WORLD OF TRUTH 29




今日のフィリアリナの屋敷は慌ただしい。
この屋敷に、今日から1人加わるからだ。

「えっと、これはここでいいんですか?」
「はい!すみません、姫様にも手伝わせてしまって…」
「ううん、いいんです。できる事がある方が嬉しいですから」

今日の夜来るらしい、本日よりの居候になる人の部屋の片づけの手伝いをシリンはしている。
とは言っても、シリンができる事は大したことではない。
ベッドのシーツを整えたり、小物を戸棚にしまったりするくらいだ。
あとは部屋に備え付け用のカップを拭いて、しまうくらいか。

(それにしても、シュリの人か…)

シュリの人をティッシに滞在させる事はクルスに以前聞いていたので驚きはしなかった。
だが、その滞在先がこのフィリアリナの屋敷になるとは思わなかった。
王宮に住んでシリンと接点を持つことはないだろうと、関係のないことだと思い込んでいたので、フィリアリナの屋敷に来ると聞いた時はちょっと嬉しいと思った。

(カイか愛理が来てくれるならすごく嬉しいけど、日本の文化を知っていて日本語話せる人が来るだけでも嬉しいんだよね)

今のシリンはちょっとだけ浮かれていた。
ティッシ国内では畏怖の対象であるイディスセラ族なのだが、シリンにとっては懐かしい”昔”の自分の同郷の人だ。

「姫様がそんなに嬉しそうということは、シュリの方は、噂で聞くような人ではないのかもしれませんね」
「それにそんなに楽しそうにしているという事は、シュリでの待遇がとても良かったのではないですか?」

室内で同じように準備をしていたメイドの2人が笑みを浮かべている。
シリンは思わず自分の頬を両手でおさえてしまう。
そんなにニヤけていたのだろうか。

「うん。シュリでの待遇が良かったのは本当ですよ。けど、それとは違うというか…、他国の人を迎え入れるからワクワクしているというか…」
「ワクワクできる姫様は大物ですね」
「私達は、旦那様が大丈夫だとおっしゃっていてもやっぱりすごく緊張しているんですよ」
「他の貴族のお客様とは違いますし」
「ほんのちょっと怖いのもありますし」

イディスセラ族に対する恐怖心を完全に拭う事は出来ないだろう。
こればかりは幼いころから植えつけられた先入観によるものなのだから。

「さあ、とにかく準備をしてしまいましょう!姫様」
「うん」

どんな人が来るのか、それが楽しみでありほんの少しシリンにも不安がないわけではない。
それでも、嬉しいと思う気持ちの方が大きいのだ。



日が暮れ始め、そろそろシュリからの客人を父が連れてくるだろう時間になる。
夕食を家族とその人と一緒に、という事を聞いているので、もう部屋に入ったほうがいいだろう。
シリンは屋敷の庭を散策していた所だった。
いつもならばこの時間は部屋に籠って読書をしているのだが、滞在人の部屋の準備が終わってから思いついたことがあったのだ。

(場所が難しいよね)

シュリの人が来るのだから、”桜”の木を見せたいとシリンは思いついたのだ。
フィリアリナの屋敷の庭とは言っても、シリンが勝手にどうこうできるものではない。
”桜”の木を持って来てもらったとしても、勝手に植えていいわけでもない。

(父様に許可もらわないと)

桜に聞いた事なのだが、この世界に”桜”の木が存在する場所は少ないとのことだ。
黒髪黒い瞳のイディスセラ族が恐れられるように、彼らに関するものは良くないものだと判断され、歴史の中に埋もれ消えていくかように数を減らされたとの事。
だから、日本や中国に関わりの深い文化や植物が残る所は少ないらしい。

「シリン!!」

屋敷の中から自分の名を呼ぶ声。
振り返ってみれば、セルドがシリンを呼んでいる。
シリンはゆっくりとセルドの方へと向かう。

「少し早いけどそろそろ時間だって。”お客様”も…もうみえているから」
「そっか、来たんだ」

ふっと思わず笑みが浮かんでしまう。

「嬉しそうだね、シリン」
「そう、かな?」

懐かしい友人に再会できるかのような感覚。
会ってみて何があるわけでもないだろうが、会う前はほんの少しドキドキでワクワクしてしまう。

「けれど、ちゃんと警戒もしないと駄目だよ」
「一緒に暮らすのに?」
「一緒に暮らすからだよ。相手は年頃の男だから、仲良くなっても部屋に簡単に入れちゃ駄目だよ、シリン」
「警戒ってそういう意味なの?兄様」

てっきりイディスセラ族だから気をつけろという意味の警戒だと思った。

「滞在の条件として、法力は最低限までに封じる事になっているから法術を使われる心配はないよ。だから、問題はそれなんだよ」

法術を使われないようにする為なのだろう法力の封印。
イディスセラ族をたった1人とはいえ、貴族の屋敷に迎え入れられる理由がわかった気がする。
彼らが恐れられるのは、例外なく大きな法力を内包する事だ。
ティッシでは、とりあえず法力を抑えてしまえば大丈夫なのだと判断したのだろう。

「年頃ってことは、私や兄様と年齢が近い人?」
「そうだね…。ちょっと離れてはいるけど、父上や母上と比べれば、僕とシリンとの方が年は近いと思う」

法力を封印という所には深く突っ込まず、シリンは相手の事を聞く。
年配の人が来るのだろうかと思っていたシリンとしては、比較的若い人が来るようでちょっと意外に思う。
シュリの状況がどんなものか詳しくは知らないので、シュリからすればそれが当り前なのかもしれないが…。

「会ってみればわかるよ」
「うん、そうだね」

どれだけ話を聞いても、実際会わなければその人の事は分らない。
もしかしたら昴のような好戦的な人かもしれないし、愛理くらいの年齢の子かもしれない。
このフィリアリナの屋敷の人たちが、イディスセラ族は決して畏怖する存在でないと思えるようになれる人であればいいとシリンは思う。
庭から屋敷の中へ、屋敷の1階にある応接間にその客人はいるらしい。

「扱いは父上の客人という事になるみたいなんだ」
「え?じゃあ、気軽にお茶に誘ったりとかしちゃ駄目なのかな?」
「どうだろう?父上に聞いてみるといいよ。まぁ、駄目とは言わないと思うよ」
「うん」

頭から駄目と言わないセルドに嬉しく思う。
セルドも多くのティッシの人たちのようにイディスセラ族に対しては警戒するタイプだ。
それでも、イディスセラ族と仲良くしたいと思うシリンの思いを否定しないのは、シリンの考えを否定したくないと思っているからなのだろう。
コンコンとセルドが扉を軽くノックすると、中から入っていいとの返事が来る。
カチャリっと扉が開いた先には、大きな部屋と大きなソファーが向かい合い真中にガラスのテーブルが1つ。
扉が開くと同時に、ソファーに座っていた3人が立ち上がる。

(え…、嘘…)

シリンは思わず部屋の中に入ろうとしたまま、その場に固まってしまう。
セルドはそのまま部屋の中に入っていく。
室内にいたのは、両親ともう1人のこれからこの屋敷に滞在することになるイディスセラ族の人。
黒髪に黒い瞳のまだ少年の幼さが抜け切れていない青年であり、シリンにとっては見覚えのある顔立ち。

「どうした、シリン。中に入りなさい」
「え、あ、はい」

父グレンに声をかけられ、はっとなって慌てて室内に入るシリン。
セルドに手招きされ、セルドの隣にぽすんっと腰を下ろす。
ちょうど斜め前にカイが1人座っている形になる。

「シリン、セルド。彼はカイ・シドウ君だ、私の客人として今日からしばらく滞在することになる。特にシリンは屋敷にいる事が多いだろうから、彼に分からないことがあったら教えることができるな」
「はい、父様」

シリンは笑みを浮かべながら頷く。

「カイ君、娘のシリンだ。私や妻、セルドは屋敷にいない事が多い。何か分からない事があってメイドや執事に声をかけにくいようならば、娘に聞いてくれて構わない」
「あ、はい。お気遣いありがとうございます」

シリンとカイの視線が合うと、互いに小さく笑みを浮かべる。
それはどこか苦笑しているようにも見える。
カイがこの場にいる事にシリンはとても驚いた。
恐らくカイも同じではないのだろうか。
今、この場で驚いているわけではないだろうが、滞在先がフィリアリナ家であると聞いた時にでも。

(なんか、妙な感じだけど、やっぱりすごく嬉しい…かも)

ティッシとシュリの同盟の条件の一つとしてカイの滞在がある。
それは双方の国の思惑があってのことで、決してシリンとカイの再会は純粋に喜べるようなものでもなく、この先和気あいあいとできるというわけでもないだろう。
カイの立場はとても難しく、そしてシリンの立場はそう大きなものではない。
仲よくする事、きっとそれだけでも難しいのだが、シリンの中の嬉しいと思う気持ちは全く変わらなかった。



はらりっと桃色の花びらが舞う。
季節は春。
フィリアリナの屋敷の庭で、シリンは自分の背丈ほどの桃色の花をつけた木を見る。
桜に頼んで庭に植えた”桜”の木だ。
まだ大木になるには年数が必要だが、小さくても花は咲く。

「なんだ?その木」

”桜”の木を見ていたシリンの後ろからひょっこり顔をのぞかせてきたのは甲斐。

「”桜”って木だよ」
「珍しい色の花が咲くんだな」
「綺麗でしょ?」
「ああ」

日本の木と言えば”桜”というほど有名なはずなのに、甲斐はそれを知らない。
それは少しだけ寂しく、朱里の者が日本人であるというわけではないと感じさせられる。
さわりっと風が吹くと桃色の花びらが舞う。

「今日は王宮に行かなくていいの?」
「いや、午後行かなきゃならない」

殆ど屋敷にこもりがちのシリンに対して、甲斐が屋敷にいる事は1日の半分くらいだ。
甲斐がティッシに滞在しているのは、ただ何もせずに居候しているわけではない。
朱里もティッシの事を探りたいとは思っているだろうが、ティッシもそれは同様だ。
甲斐はティッシの人たちと話すことでティッシの情報を引き出し、ティッシの人達は甲斐と話をすることで朱里についての情報を引き出す。
その情報から今の同盟がどう変化していくか決まっていくだろう。

「そっか。頑張ってね」
「頑張るさ。まだまだ無理だろうけど、愛理もシリンに会いたいって言っていたしな。オレ達国の人間がティッシに来れるようになる環境を作れればいいって思ってる」

イディスセラ族というだけでティッシの者は恐怖する。
その先入観がほんの少しでもなくなれば、他の朱里の者がティッシに訪問する事も出来るだろう。
だが、甲斐の法力が封じられたままでやっと受け入れられる現在では、それが実現するのはまだまだ先になってしまうだろう。
シリンは甲斐の両腕にはまっている細い銀の腕輪を見る。
ぱっと見ただけでも分かる、大分高度な法力封じが組み込まれている。

「そうだね。皆仲良くできるようになると嬉しいね」

今のシリンにできる事は、甲斐と普通に過ごすことだろうか。
シリンが甲斐に他の人と同じように親しげに接することによって、屋敷の者だけでも甲斐への、イディスセラ族への認識を改めるかもしれない。
ティッシ国内の認識すべてを変えるのはとても難しい。
一つ一つ、小さなことからだけでもやっていければそれでいいのではないだろうか。

(私にできる事、それが少しでもあるならやっていきたいと思うよ)

今のティッシは変わる時なのかもしれない。
閉鎖的だった朱里が少しずつ外との交流を持つことでティッシが変わり、そして恐らくその変化は世界にも影響を与えるだろう。
それは、まだまだ先のことで、この”今”ある誰にとっても真実の世界がどう変わるのか、分かる者はいないのだ。


― END.


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