WOT -second- 50



建国祭終了直後に、ティッシから朱里へと訪問するという情報が公開された。
同時に、フィリアリナ家には正式にシリンの朱里への訪問同行依頼が来た。
建国祭の2日後、シリンは父であるグレンに呼ばれて、グレンの書斎に来ている。
父の書斎に来るのは初めてではないが、滅多にないため珍しい。
書斎の大きなソファーにちょこっと座るシリンと、テーブルに広げられた書面を睨みつけているシリンの向かいのソファーに腰をおろしているグレン。
まだ今は日も高い昼間だ。
こんな時間にグレンとシリンが2人で向かい合うのはとても珍しい事。

「エルグ陛下直々の依頼だ、シリン」

珍しく顔を顰めながら、書面をシリンの方へと差し出してくるグレン。
そこに記されているのは、シリンへの朱里訪問同行の依頼。
王家の印まで丁寧に押されている正式文書なので、これを簡単に断るという事は恐らくできないだろう。
最も、シリンは断るつもりなど全くないのだが。

「受けるか?」
「うん」

迷わず返事を返したシリンに、グレンは小さくため息をこぼす。
父がため息をこぼすのは珍しい。
もしかして、即答したのはまずかっただろうか。

「朱里は閉鎖的すぎて安全の確認すらとれていない。カイ君を見る限りそう悪いところではないとは思うが、どんなところにも例外というものある」
「うん」
「シリン、お前はまだ9歳だ。保護者もつけず、護衛すらもつけず行くようなところではないのは分かっているか?」
「うん」

やはりシリンは間髪入れずに返事をする。
文面には、シリンのみの同行依頼とあり、今回護衛のような者は最低限のみとする旨が書かれている。
つまりフィリアリナから護衛を出して連れていく事は出来ないのだ。
だが、護衛がいてもいなくても、シリンの朱里での安全面は変わらないだろう。
鉄壁の護りとも言えるだろう桜の存在が朱里にはある。
そしてその桜がシリンへ危害を加える事など絶対になく、そして他の者によってシリンに危害を加えさせる事もしないだろう。

「父様は反対?」
「……表向きは一応賛成だ」

不本意だと言いたげな言い方である。
シリンが行く事の意味を理解はしているのだろう。
それがティッシにとって有益であり、シリンが行く方が朱里の人たちは警戒をしない。

「表向きって事は、本当は行って欲しくない?」
「当り前だろう」

当然とばかりのグレンの返答に、うーんと唸るシリン。
ティッシの朱里に対する先入観はそうすぐに無くなるものではない。
グレンをはじめとするフィリアリナの屋敷にいる人たちは、今でこそ甲斐に普通に接しているが、最初の頃は普通に接していたとは言えないものであった。
最初から平然と甲斐に接していたのはシリンくらいのものである。
そう時間もかからず甲斐が危険な存在でないと認識した彼らは、今は甲斐に対して普通である。

「他国に興味を持つのもいい、文化の違うシュリを見てみたいと思うのも構わない。だが…」
「だが?」
「シリン、お前はまだ幼すぎる」

グレンが反対するのはシリンの年齢もある。
何かあった時に護るすべを学院などで学んでいるわけでもないシリン。
グレンにとっては未知な国である朱里に同行させるには危険すぎると思っているのだろう。
だが、シリンにとっての朱里は未知の国でも何でもない。
かつての自分が暮らしていた国の人たちの子孫が暮らす国だ。
日本人が皆善人であったとは言えないし、朱里にだってティッシを悪く思う人はいるだろう。
それでも、問答無用で攻撃されるような危険場所ではないと信じている。

「父様、私、無茶もしないし、危ないって思ったらちゃんと逃げるよ。陛下だって警護の人を誰も連れて行かないわけじゃないし…」

シリンはグレンをじっと見る。
グレンはしばらくシリンを見ていたが、諦めたような溜息をついた。

「約束できるか、シリン」
「え?」
「朱里にいる間は、なるべく陛下の側にいる事」
「え……」

一瞬顔が引きつってしまうシリン。
朱里も流石に友好関係を築こうと訪れた一国の王を問答無用で襲う事はないだろうから、エルグの側にいれば安全ではあるのだろう。
しかし、シリンはエルグを尊敬はしているが苦手だ。
四六時中側にいるのはちょっと嫌だ。

「シリン」
「で、でも、陛下の側にいたら邪魔にならないかな?」
「シリンを連れていくことは陛下自ら提案なさった事だ。ご自分の発言に責任を持ち、シリンの安全は確実にご自分で確保するくらいはしていただかなければな」

(うあ……)

グレンの言葉にシリンは、自分の父はすごい人なのだと改めて思ってしまう。
エルグが自分で言ったのだからシリンくらい護って当然だろうという事だ。
あのエルグに対して、本人がこの場にいないとしてもそんな事を言える人は殆どいないのではないのだろうか。
しかし、ティッシでもかなりの権力を持つフィリアリナ家の当主なのだから、このくらい言えて当然なのかもしれない。

「かつて若い頃の陛下は軍に所属されていた事もある。腕が鈍っていなければ、シリンを護る事くらいは容易いはずだ」
「陛下は昔軍人だったの?」
「ティッシ歴代の王は例外なく若い頃に一度は軍に所属する事になっている。王たる者は、その立場だけで命を狙われる事は多いからな」

勿論優秀な警護の者や、エルグに直属の部下がいるように彼らもエルグを護るだろう。
だが、それで万全とは言いきれないからこそ本人にも力が必要だ。
その為に軍で力をつける必要があるのだろう。

「なんか、陛下が戦うのとかって想像つかない」

シリンのエルグのイメージでは、自分で直接手を下すのではなく、誰かを利用して自分には全く疑いがかからないように手を下しそうな感じなのだ。
誰かと直接戦うエルグというのが思い浮かばない。

「いざという場面になれば分かるさ。そんな時がない事を祈っているがな」

ふっとグレンは笑みを浮かべる。
少なくとも朱里では、そんな時はないだろうとシリンは思える。

「という事だから、いいな、シリン?」
「あ、え…、う、うん。陛下の側になるべくいるようにする」

本当は嫌だけど…という言葉を飲み込む。
どちらにしろ、朱里ではそうひょいひょいと勝手な行動などは許されないだろう。
しかし、万が一シリンが襲われる事があってエルグに護ってもらったら後が怖い気がしてくる。
本当に、何事もない事を祈るのみだ。

「ならば、この話は終わりだ。私の方から陛下に返答しておく」
「うん」

頷いてシリンはふと少し前の事を思い出す。
建国祭で街に出た時の事だ。
父と面と向かって話す機会はそう多くないので、早めに聞いておくなり対処を頼むなりした方がいいだろう。

「あ、あのね、父様」
「なんだ?」

テーブルの上の書面を片付け始めるグレンに、シリンは声をかける。
グレンは手を止めてシリンへと視線を向けてくれる。

「この間、建国祭でミシェル嬢達と城下町にでたんだけどね。そこでちょっとした…えっと騒動?みたいなのがあってね」
「ああ、聞いている」
「え?き、聞いているの?」

シリンは誰にもこの事を話していない。
となるとミシェルが話をしたのだろうか、それともまた別ルートで伝わったのか。
建国祭から2日も経っているので、グレンが知っていても不思議はないかもしれない。

「建国祭時の警備の者から報告が上がっているのと、サディーラ家からも報告を受けている。クロディ家の次男と少しモメたそうだな。その事で何か心配事か?」

笑みを浮かべているグレンに、シリンは少し迷うような表情を浮かべてしまう。
あの時の状況がグレンにしっかり伝わってしまっているのだろう。
ここで父の力に頼っても良いものかとシリンは迷っているのだ。
かと言って、自分ひとりで出来る事といっても限られてくる。

「あのね、父様。本当はこういう事頼むのは、なんか父様の持っている権力を利用するみたいで嫌なんだけど…頼み事しても、いい?」

グレンは遠慮がちなシリンの言葉に、苦笑しながら手を伸ばしてシリンの頭を撫でる。
頭の上に置かれた手の温かさに、シリンは胸の中が暖かくなるのを感じた。

「親子で遠慮などするな、シリン」
「父様…」
「セルドもそうだが、お前たちは本当に欲がなさすぎる。して欲しい事があるならば何でも言ってくれ。シリンの願いならば、クロディ家のひとつやふたつ軽く潰してやるからな」

にっこりと笑みを浮かべて言われたグレンの言葉の意味が一瞬シリンには理解できなかった。

「と、父様?!違うよ!」

慌てて否定する。
街で生意気そうだった貴族の少年だが、そこまでして欲しいなどとは思っていない。
ちょこっとモメたくらいで、家ひとつ潰そうだなんて言わないで欲しい。

「冗談だ」
「と、父様…」

冗談でも家ひとつ潰すとか言わない欲しいものだ。
しかし、シリンがもしあの時怪我を負っていれば、グレンはそのくらいしたかもしれない。

「そういう物騒な事じゃなくて、なんかフローラ嬢の家に何か仕掛けるかもしれないようなこと言ってたから、そういう事させないように見張ってもらえるかな?って言いたかっただけだよ」

小さくため息をつくシリン。
自分の一言で家ひとつを潰すなど、シリンには絶対に出来ない。
あの時のクロディ家の少年には強気な態度に出たが、権力を振るう事はシリンはあまり好きではないのだ。

「ああ、そんな事か。すでにサディーラ家の方で監視をしている」
「じゃあ…」
「シリンが心配する様な事は起こらないさ。クロディ家の次男は小さいがモメ事を起こす事が多いのと、長男も少々問題ありでな」

クロディ家の名前はよくは知らないが、あの次男はシリンと少し似ている。
法力が小さくて学院に通う事が出来ないという所が。
少々生意気で人を身分で判別する様な所があるかもしれないが、大悪党というほど悪人には見えなかった。
極悪人ではないように見えたからこそ、少し気になる。

(時間があったら、ちょっと城下町に降りてみようかな)

城下町に行こうと思っていたのは随分前からの事だ。
色々あって城下町に行った事はあっても、ゆっくり見て回る事が出来ていない。
そもそも城下町に行きたいとシリンが思ったのは、この国の平均的な暮らしがどうなのかを確認したかったからだ。
フィリアリナ家で9年の間過ごしてはいるものの、お金を結構惜しまずかける貴族の生活にはいまだに慣れない所があるのだ。
庶民的な生活に触れてちょっとホッとしたかったのだ。

「それじゃ、フローラ嬢の家は大丈夫なんだね」
「ああ、大丈夫だ」
「ありがとう、父様」
「礼を言われる程の事はしてないさ」

ぽんぽんっとシリンの頭を優しく撫でるグレン。

「それより、本当にもっと我儘になっていいんだぞ、シリン」
「今のままで十分だよ、父様」
「そうか?だが、欲しいものがあれば遠慮しないで言いなさい。領土の1つや2つくらいまでならどうにかなるからな」

笑顔でとんでもない事を言う。
欲しいものの許容範囲が随分とシリンとは違うと思う。
シリンは紫藤香苗としての一般感覚が染みついているので、どうにも貴族のが感覚が良く分からないが、母も兄セルドもこんな感じだ。
両親をはじめ、セルドにもあまり欲しいものなどは言わない方がいいかもしれないとシリンは改めて思ってしまうだった。


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