WORLD OF TRUTH 26




この世界が香苗が生きていた世界と同じものとであることは分かった。
そして、桜が何故日本を知っていて、今日本…そして香苗として知っていた国が1つも残っていないのかも。
だが、シリンにはどうしても考えても分からない疑問が1つある。

『ねぇ、桜。どうして私には法術理論が理解できて、クルス殿下には無理だったのかな?』

桜がその答えを知っているのか分からない。
だが、少なくとも桜の持つ知識はシリンよりも膨大だ。
何か答えがあるのかもしれない。

『それはこの世界に住まう人間の殆どに遺伝子レベルのプロテクトが施されている状態だからじゃろう』
『遺伝子レベルのプロテクト?』
『法力強化人間の事は話したじゃろう?』

シリンは頷く。
法力が発見されて、人がその力を内包していることを知り、その持てる力を大きくするために遺伝子を操作された人間。
彼らが反乱して起きた第三次世界大戦。

『実験体となった者の多数は、すでに自分の意思で動き考える年齢に達している者じゃった。それゆえ、法力強化をしたもののオリジナル法術を考えられて研究者の知らぬ法術を使われ暴走されては困ると考えたのじゃよ』
『それで遺伝子レベルのプロテクト?』
『遺伝子レベルで巧妙に組み込まれれば解く事は難しい。法術理論を理解させないように遺伝子に刷り込ませ、それは優勢遺伝子とされ、プロテクトは今では殆どの人間にかかっている状態じゃろう』

法力を強化された者にかけられたプロテクトだったが、その強化人間と普通の人が結婚し、その子に受け継がれた遺伝子にはプロテクトがかけられたまま。
優勢遺伝子となっているそれは、生まれた子供殆どにそのプロテクトがかけられ広まる。

『殆どの人間にって事は、法力強化された人間ってそんなにたくさんいたの?』
『多いといえば多かったのじゃろうが、世界大震災の後では法力の大きな者の助けなしではまともな生活を送ることができなかった状態だったようでの。一般人の人口は一気に激減したのじゃよ。この世界の中にはプロテクトがかかっておらぬ者もいるじゃろうが、法力を自然に大きく持って生まれる人間は本当にまれじゃ、持ちうる法力が小さければ法術を使おうとも思わぬじゃろう』

法術の存在は知っていても、それを使う事ができる者はごく少数。
ティッシでは貴族しか法術を学ぶことができない。
香苗として生きていた時代、法力などという力が人の中にあることなど知らなかった。
使わなければ使わないで、そんな力などないと気付かないのかもしれない。

『あれ?でも待って、桜。そうなると私はどうして理論の理解が可能なの?』
『そうじゃな。じゃから、主が今そのように生まれ育った確率は奇跡なのじゃよ』
『ということは…』
『主のプロテクトは解けておる』

あれだけぽんぽんと法術の組み換えができるのだ。
これで法術理論を理解できないプロテクトがかかったままだと言われても、納得できないだろう。
しかし、シリンだけがプロテクトが解けているというのも妙である。

『奇跡のような確率なのじゃよ。プロテクトは人工のものゆえ、プロテクトのない一般人との交わりにより薄れていく事もあるじゃろうが、完全になくなることはない。しかしたまたま双子という状況で、法力ごとプロテクトの遺伝子が片割れに殆ど引き継がれ、更に前世の記憶という基礎学力が最初から加わったことで、身体がそのプロテクトを異物と判断して消し去ったんじゃろうな』

桜の言い方だと、遺伝子レベルのプロテクトは何重にもなっているように聞こえる。
代を重ねるごとにそのプロテクトが薄くなることもあるだろうが、決してそれが完全に解ける事はないのだろう。
やはり完全に解けないのは、複雑に遺伝子に絡み合ったものだから、そしてそう簡単に解けてしまってはプロテクトをかける意味がなくなってしまう。
必要と感じて、自分の力で解く…というのはものすごい奇跡が重ならない限り難しいだろうが…事が唯一の開放の手段。

『妾の持つ科学知識をもってしても、プロテクトを全て解く事は叶わぬ』
『それじゃ、私ってやっぱりものすごく”運がいい”?』
『そうとしか言えんの。何故主だけがと言われても、奇跡のような偶然が重なり合ってそうなったとしか言いようがないからの』

シリンはそこではっと気付く。
双子の兄であるセルドは、自分だけが法力が大きいことを少し気にしていた。
生まれてくる時シリンの分の法力まで自分が奪ってしまったのではないかと思っているからだ。
それはある意味正しいのかもしれない。
だが、セルドが奪ったという意味ではない。

(法力も、遺伝子にかけられたプロテクトも、全部セルドに押し付けちゃったんだよね)

シリンの方こそがセルドに押し付けてしまったようなものだ。
申し訳ないと思うのは、本当ならばシリンの方かもしれない。

『そのプロテクトの強いのと薄いのって、人によって違うんだよね』
『法力の大きい者は大抵プロテクトは初期のままじゃろう。法力強化した遺伝子をそのまま引き継いでおるのじゃから、プロテクトが薄れることはほぼない』
『法力の少ない人にこそ、理論を理解できる可能性はある?』
『主ほどではないにせよ、新しい法術を生み出すことは可能かもしれぬな』

少なくともシリンは新しい法術を生み出せたことがあるというのを聞いた事がない。
ただ、シリンが知っているこの世界の事はとても狭いので、もしかしたら新しい法術を生み出せる人はいるかもしれない。

『ねぇ、桜』
『なんじゃ?』
『私のように前世を持って転生する確率も、かけられた遺伝子レベルのプロテクトが解けている確率も、とてもとても低いものなんだよね』
『そうじゃな』
『けど、ありえないことじゃない?』

桜は一度ぴたりっと動きを止める。
とてもとても確率が低い、奇跡のようなものであることはシリンも分かった。
けれど、やっぱり少しだけ期待してしまうのだ。
自分と似たような境遇の人がいるのではないかと。

『先ほども言ったが、アジア大震災で溢れ出た法力を浴びた者に何が起きても不思議ではない。確率はゼロではないが、限りなく低いとだけしか言えぬ。そしてプロテクトが解けるのも同様じゃ』
『例えいたとしても、今この同じ時代に生まれる確率は更に低くなる…よね』

そうボロボロ似たような状況の人がいることもないだろう。

『寂しいか?』

桜は優しい声でシリンに訪ねる。
シリン…香苗が生きていた時代を今この世界で知ってなおかつシリンの側にいる存在、それが桜。
紫藤香苗であった頃の記憶をさらけ出しても話が出来る相手は、今はまだ桜しかいない。
けれど、桜がいてくれるだけでも十分幸せなのだろう。

『少しだけ…。でも、今の私はシリン・フィリアリナだから』

紫藤香苗として生きていた頃に戻りたいと思った日がないわけではなかった。
けれど、シリン・フィリアリナとしての日々は幸せなもので、今自分はここに生きている。

『桜がたまに日本の話をしてくれれば、嬉しいかも』
『我が父の故郷の話じゃ、主が望めばいくらでもしようぞ』
『うん』

かつて日本と呼ばれた地は今は全て海の底。
海の底にもぐることは難しいかもしれないが、法術を使えば可能かもしれない。
いつか、かつての故郷に訪れてみたいものだとシリンは思う。



気がつけばもうそろそろ日が沈む時間である。
そんなに長い時間話していたのだろうかと、シリンは思う。

『そうじゃ、主よ。1つ伝えておこうと思ったことがあったのじゃ』
『伝える事?』
『朱里の状況じゃ』

シリンは桜の主であり、桜は朱里を護っている結界の要のようなもの。

『朱里の中でもごく一部の者は、妾の本来を力を出す為にキーが必要であることを知っておる』
『それって桜が立体映像だって知っているってこと?』

桜はゆっくりと首を横に振る。
立体映像の概念がないこの時代、桜がそうであると思いつく人もいないだろう。

『妾が”人”ではないことを知っておるだけじゃ。妾が人ではなく自然に宿るような存在と思っており、しかし、妾の力で朱里に結界を張っている事は理解している者達じゃ』

桜の存在を知っている者達の中に、何故かカイと愛理が入るのだとシリンは自然にそう思った。
桜の存在を何の疑問も持たずに受け入れていたこと、突然現れたかのような桜に驚きもしなかったこと。

『その者達は朱里を創設した子孫でな、朱里の行く末を決める権限を持っておる』
『キーが必要だって知っているってことは、桜の主が…』
『お主である事も知っておる』

シリンはぎゅっと拳を握り締める。
あの時は後の事を考えずに、それが最良だと思って桜の問いに普通に答えた。
それは今も後悔していない。
日本を知る”友人”が1人できたのだから、嬉しい事だ。

『つまり、私が狙われる可能性がある?』

それが命を狙われるのか、シリンの存在自体を狙われるのか分からない。
だが、シュリの者がシリンを放っておく事はないだろう。
何らかの手段で接触をしてこようとはしてくるはずだ。

『命の危険はない、そして朱里の者がティッシにそれを漏らす事もないじゃろう』

シリンが桜の主である事。
それは朱里の弱みになり、それをティッシに知られればティッシはシリンを利用して朱里を潰そうとするかもしれない。
シリンが理解しなければならないのは、桜の主である責任と覚悟。

(大事にはならないかもしれないけど、その可能性があることを頭においておくべきなんだよね)

シリンがすべき事は、ティッシに利用されない事、そしてシュリにも利用されない事だ。
桜の力は無闇に使っていいものではないのだ。

(それが桜の主になった、私の責任)

強大な力を使う権利がシリンにはある。
それを無闇に使おうとは思わないが、きっとそれを使っていい時と使っては駄目な時を自分で見極めなくてはいけないのだ。
間違えれば、再び世界が滅びかねない戦争が起きるかもしれないのだから。
それだけの力が桜にはある。

『そう考え込む事もないじゃろうて、主よ。気楽で良い』
『桜…』

シリンが考え始めたのは最悪の手段。
もしかしたら朱里はとても友好的にシリンに接してくるかもしれないし、それをティッシ側が疑問に思う事はないのかもしれない。
シリンには自分が考えている以上に、強い味方が周囲にいる。

『ティッシと朱里の国交が落ち着いたら、主を1度日本に招きたいの』
『日本…って、行けるの?!海の底じゃないの?』
『勿論海の底じゃよ。じゃが、妾の本体は無事なのじゃから、そこの研究所は丸々残っておる』

海の底に眠る桜の本体と、それを護るような研究施設。
それが建つのはかつての日本の地。

『”桜”の苗を一株主の庭にどうじゃ?』
『さく、ら…』
『研究所には色々な植物も保管してあるのじゃよ。妾の名になった”桜”、主はいらぬか?』

ティッシには桜の木はない。
ここが地球であるというのならば、もしかしたらどこかに残っているのかもしれない。
しかし、世界で大きな戦争と震災があったのだ。
桜の木など1枝も残すことなく消えてしまったのかもしれないとも思った。

『欲しい…!』
『ならば、落ち着いたら共に取りに行こうぞ』
『うん』

シリンは泣きそうな表情で笑みを浮かべる。
懐かしい日本の事。
家族にも、どんなに親しい人にも、日本人の子孫であるだろうカイや愛理にも話せない事。
それを口にできるのは、懐かしくて、少しだけ寂しくて、そして嬉しい。

西洋風のこの屋敷に桜の木は、ほんの少しだけ違和感があるかもしれない。
過去を見てばかりいるのは駄目な事なのだとシリンは思う。
けれど、ほんのちょっとだけ懐かしさに浸りたいと思ってもいいんじゃないか、とも思うのだった。


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