黄金の監視者 01



最初に聞こえたのは声だった。
それが男の声なのか女の声なのか、まだ生まれていなかったには分かるはずもなく、それが声であったことも随分先になって分かった事だった。

その時に分かっていたのは、きっと自分は生まれることが出来ないだろうという事。
母体である母の体力は弱っていて、自分もろくに栄養が与えられていない状況だったからか、自分から出ようともせず、このまま死に行くものだと思っていた。
その時に”声”が聞こえたのだ。

― 生きたいか?

生まれてもいないが、何故その言葉の意味を理解できたのかは分からない。
でも、それはその時のにとって救いの言葉のようだった。
わずかでも可能性があるのならば、それに縋りたい。
そんな想いだったのかもしれない。

― これは契約

声の言葉の意味などあの時は半分も理解していなかっただろう。
だが、このまま死ぬことがない、それだけではその声に従うことを決めていた。

― 異なる摂理、異なる時間、異なる命

それが例え、何を意味するか知らなくても。

― 覚悟があるのならば

覚悟なんてなかったのかもしれない。
でも、ただ本能のままに生きたいと、生まれたいと望んだ。
それがどんな結果になるとも知れずに。

(僕は生きたい!!)

強くそう願い、契約を交わした。
そしては生まれた。
世界の3分の1をその手中におさめているブリタニア帝国の皇子の1人として。

ブリタニア帝国第14皇子、・エル・ブリタニア。
ブリタニア皇帝の子としては、珍しくというべきかその瞳の色は深紅。
他の皇子皇女は色の質は違えど、紫の瞳が多かったというのに、だ。
しかし、が生まれ、その瞳を見た時、ブリタニア皇帝は声を上げて笑ったと言う。
まるで、面白そうなものを見つけたかのように。



は部屋に閉じこもり気味な子だ。
生まれてから言葉を発することも少なく、兄であるシュナイゼルが話しかけてもニコリとも表情を変えない。
それは生まれた時に交わした契約のせいだったのだろう。
齢2歳、は生まれる時に聞いた言葉の意味をようやく理解していた。
そして、自分の瞳が何故深紅であるのかも。

(こんな力!)

自分の視界がおかしいと感じたのはいつだっただろうか。
今はもう自分が異常であることを理解しているだけで、これが異常であると気づいたのがいつかは分からない。
この視界の広さのコントロールが出来ない。
近くのものが見えずに遠くのものが見えたり、近くのものしか見えないことがあったりと、不安定な視界がたまらなく嫌だった。

(千里眼…)

そう、言うなれば千里眼だろう。
遠くのものすらも簡単に見渡せる。
これが生まれた時の契約で授かった力なのだということが、今のには分かっている。
この不安定な視界のせいでまともに歩くことすらもままならない。

(僕はずっとこのままなのかな)

遠くを見据える目のおかげというべきか、世の中の綺麗なことから汚いことまで見たくなくても見えてしまう。
しかし、そのおかげで頭の中の成長は早かったと言えるだろう。
年不相応な考え方をするようになってきている。
いっそのこと狂うことが出来れば楽なのに。
そう思ったことも何度かあった。

(父上、母上、兄上…)

父は何の言葉もかけてくれない。
きっとそれは当たり前なのだろうと、は思っている。
弱きものは必要ない、父はその方針をずっと貫いてきている。
母は、未だに歩くことすらままならないできそこないのよりも兄に期待している。
兄は優しい声をかけてくれるものの、兄がしている侵略国への戦略を”視た”ことがあるはその優しさを素直に受け入れることが出来なかった。
部屋の中で膝を抱えながら、はふっと顔を上げる。

(あ、まただ)

一瞬見えたのは部屋の光景。
この部屋の光景が普通に目に入るため、この部屋の中に何があるかはもう覚えてしまった。
そして次にぐんっと遠くまで広がっていく視界。
壁も透け、草木を透け、海すらも渡っていく。
EUも、中華連邦も、日本も、その他の国々の生活も、色々見てきた。
遠くを見ることもあれば、意外と近くを見ることもある。

(今日はそう遠くまで行かないかな?)

ぐんっと広がる視界は、このブリタニアの王宮内で止まってくれるようだ。
視界が広がり、草木を分け、どこかの宮がの視界に入る。

(あ、すごく暖かそうなところ…)

母とは違う父の妃が住む所なのだろう。
がいるところも綺麗なところには違いないだろうが、今見ている宮はとても暖かそうな感じがした。
は他の父の妃や義兄弟のことをまったく知らない。
自分は第14皇子であるから、上に13人の兄がいることは知っているが、実兄のシュナイゼル以外には会った事もない。

(あ、僕と年が同じくらいの子だ)

黒髪の少年が目に入る。
少年は笑みを浮かびながら母親らしき人へと駆け寄っている。
いいな、と純粋に思う。
の母はどちらかといえば厳しい人だ。
父に褒められるようなことをすれば、母も褒めてくれるだろうが、今のにはそれは無理だろう。

(あの人が母上か)

やわらかくウェーブを描いた黒髪の、とても芯の強そうな瞳の女性。
優しげな表情で腕の中にいる”子”に笑みを浮かべる。
のこの千里眼の能力は言葉まで聞こえてこない。
何が起こっているかを知ることができるだけだ。

(子供が生まれたのかな?ということは僕の義弟か義妹…)

そこではぴたりっと動きを止める。
視界がその腕の中にいる赤ん坊へと近づく。
やわらかそうな茶色の髪の毛が少しだけの、本当にまだ赤ん坊。
可愛いな、と純粋に思う。
じっとがそれを見ていると、赤ん坊の目が唐突にぱちりっと開く。
優しげな色をたたえた紫色の瞳。
は自分と目が合ったかのように錯覚した。
どこの離宮か分からないが、相当の距離があるだろうに目が合うはずがない。
たまたまそう見えただけだろう。
そう考えることも出来たが、今のはその赤ん坊が自分を見てくれたように思えたのだ。
そして、ふわりっとほころぶような笑みを浮かべる。
どくんっと心臓が高鳴る。
純粋なそんな笑みを今まで目にしたことがあっただろうか。
はその場でぴしりっと固まってしまう。
自分の顔がほんのり赤くなっていることには気づきもしないだろう。
その笑みをずっと見ていたい、そう思ったのに、力は思い通りに動きもしない。
視界がふっと変わる。

「だめっ!」

声を上げても力は言うことなどきかないのだ。
視界がさらに広がる。
何とかコントロールしようとするものの、そう簡単にいかない。
はため息をついて、瞳を閉じ、顔を伏せる。

(まだ視ていたかったのに…!)

どうしてコントロールができないのだろう。
どうして自分の思い通りに使えないのだろう。
そう考えて、ぴたりっと思考を止める。

(違う、今から頑張ればコントロールできる。いや、絶対にする!)

はばっと顔を上げて、初めてこの力と向き合おうと思った。
そうさせてくれたのは赤ん坊の純粋な笑顔。
たったそれだけ。



毎日限界まで力を酷使し、時にはぶっ倒れるまでコントロールに時間を費やした結果、は1ヶ月ほどでこの眼をコントロールできるようになっていた。
しかし問題は、”視る”ことしか出来ないという事である。

(読唇術を覚えるべきだよね。外の国の状況見るのも言葉が分かれば楽しいかもしれないし)

だんだんと前向きになってくる
視るだけでは物足りない、言葉も分かるようになりたい。
はこの国の人たちの口元を”視て”読唇術を独学でだが覚えようとし始めた。

(でも、その前に)

いそいそっとは部屋の中で”いつも”の方向へと向く。
を前向きにさせてくれたあの子を視る為だ。
これを人はストーカーと言うが、まだ小さい子供であるにはそんなことが分かるはずもなく、1日1日成長し続けるあの子を視るのが楽しみになってきた。

(あ、やっぱり可愛いな〜)

すぐ側にいる少年はその子の兄なのだろう。
雰囲気は少年の方が鋭い雰囲気を持っているが、並んでいると似ているような気がしないでもない。
思わずほにゃりっと顔が緩んでしまう。
他の人の前ではとてもではないが、こんな表情は出来ないと思うである。
たまに笑顔を浮かべてくれるその子を視るのが、今のにとって支えのようなものだった。

(本当は直接会いたいんだよね。でも、どこでその存在を知ったかとか言われると困るし)

確実に自分の義妹だろうことは分かる。
だが、義妹という理由だけで会うわけにはいかないのがこのブリタニア皇族である。
兄弟はすべて皇位というものを競い合うライバル。
父がそれを望んでいる。

(僕は皇位なんてどうでもいいし)

ぱっと父の姿を思い浮かべる
直接顔を合わせたことは少なくとも、何度もその姿は”視て”いる。

(大体、なんであのくるくる頭の爺に108人も奥さんがいるんだろ?)

そんな魅力があの父にあるのだろうか。
はっきり言えば、は父が好きではない。
好きか嫌いかと言われるとどっちでもないと答えるだろうが、好きだとは絶対に言いたくない相手だ。

(108って数に何か意味でもあるのかな?)

中途半端な数だとしか思えないが何か意味があるのだろうか。
あの父ならば、何か意味がある、それだけの理由で108人の妻を迎えそうな気がする。
馬鹿馬鹿しいと思うが、そんなことをしていたら絶対にロクな死に方をしないだろうとは思った。

(ロールパン親父はどうでもいいや。それより、あの子の名前だけでも知りたい)

その為には読唇術をマスターしなければならない。
視ることも大事だが、実際言葉を聴いて、そして口の形を覚えることも大事だろう。
よし!と気合を入れて、は再び前向きになる。
目指すは読唇術のマスターである。
そして、あの子の名前を覚えて、会いに行く。