WOT -second- 32



ゆさゆさっと身体が揺れる感覚でシリンの意識が浮上する。
あれから昨夜は真夜中になる少し前まで、甲板の法術とそれを覆っている物質に使われている法術陣の解読をしていた。
ベッドに眠っている彼女達を起こしてはいけないと思い、部屋にあったソファーに寝ていたシリンだったのだが、ゆっくりと目を開ける。

「シリン様、どうしてこんなところで寝ていらっしゃるのですか!」

責めるような言葉にぱちりっと目を覚ますシリン。
起きぬけのシリンの目に入ったのは、ミシェルの姿。

「ミシェル…嬢?」

ゆっくりと身体を起こしながら周囲を見回せば、心配そうにシリンを囲む彼女達の姿。

「部屋のベッドは決して狭くはありません、シリン様。ソファーにならばわたくし達の誰かが移りますので、シリン様はベッドに寝るようにして下さい!」

ミシェルの言葉に大きく頷きながら同意する彼女達。
シリンは困ったように頬をかく。

「平気だよ」
「平気ではありません、フィリアリナ姫様!」
「そうですわ。シリン様がソファーになんてあってはならない事です!」
「えっと…」

彼女達の中でも一応シリンの家柄が一番上位にあたる。
それもあるからこそ彼女達はシリンを敬う姿勢を見せる。
最も、シリンがいれば助かるかもしれないという希望があるのが一番大きいだろうが。

「それよりも体調が悪い人はいない?」
「シリン様!」
「本当に大丈夫だから、ミシェル嬢」

シリンは小さく息をつきながら、彼女達の顔色を見る。
決して良い顔色とは言えない。
食事は定期的に運ばれてくるし、部屋には生活に必要なものは揃っている為、自由に動けない事、囚われている事を除けばそう不自由ではないように思える。

「何か身を守る手段はある?」
「シリン様?」

シリンの問いに混乱する様子を見せる彼女達。

「明後日行動を起こす予定。けれど、万が一の事を考えて身を守る手段は必要だから」
「明後日、ですか?」
「うん。身を守る手段がないようなら用意するよ」

困惑したように顔を見合わせる彼女達。
彼女達は皆学院に通っているのでそれなりに法術を使える事ができるはずだ。
とはいえ、この年齢でどこまで法術を会得しているかは分からない。

「わたくしとフローラは簡単な風のシールドを張る事はできますが、他の者はあまり実戦に役立つ法術は教わっておりません」

不安そうにシリンを見上げるが、シリンは安心させるようににこりっと笑みを浮かべる。

(ま、この年で身を守る手段もばっちりとか言われると末恐ろしいし)

まだまだ守られることが当然の年齢である。
身を守る手段がまだ身についていないだろうからこそ、グルド達種族が誘拐する年齢としてこの年齢を定めたという事もあるのだろう。

「準解放、翡翠」

すっとシリンが手のひらを上に向け小さくつぶやくと、ひゅっと小さな音とともに手のひらに小さな緑色の透き通った珠が出現する。

「全てを侮らず、暖かき護り、光と闇と全ての大地に流れし豊かなる緑の風の名のもとに、対象を害す全てのものから護りたまえ」

呪文が終わると同時に翡翠の珠に一瞬小さな法術陣が浮かび上がった。
だがその法術陣は翡翠に吸い込まれるように消える。

「後は…、形あるモノ、我が望みしモノを纏いてその形を変えよ

翡翠の珠を光が包み込み、その光は形を変えて輪となる。
丁度指にはまるくらいの輪の大きさ、翡翠の指輪になる。
シリンはそれを1人に1つずつ渡す。
彼女達は目の前でシリンが使っていた法術に驚き、呆然としながらもそれを受け取る。

「できればそれは肌に触れる所に身につけておいて。ポケットでもいいけど、肌に直接触れている方が危険を感知しやすいから」

自動防御の法術である。
シリンも同様の法術のかかったものを身につけている。
今のシリンにできる自動防御で最も強力なものだ。

「シリン様、これは…?」
「身につけた人に危険が迫った時に自動的にシールドが張られるもの。一応限度はあるからこれがあるからって危険を承知で炎の中に飛び込むような真似はしないでね」

森ひとつを破壊するような法術からも身を守れるかと言われると、そこまでとは言い切れない。
属性としては風をメインに光と闇を加えてあるのである程度の法術からは身を護れるようにはなっている。

「本当に害を与えるだろう物理的なものと法力を使ったものに関しての危険が迫った時だけだから、浚われるだけとか、動きを封じられるだけとかの場合は発動しないから、その辺りは注意してね」

危険なものすべてというのは案外難しいものだ。
敵意なく対象を捕縛するような人もいるかもしれない。
身体への傷の恐れがある場合と、強大な法力を感知した場合の自動発動が今できる限りはせいぜいだ。

「あと幻術に関してもそれは発動しないから。最も、彼らが幻術を使えるとは思えないんだけど…」

使用できる法術は少なく、補助的な法術は一切使えないらしいので、幻術が使用できるとは思わなくてもいいだろう。
だが、万が一を考えてそれは教えておく。

「今、シリン様がこれを作られたのですか?」

ミシェルは翡翠の指輪を人差し指にはめてシリンに見せる。

「翡翠の石は元々持っていたものだけどね。指輪の方が身につけやすいと思ったんだけど、他の形がよかった?」
「いえ!そんなことはありません!」
「それなら良かった。サイズが調整できないのはごめんね」
「大丈夫ですわ」

確認する様にシリンは他の子たちに目をやる。
彼女達は各々自分の指にあう所に指輪をはめている。

「あの、シリン姫様…」

今度は遠慮がちに深紅の髪の少女が話しかけてくる。

「ん?」
「ほ、本当に私たちは助かるのでしょうか?」
「不安?」
「いえ、あの、シリン姫様を信じていないわけではないのです!けれど、やはり魔族の恐ろしさは人である以上止める事は出来ないのではないかと思ってしまうのです」

学院でグルド達種族”魔族”についてどのように教わっているのか分からない。
確かにまともに真正面からぶつかりあって勝てるような相手ではない。
戦った経験もなく、法術も高度なものを使えるわけではない彼女達が不安になるのは仕方ないだろう。
シリンだって、不安がないわけではない。

「大丈夫ですわよ、カナリア。シリン様を含めて、わたくし達は魔族と戦うわけではないのです。きっと…きっと、大丈夫ですわ。そうですわよね、シリン様」

同意して欲しいと願うようにシリンを見つめるミシェル。

「私達がこの船から出る事ができれば、後は外に待機しているティッシ軍がどうにかしてくれるよ。陛下はこの場所を特定しているし、彼らに対抗できる人達を配してくれるからね」

タイミングはかなり重要だ。
彼女達にもそれを自覚してもらわなければならない。

「ただ、彼らだって馬鹿じゃない。きっとチャンスは一度きり。陛下とは当日に連絡を取って合図を決めるけれども、貴女達は私の指示に従える?」
「「「「はい」」」」

声を揃えて、どこか緊張したように返事を返してくれる。
シリンは満足そうな笑みを浮かべる。

「ここは上空みたいだから、脱出次第浮遊の法術が必要になる。浮遊の法術を使えない人はいる?」

顔見合わせて否定を返さない子がいない所を見ると、全員浮遊の法術を使う事ができるようだ。
流石貴族の令嬢である。

「それじゃあ、転移法術を使える人はいる?」

一番いいのはシールドの解除が出来次第、外へ転移する事だ。
それは解除と同時でなければならない。
シールドが無くなった事を気付かれて、彼らがこの部屋に来るまでしか時間はないのだ。
異常事態が出てきて、彼女達を放置するという可能性は低いだろう。

(グルドあたりは真っ先に私を疑いそうだしね)

手を挙げたのはミシェルだけだった。
流石に転移法術ともなるとかなり難しいようだ。

「ですが、わたくし転移法術に自信があるわけでなはないのです」
「それなら、一気に皆で飛んだ方が楽だね。じゃあ、明後日は皆なるべく1か所に固まっているようにしてね」
「シ、シリン様、他者への転移法術は高位法術ですのよ?!」
「ん、そうらしいね」
「できるの、ですか?」

難しいらしい他者の転移法術はシリンにとっては難しくはない。
他人にかけるのも自分にかけるのもシリンにとっては同じだ。
恐らくやり方が違うのだろうが、何が違うのかティッシで教えているだろう転移法術がどういうものか知らないシリンには分からない。

「1か所に集まっていてくれるならね。離れた場所の者を同時とかになると、ちょっと難しいんだけどね」

朱里との戦いの時、朱里の結果に巻き込まれそうになった軍人全てを探査してなおかつ転移させたような法術になると、流石に負担が大きい。
指輪にある扇を使っても、あれだけ大きな法術ともなるとまた倒れかねない。

「明後日まで、万が一彼ら”魔族”がここから移動するような事があれば、計画の変更はあるかもしれないことを承知しておいて」

こくりっと頷く彼女達。
問題は明後日までこの場を動かないでいてくれるか、である。
こんな大きな船を移動するとなると、準備が必要だろうし今のところそんな様子は見られないのでないと思いたい所だ。

「何があっても冷静さだけは保つよう努力を。万が一の手段はいくつか持っているから、必ず貴女達を帰すよ」

パニックを起こされては困る。
そんな事のない度胸とプライドのある貴族の令嬢だとは思うが、まだ彼女達は幼い。
それでも今の彼女達は諦めていない、現時点で泣き疲れ希望すらも全て捨てて諦めきっていた可能性もあった事を思えば状況はかなりいいだろう。

(実は無茶苦茶緊張してるんだよね、私)

シリンの肩に彼女達4人の人生が圧し掛かってきているようなものだ。
人の人生など背負えはしないけれども、今この時のこの短い間だけ、彼女達の人生は確かにシリンの肩にある。

(こういうのは性に合わないはずなんだけどね)

シリンは小さく息を吐く。
自らが先頭に立って動くというのが好きなわけでも、向いているわけでもない。

(ああ、そっか)

そこでふと思った。
恐らく自分ならばこの状況をどうにかできる。
自分しか出来ないわけじゃないが、自分にはできる事が多くある。

(翔太も昔、こんな感じだったのかな)

状況も規模も全く違うのだろうが、シリンの知る1つ下の弟である翔太は、決してリーダーシップがあったわけでも、目立ちたがり屋だったわけでもなかった。
そうせざるを得ない状況が、翔太に決意させたのだろう。
今のシリンと似たように…。


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