WORLD OF TRUTH 05



シリンはカイに嵌められた手錠の法術の解除に取り掛かったのだが、やはりというかなんというか、シリンは毎日カイの所に通えるわけではない。
両親どちらかが戻って来た時は散歩など行けないし、セルドが通っている学院にも休暇というものがある。
セルドが家に帰って来た時は、当然のことながら勉強をサボることなどできなかった。

(兄様、真面目だし)

真面目すぎるくらい真面目なところがセルドのいい所であり、悪い所だろう。

「兄様、学院は楽しい?」

セルドが休暇で屋敷に帰って来ている今日、シリンはセルドと庭でひなたぼっこを兼ねてお茶をしていた。
さわさわと吹く風が気持ちい。
ほんわかと暖かいこの季節でなければ、外でお茶など考えもしないだろう。

「そうだね、色々なことを学ぶから、新しい事を覚えるのは楽しいよ」

苦笑するセルドの表情に、少しだけ悲しいような感情が見えた。

「兄様?」

シリンはそれに気づいて、伺うようにセルドを見る。
セルドは両手をカップに添えたまま、その中で揺れる液体を見ている。

「だけど…、覚えていくことが時々すごく物騒だと思うことがある」

学院で何を学んでいるのか、シリンは詳しくは知らない。
法術に関して更に詳しいこと、そしてティッシの国になるためのこと。
学院に入って卒業して行く道は2つある。
政治家となって国の頭脳となるか、軍に入り国の剣となるか。

「シリンは学院に入りたいって思ってる?」

セルドはふっと顔を上げてシリンに問う。
シリンはふるふるっと首を横に振る。

(あんな面倒そうな所絶対に嫌だ)

心の中で思っていることは口に出さず、否定だけをシリンは伝える。

「そうか、そうだね。…あの学院で学ぶことは、いいことばかりじゃないしね」

どこか沈んだようにセルドは目を伏せる。

「兄様、学院で何かあったの?」

いつものお茶の時と様子がおかしい。
学院での勉強詰めで精神的に不安定なのだろうか。
セルドもシリンとそう年齢が変わらない7歳の子供なのだ。

「いや、なんでもないよ」
「でも…、兄様の顔」
「なんでもないって言ってる!」

声を荒げたセルドにシリンは驚く。
優しげな雰囲気と笑みを浮かべたこの兄が、怒鳴ったことはこれが初めてだった。
本当に小さな頃は泣いたりしたこともあったが、それは1歳未満の頃のことで、その頃ならば誰だって泣いたりするものだ。
セルドははっとなって、自分が声を荒げたことでシリンから目を逸らす。

「ごめん、本当になんでもないんだ。ちょっと、そう…、ちょっとだけ上手く理解できない講義があって」

イライラしているのか、それとも学院で何かあったのか、それはシリンには分からない。
今のセルドは危なっかしく見えた。
まるでグラグラ揺れるつり橋の上を1人で我慢して歩いているかのように。
シリンは椅子からすとんっと床に降りる。
席からシリンが降りたことで、シリンに嫌な思いをさせてしまったのかと思ったのか、セルドはすごく悲しそうで寂しそうな表情になる。
シリンはセルドが座っている椅子にとことこ近づき、そのままセルドに激突するようにセルドの腰に抱きつく。

「シ、シリン?!」

セルドが椅子に座っていても、シリンの背はあまり高くないので腰のあたりにしか抱きつけないのが悲しいが、それは仕方ないだろう。

「兄様、あんまり頑張りすぎないでね」

シリンはちょこっとだけ顔を上げて、セルドを見上げる。
まだ7歳のこの兄に、あまり無理をしないで欲しいと思う。

「私にとって兄様はセルド兄様しかいないから、代わりなんていないから、兄様が頑張りすぎて無理しないで欲しい、悲しい顔しないで欲しい」
「シリン…」

セルドはとても優秀だという事は聞いている。
だが、幼いながらに優秀というのは年上の者からすれば目障りであると感じられることもあるだろう。
難しい勉強だけじゃなく、そういう人間関係がセルドにとってはまだ重いのではないのだろうか。
そして、周囲の過度と思えるほどの期待も。

「兄様が笑っていてくれるのが、私は一番嬉しいよ」

セルドはその言葉に一瞬驚くが、すぐにふわりっと優しい笑みを浮かべる。

「ありがとう、シリン」

シリンは周囲がセルドに向けるような期待を決して向けない。
このティッシという国の為に役立ち、セルドが周囲に認められるのは嬉しいとは思う。
でも、笑顔でいて欲しいと思うのが一番だ。

「シリンも頑張っているのに、僕が弱気になっていちゃ駄目だよね」
「私、何も頑張ってないよ?」

(むしろ、礼儀作法の勉強も色々サボりまくっているんだけど…)

とは正直には言えないので、心の中でのみに留めておく。

「シリンは何を言われても、我慢しているよね」
「へ?」
「シリンのせいじゃないのに、シリンは何も悪くないのに…」

セルドはとても悲しそうな表情になる。
シリンはセルドが何を言いたいのか気づく。

(もしかして、知ってる?私が散歩に出ると色々言われていること…)

セルドはとても優秀だ。
その優秀さが疎まれることがあったとしても、フィリアリナという家柄とその優秀さからセルドの機嫌を損ねるよりも、味方にしたほうがいいと思う者の方が多いだろうとシリンは思う。
フィリアリナ家は貴族の中でもそれだけ名門な家柄なのだから。
そのセルドにわざわざシリンを貶めるような事を言ったり、そんなことを言う者がいるともらす人がいるだろうか、と思っていたのだ。

「シリンは僕が気づいてないと思ってた?」
「え、あ…」

(普通に思ってました…)

セルドはどこか不満そうな顔をする。
そんなこと言われても、まだ7歳の少年が気づくはずもないだろうとシリンは思っていたのだ。
口の軽い貴族のお坊ちゃまやお嬢様あたりが口を滑らせない限りは。

「誰かが言ってたのを聞いたの?」
「否定はしないんだね、シリン」
「う…」

(もしや、カマかけられただけ?!)

「雰囲気がね、シリンのことを話すと相手の雰囲気が変わるんだ。だから、相手がシリンのことをどう思っているかなんとなく分かっていた。そこから推測したんだよ」

本当に7歳ですか、と問いたくなってくる。
確かにこの兄は優秀だ、優秀すぎるほどに。
しかし、この年で相手の感情を悟るほどに優秀でいいのだろうか。
相手が同じくらいの年ならば、感情を隠すのが下手だから分かったというのもあるかもしれないが。

「えっとね、兄様」
「何だい?シリン」
「私は平気だから。何言われても全然平気だから、その事で兄様の負担になりたくないよ」

学院で気を許す相手はいるだろうか。
無理をしていないだろうか。
学院で大変ならば、それ以上負担をかけたくない。

「負担だなんて思ってないよ、シリン。だって、シリンは僕と双子だったせいで…」

きゅっと口を結ぶセルド。

(もしかして、まだ気にしてるの?私の持ってる法力が小さいこと)

シリンの法力は本当に小さい。
そしてセルドの持つ法力はこの国一番と思われるほどに大きい。
ここから推測されるに、シリンが本来持つべきだった法力が兄であるセルドに殆ど奪われてそして生まれてきてしまったのではないのだろうか、という事だ。
それはあくまで推測であり、それが事実かどうかも分からないというのに、セルドはそれをずっと気にしている。

「あのね、兄様」

シリンは呆れたようなため息をつく。

「私、学院に行きたいとも思ってないし、法力がもっと強ければ…なんて思ったことないよ?」

(そりゃ、法力がもっとあればカイを助けるのにこんなに時間かからないから、あればあったで助かるけどね)

法力がもっと強ければと思ったことないのは嘘だ。
そう思ったことはあるが、ただ、法力がもっと欲しいと願ったことはない。
そして、それについて兄のセルドを羨んだことは1度もない。

「今のままで満足だよ。だって、兄様には悪いけど、兄様みたいに法力が大きかったらたくさん勉強しなきゃならないから大変そうだもん。私お勉強嫌いだから学院にも行きたくないし」

面倒そうにシリンは顔を顰める。
これは本音だ。
面倒なことは嫌い、だから法力も必要ない。
今ある少ない法力で出来る事で十分だと思っている。
セルドはシリンの言葉に驚いたようだった。

「そんなに勉強が嫌いかい?」

くすくすっと笑い出すセルド。

「うん」
「だから、先生が来る時間に部屋にいないようにしているの?」
「兄様何でそれ知ってるの?!」

兄が帰省している時はちゃんと勉強の時間は部屋にいるようにしている。
両親が帰ってきた時も同様である。
大方、先生が言ったのだろう。

「いいもん。だって、兄様や父様や母様が守ってくれるから。私はそんなの覚える必要なんてないもん」

適材適所、ということでシリンは法術を勉強しなくてもいいだろうと自分で結論付けている。
ただ理論は独学で学んではいるが、それはそれである。

「そうだね」

父も母も国の重要な役職を任されている。
国を守る為に、持つ法力を最大限に活かせる場所、そうティッシの軍に。
母は女性なので軍と言っても前線に出ないところに所属しているはずだろうが、どの役職なのかまでは知らない。
恐らく兄もそのうち軍あたりに所属することになるだろう。

(軍に入りたいだなんて思わない。でも、守られているだけの箱入りじゃ駄目なことも分かっている。だけど、兄様達には守られているだけの存在だと認識していてもらいたい)

うろちょろされる方が、きっと心配をかけてしまうだろうから。
シリンの生まれたフィリアリナ家というのはこの国ティッシの中でも名門の家柄の為、その家を狙う者も多い。
それは他国であったり、自国の者でもあったり。
だから、屋敷で守られているだけの存在の方がきっといいのだと思っている。

(屋敷にこもりっきりじゃ、流石に窮屈で仕方ないけどね)

そのうち屋敷の外にも出かけたり、城下町にも出てみたいとは思っている。
そのためには自分のオリジナルの使えそうな法術を完成させるべきだろう。

「シリンは僕が守るよ」

優しい笑みを浮かべてセルドはそう言う。
その言葉に迷いは見られない。

(兄様が守ってくれると思っているならば、私は兄様が優しい笑みを浮かべる場所を守るよ。この屋敷で、兄様が一息つけるように、いつも笑顔で兄様を迎えることができるように)

閉じこもりっきりのお姫様になる気はないが、それでもセルドが安心できるような存在になりたいとシリンは思った。
周りで嫌なこともあるだろうけど、それを笑顔で受け止められるようになりたい。
シリンだって人間だ、八つ当たりばかりされれば嫌になるが、それでも受け止めることができる人間になりたいと思うのだ。


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