― 朧月 12




幻影旅団から逃げた翌日、は大人しく『朧月』で本の整理をしていた。
どうせなら『暁の夕焼け』をもって逃げればよかったと後悔したのは、ミスティに簡単に事情を話した後である。

「マスター。旅団は飽きれば盗ったものは売り飛ばすようですから、また手に入れる機会もありますよ」
「そ、そうだよね…。気長に待ってみる」

はふぅっとため息をつく。
ミスティが何かにふっと気づいた様に、『朧月』店内の入り口の方に目を向ける。

「お客様のようですよ、マスター」
「え?あ、本当だ」

言われて気配に気づく。
は本当に気を張っていないと、気配に自然に気づかない。
戦闘態勢に入れば、このくらいの気配は気づくのだが普段は本当に鈍い。
何よりも、この『朧月』に来るお客さんは結構少ない。
本が好きな人が来ることが多いので、やっぱりお客さんが来る時は嬉しいのだ

「いらっしゃいま……」
「おはよう、

にこりっと笑みを浮かべて『朧月』の入り口に立っているのは、昨夜遭遇したばかりのクロロ。
流石に昼間なので団長バージョンではなく、いつもと会っている時の姿だ。

「…え?く、クロロさん?」

意外な客に少し驚く
しかし、はっと昨日のことを思い出し少し警戒する。
の表情がほんの少し硬くなる。

「別に何かしようと思ってきたわけじゃないよ」
「じゃあ、何の御用ですか?」
「店内、入ってもいい?」

くすくす笑いながら、『朧月』の中を指す。

「あ、はい。構わないですけど…、私の趣味で置いてある本しかありませんよ?」
「分かってる。がどんな本を読んでいるのか興味があるだけだから」

ゆっくりと店内に入って本を見回すクロロ。
一体何をしに来たのだろう。
目的がさっぱり分からない。

「神話か創作小説ばかりだね」
「私が好きな本しか置いてないので。別に希少価値があるの本なんてありませんよ?」

クロロが口元に笑みを浮かべてを見る。

、いつから気づいていた?」

ぐっと顔を近づけてきたので、思わず一歩下がる
クロロが言いたいのは、クロロが幻影旅団の団長である事を気づいていた事だろう。
どう答えるべきかは迷う。
初対面ではさっぱり分からなかったが、幻影旅団の団長の名前がクロロであることは”知って”はいた。

「その様子だと、昨日気づいたわけでもなさそうだな。かなり前からか?」
「あ、え、えっと…」

どういうべきかは頭の中でぐるぐる考える。
なんとなく、その問いに答えにくく逃げたいからら、クロロから離れる為に2歩ほど後退するが、進んだ方向が悪かったのだろう。
とんっと本棚に背中が当たってしまう。

「多分2回目の対面の時くらいだと思われますよ」

答えたのはではなく、店の奥からこちらに来たミスティだ。
クロロににこりっと笑みを浮かべる。

「誰だ?」
「はじめまして、ルシルフルさん。わたくしの名はミスティ。貴方ほどの実力者ならばわたくしが”何”であるか分かるかと思いますが?」

クロロはミスティを見てどこか納得した表情になる。
ミスティは念でできているため、他の人間とは違う。
念を覚えて間もない人ならば、ただの念能力者であると勘違いするかもしれないが、実力がある人ならば分かるだろう。

「誰の能力だ?」
「わたくしがここにいることで分かるでしょう?わたくしのマスターは様です」
のか…」

クロロの視線がに移る。

「で、でも!正確には私というか、違うというか…!」
「何を言うんですか、マスター!マスターはいつも自分の能力を過小評価しすぎです!A級首の盗賊なんてひょひょいのひょいです!」
「いや、だからそれはミスティの過大評価だってば!いくらなんでも…」

そこで言葉を止める
の目の前にはそのA級首の盗賊団の団長がいたりする。
本人の目の前でそんな事言わないでほしいものだとは思うが、クロロは面白そうな表情になり、の顔のすぐ横の本棚にとんっと手をつく。

「ひょひょいのひょいね。やってみるか、?」

何をやるんですかー?!
何をっ!!

はぶんぶんっと首を一生懸命横に振る。
クロロは完全に面白がっているようにしか見えない。

「けれど昨日の念を見る限り、相当の使い手であることは確かだな」
「相当なんてとんでもないです!3年程度での付け焼刃能力ですっ!」

3年間の修行はかなりスパルタだった。
ド素人のがここまで成長するほどに。
ミスティの教え方は物凄く上手で、受け入れるに合った方法だったのだろう。
ただ、最近は朧月の記憶がプラスされているのでそれが能力アップに一役買っている。

「3年?」
「3年前のマスターは一般人でしたからね」
「今でも一般人のつもりですっ!」

クロロはを見る。

か、顔が近いです。
もうちょっと離れてほしい…。

「そんな事はどうでもいいですけれど、貴方はマスターに何の用ですか?」

の言葉をさらっと流して、ミスティはすぅっと目を細めてクロロを見る。
ぴりっとした空気が肌に伝わる。
どんな空気でも何でも構わないが、この体勢はなんとかしてほしいとは思う。
クロロが近すぎる。

が欲しくなった、と言ったらどうする?」
「そうですね。とりあえず、”マスターはモノではありません”とお答えするでしょうね」

にっこりと笑みを浮かべるミスティ。
マスターである第一主義のミスティならば、やはり返事はそうなるだろう。

「く、クロロさん?」

何がどうなってそんな話になるのだろうか。
自分は平凡一般人であり、多少念は使えるがそれはそこそこ程度…だと本人は思っている…だと思うのだ。
笑みを浮かべているミスティは目が全然笑っていない。

「モノと考えているなら、こんな回りくどい事はしないでさっさと盗ってるさ」
「それは、マスターを一個人と考えていると思っていいのでしょうか」
「そう見えないか?」
「いえ、見えなくもありません」

あっさりと肯定するような返事するミスティ。

「わたくしは、貴方がそう考えていも全く構いませんが…。マスターを悲しませたら容赦はしません」
「覚えておこう」
「マスターと”お話”をしたいようでしたら奥でお茶でもいれますから、店内を気が済むまで見られましたら奥に来てくださいね」

では、とミスティは奥の方に行ってしまう。
取り残されては内心慌てる。
この状況でどうしろというのだろう。

「意思のある念か…。珍しいな、あそこまで独立した意識を持っているものは」
「みたいですね。色々お世話になっちゃっています」

ミスティがいなければ、はこの世界で早々にくたばっていたかもしれない。
体術を教わり、念を教わり、今のがある。
たった3年でここまでできるようになったのは、ミスティのおかげである。

「あの、それよりクロロさん。この体勢を何とかして欲しいのですが…」

の頭のすぐ横に片手をついている状態。
クロロはの言葉に少し考えた後、もう片方の手もの頭のすぐ側に置き、の頭を挟むように手を本棚につける。


「は、はい?!」

クロロは動揺しているの様子にくすくす笑う。

が欲しい」
「……はい?」

きょとんっとする
突然何を言うのだろう。
幻影旅団の団長たるものならば、欲しいものがあるならば奪ってでも盗っているはずだ。
だからと言って欲しいなら盗ればいいんじゃない?とは言えない。
きょとっとしているに、クロロが顔を近づけてくる。
の顔に影がかかる。

わ、クロロさんのドアップ…。

そう思った瞬間、唇に暖かいものが触れる。
は一瞬何が起こったのか分からなかった。
何が起きたのか理解したのは、クロロの顔が見える位置に離れた頃。

「こういう意味でが欲しい」

状況を理解したの顔は赤くなっていく。

「〜〜っ!!」

余裕そうな笑みを浮かべているクロロに、は拳で顔めがけて殴りつけるが、ぱしんっと止められてしまう。
念も使わず感情のままのの攻撃など、クロロにとって防ぐことは簡単だろう。

「怒りを向けられても、恐れられても、オレは止まるものじゃないからな。恐怖で縛り付けることだけはしたくない。だから、逃げるなよ、

止められた拳を作っていた方の腕をつかまれてしまう。
ぐっと動かそうとするが、念を使っているのか念なしのの力では動かない。
念を使えば振り払えるくらいはできるのだが、なんとなくそれをしたくなかった。
手を振り払う事は逃げるような気がしたからだ。

「逃げません!ぜぇぇったいに、逃げません!」

喧嘩を買うような雰囲気になり、とてもじゃないが甘いものは感じられない。
クロロはくすくすっと笑う。

「当分は気長に口説くさ」
「受けてたちます!」

何かが違うの答えだが、クロロはその返答に大層満足したらしく、声を上げて笑っていた。
やっぱり何かが違うのかもしれない。
甘いものが全くない。

「今日はお茶を頂いてから帰るとするよ」
「ええ、どうぞ。お茶もお茶菓子も大奮発しちゃいますよ」
「いい加減、その丁寧な口調とさん付けはやめて欲しいんだけどな」
「癖なので気にしないで下さい」

癖もなにもないのだが、今のに何を言っても無駄だ。
かなり感情的になっている。

だって、だって、いくらなんでもいきなりあんなことする?!
でも、実は嫌じゃなかったなんて、絶対にぜぇぇったいに言えない!