WOT -second- 48



さくさくっと歩く場所は明かりが所々に浮かぶが、人の気配は少ない。
たまに学院の生徒らしき子が、忙しそうない走りまわっているのを見るが、そのくらいか。
広場から少し離れた、木々が立ち並ぶ塀の少し近くをゆっくりと歩くクオンとシリン。

「今日は校舎はほとんど建国祭の準備で中が乱雑だから立ち入り禁止なんだ」
「結構大きいね〜」

広間の端を歩いていても良く見える大きさ。
生徒数も多いと聞くので、それなりの設備とそれなりの大きさがなければ学院として成り立たないのかもしれない。

「あそこにあるのは法術の訓練棟。大きなホール2つと、個別の部屋がいくつかあるが許可がないと使えないな」
「頑丈そうだね」
「攻撃系の法術も使われるからな。壊れたら困るだろ」
「ま、確かに」

校舎よりも小さいが、かなりの大きさだろう建物をクオンは指している。
恐らく法術で壊れないように保護はしてあるだろう。
どれだけ丈夫な建物を作っても、強力な法術をぶつければ壊れてしまう。
法術陣によって保護をしなければ無傷では済まないはずだ。

「一番奥の大きな建物が寮だ。僕やクルス兄上王族以外の学院の生徒は、皆例外なく寮に入る」
「うん、それは知っている」

法術訓練棟の奥にさらに大きな建物が2つ。
女子寮と男子寮は建物自体がきちんと分かれているから2つなのだろう。
生徒全員が寮暮らしともなると、かなり大きい建物になってしまうのは当然かもしれない。
そこでふと先ほど不思議に思った事を思い出す。
街中で貴族の少年の護衛らしき男をひょいっと投げたミシェル。

「学院って護身術みたいないのも教えているの?」
「護身術?ああ、体術とかその手のものってことか?」

こくりっと頷くシリン。
体術もそうだが、ナイフ投げのようなちょっと特殊な技術もそうだ。
学院を卒業した人が軍へ行くくらいだろうから、戦闘訓練系の科目はあるだろうが、必須というわけではないだろう。

「選択制だが一応ある、それを取るか取らないかは個人の自由。基本的に必須は政治、法術、世界史の基礎、基礎が終われば専門科目を選んでその単位が取れれば修了だ」

基礎科目は必須、それが終われば自分が学びたい専門科目をより詳しく学ぶ。
その合間に選択制度として、別の専門科目の一部を学ぶ事は可能らしい。
例えば政治を専攻して、空いた時間で体術を学ぶという事だ。

「軍へ行く人は法術の専門を学ぶ?」
「そうだ。それと体術、剣術、馬術も加わるがな。ちなみにセルドは、政治と法術の専門科目2つを同時進行で学んでいる」
「え?専門科目2つってそんなことできるの?」
「普通の人間ならまずついていけないだろうな。大体、専門科目2つ同時進行なんて、クルス兄上以来だ」

兄のとてつもない優秀さにシリンは改めて驚く。
優秀だとは思っていたが、そこまでとは思っていなかった。
まさに並はずれた優秀さだ。

「あ、だから、クルス殿下は政務官目指すことできたんだ」

今まで軍属で、政治の世界に入りたいから入らせて下さいと言って、そうひょいひょい許可などできないだろう。
基礎学力がなければ、政務官になっても意味がない。
クルスは軍人として法術の専門と、政務官として政治の専門の両方を学んできたからこそ、政務官の道を許可された。

「実際、クルス兄上が学院で修了証を受け取った時、政務官へとの希望の声の方が多かったんだ」
「けど、軍人になったよね?」
「父上がとりあえず軍へ入れと命じたらしい」
「それで素直に軍に入ったの?」
「当時はな」

今のクルスでは考えられない事だ。
エルグの命令ならば、今のクルスならば尚更断るだろう。
軍人か政務官どちらかになれと命じられれば、大商人にでもなるというような捻くれまくった答えを出しそうだ。

「意外だ…」
「クルス兄上が変わったのは君に会ってからだ」

今のクルスのようになったのは、シリンに会ってから。
シリンが知るクルスは今のクルスで、以前のクルスはあまり知らない。
その為、素直にエルグの言う事を聞くクルスというのはかなり違和感があるのだ。

「そう言えば、今度はシュリに行くんだろう?」
「聞いたの?」

唐突な質問に少し驚くシリン。
朱里に行くのは本当なので否定はしない。
正式な通達はまだだろうが、今日が終わればそのうちフィリアリナの方に直接来るだろう。

「あんまり父上の頼みをひょいひょい引き受けない方がいいぞ」
「何で?」
「いつか絶対に後悔する」
「そう?」
「父上は身内以外には結構冷酷だ」

王という立場にいる以上、切り捨てなければならない事もあるだろう。
それはシリンも理解しているつもりだ。

「今回の誘拐事件、無事に解決したからいいものの。父上はシリンが失敗したら切り捨てるつもりだった事を知っているか?」

シリンは首を横に振る。
だが、誘拐犯が魔族であると分かっているのならば、それも仕方ないだろう。
ティッシが魔族と全面戦争をして勝てるという確証があれば別だろうが、恐らく今のティッシでは魔族に勝てる確証はないはずだ。

「けど、切り捨てるのは仕方ないと思う。彼らの力は強大で、私が今回どうにか上手く治める事が出来たのも、色々な要因が重なって運が良かっただけだったし」

ドゥールガが去ったのはシリンの実力ではない。
グルドまでならば、桜と翔太、そしてクルスと甲斐がいれば強制退去くらいはできたかもしれない。
それでも何かしらの被害はあっただろう。
ドゥールガが彼らを連れて大人しく去ったのは、彼が過去に翔太と良い関係を作っていたからだ。

(いや、まさか愛してるとかまでいっちゃってるとは思ってなかったけどね)

あの公衆の面前での告白は内心かなり驚いたものだ。
同時に弟をそこまで思っていてくれる事に嬉しいとも感じたのだが、それはまだ翔太と桜以外には言えない事。

「本当に切り捨てられていたらどうするつもりだったんだ?」
「うーん」
「うーん、じゃないだろ!だから、クルス兄上もあんなに怒ったって言うのに、君はなんでそんなに呑気なんだ…」

シリンとしては、結果として無事だったからよし、な考えなのだがクオンは違うのだろう。
何よりも、シリンは無理やり誘拐という手段が気に入らなかっただけで、彼ら魔族に対して恐怖心などはさっぱりないのだ。
エルグに見捨てられて彼らに浚われたとして、なんだかんだと上手く暮らしていくのではないだろうか。

「でもね、クオン殿下。クオン殿下には悪いけど、私、あんまりエルグ陛下の事信用してないよ?」

尊敬はしている。
頭の回転は速いし、王としての決断で間違っている事は少ないだろう。
だが、自分に対してどんな難題が降りかかってくるか分からないのだ。
信頼はしているが、信用はしていない。

「そうは見えないぞ」
「そうかな?結構警戒してるつもりなんだけど…」

シリンの言葉にクオンは大きなため息をつく。
そのクオンの反応にシリンは苦笑を返す。

「一応ね、ちゃんと譲れない一線ってのはあるから、それを超えない限りはエルグ陛下の頼みは引き受けたいと思っているだけ」
「譲れない一線?」

シリンは決して国の為、このティッシという国を思って頼みを引き受けているわけではないのだ。
だから、自分が優先する事項が発生すればきっちり断らせてもらうつもりではある。

「例えばね、万が一朱里と戦争をする事になったとしても、きっと私はティッシには協力できない」
「戦争が嫌いだからか?」
「それもあるけど、個人的な事情の方が大きいかな」

朱里の建国者の1人は、シリン…香苗の弟である翔太だ。
そして”紫藤”は翔太の子孫。
彼らと敵対するなどシリンには考えられない。
かと言って、今の兄であるセルドのいるティッシを裏切る事もできない。

「けど、父上は本当に性格が悪いぞ」

クルスのその言葉にシリンはくすくすっと笑う。
どうもエルグに対する評価は、そういう言葉が多い気がする。

「笑いごとじゃないんだぞ、シリン。父上ならば、君が嫌だと思っても、断れないような状況を作りかねないんだ」
「ま、そうだろうね」
「何納得しているんだ!」

怒鳴るクオンだが、シリンの事を心配してくれているのだろうと思う。
あの両親、あの叔父がいるというのに、随分と素直な子だ。
もう少しひねくれて育ってもおかしくないと思う。
笑っているだけのシリンに、クオンはぷいっと顔を背ける。

「もし、父上にどうしても断れない嫌なこと依頼されたら、御爺様を頼るといい」

ぽそっと小さな声でそう言うクオン。

「御爺様?」
「前国王陛下のバルガス・ティッシだ。名前くらいは知っているだろ」

聞いた事はあるだろうが、覚えていなかったというのがシリンの本音ではあるが、それは言わないでおこう。
前国王陛下バルガス・ティッシは言うまでもなく、エルグとクルスの父だ。
バルガスの妻はクルスを産んですぐに亡くなっている。
怪我が原因で退位したらしいという事を聞いた事があるが、今はあまり名前すら話題にも上がらないので、シリンくらいの年齢の子だと名前を知っているだけという事が多い。
シリンも名前は聞いた事があるが、覚えられないほどに聞くことが数少ないという程度だ。

「御爺様は今はクルス兄上に結構甘いらしいんだ。それから、クルス兄上が頼めば絶対に父上の味方はしないと言い切れる」
「え?仲悪いの?」
「仲はいいぞ。先日も父上は御爺様に会いに行ったそうだしな」
「けど、エルグ陛下の味方にはならない?」
「父上が子供の頃に我儘をさんざん聞いたから、父上が玉座につかれてからは二度と頼みごとは引き受けないと公衆の面前で言いきったそうだ」

公衆の面前で言い切ったのならば、その言葉を裏切るような行為はできないだろう。
しかし、エルグが子供の頃にした我儘というのはあまり想像がつかない。

「昔の父上の話を聞けば、絶対に父上は我儘だとシリンも思うぞ。性格悪い上に我儘だ、母上は父上のどこが良かったのか、僕には未だに分からない」
「でも、エルグ陛下は結構格好いいと思うよ?性格の良し悪しはともかく、あんな人に一途に思われればやっぱり嬉しいと思うし」
「そういうものか?」
「うん」

とはいえ、シリンはエルグのような人を旦那にするなど考えもしない。
絶対に苦労するのが目に見えている。
相手の欠点も長所に思えるほど惚れてしまえば別だろうが。

「御爺様は普段貴族院の西側にある屋敷にいる。本当に何かあったら頼ってみるといい」
「うん、ありがとう」

そんな事がない事を祈るのみだ。
しかし、機会があれば一度は会ってみたいとは思う。
あのエルグとクルスの父親だ、どんな人なのか少し気になる。

「ああ、シリンちょっとこっちに行っていいか?」
「へ?あ、うん」

ゆっくり広間の端を歩いていたのだが、クオンが何かに気づいたのか突然方向転換する。
向かう先は明かりのある方向。
何をしたいのか分からないが、そちらに何かあるのか。

「それから、君には言いにくい事なんだが、1つ頼みごとしていいか?」
「頼み事?」

歩きながら、どうしてか小さな声で話すクオン。
誰かに聞かれたくない話題か、それとも聞かれるとまずい話題なのだろうか。

「いつもじゃなくていい、公衆の面前とか、僕とかセルドの前でも言わなくていいし、1回だけでもいいんだ」
「うん?」
「クルス兄上を名前で呼んでくれないか?」
「ん?」

言われた意味が良く分からず、シリンは首を傾げる。
名前で呼ぶなら今も名前で呼んでいる。
ティッシでは名前で呼ぶ習慣なので、ファミリーネームで呼ぶことの方が少ない。

「敬称付けずにってことだ」
「クルスって?」
「そうだ」

それに何が意味あるのか分からないが、別に敬称付けずに呼ぶこと自体は構わない。
ただ、今までずっと”クルス殿下”と呼んできたのだ。
初めて呼ぶ時はかなり緊張するかもしれない。

「了解。どうなるか分からないけど、考慮してみるよ」

すぐにそうするとは返事しないでおく。
自分に根性がなく、緊張しまくって気まずくなるのが嫌で呼べなかった時困るからだ。

「頼む。それから、今日は後は、クルス兄上の所にいてくれ」

歩いて向かう先にクルスらしき姿がある事に、シリンはようやく気付く。
クルスの姿に気づいたから先ほど方向転換したのだろう。

「別に僕はシリンと一緒にいるのは構わないんだが…」
「クルス殿下に見つかったら後が怖い?」
「分かってるなら気遣ってくれ」

思わず小さくだが笑ってしまうシリン。

「今日はありがとね、クオン殿下」

簡単に学院を案内してもらったことと、何かあったらバルガスを頼れとの事。
大した事はしていないと思っているのか、クオンはさっさと行けとシリンを促す。
シリンはクルスのいる方へと駆けだしたのだった。


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