― 朧月 11




ドゥール氏は良くない噂が飛び交っている人だ。
念能力者を警護としてやとうくらいだから、多くの人に恨まれているのだろう。
恨まれているということは、それ相応のことをしたわけで、その戦利品がかなりの価値あるものであることは間違いないはずだ。
それを盗賊が狙ってもおかしくない。
そう、おかしくはないのだ。

でも、なんでよりによって今日なのー?!

冷や汗だらだらで、ドゥール氏の屋敷がある土地の門のすぐそばにいるの前には、顔は見えないが恐らく幻影旅団の団長バージョンの格好をしたクロロと、団員の1人であるシャルナークがいる。

「団長の知り合い?」
「ああ、少し前までリーディスで一緒だった」
「へぇ〜」

のんびり余裕があるように見える2人が会話をしている隙に、はだっと駆け出した。
逃げるが勝ちである。
念を使わずに逃げ切れるかは賭けのようなものだが、やってみなくては分からない。

、どうして逃げる?」

だが、駆け出したに気づいたクロロが、前方を塞ぐようにの頭上を飛び越えて移動してきた。

「A級首の盗賊に会ったら、逃げるのなんて当たり前じゃないですか!」
「それって、オレ達のこと知っているってことだよね」

後方からの声にはぴたりっと動きを止める。

し、しまったー!
幻影旅団の顔なんて広まってるわけないんだから、顔見ただけで分かるわけないじゃん!

前方はクロロ、後方はシャルナーク。
念を使えば逃げれない事はないが、念を使わなければ逃げる事はできないだろう。

流石に念を使わないで逃げれる自信はないよ。
でも、念を使えることはあまり知られたくないし、かといって念を使わないで逃げないと逃げ切れるかどうか分からないし。
最悪の場合は殺されそうだし。
究極の選択ってこういうことかなぁ…。

はぐるぐると考え事をしていたが、ひょいっと自分の体が浮いたのに気づく。

「へ…?」

考え事で自分の世界に入り込んでしまったは、クロロがすぐ側まで来た事にさっぱり気がつかなかった。
何かに夢中になっていたり、気が緩んだりしていると周囲に気を配るのをさっぱり忘れてしまうのはの癖みたいなものである。
気がつけば、クロロに担ぎ上げられていた。
抱き上げられるのならばともかく、米俵よろしく担がれているのだ。

「って、何で担いでいるんですかー?!」
ごと『暁の夕焼け』を持っていけば問題ないだろう」
「団長がそれでいいなら、オレはいいけど?」
「全然良くないですー!」

って、まてよ?
確かクロロさんは、私の家の場所をなんとなく知っているはず。
もしや、逃げても意味なし?!

ちらっとクロロの顔を見ようとするが、担がれている状態では顔も見えない。
この状態はちょっと嫌だ。
を担ぎ上げて、クロロは身軽に移動する。
移動時の振動はあまり良い気分ではない。

再び思考の中に自分の意識をもぐりこませてしまう
現在の状況などなんのその。
ぐるぐる考え出して、結局我に返った頃には逃げるのは手遅れになるのだった。



たどり着いた場所は廃墟ともいっていい場所。
ドゥール氏の屋敷からどれだけ離れているのか分からないが、の知らない場所だ。
そこにちょこんっと座らされているは、数人の団員らしき人達に囲まれていた。
幻影旅団は全員集まる事が珍しい為、今も全員揃っているわけではないのだろう。
は幻影旅団を”知って”はいるが、実物を見て誰が誰だとわかるほど詳しいわけではない。

ここで逃げようとしたら、絶対に何か仕掛けられるよね。

盗品を囲んで楽しそうに談話している旅団の方々を見る。
何気なく楽しんでいるように見えるが、が少しでも動けば分かってしまうだろう。

、何を考えている?」

クロロに視線を向けられてぎくりっとなる。
逃げる気満々のなので、団長バージョンのクロロの視線を真っ直ぐ受け止められるほど、嘘が上手ではない。
何を言うべきか視線を彷徨わせるだが、クロロが近づいてくるのでぎょっとした。

「あ…の…、家に帰りたいいんです、けど?」

一応希望を述べてみるが、多分無駄だろう。

「そうか、帰りたいか」
「同居人も心配していますし…、解放してもらえたら嬉しいな〜とか思ったり」
「そうだな、どうするか」

ちょっと希望を持ってクロロを見てみる。
『暁の夕焼け』を持ったまま無事に開放してくるなんて考えるのは、やはり都合が良すぎるかもしれない。

、『暁の夕焼け』は?」
「え?あ……、えっと、それを渡したら開放してくれますか?」
「考えてもいい」

肯定はもらえなかったが、は小さな希望を胸に抱いてポーチから『暁の夕焼け』を取り出す。
さらば1000万ジェニー、と心の中で思いながらそれをクロロに差し出す。
クロロはそれを受け取ると、中身を確認せずにシャルナークに向かって投げた。

ええ?!そんな扱い?!
酷い!私が大金はたいて手に入れたものだったのに!

はじっと『暁の夕焼け』がシャルナークの手の中にわたるのを見ていたが、諦めたかのように大きなため息をつく。
面倒ごとを避ける為だから、仕方がない。


「うわぁ、はい!」

予想以上に近くで聞こえたクロロに声に、飛び上がりそうなほど驚く。
クロロの気配を感じ取ろうと思えばできただろうに、完全に『暁の夕焼け』の方に意識が集中していたようだ。
の悪い癖である。

ち、近いです、クロロさん…。

ぴったりと隣にくっついているかのように座っているクロロ。
もうちょっと離れたところに座って欲しいとは思う。

「何故、『暁の夕焼け』を持っていた?」
「あ、えっと…、ドゥール氏と交渉しまして、そして今日買い取りに来たんです」
「交渉?よく交渉なんてできたものだな」
「実際交渉したのは私じゃな…」

ぞくりっ

背筋に言いも知れぬ悪寒が走り、は言葉を止める。
殺気とかではなく、顔が盛大に引きつりそうな視線を感じたのだ。
ものすごく嫌な、関わり合いたくない様な気がしてくる。

「そのコ、クロロの知り合いなんだね♦」

その言葉に、反射的にぞわぞわっとしてしまう。
団員の集まりから抜け出してきて、とクロロの前に立っていたのは、ピエロの格好という独特のセンスを持った青年。
これだけの独特の雰囲気とセンスならば、これが誰かくらいはでも分かる。
にこりっと笑みを浮かべているのだろうが、それが怖い。

う、なんか嫌だ…。
こう、生理的に受け付けないタイプ。

無意識なのだろうが、は隣のクロロの服の袖をつかむ。
目の前のピエロ姿の青年、ヒソカの事が初対面ながら絶対に近づきたくないタイプだと感じてしまったからだろう。

「君は美味しいのかな♦」
「ぜ、全然美味しくないです!自信を持ってそう断言できます!!私なんかより、こちらの旬なクロロさんの方がお勧めですっ!!」

首を横にぶんぶんっと振って、全力で答える
クロロが何か言いたそうな視線を向けてきたが、気にしない。

ヒソカは嫌だ。
絶対に嫌だ。
クロロさんよりも関わりたくない人だ。
世界中で一番関わりたくない人だって言える!!
だって、近づかれるだけでもなんか駄目なんだってば!
帰りたい、ものすごく帰りたい!

「く、クロロ…さん。私、帰りたいです。ものすごく、切実に」

クロロの袖をぎゅっと掴んでお願いする。
ヒソカの視線が耐え難い。

「そうだな…」

クロロはヒソカを見る。

「ヒソカ、を捕まえてみろ」
「え?」

その言葉にきょとんっとしたのはだ。
捕まえるって何…?って感じだ。

、日が昇るまでヒソカから逃げ切ったら見逃してやろう」
「え?ええ?!」
「それは何でもアリかい♣」
「生かして捕らえるならばな」
「殺っちゃダメってことだね♦」
「ちょ、ちょっと待って下さいー!」
「了解♥」

ヒソカの視線がの方を向いた瞬間、はばっとクロロから離れてヒソカから距離を取る。
自分は了承した覚えはないのだが、ヒソカに捕まるのだけは勘弁だ。

「いい反応だね♥」

向けられた視線とその言葉にぞわぞわっと嫌なものが這い上がってくる。

この視線が物凄く嫌だ。
もう、泣きそう…!

「く、クロロさんの……!」

最初から念を使って逃げていれば良かったと今は思う。
躊躇って迷っている間にクロロに浚われて今に至る。
だが、目の前の変態ピエロから逃げる為にはやはり念を使うしかないだろう。

「クロロさんの馬鹿ー!童顔ー!!」

は決してヒソカが怖いわけではない。
いや、ある意味怖いのだが、恐怖を抱いているというよりも物凄く嫌なだけだ。
念を使うと決めたい以上は先手必勝。
長引けば長引くほど、の精神が耐えられないだろう。

「渡りの杖(クロス・パス)!」

は纏をしてすぐに念を発動させる。
具現化したのは「空間を創る賢者の杖」と同じ形状の銀色の杖。
ぱっと見では見分けは全くつかないだろう。
だが、「渡りの杖」の方には何かの文字が描かれている。

はくるくるっと渡りの杖をまわして空間を歪める。
これは空間転移の念だ。
杖で転移する範囲の空間を描いて、そこからそのまま転移する。
広範囲も可能だが、それにはそれ相応の念が必要となる為今のにはきっと無理だ。
転移先は能力者であるが指定できる。
渡りの杖で開いた空間に、はさっともぐりこみ、そこを後にした。



何もせずにあっさりに逃げられてしまった。

「驚いた♣あのコ、念が使えたんだね♥」

ヒソカにしては珍しく驚いた表情をしていた。
はいつでもどんな時でも、オーラ垂れ流しの一般人を装っている。
表情も顔にでやすいし、そんなに強そうには見えない。

「すごく美味しそうだ♥」
「手を出すなよ」

そう言ったクロロの表情はものすごく楽しげだった。
本当には意外性の塊だと思っているのだろう。

人間、逃げられると無性に追いかけたくなるものである。
が逃げたのは反対に興味をそそられる結果となるだろうことに、きっと本人はさっぱり気づいていないだろう。




  


― 渡りの杖 クロス・パス
具現化された銀色の杖。
描いた空間の範囲を、能力者の指定する場所に移動できる。
範囲、場所は、能力者の念の保有量とコントロール次第でどうにでもなる。
但し、行ったことのある場所しか無理であり、基本的に自分の目の届く範囲ごとの移動しか無理である。