WOT -second- 49



クルスは1人で、近くに誰も寄せ付けずにダンスパーティーを見ているように見えた。
雰囲気的に誰も近づくなオーラを出しているような気がする。
離れた所からちらちらとクルスを気にしている視線を向ける人たちは多くいるようだが、クルスはその視線を全部すっぱり無視しているようだ。
シリンがクルスへと近づけば、シリンが声をかける前にクルスの方が気付いた。

「シリン姫?」
「こんばんは」

にこっと笑みを浮かべるシリンとは対象的なのだろうか、クルスは少し驚いた表情を浮かべている。

「どうしたんだい?」
「ん、最初はミシェル嬢達に誘われて来たんだけど、彼女達のダンスのお相手ができちゃったもんで、さっきまでクオン殿下にちょっと学院内を案内してもらってた」

簡単にここにいる状況を説明する。
クルスが驚いたのは、学院にまさかシリンが来るとは思わなかったからだろう。
ミシェルに半ば強引に連れてこられなければ、シリンもここには来なかったと思う。

「クオンに?」
「クオン殿下がクルス殿下を見つけて、私だけこっちに来たんだけど、クルス殿下は時間は平気?忙しくない?」
「私は大丈夫だよ、今回の準備に関わっていたわけでもないしね」

シリンはゆっくりとクルスの隣に立つように移動する。
こちらにちくちくと向けられる視線が気になるが、気にならないふりをしておこう。

「ミシェル嬢のお相手というのはもしかしてセルドかい?」
「うん」
「よく、セルドが引き受けたね」
「無理やり引き受けてもらっちゃったんだけどね」

ダンスをしている広間を見れば、ミシェルとセルドらしきペアがちらりっと見えた。
踊っているペアは皆ダンスが上手だ。
それはそうだろう。
貴族のたしなみとしてダンスは幼い頃から覚えさせられる。
シリンもまた、礼儀作法の一つで学んではある。
最も、それは最低限で、活かす場もないのでどれだけ踊れるかシリン自身さっぱり分からない。

「シリン姫はダンスは踊れるかい?」
「は?え、まぁ、一応たしなみ程度には。けど、練習をしただけで実際本当に誰かと踊った事なんてないから上手いかどうかは分からないよ?」
「けれど、ひと通りは踊れる?」
「うん、一応ね、一応」

一応である事に念を押しておく。
シリンの念押しにクルスはくすりっと笑いながらも、シリンに対して小さな礼の形をとる。
すっと手を差し出すその姿はとても綺麗なもので、一瞬見惚れてしまうほどだ。

「シリン姫、私と踊っていただけますか?」
「は、え?」

にこりっと笑みを浮かべたクルスからそんな言葉が出るとは思わなかったシリンは、すぐには返事ができなかった。
差し出されたクルスの手をじっと見てしまう。
何やらこの状況に視線が集まっているような気がする。
ここで断れば、その視線がかなりキツイものへと変わるに違いない。

(分かってはいたけど、クルス殿下ってモテるんだろうね)

そこに男の視線がまじっていないという事は、たらし込み具合は翔太よりも問答無用ではないのだろうと、結構酷い事を思っていたりするシリン。

「私、あまり上手じゃないよ?」
「そんな事は気にしてないよ。私は、シリン姫と踊りたいから誘っているんだよ」

何故かシリンは無性に照れる。
嬉しいには嬉しいのだが照れの方が大きい。
クルスにあそこまで言われてその手を取らないわけにはいかないので、そっと差し出された手を取る。

「足踏んだらごめん、って先に言っておく」
「少しくらい平気だよ」

くすくすっと笑うクルスだが、シリンが足を踏むだろう事は否定しない。
そのあたりはエルグに似ていると言えるかもしれない。
自分のダンスが上手いとは思っていないので、そういう反応をされてもシリンは気にしないので別に構わないのだが。

(うあ、なんか、ものすごく緊張するんだけど…)

ダンスなど初めてな上に、相手がクルスなので嫌でも視線は集中している。
周りで踊っている人たちはいるが、意識はシリンとクルスの方に向いている人が多いだろう。
クルスの腕がシリンの腰に回され、もう片方の手はシリンの手を取る。
さんざんしがみつくように抱きつかれたりした事はあるのだが、こういう密着の仕方は初めてだ。

「緊張してるシリン姫は貴重だね」
「貴重って…、緊張くらい私もするよ」
「でも、あまり緊張しているシリン姫を見た事がないからね。いつも余裕があるように見えるよ」
「そうかな?」

少なくとも精神年齢はクルスより高いつもりだ。
緊張していないのではなく、緊張している感情を隠すのが中身の年齢を重ねている分上手いだけだ。
何しろ、エルグやシェルファナと話をしている時などは、緊張しっぱなしだ。
なるべくそれを表に出さないようにしているが、2人には気づかれてしまっているだろう。

「私はクルス殿下の方こそ余裕があるように見えるよ?本当に余裕があるかどうかは分からないけど、慌てるの見た事ないしね」

エルグもそうなのだが、クルスも感情を隠すのは上手い。
王族という特殊な身分に生まれたからなのだろう。
シリンの今の年齢より下のクオンは、王族生まれだがまだまだ感情を隠し切れていない。

「私が感情を隠してしまうのは本当に無意識らしいよ。自覚はないのだけれども、すごく慌てている時と怒っている時は怖いくらい無表情になるらしいね」
「らしいって…」
「自覚ないから分からないんだ」

にっこり笑みを浮かべるクルスだが、その表情を見る限り怖いくらいの無表情はシリンには想像がつかない。
シリンがクルスの完全無表情を見た事がないのは当然だろう。
今までクルスがそんな表情をしたのは2回きり。
どちらもシリンが浚われた時だ。
シリンがその場にいれば、クルスがそんな表情をする事もないはずだ。

(にしても、ちくちく刺さる視線がちょっと気になるな…)

クルスと会話をしながらも、シリンに対しては好奇心満載の視線と、嫉妬の視線が突き刺さる。

「気になる?」
「ん?」
「周りの視線」

シリンが周囲の視線を気にしていたのが分かったのだろう、クルスが聞いてくる。
気になると言えば気になるが、シリンは明日以降はこの学院に通うわけでもなし、今後学院に通う予定もなければ、今こうして視線を向けている相手に関わる機会もほとんどないだろう。
彼女らがシリンに対して何かしら被害を与えるような行動などできるはずもない。

「平気だよ」
「そう?」

クルスがすっとシリンに顔を近づけてくる。
何をする気だろうと大人しくしていたシリンの頬に、クルスの唇が一瞬だけだが触れる。
その瞬間、一部ではチクチクしただけだった視線が殺気に変わった気がした。

「く、く、クルス殿下…!」
「嫌だったかい?」

悲しそうにそう言われると、嫌だったとは間違っても言えないシリンである。
頬や額に口づける事は、ティッシの貴族間では挨拶のようなものだ。
それは分かっているのだが、身内以外の異性にそう言う事をされた事が殆どないシリンだ、思わず頬が赤くなってしまうのは仕方ないだろう。

「ねぇ、シリン姫」
「うん?」
「婚約者は作っちゃ駄目だよ?」
「……はい?」

何故突然婚約者の話題になるのだろうか。
勿論今のところ、シリンの所にはその手の話は舞い込んで来ていない。
予定も何もさっぱりない。

「兄上がどんなにフィリアリナ家にとって、ティッシにとっての良縁を持ってきても、絶対に断ってね」
「とりあえず、見ず知らずの人と婚約する気は全くないよ?」

政略結婚の可能性があるとしても、できれば相手の事を知ってからの方がシリンとしては望ましい。
例えエルグが持ってきた縁談話であっても、相手の周囲からの評判がどれだけ良くても、一生を左右する様な事を気軽に決めるつもりはない。
今のこの世界で貴族の離婚というのは殆どなく、一度結婚すればその相手が生涯の相手となる。

「相手が知っている人でも駄目だよ」
「少し知ってるだけでも、ちゃんと解り合わない限り婚約なんて出来ないよ」

そもそも婚約話はまだ年齢的に早いとシリンは思うのだ。
すでにシリンより年下で婚約者がいる子もいるのだが、シリンからすれば早い。

「相手がカイでも駄目だからね」

具体的な相手の名前が出てきて、シリンは少し驚く。
自分の心の中を見透かされた感じがして、一瞬ぎくりっとなったが、クルスの前で甲斐が好きだというそぶりは一度も見せた事がないし、行動に現れるほど無意識に甲斐を視線で追っているわけではないと思いたい。

「婚約自体が駄目?」
「駄目」

ぎゅっとクルスはシリンの手を強く握る。
握りってきた手が少しだけ震えているのにシリンは気づいた。
クルスは笑みを浮かべたままだが、瞳を寂しそうに揺らしている。
シリンは甲斐の事が好きだ。
婚約や結婚などを考えているわけではないが、想う気持ちがどんなものかは自由だろう。
もし、シリンが甲斐の事をもっともっと好きになって、婚約や結婚の事まで考えるようになっても、シリンはクルスの手を振り払う事が出来ない気がするのだ。

(初めて会った時とかもそうだったんだけど…ね)

最初は甲斐に酷い事をした人ということで、怒りが一番大きかった。
その怒りがいつの間にか収まってしまったのは、クルスの寂しい目が原因だろう。
どうしても手を振り払う事が出来ないのだ。

「そうだね…」

クルスの表情や震える手には気づかないふりをして、シリンは少し考えるように視線を彷徨わせる。
手を振り払う事が出来ないのは、見る人によっては優柔不断な態度に見えるかもしれない。
けれど、シリン・フィリアリナはまだ9歳。
婚約や結婚の話などまだまだ先の事だと考えて、もう暫くはそんな事を考えない関係を続けていてもいいのではないだろうか。

「クルスが嫌なら、婚約は全部断るよ。当分は、ね?」

にこっとシリンは笑みを浮かべる。
当分と付け加えたのは、十年後果たしてどうなるか分からないからだ。
しかし、クルスの動きはぴたりっと止まった。
まさに固まったという表現が的確だろう程に、表情も動きもぴたっと止まったのだ。
同時にゆっくりと踊るのに動かしていたシリンの足も止めざるを得ない。
じっとクルスの反応をシリンが待っていると、クルスの顔がだんだんと赤くなっていくのが分かった。

(あ、珍しい反応)

ほんのり頬を赤く染め、クルスはシリンをじっと見つめ返す。

「しりん…姫?」
「うん?」

ふわりっと嬉しそうにクルスは笑みを浮かべる。
笑みを浮かべながらもクルスの瞳から涙がこぼれるのが見えた。

(え?!何で泣くの?!)

その涙にぎょっとしたシリンに構うことなく、クルスはシリンの腰に回していた腕と手を取っていてもう片方の手をシリンの背に回し、シリンをぎゅっと抱きしめる。
ちなみにここは皆がダンスを踊っている広間だ。
曲はまだ鳴り続け、ダンスを続けている者もいたのだがその光景に足を止め、音楽だけが響き渡るように静かになる。

(うわ、なんか視線、視線が集中しているような気がする?!)

すぱっとここから転移法術で逃げるのもまずい気がするので、クルスの胸あたりに顔を押し付けて周囲が見えないようにする。
周りを見回せば、どこかで睨むような視線とばっちり目を合わせてしまいそうで怖い。

「シリン姫、もう一度」
「へ?はい?」
「もう一度呼んで」
「え、あ、ああ…」

名前の事なのだろう。
しかし、普段から敬称を付けていたとはいえ名前で呼んでいたのに、敬称なし呼びでこんな反応をされるとは思っていなかった。

「クルス」

一瞬びくりっとクルスの肩が揺れたが、ぎゅっと抱きしめる腕の力が強くなる。

「…うん」

小さく頷くように返事を返してくるクルス。
昔からなのだが、もう少し力の手加減をして欲しいとシリンはちょっと思う。
シリンを抱きしめるというよりも、抱き込むという感じだ。
身長差がかなりあるからか、クルスの亜麻色の髪がシリンの額に少しだけ触れる。

(いや、でも、この状況どうしよう…)

クルスにシリンを開放する気配は全くない。
かと言って、シリンが無理やりここから抜け出しても色々な意味で怖い。
どうしたものかと考えながらも、結局はダンスの音楽が鳴り終わるまでこのままだったりしたのだった。
後日、貴族内でこの事が大きな噂になったのは言うまでもないだろう。


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