WOT -second- 19



作ったちらし寿司は綺麗に無くなり、5人分としては少し量が少なかったようで、いつもお茶の時間に食べているお茶菓子と緑茶を出して食後の一服。
本日のお茶菓子は先日のお茶の時間に余ったお煎餅だ。
お煎餅以外はあまり長持ちしないものなので、流石にとっておけないのだ。

「甘くない菓子が存在したのか」
「そんな心底驚かなくても…」
「僕もちょっと驚きだよ、シリン」

心底驚いた表情でお煎餅にかじりついているのは、クオンとセルドである。

「そう言えば、ティッシには甘くないお菓子とかないもんね」
「これもシュリのものかい?」
「うん」
「シュリの食文化ってのはティッシとは随分違うんだな」

(確かにそうかも)

シリンはもうティッシの食文化には慣れているのだが、日本の食文化とは色々違う事は分かる。
料理の主食からして違うのだ。
シリンは両方の料理に慣れてしまっているので違和感が全くないのだが、片方だけしか知らない人にとってみれば珍しいに違いない。

「シリン姫」
「ん?」

お煎餅にかじりついたまま、シリンはクルスの声にクルスの方を見る。
どうも先ほどからクルスの機嫌はあまりよろしくないようだ。
甲斐とクルス、シリンの3人の時も機嫌が良いとは言えない状態だが、今はそれより悪いように思える。

「我が願いし場所へ、風と共にその身を運べ」
「はい?」

法術呪文だと気づいた瞬間シリンの身体がふわりっと少し浮きあがり、椅子の上からその姿が消える。
ぱっとシリンが現れたのはすぐそばのクルスの膝の上。
ぽすんっとクルスの膝の上に乗っかり、クルスは目の前のシリンにぎゅっと抱きつく。
わざわざ法術を使ってシリンを自分の膝の上に転移させたようだ。

「あの…クルス殿下?」
「しばらく会えなくなるから、シリン姫を補充したい」
「補充って」

(いや、いいけどね…)

仕方ないとばかりにシリンは右手をクルスの背に回して、クルスの背中を撫でる。
クルスと会ってから1年半ほど経っただろうか。
もうこうやって抱きつかれるは慣れてしまっている。
突然の事に他の3名、甲斐、セルド、クオンは呆気にとられて動きを止めている。
一番最初に我に返ったのは、シリンに抱きつくクルスを何度も目撃した事がある甲斐だった。

「ちょ…、クルスお前!何やってんだよっ!」
「何ってシリン姫を補充」
「はあ?!」
「しばらくシリン姫に会えないだろうから、こうしてシリン姫のぬくもりを堪能してるんだよ」
「タンノ?…っいいから離れろよ!」
「何でだい?」
「何ででもだ!」

クルスに掴みかかりそうな甲斐の勢いに、シリンは甲斐へと視線を移す。
甲斐を制すように右手のひらを甲斐へと向ける。
クルスのこの抱きつき癖は大きな子供が甘えているだけなのだ。
甘ったるい恋情は全く含まれていない。

「別に私はいつもの事だから気にしないよ?」
「シリン…」

どこかむっとしたようにシリンを見る甲斐。
大人しくクルスに抱かれたままなのが気に入らないのだろう。

「オレだってシリンと離れるのは寂しいんだぞ」

ぽそっと呟く甲斐の言葉に、シリンはちょっと驚き自然と小さく笑みを浮かべてしまう。
甲斐が寂しいと思ってくれるのは嬉しい。
だが、寂しいと思えるほど離れる期間が長いということなのか。

「もしかして、結構長いの?」
「長いというか、場所が遠いんだよ。その気になれば転移法術で飛べない事もないんだけどな、今回は馬での移動だからさ」
「甲斐が法術使えないから?」
「それもあるだろうけど、なんかあんま目立たないように行動しなきゃならないんだと」
「そう言われたの?」
「エルグ陛下にな」

なんとなく胡散臭いと思ってしまうのは、シリンの考えが歪んでいるからだろうか。
目立たず行動というのは決して悪い事ではないが、今この状況でわざわざ目立たないように行動する理由もない気がする。
シリンが知らないだけで何か裏の理由が存在する可能性も大きいが、エルグ陛下が関わっているとどうも怪しく感じてしまうのだ。

「兄上の命令じゃなければ、カイだけで行かせたいくらいだよ」

頭上からのクルスの大層不満そうな声が降ってくる。
ごろごろシリンを抱きしめながら甘えているのだが、話し声には耳を傾けているらしい。

「あ、あの…シリン?」

どこか遠慮深そうにセルドが話しかけてくる。
セルドにしては珍しい態度だとシリンは思うが、この状況が状況なので仕方ないだろう。
クルスに抱きつかれて平然としているシリンを見てようやく立ち直ったようだ。
シリンを誰よりも大切にしているセルドだが、流石に尊敬すべきクルスに対して怒鳴る事も睨みつける事も出来ないのか、困惑しているように見える。

「どうしたの?兄様」
「いや、どうしたのとかじゃないんだけど…」
「うん?」
「シリンがクルス兄上に抱きつかれて平然としていられるのが、僕には不思議なんだが…」

セルドの問いを代弁するかのようにクオンがシリンを見る。

「私がシリン姫に抱きついていて何か問題でもあるかい?クオン」
「…い、いえ!」

焦ったように首を勢いよく横に振るクオン。
シリンからはクルスの表情は見えないが、それはそれは綺麗な笑みを浮かべているのだろう事が想像つく。
そしてその笑みは決して綺麗なだけでなく、ちょっと怖い雰囲気もプラスされているもののはずだ。

「ク、クルス兄上が誰かにそうされるのを初めて見たので、驚いただけです」
「そう?」
「クルス兄上が、その…女性の方に抱きつかれることなど見たことないですし。…反対の状況はよく見かけますが」
「私がどうして好き好んで興味のないただの”女”に触れなければならないんだい?クオン」

ひくりっとクオンが顔をひきつらせてしまったのは、分からないでもない。
その言葉を聞いたことがあるのか、クルスがそう思っているのが分かっているのかセルドは特に反応せず、甲斐は小さくため息をつくだけ。

「私がこうするのはシリン姫にだけだよ」
「そう…ですか」

それ以上何も言えなくなってしまうものの、クオンは無言でシリンに何かを訴えるような視線を向ける。
そんな視線を向けられても、シリンはクルスの腕を振り払う事が出来ないので仕方ない。
小さな子供を見捨てる気分になってしまうことと、クルスはあまり力加減をしてくれない。
つまり、シリンの力では抜け出せないという事も理由の一つであったりする。

「クルス殿下はシリンをとても大切に想って下さっているのですね」
「セルドには分かっていた事だろう?」

セルドは落ち着いた様子でクルスに尋ね、クルスは当然のようにセルドに言葉を返す。

「そうですね。ですがクルス殿下、失礼を承知で申し上げます」
「なんだい?」
「シリンは僕の大切な妹で、まだ男も知らない無垢な少女です。妙齢の男性に抱きつかれるのを兄として黙って見ているわけにはいきません」

(無垢って…兄様。その表現すっごく微妙なんだけどな)

確かに年齢から考えれば、シリンはまだまだ世間を知らない純粋な少女なのだろう。
しかし中身は年相応ではないので、無垢と言われるとちょっと違う気がするのだ。

「それで?」
「シリンを開放していただけますか?」

にこりっと笑みを浮かべるセルド。
それに対してクルスもにこりっと表面上穏やかな笑みを返す。
その状況と雰囲気を感じ取って顔をひきつらせたのは、甲斐とクオンだ。

「兄だからという理由で、シリン姫の行動を束縛する権利はどこにもないよ、セルド」
「僕が申し上げているのはシリンを束縛しているような事ではないと思われますが?」
「それはセルドがそう思っているだけだろう」
「いえ、一般的に考えて僕の申し上げている事は決して間違ってはいませんよ」
「断言したね。けれど、一般論を私の考えに当て嵌める必要性はどこにもない」

どこか空気がひんやりとしてきているのは気のせいだろうか。
シリンは自分の意思をよそに繰り広げられる舌戦を黙って傍観していた。
人生経験は2人より長いと言ってもこの2人に口で勝てる自信がないのは、ちょっぴり悲しいが、それが事実なのだから仕方がない。

(険悪じゃなくて、お互い冷静に意見を述べあってるのがなんか怖く見えるんだよね)

大人しくしているシリンは、甲斐がクオンにこっそり話しかけているのが見えた。

「なあ、クルスとセルドってのは、いつもあんなんなのか?」

突然甲斐に話しかけられたクオンは、すごく驚いた表情をした後、クルスとセルドに視線を移す。
クオンは、2人の言い合いに対して驚いてはいないようだ。
それは以前も似たような場をクオンが目撃しているということか。

「いつもではないが、セルドが優秀だと言われている所以の1つはあれだな」
「あれ?」
「クルス兄上に対して真っ向から意見が言えるという所だ」

クルスとセルドは9つ年が離れている。
9歳差と言えばかなり大きく、それだけ年が離れていれば年上の相手に敬意を払うことのみで、意見をぶつける事など普通は出来ないだろう。

「クルス兄上は修学を終えられてからも、学院に来ることが多くてな。そんなクルス兄上に真っ向から意見を言えるような者はものすごく少ないんだ」
「身分も身分だしなぁ」
「身分もあるが兄上の性格が…あれだからな」
「確かにあの性格は近寄りがたい」
「味方にできれば心強いだろうが、絶対にクルス兄上のような性格の人を敵に回したくないと僕は思うぞ」

ティッシの第二王位継承者であり、人も物も同じようにしか思えなかった過去のクルス。
表面上穏やかなものであっても、腹の中で何を考えているのか分からず、しかも優秀で頭がよくまわる。
下手に対立意見など言えるはずもなく、しかしそれを言える者も確かに存在した。
そのうちの1人がセルドということなのだろう。

「何か言ったかい?クオン」

どうやらクオンと甲斐の言葉が聞こえていたらしく、クルスがにこりっと笑みを浮かべながら2人へ視線を向ける。

「な、何も言ってないです」
『うあ、信じられねぇ地獄耳…』

ぽそっと呟いた甲斐の日本語にシリンは内心同意したい。
セルドと普通に会話していたはずなのに、甲斐とクオンの会話も聞こえていたなど、どういう耳をしているのだろうか。

(ところで、私はいつまでこの体勢でいればいいのかな)

がっしりとクルスの腕に拘束されているので抜けだそうにも抜け出せない。
暫くはこのままだろうが、これも仕方ないだろう。
次にこのメンバーでお茶会をする機会でもあれば、今度はもう少し穏やかなものでありたいと願うばかりだ。
シリンはぼんやりとしながらそう思うのだった。


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