、ものすごく変な気分だ。
だがミスティはの気持ちなど、全く分からないかのようににっこりと笑みを向ける。
「以前の朧月様も素敵でしたが、様も素敵なお名前ですね」
ごほっとはむせる。
紅茶が変な所に入ってしまったのか、ごほごほっと咳が出る。
「マスター?!大丈夫ですか?」
「…だ、だいじょうぶ」
”朧月”という名に驚いただけだ。
夢でも出てきた”彼”の名前。
”彼”が誰でどういう人物であるかが、ぼんやりとだけ浮かんでいたあの夢。
「それにしても以前のマスターとかって何?」
ミスティに丁寧語を使うのは何か自分の中で違和感を感じて、普通に話してしまう。
相手を夢で少しだけ知っているからなのだろうか。
「はい、説明します。まずはここは恐らくマスターの、様の世界ではありません」
その言葉は案外冷静に受け止める事ができた。
こんな大きな森の中にでっかい屋敷があるなど、日本では考えられない。
何よりも、ここは電気が通っていない。
今の時代、いくらド田舎でも電気くらいはあるだろう。
国外の可能性もあるだろうが、言葉が通じている時点でそれは恐らく有り得ない。
ミスティが何ヶ国語も可能だという話しならば別かもしれないが…。
「この世界については実際見て知ってもらうのが一番いいかと思います」
「魔獣とか怪獣とかいる世界だったりする?」
「そうですね…、その魔獣とか怪獣がどいういうものか分かりませんが、強大な獣や巨大な生き物はいますよ」
にっこりととんでもない事を言ってくれるミスティ。
「私は元の世界に戻れるの?」
これは結構重要である。
ここが電気もないような世界だったら不便で仕方がない、こんな世界は嫌だ。
「はい、可能です。こちらの世界に来たのは恐らくマスターの能力によるものでしょうから、マスターがご自分の力を使いこなせれば可能です」
「の、能力って、そんなの全然覚えがないんだけど…」
「覚えがなくてもマスターの念能力ですよ。空間制御がマスターの得意とする能力でしたから」
って、待てよ。
念能力?念ってどこかで聞いた事があるような気がするんだけど。
念………あ。
は”念能力”をどこで聞いたのか思い出した。
しかし、その可能性を否定する。
ありえないし、絶対にそんなことありえないし。
そんな事を思うをよそに、ミスティは自分のことを話す。
「わたくしはマスターが念能力を覚えた頃に具現化された、いわば念の塊のようなものです。マスターが”生きている”限り、わたくしは存在し続ける事ができます」
「生きている限り?」
「はい、朧月様の転生体である様が生きている限り、わたくしは存在し続ける事ができます」
「は?」
の思考が一瞬固まる。
よく考えれば想像はつく言葉だ。
ミスティはのことを「マスター」と呼ぶ。
以前の「マスター」は朧月という名の人、そしても「マスター」。
ならばが朧月という人の生まれ変わりであると考えてもおかしくない。
ミスティが具現化された念というのはともかくとして、疑問が出てくる。
「ちょっと待って。仮に私がその朧月って人の生まれ変わりだとしても、”生きている限り”ってその朧月って人は1度死んだんじゃないの?」
「はい、マスター、朧月様はお亡くなりになりました。ですから、マスターが亡くなった時にわたくしの存在も消えると思っていました。ですが、わたくしは存在が消えませんでした」
ミスティはどこか悲しげな笑みを浮かべる。
朧月という人物を相当慕っていたのだろう。
慕っていた相手がなくなるというのは、には分からないがとても辛いものなんだろうと思う。
「最初はマスターがわたくしとの約束を守りきれなかったために、最期に何か能力を使ったのかと思ったのです」
「約束って?」
「わたくしに”世界の全てを見せてくれる”と…。わたくしにはそんな約束はどうでもよかったんです。マスターとずっと共にいる事ができれば……」
その時のことを思い出したのか、ミスティは涙ぐむ。
はそれを見て胸が痛くなる。
彼女にそんな表情はさせたくはない。
「ですが、考えを改めたのです。念の制約はそう簡単に変えることはできません。ですから、マスターはまだどこかで”生きている”のではないかと」
きゅっと顔を上げるミスティ。
その様子が少し可愛いと思ってしまう。
「様のオーラはマスターそのものです。わたくしが間違えるはずがありません。様こそマスターの転生体です」
はミスティの言葉を否定したかった。
けれど、心に少しだけ感じる思いがそれをさせない。
ミスティを懐かしく思う気持ち、そして彼女を悲しませたくないと思う気持ちはもしかしたら、朧月のものかもしれないのだから…。
「様がわたくしの元に転移されてきたのが何よりの証拠です。空間操作の能力者は少ない。それができるのは今この時代のこの世界ではマスターのみはずでしたから」
否定しないで欲しい、とミスティの目が訴えている。
そんな目で見られては、いくら朧月の感情と思われるものがないでもきっぱりと否定する事などできない。
こういうすがるような目には弱いものだ。
「え〜…と、私がそのマスターだとして」
「マスターはマスターです!」
「…私がここにきたのはその念能力のせい?」
「と思います。今のマスターは念能力を全く使えない垂れ流し状態ですが、恐らく暴走か何かしたのでしょう。もしかして、どこかに急いで向かおうとしていました?」
ぎくっとなる。
学校に遅刻しそうで確かに急いではいた。
だが、時間的に焦るほど厳しい状況ではなかったはずだが、知らずのうちに自分でかなり焦っていたのだろうか。
「それが原因かと思われます」
じ、自業自得…?
かなり落ち込みそうなところを、なんとか踏ん張って堪える。
自分がここにいる原因が自分の持っているはずの能力にあるのならば、能力を制御すれば帰れるのだ。
そう、先は見えている!
「と、とにかくその念能力をコントロールできれば帰れるんだね」
「はい。今のマスターでは何年かかるか分かりませんが」
「何……年」
年単位でかかるんかい?!
「朧月様の転生体ですから、普通の方よりも飲み込みは早いでしょうが、やはり念能力のコントロールはかなりの年数がかかります。通常ですと20年」
「に…っ?!」
「ですが、マスターならば5年もあればなんとかなるかもしれませんね」
「……5年」
5年はでかい。
今は17歳、5年も経てば22歳。
5年後に元の世界に帰れたとして、果たして居場所はあるだろうか…?
いや、もしかしたら両親あたりは泣いて無事を喜んでくれるかもしれない。
そこで、ふとは思う。
「5年で私が念能力をコントロールできるようになったとして、ミスティはどうするの?」
名を呼ばれてミスティはとても嬉しそうな笑みを浮かべる。
「はい、勿論お供します、マスター」
当然のようにきっぱり宣言する。
5年後家に帰れて両親との感動の再会を頭に描いていたは、その再会の光景が崩れそうな気がしてきた。
いや、でも、行方不明の間お世話になっていた人とかって紹介すれば…。
そうするとどこの誰って事は聞かれるだろうし、そんな偽装なんて普通無理だし。
はちらりっとミスティを見る。
にっこりと笑みを浮かべているミスティだが、先ほどの言葉はものすごく本気である事は分かる。
この様子では、喰らいついてでも引っ付いてくるつもりだろう。
突然くすくすっとミスティが笑い出す。
「マスターは変わっていませんね」
「?」
は疑問符を頭に浮かべる。
「思っている所がすぐ顔に出ているところ」
「え?顔に出てた?!」
「はい。そうやって慌てるところもそのまんまです」
そのままってことは、朧月って人は私に性格が似ていたって事?
―それは幻のようで、目の前に見えてもつかめないかのような存在。
―裏の世界の者のみ、”彼”の存在を耳にする。
……あれ?
夢の中のイメージとものすごく違う気がするんだけど…。
「マスターは自分の感情が上手く隠せないのを自覚していたので、依頼はいつも機械を通して音声に感情がでないように手を加えたり、表情が見えないように月の光で自分の表情が見えないようなところに立ったり、近くに寄られて表情が見られないように依頼人にすら近づかなかったりしていたんですよ」
ふふふっと楽しそうに話すミスティ。
なにやら、は朧月のイメージに激しく誤解があるのかもしれないと思った。
きっと自分が夢の中で見たのは第三者のイメージなのだろう。
もしくは、当時の本人の希望の姿。
「とにかく、まずはマスターの修行ですね」
「修行…」
「マスターは元の世界に帰りたいのですよね?」
「…い、一応は」
ミスティもついてくるとなると、この世界が過ごしやすいのならばこの世界に永住してもいいかもしれない。
だが、やっぱり両親と何も言わずに離れ離れになってしまうのは心残りだ。
どうあっても1度だけは元の世界に戻るべきなのだろう。
「念能力の修行をしましょう。様の世界には念能力は存在していましたか?」
「ううん、してない」
漫画の中以外では。
と心の中で付け加える。
ここがあの漫画の中の世界と同じ能力があったとしても、意外と世界観が似ているだけなのかもしれない。
それに漫画の世界と同じだとしても、この世界だって広いはずだ。
メインキャラに会う確率などものすごく低いだろう。
そう思えば、なんとなく気が楽になってきたである。
「ミスティが修行をつけてくれるの?」
「勿論です。わたくし自身は念のようなものですが、念は普通の人間のように使えますし、念の知識もありますので教える事はできますよ」
具現化した念とはいえ、そんなに有能なものなのだろうか。
「こうしてわたくしのように意思を持ち感情のある念はとても珍しいそうです。これもマスターの能力が高いからですよね」
嬉しそうに微笑むミスティ。そしての念修行が始まる。
といっても、元々がごくごく普通の女子高生だったである。
まずは体力づくりからはじめる事になるのだが、ミスティが思った以上に厳しい事をその身で知ることになるのだった。
「ところで、朧月って人はどうして亡くなったの?」
修行の前にふと気になっていたことを聞く。
「朧月様は寿命です」
「は…?」
「亡くなった時の姿は若い青年のままでしたが、もう御年は500を越えていましたから…」
ふぅ…と寂しそうなため息をつくミスティ。
夢の中のイメージだと裏の世界がどうのとあったので、てっきり何かの抗争に巻き込まれて殺されたとかなんとかだと、は思っていたのだ。
ものすごい普通の理由で、ちょっと呆気にとられるだった。