WORLD OF TRUTH 02



5歳にもなると、書物が結構読めるようになる。
しかし難しい言葉は読むことが出来ない為、そうすらすらと読めるわけではない。
シリンは知りたいことがあると、屋敷の書庫に篭るようになっていた。
書庫で必要な本を借りて、自分の部屋でゆっくり読む。

(分からない言葉があると、誰かに聞かなきゃならないのがつらいんだよね)

1つくらいだったら、周囲の文章の雰囲気から意味を想像できるが、知らない言葉の羅列だったりするとお手上げである。
いつものように部屋に篭って、シリンが書物を読んでいると、後ろから手が伸びてひょいっと本を取られてしまう。

「シリン」

名を呼ばれ後ろを振り向けば、兄セルドの姿がそこにある。

「にいさま」
「また、法術の授業をサボったね」
「だって、むずかしくてわからないんだもん」

面倒くさいとも言う。
実際シリンには法術の才能はないようで、そこそこ頑張っている程度では何もできないと同じくらいだ。
一方生まれつき強大な法力を持つセルドは、法術の才能があるようでみるみるうちに上達をしていく。

「難しいなら、分からない所は僕が教えるよ」
「でも、にいさまのおべんきょうのじゃまはしたくない」

これは本音である。
一生懸命勉強をしているセルドの邪魔にはなりたくない。
シリンが法術の勉強をサボるのも、それが原因のひとつだ。
理解が遅いシリンに付き合っていると授業自体がなかなか進まないのだ。
セルドはもう随分先のことまで覚えているのに、シリンのせいで基礎に逆戻りになってしまう。
もう1つの理由は、書庫の書物を読んでいる方が有意義だと感じるから。

「邪魔になんかならないよ。だから、きちんと勉強しよう?先生も困ってらっしゃるよ」

ぐいっとセルドに手を引っ張られる。

「うん…」

しぶしぶながら立ち上がり、セルドに引っ張られるままシリンは部屋を後にする。
シリンの手を引くセルドが妙に嬉しそうだったから、断るに断れないという状況だった。
何がそんなに嬉しいのか分からないが、もしかして1人で勉強するのが嫌だったのだろうか。
シリンはセルドに分からないように小さくため息をついた。


法術の教師は3歳の頃から変わっていない。
初老の話の長い人だ。
セルドがシリンの手をひっぱってつれてくるのを見ると、一瞬面倒そうな表情をしたのをシリンは見逃さなかった。
だが、その表情はすぐに作り笑顔に変わる。

「シリン姫様、ようやくいらしてくださったのですね」

シリンはバツの悪そうな表情を自分で”作る”。

「セルド様の手を煩わせてはいけませんよ。さて、シリン姫様はどこまで覚えていましたかな?」

ぱらぱらっと教本をめくる老教師。
あるページで手を止めた老教師は、それを見ながらシリンに説明をする。
セルドはセルドで自分の法術の勉強用の教本を読み始めていた。
だからきっと、セルドは今の老教師の目を知らないのだろう。

「よろしいですか、シリン姫様。法術には”声”で発動する方法と”印”で発動する方法の2つがございます。シリン姫様は持っていらっしゃる法力が少ないようですから”声”での発動を目標とした方がよろしいでしょう」

老教師がシリンを見る目は、決して暖かくない。
冷たいわけではないが、この目はシリンをどこか見下している目だ。
この目がシリンは嫌だった。
精神年齢が例え実年齢より上とはいえ、こういう目で見られるものはいい気分ではない。
法力が高い者が多いはずのフィリアリナ家の人間でありながら、何の役にも立たないほどの法力しか持って生まれなかったシリン。

(私の法力が役に立たないのは分かってるけど、こういう目で見られるのは気分が悪いんだよね)

すぐにでも逃げ出したい気分だが、すぐ側に座りながら教本を読んでいるセルドがどこか楽しそうに見える。
やはり1人で勉強するのが嫌だったのだろうか。
シリンは仕方ないと思い、老教師の話に少しだけ耳を傾ける。
この教師は教えるのが下手だろう。
シリンの頭のデキがあまり良くないというのは自覚しているのだが、この老教師は余計な説明が多い。
理解した場所の説明を思い返せば余計な言葉多いというのが分かる。

(教師ならもっと簡潔にまとめて教えてよね)

「声での発動も印での発動も、どちらもそれは切欠でしかございません。重要なのは法力のコントロールにあるのです。”決められた言葉”を繰り返すことで、最初の発動を心がけてください」

何度も同じような説明を聞いて、シリンはシリンなりに法術を理解はしている。
ただ、法力のコントロールというのがイマイチ良く分からない。
理論は理解できても、実際使うとなると感覚的な問題だろう。

「先生、シリンはいつになったら実戦ができるようになるのですか?」

いつの間にか本を読み終わっていたセルドが顔を上げて尋ねる。

「シリン姫様はご理解をまだされていないようですから、セルド様と同じ速度で学習するのはまだ無理かと」
「でも、やってみれば案外すぐにできることも…」
「セルド様。セルド様はご自分のことに集中なさって下さい。貴方はこの国の全ての者が期待を寄せる存在なのです。その身体の内に秘められた法力の大きさ、恐らくこの国一番になるだろうものなのですよ」
「…それは…わかっています」
「双子の妹君をご心配される気持ちは分かりますが、セルド様が頑張ることをシリン姫様も望んでいらっしゃいます」

(誰がいつそんなことを望んだのさ、このボケ老人がっ!)

まだ流暢に言葉を話せるとは言いがたいリシンは、心の中でこの老教師を罵倒するのみに留める。
セルドは傷ついたように顔を歪め、老教師を見ている。
それは大人から見れば、勉強が嫌で駄々をこねているだけにも見えるかもしれない。
でも、シリンは双子だからか、ずっと一緒に育ってきているからか、なんとなく分かる。
多分、セルドはその”期待”が重荷なのだろう。

「せんせー、わたし、にいさまといっしょがいい!」
「シリン姫様?」
「にいさまといっしょなら、おべんきょうたくさん分かるようになるっておもう!」

セルドのそんな表情は嫌だとシリンは思った。
まだ5歳の少年なのだ。
将来を決められたかのように勉強勉強の毎日。
そんなことがあっていいはずがない。

「ですが、シリン姫様。あなたとセルド様とは学ばれているレベルが違うのです」
「ちがうとどうしてだめなの?」
「駄目って、シリン姫様、ご自分の学ばれているものとは違うレベルのものを学ぶ者が近くにいると知識が混乱してしまうでしょう」
「どうして?」
「どうしてって…」
「ちしきが…、別のことを耳に入れることでちしきがこんらんしてしまうならば、それは今ある自分のちしきを真にりかいしていないことにならないのかな?それなら、きほんからやり直すべきだとおもうよ」

シリンの言葉に、老教師は驚いたように目を開く。
出来損ないの子供がこんなことを言ってくるとは思わなかったのだろう。
ナメてもらっては困る。
例え知識が初心者並でも、言葉がまだ流暢に話せなくても、”香苗”としての16年がちゃんとあるシリンは、セルドよりも考え方は多岐に渡る。

「わたしとにいさまがいっしょにおべんきょうをすることで、にいさまの学ぶスピードが落ちるならばしかたないとおもう。でも、やってもみないで”こうなってしまう”と決めつけないで」

(クソ爺が、子供にあんな顔させるんじゃない!)

「それに…わたし、ひとりでおべんきょうしてもつまんない」

シリンのこの言葉は自分の思っていることではなかった。
”香苗”の頃から、シリンは1人で集中して一気に頭に詰め込むような勉強方法が一番合っている。
シリンのこの言葉は、セルドのためだ。

「…仕方ありませんね」

はぁっと大きなため息をつく老教師。

「セルド様とシリン姫様の実践に入りましょう」

ぱっとセルドとシリンの表情が明るくなる。
セルドはシリンと一緒にいられる喜びで、シリンはセルドに悲しい顔をさせなくなる喜びで。
シリンは自分がセルドの為に行動していることを、セルド自信に悟られてはいけないと思った。

(今はまだいいけど、大きくなったら言動には気をつけなきゃ。ちょっとしたことでバレちゃセルド兄様が絶対に困るし)

互いを見合わせて、にこりっと笑みを浮かべる。
まだ5歳のセルドに、悲しい顔をさせるなんて嫌だとシリンは思った。
自分の法力がセルドに全てとられてしまって生まれたとしても、シリンは今ここに生きてセルドという片割れが成長することを見守ることが、楽しみなのかもしれないと思った。



法術の実践は意外と楽しい。
知識ばかり詰め込まれるのはあまり好きではないシリンにとって、実践から学ぶことというのは性に合っていた。
とは言っても、生まれ持った法力が少ないシリンは使える法術も限りがある。
実践で出来るようになったとしても、セルドと同じように法術を使うことなど出来ないのだ。

「にいさま、すごい!」

セルドが法術を行う所を見ながら、シリンはぱちぱちっと手を叩く。
シリンはすでに自分が使えるだけの初級の法術は殆ど使えるようになってしまった。
セルドも初級の法術は勿論使用可能だ。
そもそも、初級の法術は発動方法さえ丸暗記すれば発動するものであり、あまり難しいものではない。
しかし、シリンの法力では初級程度が限界であり、それ以上の法術を覚えても使うことが出来ない。

(んでも、やりようによっては、他にも使い方があると思うんだよね)

法術以外の勉強は、礼儀作法であったり、一般常識であったりするが、それは全て貴族としてのもので、シリンはその勉強があまり好きではなかった。
シリンが今思っていること。
それは”外”へ遊びに行くことである。

「シリンも見てないでやらなきゃ駄目だよ」
「いいの!わたしはみているのがおべんきょうだから!」

シリンはにこりっと笑う。
今セルドが使っている法術は、シリンにはすでに使うことが出来ないレベルのものだ。
セルドもそれが分かっているのか、あまり強くは言わない。

(火を呼んだり、水を呼んだり、風をおこしたりすることができるならば、空を飛ぶことくらい長くなくてもできるかもしれないんだよね)

跳躍の補助的な法術というものが作れないだろうか、とシリンは思っているのだ。
”外”へ行きたくても、門や壁を越える為には相当なジャンプ力が必要。
シリンが”外”に行きたいと言って、果たして許可が出るかどうか分からない。
ならば、自力で外出できるようにならなければならない。

「にいさま、がんばって!」

兄の法術を見ながらシリンは考える。
オリジナルの法術を。
自分の持つ法力で出来る事などたかが知れているが、外に出ることができる程度でいい。
そんな法術を使えるようになりたいとシリンは思ったのだった。


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