WORLD OF TRUTH 28




ティッシとシュリの同盟成立。
その事をシリンが耳にしたのは、エルグから和平の話があると聞いてから20日後。
あの時点で知っている者が少なかったという割には、かなり早く結論が出たのではないかと思えるほどだ。
双方ともに、シュリは結界に守られているだけ、ティッシはシュリに手を出すことができないという何も動かない状況をよしとしていなかったということか。

(国同士の取引内容なんて、私にはあまり関係ないこと……だと思うけど)

まったく関係ないだろうと言い切れないところが悲しい。
シリンは小さくため息をつく。
空は綺麗なまでに晴れ渡った青空、空気は比較的暖かく、2階にある自分の部屋のバルコニーに椅子をひっぱりだしてのんびり読書するのは気持ちがいい。

「お茶の時間にしようかな…」

この世界にある国々の特徴を書き綴ってあった本をパタンっと閉じる。
部屋にあるティーセットでお茶でも入れようと立ち上がろうとしたが、唐突に自分の目の前に影ができる。
ふっと顔を上げた時にはその影がのしかかってきて、少し浮かせていた腰は椅子に逆戻り。

「っ…クルス殿下?!」

ちらりっと見えた亜麻色の髪でのしかかってきた影が誰か分かったものの、一瞬ぎょっとした。
栗色の髪はシリンの顔のすぐ横にある。
シリンの目の前に法術を使って転移してきたのだろうが、今までこう唐突に目の前に現れる事がなかっただけに不思議に思う。
何かあったのだろうか。

「兄上に会った?」

肩から聞こえてくる声は小さな声。
クルスの兄と言えば国王陛下のことであり、20日ほど前に何の前触れもなく現われて機嫌が良さそうに帰っていったのを思い出す。
クルスはふっと顔をあげて、シリンの顔を覗き込む。

「この屋敷に来たんだね」
「分かるんですか?」
「約束もしないで会いに行って驚かすのが趣味の性格悪い兄だからね」
「…趣味、なんですか」
「性格悪いよ、兄上は」

きっぱりはっきり迷いなくクルスは言い切る。

(確かに、性格がいいとは言い難かった)

あの時、シリンは始終警戒しながらだったのだが、エルグはどこか面白がっていたように思える。
駆け引きなどしたこともないシリンと、その手のことならば多くの経験があるだろう国王陛下となので、それは仕方ないだろうが、面白がられる方としては相手の性格がいいとは感じられないだろう。

「いつかシリン姫に会いに行くって言いだすだろうと思っていたけど、こんなに早いとは思わなかったよ。何も言われなかった?」
「特には…」

と言っておくべきだろう。
中傷されたわけでもなし、ありがたい警告はもらった事もあり、認めてもらったような気がするのでシリンはエルグに対して悪い印象はない。

「本当に?部下にならないか、とか口説かれなかったね?」
「私みたいな幼い子供を部下になんてするはずないじゃないですか」

今後、何か頼むことはあるかもしれないというような事は言われた。
シリンも正面からそれを了承したわけではないが、了解であるニュアンスの言葉は返した。
それだけで部下とは言えないだろう。

「本当に本当だね?」
「シュリのことを少しだけ聞いていっただけですよ」

どこか納得のいかないような表情をしながらも、クルスはそれ以上聞けないと思ったのかシリンから身体を離す。
のしかかっていた重さが消え、小さく息をつくシリン。

「それにしても急にどうしたんですか?こんなに突然現れることなんて、今までありませんでしたよね」
「…そうだけれど、兄上が」

どこか泣きそうな表情でクルスはシリンを見る。
シリンは苦笑しながら部屋の中を指で示す。

「部屋の中でお茶でも飲みましょうか、クルス殿下」

暖かい紅茶を口にすれば、少しは落ち着いて話ができるだろう。
すごく大人びたようなクルスだが、時々すごく子供っぽい所があるのだとシリンは知っている。
そんな時は暖かい紅茶をいれて、のんびりとするのが一番である。



外から部屋に入ってくる気持ちのいい風。
ほんのりと香るのは紅茶の香り。
暖かい紅茶を一口ふくめば、身体がぽっかり暖かくなる。

「最近は本当にいい天気で、バルコニーで読書するのが気持ちいいんですよ」
「…そう、だね。確かに最近は気持ちの良い天気が続いているね」

いつものような穏やかな笑みを浮かべたクルス。
そして、先ほどの何かに焦っていたかのような自分を思い出し、苦笑をする。

「よく考えたら、兄上にハメられただけなのかな」
「クルス殿下?」

クルスは大きなため息をつく。

「ティッシとシュリの同盟については知ってる?」
「はい、知っています」

それほど騒ぎにはなっていないが、貴族間では当たり前のように同盟が結ばれたことは知られている。
同盟が結ばれたからと言って、シュリの結界が解かれたわけでも、今のところティッシ国内で何か変化があったわけでもない。

「実はティッシからシュリに対して出した条件が拍子抜けするほどあっさり受け入れられてね、それでいてあちらが出した条件は1つきり」
「シュリはティッシとの繋ぎを取れるようになることが目的だったから、条件も多くなかったわけじゃないんですか?」
「うん、そうだね。そういう意見もあったけど、あちらが出した条件がまた妙なものでね」
「妙なもの?」
「”シュリの者を1人、ティッシへの長期滞在を受け入れること”」

普通の国同士の取引ならば、この条件というのは相手が不利過ぎて疑う所なのだろうが、相手はシュリだ。
イディスセラ族は畏怖の象徴とも言っていい存在であり、それを1人でも受け入れるという事はティッシにとっては大問題になる。
ティッシがシュリに何を望んだのかシリンには分からないが、それに相応するものではあるのかもしれない。

「シュリでは、シドウ・ハルヤマ・ヒイラギの3つの家がティッシの王家のような存在らしくて、その家の誰かが来るという所まで話が進んでいるんだ」

桜が人でないこと、シュリを覆うほどの結界を張ることができること、そして正しいキーを言うことで本当の力を使えるようになること、それを知っている者がわずだがシュリにいるのだと桜は言っていた。
クルスが言った三家が桜の言っていた人達なのではないかとシリンは思う。

(カイも愛理も桜が人ではないことは知っている感じだったし、”紫藤”だし)

「シリン姫、この3つの家のどれかを知っているね」

クルスの言葉にシリンは苦笑を返す。
否定しないという事は肯定しているようなものなのだろうが、はっきりそうだとは言えなかった。
シリンの知る”紫藤”の者はシリンにとって大切な人達である。
その人たちの不利になるかどうか分からない今の状況では相手がクルスであっても、はっきりとした答えは言葉に出せない。

「兄上には、その事は言っていないよね」
「エルグ陛下にはシュリの文化を少しだけ話しただけですよ」

紫藤の名は出してもいないし、カイと愛理の名前も出していない。

「そうだよね。シリン姫なら兄上にシュリについての話題をふられても、個人を特定するような情報を言うことはないだろうって思っていたんだ」
「クルス殿下?」
「だけど、兄上はその3家の誰かがティッシに来るかもしれないという事になって、当たり前のように”シリン殿の意見も聞いてみようか”って言った、から…」

その言葉にシリンはぎょっとする。
エルグに頼みごとをされれば、自分でできる事なら協力するべきだろうとは思っていた。
どこでどんな状況でその言葉をクルスに言ったのか。
無力なお姫様でいるようにというような事を言っていたのだから、公衆の面前でそんな事を言うわけないと思うのだが、できればクルスの前でもそういう事は言って欲しくなかった。

「大丈夫だよ、シリン姫。さっき身内だけ…兄上と義姉上と一緒に少し遅い昼食をとっていた時のことだから」
「そ、そうですか…」
「でも、兄上がそんな当たり前のように名前を出す時は、その人が皆、兄上の直属の部下だったから」

その場でそんなことを言ったエルグはどうかと思うが、エルグが口にする名前を覚えているクルスをすごいと純粋に思ってしまう。
それだけ周囲を細かく視て聴いているということなのだろう。

「その時は、もしかしてシリン姫の事を知った兄上がシリン姫を口説いて自分の直属に引き入れたんじゃないかって思って…、聞くなら私が聞くって言って出てきてしまったんだ」
「えっと、もしかして、それで今に至る…とかですか?」
「そうなる、かな」

ティッシという大国の国王陛下の直属の部下などありえない話だ。
確かに同じ年齢の子に比べれば、シリンは優秀で大人っぽく見えるだろう。
だが、それは生まれる前の人生があるだけであって、何か特別な才能があるわけではないのだ。

「クルス殿下…、エルグ陛下はその場を和ませるために冗談で言ったのだと思いますよ?」
「そうだね。今なら私もあれは半分は冗談だったのだと思えるよ」
「相手が陛下と言っても、冷静な考えができなかったなんてクルス殿下にしては珍しいですね」

普通に聞けば冗談だと、一笑してしまえるような言葉のはずだ。
クルスがそれを一笑できなかったのは、シリンの事を少し詳しく知っているからか。

「そうは言ってもすごく焦ったんだよ、シリン姫。兄上の直属の部下は、盲目的とも言えるほど兄上に絶対の忠誠を誓ってる。絶対に兄上を裏切らないし、兄上が命じれば命だった喜んで差し出せる人達ばかりなんだ。私は…、シリン姫がそうなったらすごく嫌だよ」

エルグのあの一言だけでそこまでの事を思い浮かべたのか。
頭の回転が速いのも、こんな時ばかりは困りものなのかもしれない。

「大丈夫ですよ。私は、そうはなれませんから」

シリンには大切な人がたくさんいる。
だから、たった1人に忠誠を誓うことはない。
守りたいものは1つだけではないから、たった1人にだけ従うことなどできないのだ。

「けれど、ごめんね、シリン姫」
「何が、ですか?」

なぜ謝罪が出てくるのだろう。

「私が兄上の言葉を聞いてあんな反応をしたから、兄上は多分気づいたと思う」
「何をですか?」
「シリン姫には、兄上の直属になってもおかしくない能力があるという事」

シリンは一瞬ぴたりっと動きを止める。
国王陛下の直属というのが何を意味するか分からないが、シリンは自分がそんなものになれる能力があるとは思えない。
セルドのように頭がいいわけでもない、法力があるわけでもない、何かズバ抜けているものがあるわけでもない。

「…はい?」

だから、思わずそう聞き返してしまっても仕方ないだろう。

「シリン姫は、本当に自分を過小評価しすぎだね」
「クルス殿下の評価が高すぎるだけですよ」
「そんなことないよ。君の法術に関しての才能はすごいものだから」
「あれはですね…」

決してシリンに才能があったわけではないのだ。
偶然が偶然を呼び奇跡のような確率を経ての結果、シリンがたまたま法術の理論を理解できる遺伝子になっているにすぎない。
法術を知ることのできる環境にあり、そして遺伝子に組み込まれたプロテクトが解けている人ならばシリンと同じようなことはできるようになっているはずだ。

「とにかく兄上には気をつけてね」
「完全に警戒心を解くことはないと思うので、大丈夫ですよ」
「けれど、あの人性格が悪いから」

(それは十分にわかった気がします)

もしかして全部分かっていてそんな事を言ったのではないかと思えてしまう。
クルスが焦って行動したことで、シリンにそれだけの価値があると分かった。
シュリの三家についてシリンが何か知っているかもしれない事はクルスが自分で聞くと言ったので、エルグが動く必要はない。
ついでにクルスが昼食途中で席を立ったのならば、その後はエルグと彼の妻の2人きりになれる時間となる。

(いや、でも…全部が全部計算しつくされたことなら、エルグ陛下の性格ってものすごく悪いんじゃないかな…)

どれか1つくらいは偶然の産物であって欲しいものだとシリンは願ってしまう。
大国の王たるものそのくらいできても不思議はないが、そんな人物ならば極力関わりあいになりたくないがそうもいかなくなりそうな気がする。
そのうち腹黒さを身につけなければならないのだろうか、と思ってしまうシリンだった。


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