WOT-2nd-After00
旧アメリカ大陸の北、今はオーセイと呼ばれる国の北の地に、世間一般では魔族と呼ばれる金色の瞳をもつ獣の姿の一族が住む里がある。
かの里に住まうのは魔族だけではないが、人間のほとんどは里の中を気軽に歩く事はない。
いや、歩く事が出来ないというのが正しいだろう。
誰だって自分の命は惜しい。
散歩に出かけて命を落とす事になどなりたくないだろう。
この里がそんなに物騒かと言われれば、毎日がそうというわけではないのだが、能力も権力も持つ者が気まぐれに他者を蹂躙する事がある。
この里の長は、全てのモノに興味がないかのようにそれを咎める事はない。
だからこそ、力を奮う者は気儘に力を奮い、弱き者が虐げられる。
弱肉強食。
その言葉がここ程似合う場所はないだろう。
力なき者は倒れ、力ある者の保護を受けぬ者も同様に倒れ行く。
死は身近で、だからこそ、大切な人の命を誰よりも貴く思う種族でもあるのだ。
浚われた人間の女たちは、殆ど家から出ず、恐怖の感情をぬぐえぬ自分を唯一護ってくれるだろう夫と暮らす。
自分の産んだ子にも怯える者が大多数だ。
*
里を離れるようにして飛ぶ一人の魔族。
彼の名をゲインと言う。
魔族の中ではまだ幼い部類にはいるが、見た目は十分成人しているように見える。
彼は腹違いの妹を抱え、里からすごいスピードで飛びながら離れていく。
風をさえぎる事はできないのか、目を細めて前を見ながら飛ぶ。
ふわりっとした布にくるまれ、大切に抱えられた妹の顔色は悪く、所々に傷があり血が滲んでいる。
「おにい…ちゃん」
「フィラ、大人しくしてろ!」
「……」
小さな妹は恐らく分かってるのだろう。
自分の傷が助かるような者ではない事に。
運が悪かったのだ。
たまたま”彼”の目に留ってしまったから、彼女は動けないほどのひどい傷を負う事になったのだ。
「おにいちゃ…もう…」
「諦めるな!絶対に、絶対に、オレがどうにかしてやるからっ!」
「で…も…」
魔族に回復法術を使える者はいない。
里にいる人間の中で使える者はいるかもしれないが、使えると名乗り出てくる人間はいないだろう。
人間は魔族を恐怖し、癒す事すら恐れるのだから。
魔族が大きな怪我をすれば助からない。
それは、いままでの里で当たり前のことだった。
強い者が生き残る。
だが、彼…ゲインは、大切な小さな妹を見捨てることなどできない。
兄妹というのは特別な存在で、僅かな希望があればそれを頼りたいと心から思うのだ。
だから、藁にもすがる気持ちで空を飛ぶ。
「もしかしたら、もしかしたら…治してくれるかもしれないんだ!」
大切な妹が大怪我をした瞬間、真っ白になった頭によぎったのは金髪の少女の顔。
貴族で、人間で、まだ幼くて、法力など自分より少ないのに魔族を怖がらない。
一緒に食事をし、一緒に笑いあい話をし、そして敵対した。
変な人間だと思った。
けれど、一緒にいて楽しかったのだ。
(ムシのいい話だってことは分かってる!)
彼女に会える可能性すら低い事をゲインは自覚している。
彼女に会えたとしても、彼女が助けてくれるかどうかわからない。
何しろ、最後に会った彼女とは敵対していたのだ。
敵をわざわざ癒してくれるようなお人好しが果たしているだろうか。
それでも、ゲインには彼女しか浮かばなかったのだ。
傷を負った魔族を癒してくれる人間は彼女しかいないと。
(駄目でも、何もしなかったらオレは絶対に後悔するから!)
本当に僅かな可能性なのだ。
それも殆どゼロに近い。
彼女のいた国では、今頃魔族に対する対抗策でも考えているのかもしれない。
「おにぃ…ちゃ…」
「しゃべるな、フィラ!」
「でも…も、むり」
「そんな事ない!」
首を振りながら、ゲインはガムシャラに空を飛ぶ。
大きく広がるこの海は、とても長く続く。
ゲインの法力すべてを出し切って、彼女のいる大陸につくかどうかだ。
それほどまでに距離が長いのだ。
魔族の長であるドゥールガ・レサならば転移法術が使えるが、生憎と彼以外に転移法術を使える者はいない。
だから、移動は全て空を飛んでの移動になるのだ。
「あの、ね、おにい、ちゃ…」
「しゃべるなって言っただろう?!」
「わた、し…、いっかい、だけで、いい…から」
「フィラ!」
「おかあ、さん……、だきしめて、ほし…」
ぽろぽろっと小さな少女、フィラの目から涙がこぼれおちる。
今いる年若い魔族の母はほとんどが人間だ。
そして、その人間の母に愛情を持って抱きしめられた記憶を持つ者など殆どいないだろう。
ゲインの母も、ゲインに決して近づこうとせず、触れようともせず、育てる事すらしなかった。
腹違いの妹であるフィラの母もそうだ。
時折怯えた目でフィラを見るが、触れる事は絶対にない。
それでもある程度の年まで、人と同じように魔族も母親の愛情を求めてしまうのだ。
決して自分が向ける思いを同じように返してくれないと分かっていながら。
「おかあさん、なまえ…よんで、ほし、かったよ」
名前すら呼ばない母もいる。
ゲインも実の母に名を呼ばれた事があっただろうか。
「おにいちゃ………」
「フィラ?」
「…」
「フィラ!!」
ゲインの叫び声が響く。
空の上で止まり、大切な妹をぎゅっと抱きしめる。
まだ、温かい、呼吸もまだある。
ゲインはフィラを抱える自分の腕が震えている事に気づく。
怖い訳ではない、寒い訳ではない。
(何だ?)
くらりっとめまいが襲う。
どうやら法力の限界が来ているようだ。
(まだ、大陸が見えないのに…!)
このまま目を閉じて、休息を取りたい。
だが、ここは広い海の上だ。
ぼやける視界で、ゲインはふらりっと再び進み始める。
フィラを落とさないようにしっかり抱きながら。
(助けて)
祈るように心の中で思う。
ぼやっとする視界に緑ものが目に入る。
まだまだ、だいぶ先だが、あれは木々の緑ではないだろうか。
(陸…)
巨大な海を越え終わったのだと、ほっとした。
まだ大地に足をついていないのにも関わらず、ゲインはそこで気を緩ませた。
それがいけなかった。
ふらっと身体が揺れる。
手の中からフィラの身体がふわっと浮き上がるのが分かった。
いや、浮き上がったのではない、自分が落ち始めたのだ。
駄目だと思いつつも、力が入らない。
(駄目、だったか)
本当に僅かな希望だった。
それが可能性がゼロに近いものだったのだから、仕方ない。
「全てを流れゆく緑の優しき風よ、我が願いし者をその手のひらに!」
まだ少女とも言える声がゲインの耳に届いた気がした。
ぼぅっと歪む視界が僅かにとらえたのは、さらっと風になびく金色の髪。
金色の髪の少女の手には、自分が大切に抱えていた妹の姿がある。
「シリン…さん?」
ふっと視界が真っ暗に染まる。
真っ暗になる前に移したのは、ひどく驚いた少女の顔だった。
驚きと心配する感情が入り混じった表情。
自分に向ける嫌な感情など感じないその表情に、ゲインは涙が出そうなほど嬉しかった。
「わ、ちょっと、ゲイン?!」
慌てたようなシリンが聞こえてゲインの意識は完全にブラックアウト。
ゲインの意識は深い闇に沈んだ。
しかし身体は海に沈まず、ふわふわと風によってその場に浮く。
『怪我人と病人…かな?1人づつ。怪我人の方は少しずつ癒しながらそっち向かうね』
金髪の少女はイディスセラ語でそのように呟く。
何かを聞いて了解したのか、ちらっとゲインを見て空いた手に持つ扇を軽く振る。
ふわりっと少し高度を上げるゲインの身体。
そのまま金髪の少女は、ここから見える緑の”島”へ向かうのだった。
その瞳に魔族を恐れる気持ちは全く見られない。
どこか呆れたような感情が浮かんでいるだけだ。
ゲインとフィラを見るシリンの瞳はとても優しいものだった。
Back
Top
Next