WOT -second- 12
フィリアリナの屋敷でシリンは今セルドと2人でお茶の時間だ。
甲斐は王宮、クルスはセルドとシリンが一緒にいる時に来る事は殆どない。
シリンがクルスが頻繁に来ている事を周囲にあまり知られたくないという事を理解しているからか、甲斐と一緒の時はともかくセルドと一緒にいる時には来ないようにしているようだ。
何故甲斐と一緒の時には気にしないで来るかと言えば、ただ単に甲斐とシリンが2人だけというのが気に入らないのだろう。
「実はね、シリン」
「ん?」
「クオン殿下からシリンに預かりものがあるんだ」
「クオン…殿下から?」
これまた珍しい人からの預かりものだと思う。
セルドとクオンは同じ学院に通っているので顔を合わせる事は多いだろう。
クルスもかつて同じ学院に通っていたので、セルドが学院に通うようになった頃はよくクルスの事も聞いていた。
「正確にはシェルファナ様からの預かりものをクオン殿下が預かってきたという事なんだけど」
「王妃様?何で王妃様が私に?」
「さあ?僕も良く分からないけど…」
そう言いながらすっとセルドが差し出して来たのは1通の手紙。
王家の印がついており、王妃であるシェルファナのサインもある。
クオン経由で来たという事は、間違いなくシェルファナからの手紙だろうが、シリンとシェルファナの間には関係と呼べる関係は何もない。
面識すらないのだ。
(王妃様からの手紙だなんて何だろ?)
内容の見当が全くつかない。
とりあえず手紙を受け取り、あけて中を見る。
ぱらっと広げられたその紙は上質なもので、綺麗な手書きの共通語が並んでいる。
じっと紙面を睨みながら内容に目を通すシリン。
「シリン、何だったんだい?」
セルドの問いかけが今のシリンの耳には届かなかった。
手紙に書かれた内容に思わず、これをなかったことにしてしまいたいくらいである。
どこで何を聞いているのか分からないが、手紙に書かれていた内容はこうだ。
『今度迎えをやるので、一緒にお茶をしましょうね』である。
クルスが気に入ったからだの、エルグが褒めていたからだのと理由らしきものも一応書かれている。
「シリン?」
「え、あ…えっと」
「どうしたんだい?」
「あの、ね、兄様」
「うん?」
「シェルファナ様にお茶のお誘いを受けたみたいなの」
シリンは未だかつてお茶の誘いというのを受けた事がない。
この年齢で他の令嬢からお茶の誘いを受けないというのは珍しいものなのだが、ご令嬢の皆さんは学院で交流して、そして招待されるようになるのだ。
学院に通っていないシリンは他の子供たちと交流もなく、そしてお茶に誘われる機会なども全くない。
ただ、もう少し大人になってくるとまた状況は変わってくるだろう。
「本当かい?」
「う、ん」
「シリン?嬉しくないのかい?」
シリンはそれをすぐに否定出来なかった。
(だって、エルグ陛下の奥さんからの誘いなんて、シェルファナ様が100パーセント好意で誘ってくれた事だとしても何か裏があるかもしれないって思えちゃうんだよね)
エルグがあの性格だ。
世間の噂では、シェルファナはとてもおっとりとした優しい方だと聞いてはいるが、あの一癖も二癖もあるエルグの妻になった人なのでただ優しいだけのおっとりさんではないだろう。
だが、招待主が王妃様である以上断るという選択はない。
「ちょっと驚いただけ。でも、兄様、私、お茶会に行ったことないけど何か持っていくものとかあるのかな?服装は普通のでいいのかな?」
「そうだね。僕も女の子同士のお茶会とかは知らないけど、服装は普通のものでいいんじゃないかな?あと、お菓子でも持っていくといいよ」
「うん、用意してもらう。本当は自分で作って持っていければいいんだろうけど…」
「作る?シリンが?」
「うん。変、かな?人に全部用意してもらうより手作りの方が”ご招待ありがとうございます”って気持ちが伝わると思うんだけど」
セルドは驚いた表情のままシリンをまじまじと見る。
シリンは料理をしたことがない。
だが、やろうと思えば最初は失敗するだろうが出来ない事はないだろうと思っている。
一応”香苗”の時は学校で調理実習もあり、簡単なものならば作る事が出来ていた。
家事手伝いをしていたわけではないので、できると明言はできないが、できないと言い切るほど自分が不器用だとは思っていない。
「普通は手作りなんて持っていかないんだろうけど…、そうだね。シリンのその考え方はとても素敵だよ」
「私、簡単な料理はできるようになりたいって思ってるの」
「料理を?」
「お菓子作れるようになったら、兄様に味見お願いしていいかな?」
「勿論、いいよ」
簡単でもいいので、この時代の調理器具で料理を作れるようになる、それはシリンの目標の1つである。
今はもっぱら法術関係に時間を取られてしまっているが、料理をできるようになりたい事や、城下町に出て自由に見て回りたいと思っている事を諦めているわけではない。
「そのお茶会はいつなんだい?」
「えっと…」
シリンはもう一度手紙の内容を見返す。
「10日後だって。迎えが来てくれるみたいだから、ここで待っていればいいと思う」
「場所はやっぱり王宮?」
「かな?そう言えば、私、王宮には行ったことないや」
「僕は2回くらい行ったことがあるかな?」
大きくそびえ立つ王宮の中に、シリンは入った事がない。
特に王宮に行く用事もなければ、呼びだされる事もないので行ったことがないのは仕方ないだろう。
「兄様は王妃様には会ったことある?」
「エルグ陛下と並んで歩いていらっしゃる所を見た事はあるけどね」
エルグの名がでて、シリンは招待を受けたお茶会に他に誰が参加するのかが気になり出す。
大袈裟なお茶会ではないだろうと思いたいが、エルグが同席するのとかはやめて欲しいと思う。
どうしても、あの人は苦手なのだ。
本来ならばなるべく早く会って、誕生日に頂いた手鏡のお礼を言うべきなのだろうが、その手鏡すらも何かの企みの1つのようで不気味で仕方ない。
「とても優しそうで穏やかそうな人に見えたよ」
「優しそうで穏やかそう…」
「軍の医療部をまとめていらっしゃるって聞いた事があるから、治療系法術がとても得意のようだよ」
「軍?」
「ティッシの為に出来る事を小さなことでもされたいというシェルファナ様の希望で、医療部に所属していらっしゃるようなんだ」
シリンも聞いた事があるシェルファナの噂は少ない。
この国では珍しい銀色のに見える白金の髪をしていること、とてもお優しいお方であるということくらいか。
「治療系法術、あるんだ」
「高位の法術になるけれどね。学院を出た者でも使いこなせるものは少ないかな」
治療系の法術がティッシに存在する事をシリンは知らなかった。
だが、そういう法術を作り出す事が出来るのは知っている。
使いこなす事が難しいというのは、法力のコントロールが難しい法術しか存在しないという事なのだろうか。
(あ、でも、考えてみれば治療系ってひとくくりにしても、病気と解毒と怪我とか、その時と場合で使う法術は全然違うものになるから、かなり細かく覚える必要があるのかも)
シリンならば基礎を組み上げて応用もできる。
だが他の者はそれが出来ない。
怪我の場合はこれ、その中でも骨を折った場合はこれ、擦り傷はこれ、毒を含んだ傷の場合はこれ、と様々なパターンの法術を頭の中に叩き込まなければならないだろう。
時と場合に応じてそれを使いこなすとなると、確かに難しい。
「そう言えば、兄様はクオン殿下とは親しいの?」
手紙を預かってくるという事は、会う事が多いという事なのか。
「クルス殿下が軍を退役されて政務官の勉強をされているようで、クオン殿下は少し寂しいようなんだ」
「だから、兄様とクオン殿下は一緒にいる事が多いってこと?」
「クオン殿下はクルス殿下を実の兄のように慕っていらっしゃるからね。その”兄”が急に忙しくなって一緒にいる時間が減ってしまったから」
1年前まで軍の副将軍として籍があったクルスは、今は軍から身を引いて政務官の勉強をしていることはシリンも知っている。
本人曰く、身体を動かすよりも頭を使った方が向いているとの事。
そう言われると確かに、とシリンは思ってしまった。
(けど、忙しいって言っても、クルス殿下は私にはよく会いに来るんだけどな)
それこそ政務官の勉強をする前と変わらないペースで会いに来ている。
シリンに会う時間は減らさずにクオンと会う時間を減らして、勉強をしているのだろうか。
「シリン、パーティーの時のクオン殿下は決して悪気があったわけじゃないんだよ」
「へ?…あ、うん。別に気にしてないよ」
突然何を言うかと思えば、セルドは気にしていたのだろうか。
無力で何もしないシリンを、どこか責めていたかのようなクオンの態度。
シリンは本当に何も気にしていないし、実際自分は何も行動を起こしていなかったのだから何を言い返す事も出来なかったのだ。
「クオン殿下が兄様の事をとっても好きなんだってことは分かったから」
セルドの存在が大切だから、その弱点となりうるだろうシリンをあまり良く思えない。
にこっと笑みを浮かべるシリン。
「えっとね、シリン。すごく言いにくい事なんだけど…」
「兄様?」
どこか困ったような言い方をするセルド。
セルドがこんな言い方をするのは初めてだ。
「クオン殿下、普段に比べるとパーティーではあれで随分大人しいほうだったんだよ」
「いつもはもっとにぎやかな子ってこと?」
「賑やかというか…、かなり真っ正直な性格というかね」
「真っ正直?」
「パーティーでのシリンへの物言い、普段のクオン殿下からすると随分と抑えた言い方だったんだよ」
「…それって、パーティー以外の場でクオン殿下に会ったら、もっとボロクソに言われる可能性があるってこと?」
セルドは大きなため息をつく。
それが肯定しているという事になるのだろう。
シリンはう〜んと天井を見上げる。
「シリンとクオン殿下が会う機会なんてないから、別に言う必要もないだろうって思っていたんだけどね、シェルファナ様のお茶会の誘いを受けたならば、クオン殿下に会う事もあるだろうと思って、言っておいた方がいいかなと思ったんだ」
セルドがそんな事を言うとという事は、普段シリンに対しての評価がかなり厳しいものという事だろうか。
だが、セルドは決してクオンを嫌っているわけではない。
ならば、それは世間から見て比較的正しい評価という事なのか。
「別にクオン殿下が普段シリンの事をどうとか言っているわけじゃないんだよ。クオン殿下はご自分にも人へも評価が大変厳しくてとても正直だから」
「実力がない人には目もくれないって事?だから、何の力もない私なんてチリくらいにしか思ってなくて扱いが酷くなるかもって?」
「シリン…」
セルドはストレートすぎるシリンの言葉に少し顔を引き攣らせる。
シリンを思いやって言葉を選んでくれるのは嬉しいが、はっきり言われてもシリンは全然気にしない。
「違うの?」
きょとんっとしながら首をこくりっと傾けるシリンに、セルドは再び大きなため息をつく。
「妹に嫌な思いをさせたくないって思った僕の気遣い、台無しにしないで欲しかったんだけどなぁ」
「ごめんね、兄様」
「反省してるように見えないよ、シリン」
「うん、だって反省してないし」
「シリン…」
にこっと悪びれもせずに笑顔を浮かべるシリン。
周囲の自分への評価は分かっているつもりだ。
何を言われても気にしないとは言い切れないが、思いつめるほどに気にしているわけでもない。
「だって、兄様が私に気を遣う必要なんてないんだよ?」
セルドがシリンにストレートにクオンの事を言ったとしても、それはセルドのせいでも何でもない事をシリンは分かっている。
だから、セルドがシリンに気を遣う必要なんてない。
セルドがシリンの事を大切だと想っている気持ちを、シリンはちゃんと分かっているから。
嫌いにもならないし、迷惑だなんて思わないし、憎むなんてもってのほか。
この兄に負担がかからないのが、シリンにとっては何よりなのである。
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