WOT -second- 13



シェルファナのお茶会の日、迎えが来てくれるとの事だったので、シリンは屋敷で大人しく待っていた。
10日というのはあっという間に過ぎ、特に何があるわけでもなく、いつものように過ごしてその日が来た。
一般的にお茶うけに出すお菓子を用意してもらい、それを持っていくことにした。
迎えはシェルファナ付きの侍女か何かかと思っていたのだが、シリンを迎えに来たのは意外な人物だった。

「何だその顔は。僕が迎えで何が悪い?」
「いえ、別に何も悪くないですよ」

面倒くさそうな感情を隠しもしないクオンが屋敷に来ていたのだ。

「さっさと行くぞ。ついてこい」
「はい」
「ああ、その前に…」

何かを思い出したようにクオンはシリンを見る。
じっとシリンを見る視線にシリンはこくりっと首を傾げる。
この服装ではまずいのだろうか。
シリンの服は普段よく着ている簡素なドレスだ。

「父上が贈った鏡は持っているか?」
「いえ、持ち歩いて壊すといけないので、部屋にあります」
「持ってこい。母上が見たいと言っていた」
「はい。持ってきますので、少し待っていていただけますか?」
「早くしろ」

クオンの言葉が随分と砕けたものになっている。
これが本来の話し方なのだろうか、と思いながらシリンは部屋にエルグから贈られた手鏡を取りに行く。
まだ包みに包まれたままのその手鏡。
持ち歩いて壊すといけないのでというのは表向きの理由、実際は使いたくても何か起こりそうで怖くてしまったままだったりする。

(シェルファナ様がこれを見たいだなんて、何か意味があるのかな?)

シェルファナの事は噂でしか知らないが、エルグがシリンのような姫に贈り物をしたことを気に入らないと思うような人ではないはずだ。

「すみません、クオン殿下。お待たせしました」
「持ったか?」
「はい」

にこりっと笑みを浮かべるシリン。
クオンはゆっくりと歩きだす。
シリンはその後を遅れないようについていく。
さくさく歩いていく先は舗装された道ではなく、少し外れた草木が生える道。
ここ貴族院にある木々の多くは人の手によって植わったものだが、草木は多くある。
王宮を囲うようにあるのは貴族たちの屋敷ばかりではなく、小さな森と言っていい散策できる木々の生える場所もあるのだ。
どうやらそちらの方を通っていくようで、クオンが向かう先に人の気配はだんだんと少なくなってくる。

「今日は学院はお休みですか?」
「自主休学だ」
「構わないのですか?」
「最低限はもう習得してある」

最低限がどこまでのものか、学院に行っていないシリンにはさっぱり分からないが、少なくとも同じ年齢の子が今学んでいるだろう所はすでに習得済みなのだろう。

「シェルファナ様がいらっしゃる所は、こちらからの方が近いのですか?」
「さあな。だが、君が目立つ事がないように配慮しろと父上が言ったからね」

確かに貴族達の屋敷が立ち並ぶ道をクオンとシリンが並んで歩いていれば目立つだろう。
後々噂になって、シリンの立場は良いものにはならない。
シェルファナがシリンをお茶に誘った事をしって、目立たないようにとエルグが助言してくれたという事なのだろう。
だが、エルグの性格を考えると、どうも素直に感謝の気持ちを持つ事ができない。

「配慮して頂けるのはとても助かりますが、ひと気がない所は少し危険なのではないでしょうか?」

とりあえず、貴族院の王宮に程近い場所とはいえ、第一王位継承者が警護もつけずに人気のない所を歩くのは危険があるのでは、と言ってみる。
それなりの対処法も学んでいるだろうし、対処できる能力も備えてはいるのだろうとは分かっている。

「君が気にする必要はない」
「ですが…」
「城下町を歩けば転がってそうな、平凡な君とは違うんだよ。なにかあっても自分で対処は出来る」

(うおぉ、毒舌…)

さらっと前触れもなくこぼれるクオンの本音らしきもの。
平凡であることは自覚しているシリンなので、その言葉を聞き流す。

「大体、どうしてクルス兄上もセルドも君の事を大切にするんだ?訳が分からない。弱い人間なんて足手まといなだけだ」

クオンの言葉に口を挟まずにシリンは聞く。
確かに弱いだけの人間が側にいる事は、足枷にしかならないかもしれない。
それでも心の支えにくらいはなるはずだ。
自分に才能がないと分かったシリンは、セルドの為にそうなろうと思っていた。

「せいぜい足枷にならないように、警備厳重な屋敷に閉じこもっていて欲しいものだね」
「とりあえず、私が屋敷の外に出る事はあまりありませんよ」
「そう。それならその調子で籠っててよ。クルス兄上とセルドに迷惑なんてかけないでよね」
「善処します」

シリンの答えが気に入らなかったのか、クオンはぴたりっと足を止めて振り返り、じろっとシリンを睨みつける。

「僕への返答だけは一人前のつもりでいるようだな。何かあった時にその余裕があるのか?君に何が出来る?待っているだけでは何もできないのと一緒だ!」

ざわっと風が吹き、周囲の木々を揺らす。
屋敷も建物の姿も見えなくなっているここには、人の気配が殆どない。
人気がないからクオンも遠慮ない言葉をシリンにぶつける事が出来るのだろう。

「君がい……っ?!」

尚も言い放とうとしたクオンが唐突に言葉を止める。
ぎぃんっと金属音がシリンの耳元に響く。
一瞬びくりっとなったシリンだったが、ばっとすぐに後方へと振り向く。
だが、そこは風がさあっと吹くのみ。

「君は大人しくしてろ!…我が望みしその剣、今ここにあらん!

クオンが呪文を唱えて手に剣を持つ。
ものを転移し引き寄せる法術のようで、剣を呼んだようだ。
クオンが構えると同時に、再び大きな金属音。
相手がいつそこに現れたのかシリンには見えなかった。
衣服も黒、そして顔を覆っている布も黒、どう見ても怪しい人物にしか見えない。

(クオン殿下を狙った襲撃?)

再びシリンのすぐ側に響く金属音。
今度は人影らしきものがちらっと見えたが、すぐに消えてしまう。
金属音はシールドに阻まれた刃物の音。

(シールド?…手鏡の法術!)

クオンに言われて持ってきていたものだが、それが幸いしたというのか。
ということはクオンはこうなる事が分かっていて持ってこいと言ったのか。
いや、持ってくるように言ったのは王妃であるシェルファナ。
彼女はこうなるかもしれない可能性があると分かっていたのだろうか。

「このような場所で共の者もつけずに子供2人だけとは、殿下は随分とご自分の力を過信してらっしゃるようですな」
「そんな事は君らには関係ないだろう」
「いえいえ、都合が良いという点では大いに関係がありますよ、クオン殿下」

ざっと足音も立てずにクオンの前にそろったのは3つの影。
襲撃者はこの3人なのだろう。
いや、3人だとは限らないかもしれない。
気配をとらえる事が出来ないシリンには分からない。

「何にせよ。殿下がこのような人気のない場所にいらしたのは好都合」
「僕にとっても好都合だよ。やっと君らとの付き合いも今日で終われそうだからな」
「随分と自信があるご様子。ですが、我らを殿下のような未熟者が殺せますかな?」
「そんなもの…やってみなければ分からないだろう?!」

だんっとクオンは大地を蹴り、彼らに向かう。
3つの影はばっと三方へと散る。

(これって、クオン殿下の命を狙った襲撃…だよね)

周囲を見る限り、誰かが駆けつけてくる様子は見られない。
それはそうだ。
ここは王宮に程近い、しかし人の気配が殆どない裏道のような場所。
まるで襲ってくれと言わんばかりの状況。
誰かの助けを期待するのは諦めた方がいいだろう。

(陛下に言われたからっていっても、狙われているの分かっててこの道を来たってことは…私は巻き込まれていいってことかい?!)

内心1人突っ込みをしてしまうが、今はそんな場合ではない。
理由は何であれ、シリンは自分の出来る事をするのみだ。

「解放」

銀の指輪はいつもはめたままである。
何かあってからでは遅いということで、念のために常に身に付けていたのだが、まさか本当に”何か”という事態に出くわすことになろうとは。
ぎゅっと扇を握り締めて、シリンは考える。
法術を発動させてクオンの手助けをするにしても、クオンの動きを妨げるわけにはいかない。
流石第一王位継承者というべきか、法術を使いながら剣で彼らの攻撃を防いでいる。

(けど、相手は3人。私が彼らの気配を掴むことは不可能に近い。けれど…)

シリンは手鏡の護りの法術によって守られている。
だが、その護りの法術は永久的なものではない事は、法術陣を見ているので分かっている。

「点在するは3つの影、そこにあるは我が標的なり、認識せよ、その身を追え、影を熱を全てを」

小さくつぶやく法術呪文はシリンの完全オリジナル。
今この時、相手が彼ら3人であるからこその最高の効果を生みだす法術。

「我が願いしは、暁なる炎、静かなる風、闇を渡りしその力」

ばっと扇を広げるシリン。

「クオン殿下、動かないで下さい!」
「は…?!」

強大な法力がシリンを包み込む。
ぱりんっとシリンを護っていた手鏡の法術が、シリンが発動しようとしている法術の法力の強大さを囲いきれなくなり割れてしまう。
ざぁっとシリンから風が吹きぬける。

「闇の炎を纏いし竜、我が示す先を飲み込め!」

ぐぉぉっと真紅の炎が竜の形をとり、その炎は3つとなる。
3つの炎はそれぞれの黒い影に向かう。
ざぁっと風だけが吹き抜けるように、クオンの髪と服を揺らすが、炎はクオンの傍を通り過ぎてもクオンを害す事はない。
迷いなくクオンを襲った影に向かっていく。
だが、彼らとてプロ。
その動きはシリンの目で追う事は出来ない。
シリンが目で追う事ができなくても、炎の竜は彼らを正確に追う。
突然シリンを包み込むように、炎がごぅっと大地から覆い尽くす。

「っぐぁ?!」

黒ずくめの一人が右手を押さえて大地に転がる。
その隙を彼を追っていた炎の竜が逃すはずもなく、炎がそのまま彼を襲い包み込む。
残った2人の黒い影は、シリンが危険人物だと判断したのか一斉に襲ってくる。
だが、それは今倒れた人の二の舞である。
先ほどよりも強い炎がシリンを包み込むように舞いあがる。
炎は勢いを広げて一気に近づいてきた2人を飲み込む。
逃れようとした1人を逃すまいと、彼らを追っていた炎の竜が口を空けて呑み込むかのように包み込む。
どさりっと炎に包まれながら倒れていく2つの影。
その光景を見届けてふぅとシリンは小さく息を吐き、ぱちんっと扇を閉じる。
その瞬間さわっと気持ちのいい風が吹き抜け、先ほどまでその存在を主張していた炎の姿と熱が一瞬にして消える。

(ん、成功)

満足そうにシリンは小さく笑みを浮かべる。
それから、閉じた扇の先でくるんっと円を描く。

「風よ、纏い、拘束せよ」

ひゅぉぉっと風が巻き上がり、倒れている黒ずくめの彼らを包み込んだかと思えば、ぐいっと彼らの身体を引っ張り彼ら3人をひとまとめに風で拘束する。
無理矢理引っ張り尚かつ3人一緒にぎゅっと括ったので「ぐえっ」「ぐほっ」という声が聞こえた気がしたが、彼らが生きている証拠ということで気にしない事にする。

(即席の幻術にしては綺麗に騙されてくれたのがなによりかな)

シリンが使った炎の法術は幻であり、最初の呪文で彼らに見えない”印”のようなものをつけて、それを炎の幻で追わせたのだ。
その場で思いついて組み上げた法術にしては、なかなか出来にシリンは満足している。

「今のは…何だ?」

剣を手にしたままのクオンはどこか呆然としている。
何が起こったのかまだ理解していないかのように、風で拘束された男たちを見る。
クオンにとっては、まさにあっという間だっただろう。
シリンに声をかけられたと思った瞬間に炎が周囲を包み込み、その炎はクオンを襲った男たちを包み込んだ。
だがその炎は一瞬にしてかき消えてしまったのだ、まるで最初からその場に存在しなかったかのように。

「炎の幻術だな。幻を使った法術とは随分と珍しい」

かさりっと小さな足音をたてて、木の蔭から出てくるその声の主。
穏やかな笑みを浮かべるその人がこの場にいる事にシリンは顔を引き攣らせ、「げ…」とこぼれそうになる言葉をなんとか飲み込む。

「父上?!」

ティッシ国王陛下、エルグ・ティッシ。
国王陛下という存在は、そうそう暇などもなく忙しいはずなのだが、どうしてここにいるのか。
にこりっと浮かべたエルグの笑みが、シリンには不気味にしか思えない。

「法術をそれなりに使えるだろうとは思っていたけど、これほどとは思っていなかったよ、シリン殿」

エルグが浮かべている笑みは、それはそれは満足そうなものだ。
普通の父親という存在ならば、息子が襲われた事を心配するか、それを助けてくれただろう者に礼の一言くらいはあるだろう。
だが、エルグは普通の父親ではないのだ。

(まさか…、ハメられた?)

クルス曰く、性格がすごく悪いエルグである。
シリンがそう思ってしまっても仕方がない事だろう。


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