WORLD OF TRUTH 27




桜の主になったからと言って、他の法力を使い法術を使う事が出来るからと言って、シリンの生活が変わる事はなかった。
忙しい両親、そして兄であるセルドも学院に行っていたりと忙しい。
シリンには読書をしながらゆっくりとお茶を飲む日が戻ってきていた。
ぱらりっとめくるその書物には、ティッシ以外の国の事が書かれている。
シリンは法術理論は天才的だが、その他が本当に普通にしか知らなかった。
そう、他国の事にまったく詳しくないのだ。

(他の国に、同じような境遇とまではいかなくても、似たような境遇の人がいるかもしれないわけだし)

その確率はとても低いのだが、その可能性を捨てきれない今、シリンは他国の歴史を色々あさっていた。
ぱたんっと閉じた本は2冊目で、シリンは座っていたソファーから立ち上がり、ぐっと伸びをする。

(座ってばかりじゃなんだし、庭にでも出ようかな)

のんびりしながら部屋を出て、庭でお茶でもしようかと思っていたシリンだったが、部屋を出てみるとどうもあわただしい雰囲気がそこにある。
パタパタ慌しく走り回っている使用人達。
この屋敷の使用人はそう多くはないが少なくもない。
慌しくなるのは来客があったくらいだが、両親もセルドもいないこの屋敷に誰かが来ることはないはずだ。
しょっちゅう来ていたクルスも今は忙しいだろうし、そもそもクルスはシリンの部屋の窓から侵入してくることが多いので来客したと認識されていない。

「シリン姫様!」

シリンが部屋から出てきた事に気付いた使用人の1人が、おろおろとした様子のままシリンに声をかけてくる。

「誰かが来たんですか?」
「あ、え…あの…、そ、それが…」

とても言いにくそうに言葉を濁す彼女だが、フィリアリナの使用人はとてもできた人が多く、こんな迷うような口調をするのはとても珍しい。
言葉にはしにくい来客でもあったのか。

(庭を散策しないで、大人しく部屋にこもっていたほうがいいのかな?)

下手に自分が出て、フィリアリナの家に迷惑をかけてしまうのはまずいだろう。
シリンは来客があった時は、目立たず前に出ず大人しく、を通している。

「そこにいるのはシリン・フィリアリナ姫かな?」

突然の声にシリンの前にいた使用人である彼女が大げさなほどにびくりっと肩を揺らした。
彼女の後方に見えるその姿は父と同じ年くらいに見える男。
身なりは貴族らしい身なりと言うのか、だがそれほど豪勢な身なりと言うわけでもない。
亜麻色のふわりっとした髪に青空のような色の瞳、優しげな顔立ちの中に威厳を感じる。

「時間があるようなら、私と一緒に少し話でもしてくれないかな?シリン姫」

にこりっと初対面の男に笑みを浮かべられ、シリンは一瞬きょとんっとする。
使用人の慌てぶりから彼がかなり身分の高いものであるだろうことが伺える。
シリンはとりあえずにこりっと笑みを浮かべて頷く。

「天気が良いようですから、屋敷の庭でいかがでしょう?」
「ああ、それはとてもいい提案だな」

シリンはまだ驚いたままの使用人にちらっと目配せをする。
それだけで彼女はハッとなりすぐに自分の仕事を思い出す。
彼女がきっとお茶を用意して持ってきてくれるだろう。
庭がある方へシリンは彼を促す。

「王宮ほどではありませんが、この屋敷の庭もとても綺麗ですよ」

彼はほんの少しだけ驚きを浮かべ、面白そうにシリンを見る。

「まだ名は言っていなかったはずだけどな」

使用人の慌てようと、その顔立ちを見れば王であることは想像がつく。
クルスと良く似た顔立ちと使用人が慌てるほどの身分。
その王が何の用があってこの主が留守の屋敷に来たのかは分からない。
クルスと会っている事を今更どうこう言われる事もないだろうが、失言だけは避けなければとシリンは思った。



ティッシ国の王はエルグ・ティッシという名である。
その名を知らない人間はこの国にはいないだろう。
クルスの兄という事もあって、クルスに似た顔立ちはしているもののエルグの方が年齢が上だからか、立場の問題か威厳を感じる。
恐らくシリンの父とそう年齢が変わらないだろう王は、今フィリアリナの屋敷の庭で優雅にお茶を飲んでいる。

「シリン姫はクルスと仲良くしてもらっているようだから、一度挨拶すべきと思ってね」

一国の王が実弟とはいえ、弟の友人に挨拶など普通するだろうか。
しかもシリンとクルスが会い始めてから1年も経ってである。

「クルスにはいつもどこか張り詰めていた雰囲気があったが、シリン姫のお陰でそれが薄れたようだ」
「私は何もしていませんよ」
「そんな事はない。君のお陰だ」

シリンはどこか警戒したように、それでもそれを悟られないようにエルグを見る。
何を考えているのか分からない笑みはクルス以上に感情を読み取りにくく、さすが年の功というべきか。
表面上はのんびりとお茶をしているように見えるシリンだが、内心はかなり緊張してる。
何しろ相手は一国の王だ。

「クルスの事については、またゆっくり時間がある時に聞かせて欲しいものだが、実は今日は君に聞いてみたい事があって来たんだ」
「私に…ですか?」
「そう、シリン姫、君にだ」

緊張からか、手の平に汗がにじみ出てくる。
ここで下手な言葉を口にすれば、今後のティッシ国内でのシリンに対する対応が変わってくるかも知れない。
王に全ての権限があるわけではないが、ティッシ国は王政なのだ。
王が是と言えば、相当無茶な事でもないかぎりこの国の者は従うのが当たり前なのだから。

「そう緊張しなくてもいい。君の言葉がどのようなものであっても、私はそれを参考にしたいだけだからね」
「参考…ですか」

エルグの地位ほどの者がシリンに聞きいて参考にしたい事。
それは1つしか思い浮かばない。

「シュリ…もしくはイディスセラ族への印象か何かですか?」

法術の事ではないだろう。
法力が少なければまともな法術を使えないという先入観はそうそう消えるものでもなく、なによりも法力の高い者の殆どは恐らく法術理論を正確に理解できない。
となれば、シリンに答えられるのはシュリ…イディスセラ族の事だ。
イディスセラ族と言葉を交わした者はいるかもしれないが、シュリ国内に入る事が出来たのは、浚われたシリンだけだ。
エルグは満足げな笑みを浮かべる。

「予想通りの優秀さで嬉しいよ、シリン姫。そう、実はシュリから和平の申し出があったんだ」

シリンは目を大きく見開いて驚く。
驚いたのはシュリからの和平だけではなく、それをエルグがシリンにあっさり言ったことだ。
シュリからの和平が公式なもので、すでに他の貴族達に知らされているのならばシリンに噂くらいは入ってくるだろう。
だがそんな噂は全く聞いていない。
つまり、シュリからの和平の申し出が本当だとしても、これを知っているのはひと握りの上層部の人間のみ。
本来ならばシリンが聞いて良い情報ではないはずだ。

「出来れば私はこれを受け入れたいんだがね、生憎とイディスセラ族にはあまり良い印象がない。果たして和平を成した所で、本当に平穏な日が訪れてくれるのかが分からない」
「私が接したのは一部の方々で、あくまでシュリの一面としか言えませんよ」
「構わない。知りたいのは、私達以外の目から見た彼らについてだからな。分かるならば文明がどこまで進んでいるのかも知りたいけど、滞在期間が3日ほどだったからどうかな?」

シリンはエルグの顔をじっと見る。
やはり何を考えているのかさっぱり分からないが、彼が聞いてくる内容は、とてもじゃないが敵国に浚われた8歳の少女に問う内容ではない。

(多分、求めている答えは8歳の少女としてのものじゃない。けど、シュリとの和平が本当で、それを前向きに考えてくれるのならば、シュリと交流する事のメリットを混ぜながら言うべきなんだろうけど…)

このような交渉ごとは始めてのシリンには、上手く言葉に出来るかどうか分からない。
相手がシリンの気持ちだけで動いてくれるような簡単な相手ならば良かったのだが、大国をまとめる王だ。
たった1人の貴族の、しかも力も将来性もない少女の願いの為だけに、国を動かす事などしないだろう。

「私が実際に話をする事ができたのはほんの数名でした。黒髪に黒い瞳は共通で、顔立ちからすると恐らく法力の保有量は大きいでしょう」
「確かにティッシを襲ってきたイディスセラ族は、揃って法力保有量が半端じゃなかった。だが、襲撃人数から察するに…」
「はい、シュリの人口はティッシに比べると随分と少ないようですね。その中でも過激派と穏健派に分かれるそうなので、ティッシを攻めようと考えているものはさらに少ないはずです」

過激派よりも穏健派の方が数的には多いのではないだろうか、というのはシリンの想像だ。
過激派が多いのならばシュリを覆う結界は解かれ、シュリからの侵攻が始まり戦争が大きくなっていてもおかしくないのだから。

「文明レベルもティッシとそう変わらず、ただ少し文化が違うようです。建物や食事はなんというか…ティッシとは随分と違う方向性のものでした」

日本の昔の文化をどう説明していいものかシリンは困ったが適当に誤魔化した。

「違う文化ならば見てはみたいものだな。それから、シリン姫の視点で何か気付いた事はなかったか?」
「そうですね…。想像でしかないんですが、シュリはティッシ以外の国と何かしら交易をしているのではないかと」
「へぇ」

エルグの目が面白い事を聞いたでもいうように細くなる。
シリンは自分がしまったと一瞬後悔したが、ここで口を閉じても出てしまった言葉を取り消せるわけでもない。

「どうしてそう思った?」
「食事を持ってきてくれた子が外の事を知っていたからです。鎖国状態ならば外の国の事など知るはずもないでしょうし、現にシュリではシュリ独自の言葉があってその言葉が使われているのが普通のようでした。なのに外の国の情報を少しでも知っているということは、少なからず外と交流する手段があるはずだと思いまして…」
「そうだな。結界に阻まれて外を監視する法術も使えない状態で、外の事を知るには交易をしていると考えられるな」

エルグの言葉でシリンは法術の事に気づく。
確かに法術で外の国を見る事は可能だ。
シリンの知る法術理論では、結界があっても外を見ることはできそうな気がするが、外の国を見ただけでは愛理のあの時の言葉の説明はつかない。
箸を使うのが難しい事を知っていたということは、外の国の人が箸を使おうとしたところを見たことがあるということ。
シュリ以外で箸を使う国もないだろうから、交易があったのだとシリンは思ったのだが、そこまで詳しく説明をする必要はないだろう。
ふと唐突にエルグがふっと小さく笑みをこぼす。

「陛下?」

何か笑みをこぼすような話題だったのだろうか、とシリンは思わずエルグの顔を見てしまう。

「いや、予想以上で嬉しくてな」
「…何が、ですか?」

何かまずい発言をしてしまっただろうかと、内心焦っているシリン。
どこか警戒するようなシリンの様子に気づいたのか、エルグはシリンの警戒を和らげるためにやさしい笑みを浮かべてくる。
普通の子どもならばそれで警戒心などなくなってしまうだろうが、クルスの胡散臭い笑顔を散々見てきているシリンは、その笑みに完全に警戒を解くことはなかった。

「クルスの心許せる友人が、とても優秀で嬉しいと思うよ」
「私は…自分のことを特に優秀とは思っていません」
「随分と自分を低く見ているんだな」

エルグはカップを口に付け、紅茶を一口。

「謙虚な態度はいいがもう少し上手く隠すべきだと思うよ、シリン姫。君が国の要職に就きたいというのならば別だがね」
「エルグ陛下…?」
「困った時にはシリン姫の意見も聞いてみるべきだと思えるくらいには、シリン姫の意見は斬新なもので魅力的だと私は感じたな」

その言葉にぎょっとして顔が引きつりそうになる。
シュリの有利になる言葉を言うべきだとしか考えていなかったので、そんな言葉がくるとは思っていなかった。
小さい頃はそれでも子供のフリをしていたが、今は殆ど地で接している。
要職の人物に自分が優秀であると目をつけられること、それはよく考えればとんでもないことになりかねないのだ。
シリンは、警戒心を最大にしてエルグをじっと見る。

「そう警戒をしなくても、私は何もしないよ。けれど、そうだな…」
「何でしょう?」

自分の口から出てしまった言葉も、エルグが抱いた印象も、変えることは出来ない。
シリンに出来ることは、同じ失敗をしてしまわないことだ。

「そうやって警戒して、他の要職ある者には”力ない姫君”という印象のままを突き通して欲しいね」
「私に目を付けられるような言動をされるのはご迷惑、ということでしょうか?」
「いや、迷惑というわけではないさ。その方が色々と助かるというだけだ」
「助かる、ですか?」
「周囲の国々が物騒になってきているのだがね、そういう国に人を正式に送ろうとして下手に優秀な者を送り込むと警戒されて何も情報を得ることができない」

そこまで言われれば、エルグが何を言いたいのか想像がつく。
ティッシを警戒している国と言っても、特に優秀でもなく身分だけのある幼い姫君の訪問を表だって警戒するということは少ないだろう。

「エルグ陛下」
「やはり、シリン姫はとても優秀だ。いつか私が頼みごとをしたら、快く引き受けてもらうと嬉しいよ」

にこりっと笑みを浮かべるエルグは、クルスによく似ているのだろう。
シリンが本当に嫌だと言えば無理強いは決してしないだろうとは思う。
思わず小さくだが溜息がこぼれてしまう。

「ティッシやシュリ以外の国には私も興味があります。他国に行ける機会があるのでしたら、是非こちらからお願いしますね、陛下」

シリンはにっこり笑みを浮かべてそう答える。
今の自分にできる精一杯の最高の返事だ。

「ああ、いい返事だ。シリン・フィリアリナ殿」

満足そうな笑みを浮かべるエルグ。
それまでシリンに見せていた笑みではなく、感情が伝わってくる笑み。
その言葉と表情から、自分という存在を認められた、そんな感じを受けたシリンだった。


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