WOT -second- 39



破られたシールドにシリンは大きく目を開く。
かなり強力なシールドを張ったつもりだった。
それなのに、ドゥールガが法術に更に力を加えただけでシリンの張ったシールドはあっさりと壊れてしまった。

「脆いな」
「っ!!」

ぐっとシリンが扇を握り締める手に力を入れ、再びシールドを張ろうとした瞬間、強力なシールドが再び個々を覆うように張られる。

『法力を遮断するだけのシールドならば、妾とて可能じゃ。じゃが、長くは持たぬぞ、主』

法力の差が圧倒的だ。
この状況で、全員を護りながら戦うのは難しい。

(場を安定させて、転移させる事はできるけどこれだけ相手が近くじゃ邪魔されるのは確実。流石の桜もこれだけのシールドを張りながら私の防御を確実にできるとは限らないし…)

シリンが今まで張っていたシールド、そして桜が今張っているシールドはそれだけの法力量とそのコントロールが難しい。
もしかしたら桜にならば、シールドを張りながらシリンを守ることもできるかもしれないが、それは確実とは言い切れない。
桜を信じていないわけではないではなく、今桜にしてもらっている事がかなり負担がかかることであるとシリンが自覚しているだけだ。
これ以上の負担をかけたくないと思ってしまう。
すぅっとドゥールガが笑みを深くする。

「条件付きだが、引いてやろうか?」

果たしてそれを信用していいのだろうか。

「条件?」

グルド相手ならば信用ができる。
彼は言った言葉に責任を持つ信用できる相手であると、シリンは思っている。
だが、生憎とシリンはドゥールガという人物を名前でしか知らない。

「オレがここにきたのは、騒がしい馬鹿共を引き取りにきただけだ」
「そ…の、割には随分と物騒な法術を仕掛けて下さっているよう、ですが?」

シリンの声はかすれて、ドゥールガへの恐怖を隠しきれないのが分かってしまっているかもしれない。
グルドは怖くないというのに、この目の前のドゥールガへの恐怖は完全に消しきれない。

「煩い馬鹿共を黙らせるのに、これが一番効率いいからな」
「効率が、いい…ですか」

効率がいいという理由だけで、これだけの苦痛を与える法術を躊躇いなく使う。
それだけの残忍さがドゥールガにはあるという事。
そんな相手を信用できるのか。

「アイツは殺すことを嫌がっていた。オレにしてみれば、これが最大の譲歩だ」
「え?」

そう言いながらドゥールガが視線を向けるのはシリンの持つ扇へだ。

(まさか…)

この扇の製作者はシリンもよく知る人物であり、この扇をかつて使っていただろう。
男に扇というのは似合わない気もして、どうして扇なのかと思わなくもないが、それは製作者の趣味が特殊だったという事だけだ。
その扇を使っている所をドゥールガが見ていたとしたら?
いや、その扇を使ってドゥールガを相手にしていたのではないだろうか?

「アイツはここに眠る身内と、友を静かに眠らせてやりたいと言っていた。だから、オレもアイツが静かに眠れるよう、オレが生きているうちはここで騒ぎを起こさないようにしようと誓った」

そう語るドゥールガの目は優しいもので、シリンの中にあった恐怖が消えていった。
そしてドゥールガの語る”アイツ”の姿として、シリンの中に思い浮かぶ人物が1人。

(敵、同士だけじゃなかった、のかな?)

そう言えば何があったのか、当時の事を詳しくは聞いた事がなかった。
それだけ酷い事で、シリンにあまりそんな事を話したくないという事もあったのだろうという事が解っていたので、シリンとしても無理やり聞こうとは思っていなかったという事もある。

「貴様が、ここにアイツが眠ることを分かっているのならば、オレはコイツら共々大人しくひいてやろう。この場だけはアイツに免じてな」

シリンは自分の頬の位置にあるドゥールガの手に触れる。
その手は大きく、爪は鋭くシリンの頬を傷つけたものだと分かっているのに、恐怖はもうなかった。
シリンはふっとだが小さく笑う。

「好き、でした?」
「何がだ?」
「その人の事、好きでしたか?」

こんな時に、自分を殺しかねない相手の前で笑みを浮かべるのはおかしいかもしれない。
けれど、シリンは嬉しいと思う気持ちが確かに小さくだがある。
とてもとても大切な人であるかのように話す”アイツ”の事。

「オレは…」

静かに紡がれるドゥールガの言葉。

「アイツを今でも愛してる」

真剣なドゥールガの言葉になんとも酷な返答になるだろう翔太の声が耳に届くが、シリンはさらっと無視する事にする。
純粋に慕っている気持ちにその反応は酷いと、シリンは思うのだ。
最も、当事者ではないので思えることかもしれないが。

『ありがとう』

シリンは笑みを浮かべながらドゥールガにお礼を述べる。
ドゥールガはその言葉に驚きの表情を浮かべた。
その間、シリンが手に持つ扇を一瞬開いてぱちんっと閉じ、その扇が閉じる瞬間小さな石が扇の上にあったのを気付いた者はいないだろう。
ヴンっとシリンの姿が一瞬ブレる。
服装はそのままで顔立ちと髪の色、瞳の色だけがだんだんと変わっていく。
髪の色は黒へ、瞳の色は黒へ、そして顔立ちは16歳前後のかつて”紫藤香苗”だったものへ。

『私は翔太の事を全然助けてやれなかったから。翔太を愛してくれてありがとう』

流石のドゥールガも状況が分からないだろう。
目の前の少女はティッシ国の少女であったはずなのに、今扇を持つ少女は今も愛しているという”アイツ”の顔立ちに似ている。

『貴様は…』
『翔太は馬鹿だから、きっと最後まで敵の命も心配して、この大地が血に染まることを望まなかったんだね』
『そうだ、アイツは馬鹿だった。敵のオレにまで何度も情けをかけて…』
『そういう所が翔太らしくて、貴方は惹かれたんじゃないの?』
『ああ』

耳元で翔太が何か言っているが、それもさっくり綺麗に無視だ。
香苗の表情のようにシリンの内心は落ち着いているわけではない。

『分かって、いるのか』
『うん』
『そうか…』

シリンの頬に触れていたドゥールガの手は香苗に触れている形になっており、その手を離して、ドゥールガは両手で香苗の右手を取る。

『翔太と、貴女に免じてここは引こう』

ドゥールガは手に取った香苗の右手の甲に口づける。
香苗はその光景を穏やかな笑みで見つめる。

『紫藤香苗殿』
『私の事を知っているの?』
『翔太からよく聞いていた』
『そう…』

ドゥールガはすっと右腕を払うように動かす。
すると先ほどまであった圧迫感が消え、彼らを苦しめる原因だっただろう法術が解かれる。
同時に桜の張ってあったシールドが解かれる。

「グルド、行くぞ。他の者を連れて来い」
「…はい」

グルドはドゥールガについてくかと思ったが、ちらっとまだシリンの法術で拘束され法力まで封じられているガルファへと視線を向ける。
香苗に対してそれを示しているように視線で訴えるので、これを解けという事なのだろう。

「解けよ全ての戒め、割れよ、清き銀の封印」

すっと香苗が扇を振れば、ガルファの戒めは解け、額にあった銀の輪はぱきんっと割れる。
その解けた一瞬ののちにグルドがガルファの鳩尾に一発拳を叩きこむ。
ものすごく痛そうである。
揉め事を起こさないためなのだろうが、もう少しスマートなやり方はなかったのだろうか。
そのままガルファを担いでドゥールガの後をついていくグルド。
その後に続く他の獣人達。
何かを気にするようにちらりっとこちらを見たのはゲインだったのだろう。

ごごっと音をたててすぐ側の船が動き出す。
ゆっくりと上空へと上がっていくのを見ながら、動力は完全に遮断できなかったのだと実感する。
それでもシールドを張らない所を見ると、その部分の遮断は上手くいったという事か。
他にも埋めっぱなしの仕掛けがいくつかあるのだが、何かあった時の為にそのままにしておいても構わないはずだ。

香苗の姿のまま、大きなため息をつくシリン。
彼ら魔族の姿が見えなくなり、彼らの法力を僅かにしか感じなくなったところでヴィンっと音をたてて姿を香苗のものからシリンへと戻す。
再び大きなため息をつく。

(っだあああ!もー、めちゃくちゃ緊張したぁぁぁ!)

香苗が平然とドゥールガに接しているように見えたのは、そういう姿にしたからだ。
実は内心シリンは心臓ばくばくだったりする。

「シリン姫!」
「シリン!」

心配する声とともにシリンの側に駆け付けてくるのはクルスと甲斐。

「2人共、お疲れ様〜」

ははっと力なく笑うシリン。
流石に満面の笑顔を浮かべる気力がない。

「どうして彼らは大人しく引いたんだい?」
「ん?たぶん、ドゥールガ・レサにとって翔太が特別な存在だったからなんじゃない?」

彼ら種族がこの周囲に近づかないようにしている事で、何かここに思い入れはあるのだろうと思っていたが、その思い入れの相手が翔太だと確信したのは妙にシリンが持っていた扇を見て懐かしそうな目をしていたドゥールガを見たから。
シリンに対して”貴様は違う”と言っていたのは、それの持ち主は翔太だと言いたかったのではないだろうかというのはシリンの推測。

(何か、言い方が好きな人のもの取られてムカツクみたいな感じだったし…。いや、まさか、あんなにあっさり”愛してる”とか言われて滅茶苦茶驚いたんだけどね)

「シリン姫は本当に色々彼らの事情に詳しいようだね」
「そんな詳しくないって。浚われていた間色々お話して得た事と、翔太に聞いてた事と、ドゥールガの言葉で全部推測の綱渡りな演技だったんだから。全部上手くいったのが奇跡だよ」
「全部演技だったのかい?」
「ドゥールガが条件出してきたあたりからは殆どね」
「あの姿は誰の姿だったんだい?」
「紫藤香苗、翔太の姉の姿ね。一応顔は似てるって言われてたから、あの姿なら翔太にも結びつくかもしれないって思って」

香苗の姿になって、ドゥールガがその姿と翔太を結びつけてくれるかどうかも賭けのようなものだった。
ドゥールガが紫藤香苗を知っていた場合も一応候補に入れてはいたが、本当に知っているとは思わなかったので驚きだ。

(てか、本当にどういう関係だったのさ、翔太とドゥールガって…)

敵同士では済まないような関係だったのではないのだろうか。
少なくとも友人関係はあったのではないかと思える。

「にしても、シリン」
「ん?」
「翔太さんの事呼び捨てにするほど詳しいのは何でだ?」

ぴしりっとシリンの身体が固まる。

「それ、私も気になっていたんだよね。そもそもその”ショウタ”ってのは誰だい?」
「翔太さんは俺のご先祖で朱里の建国者の一人なんだけど…、別に名前くらいはシリンが知っててもおかしくないけど、翔太さんに姉がいたなんてオレも知らなかったんだけど、どうやって知ったんだ?しかも姿まで」

人生最大の墓穴を掘った気がするのは、決して気のせいではないだろう。
ドゥールガを追い返す方法しか考えなかったシリンは全くその後のフォローも考えていなかったりする。
しかもナチュラルに翔太の名前に敬称付けずに口にしていた。
ここで”翔太”ではなく”始祖”と言っていれば、まだごまかせる可能性はあったかもしれない。

(私のアホぉぉぉぉ!!)

頭を抱えてしゃがみ込むシリンだが、くらりっと視界が揺れる。

(あ、あれ…?)

ぐるぐるっと視界が回転しているように見える。
ふっと身体の力が抜けて、浮いていた筈のシリンの身体は落下する。

「シリン姫!!」
「シリン!」

シリンの名を呼ぶクルスと甲斐の声を最後に、シリンの意識は深く沈む。
寝不足と極度の緊張と疲労。
あれだけの事をすれば、倒れるのは当り前だろう。


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