WOT -second- 18
さくさくっとしゃもじを動かしながらシリンはかき混ぜる。
周囲に香るのはお酢の匂い。
ここはフィリアリナの屋敷にある庭だ。
正午も近いこの時間、庭にテーブルと椅子をいくつか出して、じっと期待と好奇心の視線が突き刺さる中シリンがかき混ぜるのは、ちらし寿司である。
「クルス殿下、本当に大丈夫?寿司関係って好き嫌いが分かれるものだと思うんだけど…」
「美味しそうに見えるよ」
にこりっとシリンに笑顔を返すクルスは、どうやら楽しみらしい。
色々桜と相談した結果ちらし寿司ならばそう難しくないとの事で、レシピを桜にもらってシリンはフィリアリナの屋敷の厨房を借りて作った。
とは言っても、量はかなり正確に桜に測ってもらい、切るのはコックに多少手伝ってもらったりしていたので、シリン1人では出来なかっただろう。
「う〜、寿司の酢の匂いなんて久しぶりだぁ〜」
嬉しそうにワクワクしながら待っている甲斐。
「ちょっと大変そうだね、シリン姫」
「あと、盛り付けるだけだから平気」
お皿を用意してシリンはささっと盛り付けていく。
量は結構多めに作った。
何故かと言えば、お昼ごはんといえども、クルスと甲斐は結構たくさんの量を食べるのではないだろうかと思ったからだ。
「クルス殿下はスプーンがあった方がいいよね?」
「どうしてそんな事を聞くんだい?」
「だって、お箸、使えないよね?」
「オハシ?」
首を傾げるクルス。
朱里の文化を知る者は少ないので、食文化も分からないのは当然かもしれない。
「箸ってのはこれ。朱里じゃ基本的に食事は全部コレだ。スプーンとかフォークとかは全然使わねぇんだ」
甲斐が慣れた様子で箸を持ってかちかちっと先を合わせる。
「器用だね、カイ。そんな2本の棒でどうやって物を食べるんだい?」
「普通に。つーか、朱里ではこれが普通だったからな。ちなみに、シリンは何でか知らないが普通に使えるらしいぞ」
「使えるのかい?」
「うん、一応。ちょっとコツが必要だけどね」
シリンになって一番最初に使い始めた時はぎこちなかったが、頭で使い方を覚えているからか手がすぐに箸に慣れてくれた。
甲斐と同じように慣れた様子で、ひょいっと箸を手にとる。
箸はいくつか用意してあるので勿論クルス用もある。
もしかしたら使えるかもしれないという時を考えての事だ。
クルスは箸をじっと睨むように見つめ、悩んでいるようである。
「ま、どっちにしても食事は美味しく食べるのが一番だから、使いやすい方がいいと思うよ、クルス殿下」
「…そうだね、仕方ないから今回は諦めるよ」
「諦めるって、お前使えるようになるつもりなのか?」
「悪いかい?」
「いや、別に悪かないけどさ…」
「今後シュリとの交流もあるだろうから、シュリの文化を身につけておくのは決して無駄なことじゃないしね」
朱里とティッシでは文化の差が確かにある。
ティッシが朱里と今後も交流していくのならば、互いの文化を知る必要があるだろう。
シリンはクルスが朱里の文化を知ろうとしてくれているのが嬉しい。
「とりあえず、箸でもスプーンでもどちらでもいいからどうぞ」
1人1人の前に盛り付けられた皿を置く。
甲斐は嬉しそうに、クルスは楽しそうに、そしてシリンも実は楽しみだったりした。
自分で作ったものだが、久しぶりの和食なので嬉しい。
(味見もしたし、まずくはないから大丈夫でしょ)
流石に味見をしていないものを人様に差し出すことはしない。
さっそく食べようとシリンが箸を手に取り、甲斐とクルスもそれぞれ食べようとしたのだが、その手がぴたりっと止まる。
シリンは箸を持ったまま、どうしたのかと首を傾げる。
「それ、食べものかい?シリン」
シリンの後ろからひょっこり顔を出してきたのは、今は屋敷にいない筈のセルド。
ちょっと驚きながらも、シリンはセルドを見る。
「兄様?」
「ちょっと時間が出来たから帰って来たんだ。クオン殿下もシリンに会いたいっておっしゃっていたしね」
「へ?」
ぱっと振り向けば、すぐ後ろにクオンの姿。
甲斐とクルスが手を止めたのは2人の姿が見えたからなのだろう。
そして、クオンはなぜだか顔を引き攣らせている。
セルドはクルスの方を向き、にこりっと笑みを浮かべる。
「お久しぶりです、クルス殿下」
「ああ、久しぶりだね、セルド。それから、クオン?」
「…い、忙しいのではなかったのですか?クルス兄上」
「暇というのは作るものだよ、クオン」
にこりっと笑みを浮かべるクルス。
同じ言葉を最近クルスに似ている人から聞いた事がある気がする、と思うシリン。
「兄様とクオン殿下も食べる?朱里の料理なんだけど、美味しいと思うよ?」
量も2人分くらいは余っている。
皿も足りないわけではないので誘っても問題はないだろう。
シリンの誘いに、2人は即答はしない。
「シリン姫が誘ってくれているんだ、セルドもクオンも時間が大丈夫ならどうかな?」
にこりっと笑みを浮かべるクルスにセルドとクオンはどこかほっとした様子を見せる。
そんなクルスを見て、ぼそっと甲斐が呟く。
「クルスが他人を誘うなんて珍しい事もあるもんだな」
「シリン姫が誘わなければ、私も誘わないよ」
「…2人に対しての親切で言ってるわけじゃないんだな」
「当り前だよ」
小声での会話だったが、シリンの耳には聞こえてしまった。
ちらっとクルスを見れば、シリンに対してにこりっと笑みを浮かべてくる。
遠慮しながらも空いている椅子に座り始めるクオンとセルド。
シリンは2人の分のちらし寿司をせっせと盛り付ける事にする。
「兄様もクオン殿下もお箸使え…ないよね、普通は」
「オハシ?」
「なんだ、そのオハシっていうのは?」
セルドはクルスと同じ反応、クオンは顔を顰めてシリンを見る。
「朱里の食事をする時に使うもの。ティッシではスプーンやフォーク、ナイフが普通だけど朱里ではお箸使ってるの。こういう2本の棒ね」
かちかちっと箸を器用に動かすシリン。
それを見てセルドとクオンはちょっと驚いた表情になる。
知らないという事は使えるはずもない。
シリンは2人の前にスプーンを置く。
「この奇妙な料理が朱里の料理か?」
「代表的なものじゃないけどね、朱里の料理のひとつだよ」
「もしかして、シリンが作ったのかい?」
「一応ね。あ、でも大丈夫だよ。ちゃんと味見したから、まずくはないと思う!」
じっとちらし寿司を見るクオンとセルド。
ティッシにはこれに似た料理があるわけでもないので、珍しいには珍しいだろう。
仕切り直して、食事に入ることにする。
飲み物は勿論緑茶だ。
それぞれ食べる時の挨拶をして、料理を口に運ぶ。
(ん、普通に美味しい!)
自分が初めて作ったにしては、シリン的には満足である。
「美味い!普通に寿司の味だ!」
「普通にって表現は決してほめ言葉じゃないと思うんだけどね」
「う…!シリン、違うぞ。別にまずいとかじゃなくて、朱里で食った時と同じ味だから美味いって意味だからな!」
「分かってるよ」
甲斐の嬉しそうな表情を見れば、決してまずくて無理して食べているわけではないのは分かる。
クルスも一瞬驚いた表情をしながらも、どうやら気に入ったようでホッとした。
「変わった食べ物だね」
「兄様、美味しい?」
「シリンが作ったものだから、すごく美味しいよ」
シリンはその言葉に照れたような笑みを浮かべる。
セルドの言葉は褒めすぎかもしれないが、そう言われるとやっぱり嬉しいものだ。
「確かに美味いな。けど、なんでシリンが朱里の料理を知ってるんだ?」
クオンがちらし寿司を食べながらシリンを見る。
「ん、ちょっと色々あってね」
「色々ってなんだ?大体なんでシリンはそのオハシを使えるんだ?」
「慣れれば結構簡単だよ」
器用に箸を動かすシリンを見ながら、クオンが眉を寄せる。
シリンがいとも簡単に使っているのが気に入らないのか。
クルスもセルドもスプーンを使っているのを目にとめて、何かに納得したように再び食べ始めた。
「シリン姫」
「ん?」
クルスがすぅっと目を細めてちらりっとクオンを見た後、シリンに視線を移す。
「クオンといつの間にそんなに仲良くなったんだい?」
どこかクルスは不機嫌そうだ。
そう言えば、クルスにはクオンとパーティーで会ったことは言ったが、その後会ったあの時の事は言っていなかった。
「いつの間にって…ねぇ?」
シリンはちらっとクオンに視線を向ける。
「ぼ、僕に話を振るなよ!」
ぎょっとしながら慌てるクオン。
冷たいクルスの視線がクオンへと注がれる。
クルスの雰囲気を感じて甲斐が顔を顰める。
「別に年が近いんだから親しくなったって不思議じゃないだろ?」
「王族や貴族が年が近いだけで親しくなるとでも思っているかい?」
「何だよ?金と権力で友人選ぶのが普通って言いたいのか」
「そこまでは言ってないだろう?」
「そう聞こえるんだよ」
「耳悪いんじゃないかい?」
「なんだと?」
険悪な雰囲気になり始めた甲斐とクルス。
シリンは思わず大きなため息をつく。
互いに遠慮なしに、最初の頃よりかは大人しめな口ゲンカを始めた2人に、正直に驚いた表情を浮かべているのはクオンとセルド。
「クルス殿下も、喧嘩とかされるんだね」
「あの2人の口喧嘩は結構頻繁だよ、兄様。止まらなくなると、甲斐が法術使えないのに法術持ち出そうとするし…」
無効化法術を教えている時に口喧嘩に発展した場合は、シリンがきっちり止めている。
甲斐の法力封じを無効化している状態だと、普通に法術喧嘩ができてしまうのだ。
簡易結界を張ってあるとはいえ、あの2人の法術がぶつかりあって室内が無傷というわけにはいかないだろう。
「カイ・シドウが法力封じられていなかったら、洒落にならない規模の喧嘩になってるかもしれないってことか」
「恐ろしい事言わないで、クオン殿下」
「だって、そうだろ?」
「…否定はしないけど」
「きっとフィリアリナの屋敷が一瞬でふっとぶだろうね」
「兄様…」
流石のクルスと甲斐も、その辺り事は理解していて喧嘩しているのだと思いたいところだ。
最近は仲が良く口喧嘩も少なかったのだが、あれは互いに我慢していたのだろうか。
「けど、あんなクルス兄上は初めて見る」
「そうですね。クルス殿下はいつも穏やかな笑顔で感情を乱すことはあまりないように見えましたから」
シリンからすれば、今のクルスが普通であり、今では最初の頃のどんな事にでも冷めた様子のクルスの想像がつかない。
「年が近いからかな?」
ぽつりっとシリンは呟く。
甲斐もクルスも同じ年だ。
「それ、カイ・シドウがさっき言ってたな」
「ん。でも、やっぱり年が近いって結構仲良くなりやすいんじゃないかなって思った」
「シリンとクオン殿下もそんな感じかい?」
「うーん…」
「何でそこで唸るんだ!」
「だって、クオン殿下はなんとなく弟感覚だから」
「お、弟?!」
実年齢も精神年齢も年下なのだから弟感覚なのはシリンとしては当然だ。
しかもちょっと生意気な所が”実弟”の翔太に似ているという所もある。
セルドが突然くすくすっと笑いだす。
「クオン殿下を弟だなんて、流石シリンだね」
「笑うな、セルド!」
「そう言う所が弟っぽいの、クオン殿下」
「シリン!」
「とにかく、せっかくシリンが作ってくれた料理が冷めてしまいますから、食べましょう、クオン殿下」
にこりっと笑みを浮かべるセルド。
納得いかなそうな表情をしながらも、クオンはそれに従う。
ちらりっとクルスと甲斐を見てみれば、料理を口に運びながらも口喧嘩を続けていたりする。
いつもお茶菓子を食べながらも同じことをしているので、2人にしたら似たような感覚なのだろうか。
器用なものだ、とシリンは思った。
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