WOT -second- 10



さくさくっとシリンは草の中を歩く。
長い金髪の髪を上の方でひとつにまとめ、白いシャツに薄手の上着、それからジーパンとスニーカー。
ここはかつて日本と呼ばれていた土地である。
右耳には通信用のインカムをつけ、インカムからの声に従って散策している。

(やっぱり普段着てるのより、こういう服の方が動きやすいよね)

普段シリンが来ているのは、簡素なものとはいえドレス類だ。
ズボン類など一着も持っていなければ、”シリン”としては、はいたこともない。

『比較的広い平らな場所なら、もうちょっと先だな』
『ん、了解』

インカムから聞こえてくるのは翔太の声である。
クルスに教える法術の件で、広い場所が必要だと思ったシリンは桜に聞いてみた。
日本を使ってもいいか、と。
答えは”構わない”との事。
一度場所を確認したいと、日本に来てみれば”遠慮するな”と翔太に言われてしまった。

『にしても、見事に草木ばっかりだね』
『まぁ、放置状態だからな。動物なんかはいるかもしれねぇけど、人はこのへん一切近づかないだろうし』
『そうなの?そこそこの広さがあるし、果物もあるし、海も近いし、気候も比較的過ごしやすい気候だし、いい場所だと思うんだけどな』

草木ばかりの大自然では、一番最初に開拓するのは大変だろうが、暮らし始めてしまえばそうではないだろう。
それにここは大陸からほど遠いという場所でもない。
今の技術で存在する船を使えば数日でたどり着ける距離だ。

『んでもな、この島って夏になれば台風の通り道だし。俺も桜もあんま人が近づくのはありがたくないって思ってたから、昔はこの島に来た生命体の殆どを脅して追い出したりしてたんだよな』
『生命体の殆どって…』
『人間とかは当たり前として、羽根休めに来た鳥とかまでな』

人間は分かる。
この島から桜の本体がある場所はとても近い。
海に潜られて発見される事を警戒していたからなのだろう。
しかし、鳥まで追い出すとは、警戒心が強すぎというかなんというか、ちょっと酷い。

『…極悪人だね』
『言うな!今はこれでも反省してるんだ!動物なんかはこっちが危害加えなくなると自然とまた来るようになったけど、人間とかはな…。なんか呪いの島とかって伝説になっちまってるらしくてさ』

はははっと乾いた笑い声が耳に響く。

『呪いの島っていったい何したの、翔太?』
『…も、黙秘権行使していいか?』
『……』

相当酷い事をしたらしい。
翔太の事だから、脅かす程度で大怪我を負わせるような事をしでかしたとは思えないが、この島に二度と近づかなくなるくらいの脅しくらいはしてそうだ。

『とりあえず聞かない事にするよ』
『おー、そーしてもらえると、ありがたい』

さくさくと話をしながらも歩き続ける。
地面の草はシリンの膝まで伸びているものもあるので、歩くスピードはゆっくりだ。

『あ、姉さん』

ふと何かに気づいたかのような翔太の声。

『姉さんが向かってる場所に生体反応ありだ』
『生体反応?動物がいるってこと?』
『少なくとも人間くらいの大きさの動物。地上用のセンサー系がまだ回復してないから、何がいるかまでははっきりとは分からん』

こういう時、自分に気配を探るだけの感覚があればと思う。
生憎とシリンは訓練された剣士でもなんでもないので、気配などさっぱりだ。

『んで出来ればソレを追い出しておいて欲しいなぁとか思ったり』
『別に暴れてる感じじゃないから、いいんじゃないの?』
『今は暴れてなくても、後々どうなるか分からないしさー。この生体パターン、あんまり歓迎できる相手じゃないっぽいんだよな』
『何?知り合いに似てるとか?』
『ん〜、かなり厄介な知り合いにすごく似てるだよな、これが』

翔太の口調から、少々物騒そうな相手に思える。
断定はしていないが、翔太は恐らく相手が”何”であるのか分かっているのだろう。

『それを追いだすのを私にやれと?』
『不意打ちで別の大陸に強制転移とかさせれば簡単だろ?』
『確かに簡単だけどね…』

シリンは小さく息をつき、指にはまっている指輪の存在を確認する。
少しずつ解読している指輪の法術陣。
それならば今日は新しく解読できたものの効果を試すために使ってみようか、と思う。

「北方石、南方石、東方石、西方石、解除」

ひゅっとシリンの左手のひらに紅い小さな球が4つ浮かぶ。

「対象は指し示す場所にあり、対象転移を我望む」

紅い球は再びひゅっと音をたてて消える。
それは翔太が言っていた生体反応がある場所を囲むようにして転移しただけだ。
シリンに気配は探れない、だから適当な場所を大きく囲むように球を配置した。

(ほんと、色々便利なものが入ってるよね、これ)

先ほどの紅い球は数に限りはあるが、この指輪にいくつか内蔵されている。
球に法術陣を分割して刻み込み、それが正しく配置されることで法術陣が完成する。
法術陣を刻み込むのは使用する直前なので、法術陣を理解している人でなければ分割もできないし刻み込む事も出来ない。
ただ、頭に強く思い浮かべるだけで刻み込まれるような構成になっているのですごいと思うのだ。

『姉さん?何したんだ?』
『ちょっとおおまかに転移法術を埋め込んでみた』
『埋め込み…?まさかとは思うけどさ、地面ごとの転移にならねぇよな、ソレ』
『あ、生命体に限定するの忘れてた』
『姉さんのアホ!』

(しまった、新しいの使うのに緊張というかワクワクしてて、そんなことさっぱり忘れてた)

転移法術というのは、対象をきちんと指定しなければ本当におおざっぱに転移してしまうのだ。
対象を人間一人にすれば、その人間だけの転移になるが、”その場所”と大まかに指定しまうとその場にあるもの”すべて”をごっそり転移してしまう。

(けど、たぶん円状だから、地下30メートルくらいまでかな?)

『でかい被害にならないよな?日本の敷地面積残ってるの少ないんだぞ?』
『うーん、大丈夫だと思う。ちょこっとクレーターができるだけだから』
『クレーターか……』
『ごめんって。その生命体が物騒なものじゃなければ使う事もないし、使われない事を祈っててよ』
『無駄な祈りになりそうだけどな〜』

対象がそのまま何もせずに去ってくれればいいが、翔太とこうして会話している間もその生体反応は動いていないようである。
この場所が気に入って留まっているのか分からないが、とりあえずは姿を見て説得できそうな相手であれば、穏便にすみたいものだ。

(にしても、こんなところに来るなんて結構物好きな”生きもの”もいたものだよね)

なるべく大きな音をたてないようにシリンは草を踏み分けていく。
気配を消すなどという高度な事はできず、こそこそ動くしかできないのがちょっと悲しい。
そして、少し開けた場所が見えてくる。
小さな泉と、その周囲に木々が生えず草のみの広場のような所。
そこに一つの影。

(服を着ているみたいだけど…人?)

見えるのはこげ茶色の癖のある髪くらいだ。
シリンはその相手から見えないような位置で立ち止まり、じっとする。
法術を使って問答無用で追い返してもいいが、言葉が通じるのならば説得を使ってもいいのではないだろうか。

『姉さん、気を付けて。もう1つ生体反応が近づいてる』

翔太の小さな声がインカムから聞こえる。
周囲を見回して特に影も見られないので、上空かと思い上を見ればその通りのようだ。
”誰か”が上空から地上にいる影の所に降りていく。

「風よ、我が示す音を拾い届けよ」

ふわっとそよ風がシリンの周囲を舞い、2つになった影の方へと向かう。
風の法術を応用して組み上げた、会話を盗聴できる法術である。
視界も調整したいところだが、そこまで法術を使ってしまえば、相手によっては気づかれてしまうだろう。
盗聴くらいならば法力も微々たるものであり、クルスに聞いた事があるが現存する盗聴機能の法術は発動がとても難しいものらしいので、シリンが今使っている法術は気づかれる可能性が低いだろう。
2人の方を見ずに、会話だけに耳を傾ける。

「すみません、グルド様」
「父がこの周辺には近づくなと、昔から言っていたのは知っているだろう?」
「オレ、2〜3日前からここに来てますけど、別に何もないっすよ」
「それは、今日までは…だろう?」

彼らがいる方向から、大きな法力の流れを感じた。
法術呪文は聞こえてこなかったが、シリンはばっと振り向く。
ざぁっと風が吹き抜けるほどの法力が集まっている。

『姉さん!!』
「解放!」

翔太の叫び声と同時に、シリンは指輪から扇を取り出す。
何故気付かれたのか分からないが、シリンに向かって放たれたのは大きな炎の塊。

「立ち塞げ、凍てつく障壁!」

呪文と同時に一番簡単な水属性の法術陣を空に描く。
それが増幅となって、ぱきぱきっと音を立てながら分厚い氷の壁。
どんっと大きな音と振動。
シリンの肌に熱風は感じられないという事は、綺麗に防ぎきれたという事なのだろう。

『生体反応転移!後ろ!』
「大地と風の守護、我を囲いし壁となれ!」

シリンを囲うように展開された防御壁に、がきんっと何か鋭いものがぶつかる。
ばっと振り向き目にした光景に、シリンは思わず目を開く。
法術によってできた風と大地の結界に阻まれているのは、鋭い爪をもった獣の手。

(人型の…獣?)

髪は普通の人間のようにあるが、それはたてがみなのか。
顔立ちは獣…一番近いのは犬だろうか…そのもので、体中が茶色い毛で覆われてはいるだろうが、服は人が着るものと同じようなものを着ている。
目についたのは金色の瞳孔が縦に割れている金色の瞳だ。

「グルド様、その餓鬼は…?!」
「さあ、なんだろうな。気配を感じたんで攻撃してみたんだがな」

シリンはこちらに駆け寄ってくるもう一人の姿も確認する。
目の前にいる獣姿の男と同様、彼も似たような姿。

「イディスセラ族ですかね?」
「あの一族は、皆例外なく黒髪に黒い瞳と聞く。これは違うだろう。何より持つ法力が大したことない」
「言われてみれば、そうっすね」

法術壁に阻まれていた牙を、グルドと呼ばれた男はおろす。
シリンは2人を交互に見ながら、法術壁を維持したまま警戒は解かない。
彼らが”何”であるのか、そんな事は後でいい。
今はこの状況から抜け出すこと、そして彼らにはこの場所から退いてもらわなければ困る。

「だが、我ら一族を目撃した者は少ない方がいいだろう」
「ドゥールガ様にバレると困りますしね」
「父上は朱里周辺に関しては敏感だからな」

言葉が通じそうなので説得できるか、との小さな期待は全くの無駄だったようだ。
相手はどうもシリンを始末する気、満々のようである。

『ドゥールガ?…そいつら、もしかして人型の獣か?』
『何か知ってるの?』
『嫌な予感大当たり…。そいつら厄介な知り合い関係だ』
『説得は?』
『無理。完全実力主義者的な考えでかなり好戦的なヤツらだから、話し合うつもりなら力でねじ伏せてからじゃねぇと話も聞いちゃくれねぇよ』

盛大に顔を顰めるシリン。
生憎とシリンに戦闘経験などいうものはさっぱりない。
そのシリンに彼らを力でねじ伏せるという事が果たして出来るか。

『小娘、誰と話をしている?』

グルドから零れた”日本語”にシリンは一瞬ぎょっとする。
先ほどまでは共通語を話していたはずだ。
日本語語であるイディスセラ語は理解が難しく、ティッシでは満足に話せる者はほとんどいないような状態だ。
それなのに、聞こえた日本語はぎこちないものではなく、多少訛りは感じられるものの流暢なもの。

『何も言わぬのならば、俺達の用を済ますのみだ』

グルドがすっと右手を掲げると、その手のひらにぼっと炎が出現する。
呪文は先ほどと同様何も口にしていない。

(となると法術陣がどこかにある)

今も炎、そして先ほども炎。

『運が悪かったな』

シリン見せるグルドの笑みは、シリンを上から見下ろすような笑み。
ごぅっとグルドの手の中の炎が大きくなる。

「戻れ、北方石、南方石、東方石、西方石」

シリンの手の中に先ほど配置した珠が戻ってくる。

「我を守護せし風を纏え、我が願いしもとへ運べ」

ばっと一瞬シリンを包み込んでいた壁が解かれ、珠が輝きすぐに緑色の風がシリンを包み込む。
地面に強制転移用で埋め込んでいた珠の法術陣を書き換え、自分の防御壁と移動用の法術へと切り替える。
そのままばっと上空まで飛び上空で一回転をしてシリンはぴたりっと止まり、空に浮きながら扇をグルドへと向ける。

「沈めよ炎の怒り、大地の祈りにて断ち切れ!」

地面から淡い黄色い光が立ち上り、その光がグルドを包み込む。
ちらりっとその光に目を向けたグルドだったが、手に持つ炎でその光を薙ぎ払う。
光はあっさりと消え去ってしまう。

(これじゃない)

「静かなる水の願い、燃え盛る炎の怒りを鎮めよ!」

ざぁっと水が大地より湧き上がるかのように、グルドを包み込む。

『邪魔だっ!』

先ほどよりグルドの炎は勢いを増し、湧き上がった水をすべて蒸発させてしまう。
蒸気となった水が周囲を漂う。

(これも違った)

『何がしたいのか分からないが、この程度じゃ痛くも痒くもないな』

グルドに傷一つつけられないのだが、シリンは彼を攻撃しているつもりはない。
ごぅっとグルドの炎がさらに強くなり、炎が身体の大きさを超えるほどに燃えさかる。
強大な法力量は傍にいれば分かるほど。
その大きさがどれだけのものなのか、自分の法力量が少ないシリンには比較が難しい。
とにかく強大であることしか分からない。

(自分の意志で火力を調整できるということは…!)

法術陣と言っても種類がいろいろある。
使い手によって効果が多少変わってくるように組む事も可能だ。

「怒れる紅の光よ、暁の闇に眠れ!」

黒く透き通った風がシリンから放たれる。
その風はグルドの炎に巻きつき、その炎を侵食していく。

『この程度は意味がないと…、っ?!』

黒い風は炎を一気に侵食し綺麗に消し去る。
残った黒い風がさわっと吹く。
大きく目を開き、自分の右手を見つめるグルド。

「風の戒め!」

隙を逃さずシリンはグルドを風で拘束する。
相手の見た目から、力加減は一切しなかった。
簡易的な法力封じも加えた戒めで、グルドの身体が固定される。
シリンはふわりっと大地に降り立つ。
それを見ていたもう一人の獣人が、呪文もなく水の渦を右手に出現させる。

「貴様!グルド様を離せ!」
「荒れ狂う涼やかな水よ、深淵の闇に眠れ!」

シリンが放った呪文によって、先ほどと同様に黒い風が彼の水の渦をからめ取る。
先ほどのグルドと似たようなものだと思い、同じような無効化法術を放つ。
綺麗なまでにあっさりと黒い風が水の渦を霧散してしまう。
グルドの炎と違い、彼の水はそれほど強い力ではなかったようだ。

「ゲイン、待て」
「ですが、グルド様…!」
『小娘、何が望みだ?』

風で戒めながらも、自分が決して不利だとは思っていないような尊大さで聞いてくる。
しかし、日本語で問いかけてきているということはシリンが日本語しか話せないと思っているのか。
それならば気を使ってくれているのか。
意外だと思いながら、シリンはばっとこの島の外を指で示す。

『ここから出て行って欲しいだけ。ここは大切な場所だから、誰であっても侵入されたくないの』
『俺達であったから、というわけではないのか』
『貴方達が何であるかなんか知らない。とにかく、ここを荒らす可能性が少しでもある人は出て行って』

シリンはまっすぐにグルドの目を見る。
金色の獣の瞳。
そこには狂気があるわけでもなく、普通の人間と同じような光を宿しているように見える。

『分かった、ここから出て行こう。そうすれば、この戒めは解いてくれるんだろう?』
「風よ、解けよ」

シリンが小さくつぶやけば、頑丈に思えた風の戒めはあっさりと解かれる。
グルドは自分の手を握り締めて、身体が動くかどうかを確かめる。
拘束したと言っても、身体に何か負荷を与えたわけではないので影響はないはずだ。

『随分あっさりと解いたな。この状況で襲われるとは思わなかったのか?』
『警戒を解いたつもりはないから。襲われたら今度は強制転送させるだけだよ』

ふわっとシリンの周囲に風が舞う。
珠によって作り上げていた防御壁はまだ健在だ。
ここで無防備になるほど、シリンはそこまで目の前の相手を信用していない。
成程、とグルドはどこか納得した表情を作る。

「行くぞ、ゲイン」
「ですが、グルド様…!」
「ここで法力を必要以上に消耗するわけにはいかないだろう。あの小娘を簡単に始末できるとは思えんしな」

もう一人の獣人の男をひっぱりながら、グルドはこの島を飛び立つ。
向かった方向はティッシや朱里、イリスが存在する大陸の方向。
シリンは少なくともあんな種族が存在するとは聞いた事がない。
大陸の奥深くに隠れ住んでいたのだろうか。
その存在に不思議に思いながらも、どうにか追い払えた事の方に大きく安堵したシリンだった。


Back  Top  Next