WORLD OF TRUTH 17



シリンは与えられた部屋でのんびり過ごし、1日2回ひょっこり顔を出してくれる愛理と話をして過ごしていた。
色々日本っぽとは思っていたが、やはり食事も見事に日本食だったのには驚いた。
久しぶりの箸は、どうも最初は使い方に手間取ったが、今では以前のように綺麗に使えるようになっていた。
日本語の方も愛理と話しているうちに、普通に話せるように戻っていた。
シリンがシュリに来て3日が経つ。

『シリンってすごいね』
『ん?』
『だって、イディスセラ語がペラペラなだけじゃなくて、箸もすぐに扱えるようになるし!』

(そりゃ、元々日本人で日本語しゃべってお箸使ってたからね)

『お箸って外から来た人が使おうとすると、すごく難しいんだって』
『そうなんだ』

(て、あれ?どうして外から来た人が箸使うの難しいって知っているんだろ?)

シュリは国交がほとんどないはずである。
国を覆うように結界があり、普通では入り込めないらしいと聞いた事があるのだ。
鎖国のような状態かと思っていたが、ティッシとは別の国とは条件付でなんらかの交易でもしているのだろうか。

バタバタバタッ

『あれ?なんか騒がしいね』

愛理が騒がしい足音に首を傾げる。
足音はこちらに近づいてくるようで、愛理とシリンは足音のが聞こえる方を見る。

「シリン!」

足音の主が見えると同時に、名前を呼ばれたのはシリンの方で、は?と一瞬間抜けな声を出しそうになるが、その声の主がシリンにがしっと抱きついてきたので声は誰にも聞こえなかっただろう。
突然来た人に名前を呼ばれ、さらに抱きつかれて、シリンは驚いたまま固まる。

(えっと…何?)

突然抱きしめられてシリンは相手が誰が分からずもそのまま抵抗もせずに、固まってしまう。

『お兄ちゃん!いきなり女の子に抱きつくなんてすごく失礼だよ!』

愛理がシリンに抱きついている相手に怒鳴りつけている。
どうやらシリンに抱きついている相手は愛理の兄のようである。
しかし、イディスセラ族にシリンの名前を知っていて、尚且つ知り合いなど…。
一瞬、胸がどきりっとなる。

(1人だけいる)

「カイ?」

まさかと思いながらその名を口にする。
1年前にティッシから脱獄したイディスセラ族の少年。
シリンの言葉に体が少し揺れたところを見ると、正解なのだろう。

(あ、すごく嬉しいかも…)

何の傷もなく、元気そうなカイがいることがものすごく嬉しいと感じる。
抱きしめられた暖かさに涙が出そうになるほど安心する。

「今さっき、兄さんからシリンが静香に連れてこられてここにいるって聞いて…」
「兄さん?」

そう言えば兄がいるということを聞いた覚えがある。
カイはシリンから身体を離し、シリンをじっと見る。
1年ぶりに会ったカイは成長しているようだった。
前よりも身体が大きくなっているし、顔立ちも大人っぽくなってきている。
思わず顔が赤くなりそうなのを小さく息を吐いて、自分の心を落ち着かせるシリン。

「静香が逃げる為に人質を連れてきたってのは聞いてたけど、名前を聞いたのは今日だったから今まで気づかなくて…」
「あ、うん」

(えーっと、そんな申し訳なさそうな顔しなくてもいいんだけど)

ティッシでは名門と言ってもいいフィリアリナ家に生まれたからには、イディスセラ族でなくても何かしらの危害を加えられそうな目にあうかもしれない事は覚悟していた。
何しろシリンにはそれに抗うだけの力がない。
その為にも自分の持てる法術で何とかできるようになっていればよかったのだが、イディスセラ族のあの女の人に浚われてしまった今のシリンは、そう待遇は悪くないと思っている。
いや、むしろ破格の待遇ではないだろうか。

(それに、カイが無事で元気でいることの方が嬉しいし)

「別に気にしなくても、すごく良くしてもらってるし。愛理が来てくれるから寂しくもないし」
「そうか?」
「うん、大丈夫だよ」

カイはほっとしたようにシリンを見る。
シリンはいずれこういうことが起こるかもしれないことは覚悟していた。
だから、カイにそんなことで後ろめたい気持ちになって欲しくない。

『お兄ちゃんとシリンって知り合いなの?』

きょとんっとしている愛理。
愛理がカイを”お兄ちゃん”と呼ぶという事は、愛理はカイの妹ということになる。
愛理の話にできた兄というのはカイのことだったのか、とシリンは妙な縁に少し驚く。

『ああ、オレがティッシに捕まった時に逃げるのに協力してくれた子だよ』
『え?!じゃあ、お兄ちゃんが散々…』

とっさに愛理の口を塞ぐカイ。
愛理が何を言いかけたのか分からないが、カイのあまりの慌てようにシリンはふと思う。

(あれ?もしかしてカイって…)

愛理は自分の口を塞いでいるカイの手をぐいっと退ける。

『愛理、お前なぁ!』
『だって事実でしょ?』
『仕方ないだろ!あん時はものすごく悩んだんだよ!』
『あー、開き直ってるし』

じとーっとした目でカイを見る愛理。
むっとしながらカイは愛理を見る。

『それなら、お兄ちゃんが来る前にシリンに聞けば良かった』
『何をだ、何を!』
『どうしてお兄ちゃんを助けてくれた、……とか?』

にやりっと愛理は笑みを浮かべてカイを見る。
カイはぐ…と黙って少しだけ顔を赤くする。

『愛理、お前っ!シリンに余計なこと言っていないよな?!』
『えー、余計なことってなぁに?』
『余計なことは余計なことだ!』

イディスセラ語で言い合う2人だが、カイはシリンがイディスセラ語を話せることを知らないはずである。
冷静に考えれば、イディスセラ語しか話せない愛理がシリンに何かを言えるはずもないと分かるだろうに、今のカイは全然冷静ではないらしい。

(えっと…やっぱり、カイってもしかしなくても)

カイのとてつもなく素直な反応を見て、シリンはなんとなくだが自分の想いはもしかして一方的なものではないかもしれないと思う。
本人から明確な言葉を聞かなくてもこの反応を見れば、少なくとも好感を持たれていることは分かる。
それがどんな部類になるものかは分からないが。
シリンは頬が少しだけ熱くなるのが分かった。

(落ち着け、落ち着け、自分。とりあえず、今はそんなこと期待している場合じゃないんだってば。状況が状況なんだし)

小さく深呼吸をしながら、自分の想いと期待を思考の奥にしまうことにする。
これが本当の8歳だったならば、ティッシとシュリの戦争の事など頭の中からすっぽり抜けてカイと自分の想いについて考えるのに精一杯になってしまうだろう。
だが、シリンは精神的に大人だった。
自分の気持ちを落ち着かせて、ほんのり赤くなっていた頬の色を元に戻すように自分をコントロールできるくらいには。

「シリン?どうした?」
「え?…ううん、なんでもないよ」

何も気が付かなかったかのように、シリンはカイの問いににこりっと笑みを返す。

『お兄ちゃんって、やっぱり散々言ってたように』
『あのなぁ!それは仕方ないだろ!』

ニンマリ笑みを浮かべる愛理を見るに、カイは自分の気持ちが周囲に気付かれていないとでも思っているのか。
シリンでさえ、再会してすぐになんとなく悟ったというのに、もしかしてカイはものすごく鈍いのだろうか。

『甲斐、じゃれ合うもの結構じゃが、そんな事を言いにきたわけではないじゃろう?』

いつの間にここに来たのか分からないが、A・Iの姿がシリンのすぐ後ろにあった。
思わずびくっとなってしまうシリン。

(いつの間に…。いや、私は気配を感じ取れるわけじゃないけど、流石にこんなに近くにいれば気づくと思ったのに)

彼女がここにいたことに全く気付かなかった。
愛理とカイはいつものことだと思っているのが、全く驚いていない。
A・Iはこういう現れ方をするのが普通なのだろうか。

『ああ、そうだった』

カイはふっと真剣な表情になる。

『愛理、城の方に避難した方がいい。混乱を避けるために1度に避難を促すことは出来ないが、もう何十人も城の方へと避難している』
『避難って何で?』
『ティッシが攻めてくる』

きゅっとシリンの表情が悲しみを帯びたものへと変わる。
愛理の方は一瞬何を言われたのか分からないようだった。

『お兄ちゃん、でも結界があるじゃない』
『多分、破られるだろうって思ってる。静香が言うにはティッシは万全の体制を整えて進軍するらしいって事だ』
『静香義姉さんが…』
『静香はそれを伝える為に、無理をしてティッシから脱獄してきたって言ってた』

身体のあちこちに傷を負っていたシリンをここまで連れて来た女性、それが静香なのだろう。
確かにあれだけの軍人がいて、さらにたくさんの傷を負っていて、シュリに戻ってくることが出来たのはシリンというとても都合のいい人質を見つけることができたからだろう。

『結界だって万全じゃない。ティッシの法術師全てが破ろうと思えば破れないものじゃないはずだ。そうだろ、エーアイ?』
『今の妾に出来る程度の結界じゃからの。本来の力を使うことができれば破れぬ結界も作れるのじゃが、それは無理じゃ』
『エーアイの問いに答えられる人が誰もいないからな』

はぁとため息をつくカイと困ったような笑みを浮かべているA・I。

『妾の”親”の子孫ゆえ、なるべく便宜を図りたいとは思うのじゃが、そう設定されてしまっておるからの、その設定までは妾では手が出ぬのが不便でたまらぬ』
『けど、今の結界だけでも十分だと思うよ。ここはオレ達の国だからな。エーアイにばっかり頼ってなんていられないし』
『頼もしい限りじゃの、甲斐』

A・Iはにっこりと笑みを浮かべる。
会話を理解できても、シリンにはこの会話の意味が良く分からない。
シュリを覆う結界を張っているのが、彼女であることくらいしか分からない。

『その調子で、シリンを抱えて城まで急ぐのじゃよ』
『エーアイ?』
『幼子1人を運ぶ程度、お主ならば軽いじゃろう?』

すぅっと彼女が手を伸ばすと、その手にはいつの間にか扇が握られていた。
ぱらりっとゆっくりと扇を開く。

『結界が破られるようじゃ』


どんっ!!


彼女が扇を構えたと同時に遠くの方で爆音が響き渡る。
はっとして音の方を見れば、土ぼこりなのか煙なのか分からないが、確かに何かが爆発したらしき状況がそこにあった。

(戦争が…始まる?)

どくんっと心臓が嫌な音を立てる。
ここに来る前、クルスや両親、セルドから聞いていて分かっていた事だった。
それでも、本格的な戦争などやっぱり嫌で、大切な人たちが傷つくのは嫌だと思う。
偽善的な考え方かもしれないが、争いは新たな憎しみや悲しみを生み出してしまう事は確かであると思うから。


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