WOT-2nd-After01



シリン・フィリアリナの1日は日が昇ると同時に始まる。
朱里から帰ってきてもシリンの毎日が目まぐるしく変わる事もない。
ただ、たまにミシェル嬢達のお茶会に呼ばれるようになったくらいだ。
その場でシリンを悪く言う人は誰1人いず、そういう子達をミシェルが選んでくれているのだろうと思う。
だが、憧れのまなざしを向けられるのはちょっと困っていたりする。

(そんな、すごい事しているわけでもないしね)

相変わらずの自分への評価は過小評価であり、だからこそ向上心を忘れない。
それはそれで良い事だと言えるのかもしれない。

(さて、今日は島に行くかな)

ぱぱっと着替え、シリンはぱちんっと軽く指を鳴らす。
その音と同時に室内にぼぅっと浮かび上がる法術陣。
これはシリンが作り上げた移動用の法術陣で、今現在はシリンにしか使えない。
理論を理解しなければ使えないのだから、シリン以外が使うのは難しいだろう。
ひょいっとその法術陣にシリンが足を踏み入れると、シリンの姿はふっとかきえたのだった。



とんっという足音とともにたどり着いたのは、元日本列島であり、桜の本体もある島の海中にある研究所内である。
比較的暇なシリンは、良くこの島の研究所内に来ている。

『よ、姉さん!上の家もソコソコ形になってきたぜ』
『ほんと?!』

気軽を右手を上げたのは白衣姿の翔太だ。
たまに朱里に助言をしたりする以外は暇な翔太も、シリン同様時間を持て余しているのかもしれない。

『やっぱり休憩所的な場所は欲しいもんね』

シリンだけがここに来るのならば構わないが、クルスと甲斐の法術講座の為の広い場所としてここを利用してしようと思っているシリン。
それを聞いて翔太と桜がこの上に休憩できる建物があった方がいいだろうと提案。
最初は、シリンが使うのだから自分の法術で作り上げようと思っていたのだが、これがなかなか大変。
桜の機械的な技術を使って作り上げた方が早いだろうという事で、翔太と桜が共同でやってくれている。

『休憩所と表現するには、かなり立派なものになりそうじゃがの』
『え、なにそれ?山小屋みたいな感じじゃないの?』
『父上がそんなショボイものを作ろうとするわけがなかろう?』

シリンに対して過保護な翔太だ。
過保護な理由は分からないでもないが、過保護を理由にして休憩小屋を豪勢にする必要はないはずだ。

『翔太〜?』
『つっても、寝泊まりできる程度の広さにしただけだぞ?ペンションとか避暑地の別荘程度だぞ?』
『ペンションとか別荘とかって十分広いイメージあるんだけど』
『姉さんの屋敷より狭いから大丈夫だ!』
『フィリアリナの屋敷より狭いのを狭いとは言わないよ!』

広大で巨大なフィリアリナの屋敷。
あの屋敷より小さな建物などいくらでもある。
シリンが望んだのは、フィリアリナの屋敷にある自分の部屋程度の広さの小屋だ。
果たしてどんな建物が出来上がろうとしているのか、ちょっと心配だ。

『主よ、殆ど出来上がりかけているものに、今更壊して再度建てろと言っても勿体ないじゃろ?』
『そりゃ、壊せとは言わないけど…』
『んじゃ、いいじゃんか。きっちり使ってくれ!』

楽しそうに言う翔太に、仕方ないとばかりにため息をつくシリン。
とりあえず、その殆どできているらしい建物を見てこようかと思った瞬間、室内にアラームが鳴り響く。
アラームと言っても騒々しいものではなく、ピピピっという電子音だ。

『何かあったの?』
『いや、この間上に侵入者いただろ?今度から姉さんが上にいる事も多くなるだろうから、周辺に何かが近付きそうになったらアラーム鳴るように設定したんだ』

本来は人は近付かない島である。
前回はたまたまティッシに誘拐に来ていたゲインが、気分転換にこの島に来ていた。
海を渡る船はあるにはあるが、そこまで高性能な船があるわけではない今の時代、法術を使って何もない島にまで来る人はいないだろう。
念の為の機能として軽いアラームを鳴るようになっていたのだろうが、今回はそれが反応したという事だ。

『どうやら、こちらにかなりのスピードで向かってくる者がおるようじゃな』
『者ってことは人ってこと?』
『この気配はあの種族じゃろうな』

桜が”あの種族”と称するのは彼らだけである。
翔太も桜も、彼らの事を好んで魔族とは称さない。
彼らがかつて人であった事を知っているからだろう。

『は?!アイツら?!ここに何の用だ?』
『ちょっと待っておれ、映像を出せると思うから見れば状況が少しは分かるじゃろう』

桜がじっと大きなディスプレイをじっと見ると、すぐにぱっと黒かった画面に映像が映る。
手でパネルを操作しなくても、桜本体はここのマザーコンピュータのようなものなので、パネル操作は全く必要ないらしい。
ぱっと移った姿にシリンも翔太も驚く。
映った姿は2人の獣人。
1人は青年で、もう一人は青年が抱え込んでいるまだ幼い子供のようだ。
目は虚ろ、抱えている子をくるんでいる布は血だらけ、2人ともボロボロ状態だ。

『桜、翔太!』
『彼らの場所までは、妾の方が座標を固定しやすいから転送しよう』
『ベッド2人分、上に用意しておいてやる!』
『うん、お願い』

シリンが名を呼ぶだけで、2人はシリンのしたい事を理解する。
恐らく2人も同じことをしようと思ったからだろう。
シリンは指輪からぱっと扇を取り出して握りしめる。
そして、耳にインカムを装着。

『じゃあ、姉さん。応急処置しながら上に連れてきてくれ』
『了解』

連れてくる場所が上なのは、この科学技術が発達しまくった頃に作られたここに連れてくる事はやめた方がいいからだろう。
見られて困るもの…も確かにあるが、彼らがこの場所に対して怯えかねない。

『主よ、転送するぞ』
『うん』

シリンは小さく呪文を唱え、すぐに飛べる準備をする。
そしてふっと感じる浮遊感。
誰かの法術で転送するのは初めてかもしれない。
そんな事を思いながらシリンはきゅっと扇を握り締めた。



パッと視界が変わり、シリンの目に入ったのはふらっと力なく海面へと倒れていく青年の姿。
青年が抱えていた子供の方が、支えられていた力がなくなり、放り投げられるように空中に浮く。
ぎょっとしながらもシリンは呪文を紡ぐ。

「全てを流れゆく緑の優しき風よ、我が願いし者をその手のひらに!」

ふわりっと2人の身体が浮き、子供の方をシリンは腕で受け止める。
と言っても、シリンのまだ幼い力では少女を抱える事はできないので、風を使って抱きとめているような形だ。
青年の方がシリンの姿に気付いたように、ぼんやりとした瞳を大きく開くのが見えた。
法術の風によって、どうにか彼が海面に叩きつけられずに済んだようでほっとする。

「シリン…さん?」

青年の口からこぼれた言葉は自分の名前。
そして聞き覚えのある声。

(あれ、ゲイン?)

生憎とシリンは彼ら種族の見わけが完全につくわけではない。
しかし、何度か話した相手ならば声で分かる。
知っている相手にちょっと驚いているシリンをよそに、青年…ゲインはふっとそのまま意識を手放す。

「わ、ちょっと、ゲイン?!」

慌ててゲインの側へと寄るが、顔の前でひらひらっと手をかざしても反応はゼロ。
口元に手を当ててみれば、息はしているので意識を失っているだけだろう。
ざっと見た所ゲインに怪我はないようだ。
所々血のついた布にくるまれたこの子の方が怪我人という事だろうか。

『姉さん、どうだ?』
『怪我人と病人…かな?』
『両方怪我ってわけじゃないのか?』
『ん、1人づつ。怪我人の方は少しずつ癒しながらそっち向かうね』

ゲインから感じる法力量が思った以上に少ない事から考えると、法力をかなりギリギリまで使い切った事による疲労だろう。
抱えている子に、少しずつ回復する治療法術をかける。
ふわりっと優しい薄緑色の光に包まれる。

『ねぇねぇ、翔太』
『なんだ?』

シリンは少しだけ自分の手にかかる小さな子供の重みに、思わず顔がにやりっとしてしまう。

『抱き心地すごくいい…』

ほぅっと小さくため息をつきながら感動するシリン。
布越しに伝わる子供の毛並みの良さ。
直接撫でる事ができれば、さぞかしさわり心地は良いだろう。
この子供の毛の色もゲインとは少し違う。
ゲインはグルドと近い茶系の毛なのだが、この子は金色に近い。
色が薄いせいか、ものすごく柔らかそうな毛に見える。

『そりゃ、アイツら種族の毛はさわり心地に関しては抜群だからな!きっとその子も例外じゃないんだろ』
『だよね〜。毛の質の良さって、やっぱり法力が高いからかな?』
『ああ、法力高い奴に美形が多いってのと同じなのかもな』
『法力が高いと毛並みがいい、と』

ふふふっと、シリンと翔太は同時に含み笑いをする。
今はゲインの意識がなくて正解かもしれない。
決して嫌われてはいないし、負の感情を抱かれているわけではないのだが、こういう好かれ方はどうなのだろうと、きっと思ってしまうだろう。

『お主ら…、変態姉弟談義をしておらんで、早くやることをせよ』

呆れたような冷静なツッコミが入る。
そのツッコミに一応は反省しながら、翔太は2人を迎える準備を、シリンは転送法術呪文を紡ぐ。
変態姉弟談義の言葉に反論しないのは自覚しているからだろうか。

(にしても、何でここに来たんだろ?)

そんな疑問を抱かずにはいられない。
今ティッシも朱里も、彼ら種族に対してはかなり警戒をしている。
つい先日彼らによる誘拐事件があったばかりだからだ。
いくら強い種族とはいえ、片方は子供で怪我だらけ、もう片方のゲインは法力切れで殆ど戦力にはならないだろう。
そんな状態で軍にでも見つかれば、袋叩きで命もなくなるかもしれない。

(怪我ってことは、里で何かあったのかな?)

里で何かあったにしても、ここから里までかなりの距離がある。
転移法術を使えないとしたら、ここまで飛んでくるのはかなり無謀だろう。

(好戦的ってのは聞いているけど、仲間意識とかはどうなんだろ?)

彼ら種族の特性に関しては、翔太の方が詳しい。
仲間意識が強いとは言っていなかったから、強固とも思えるほどの絆があるわけではないと思える。
しかし、数が少ないだろう同種を簡単に傷つけたりするのだろうか。
首を傾げながらもシリンは、何もない海の上から一瞬で転移する。

疑問は尽きないが、今は彼らの治療が先だろう。
回復して意識が戻ったら聞いてみればいい。
話してくれるかどうかは別として、聞くだけ聞くのは構わないだろう。

(敵意とか害意があるわけじゃなさそうだし)

別にいっか、という思いでシリンは島の上にあるはずの建物へと向かった。
翔太曰くペンションくらいの大きさらしい建物だ。
ちなみに、その建物を実際目にしてしばらくシリンが呆けるのは、あとちょっとだけ後の事である。


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