WOT -second- 09



フィリアリナのシリンの部屋はそう狭くもないが、広すぎるわけでもない。
とは言っても、一般人の感覚からすれば、かなり広い部屋にはなるのだろう。
シリンは紅茶のカップを口につけ、内心大きなため息をつく。

「何で君がここにいるんだい?」
「オレがいちゃ悪いのかよ?」
「悪いね」
「なんだとっ!」

クルスと甲斐の仲はあまり良好とは言えない。
取っ組み合いの喧嘩とまではいかないが、顔を合わせたら必ず口喧嘩は起こる。
お互い気を許しているからなのだろうが、たまには静かに顔合わせできないものだろうかと思ってしまう。
今日はたまたまクルスが来た時に、甲斐もいたのだ。
それで2人がばっちりご対面してしまったわけである。

「クルス殿下は甲斐がいるのは嫌?」

シリンがそう問えばクルスは少し考えてから口を開く。

「シリン姫がいいなら、構わないよ」

どこか納得していない様子はあるが、そう答えるのはいつもの事である。
クルスがそう答えれば、甲斐はそれ以上何も言わないのもいつもの事だ。
彼らの口喧嘩は、彼らにとっての挨拶みたいなものに違いない。
それに、この口喧嘩が当り前になりつつある今、2人が急に仲良くしても不気味に感じるだけかもしれない。

「実は今日、この間クルス殿下に聞いた法術の無効化法術を組み上げたからそれを教えようかと思ってたんだけど…」

シリンはその法術に関してメモした用紙を紅茶のカップの隣に置く。
今まで組み上げた法術に関してのメモ…決して法術の発動内容そのままではないもの…にざっと目を通す。
理論は間違っていないはずだが、確認しようにも自分で発動して自分で防ぐという方法は難しいので確認まではしていない。

「シリン姫。この間って、まだ3日しか経ってないよ」
「3日?!ちょっと待て。その法術って初級のか?」
「そんなわけないじゃないか。派手さはないけど高等法術に当たるものだよ」
「そんな法術無効化とかできるもんなのか?」
「普通は無理だと思うよ。けれど、シリン姫だからね」
「シリンは頭いいしな…」
「うん、本当にね」

仲がいいのか悪いのか分からない2人である。
どうもシリンに関しての意見は、驚くくらいぴったり同じような意見を持つようで、シリンが関わる時だけは気の合う会話をしている。

「誰にだって得意なことの1つや2つくらいあるものだよ」
「得意ってレベルか?」
「得意で済ませられるレベルじゃない気がするよ」

あまり過大評価をしないで欲しいと、シリンはちょっと思ったりする。
確かにオリジナル法術をぽんぽん組み上げる事が出来るシリンは、はたから見ればすごいのかもしれない。
シリン自身はそう大層な事をしているとは思っていないのだ。

(私よりも翔太の方がすごいみたいだし)

指輪の法術陣の解析はまだ終わっていない。
扇を出し入れする事ができたので、それを使って出来る事を確認するので精一杯だ。
弟とはいえ、自分よりも難しい法術を組み上げる事が出来る存在がいた事を知った今は、シリンは尚更自分が特別とは思えないようになっている。
だが、双方を知る桜がここにいれば、姉弟ともに似たり寄ったりの才能を持っている、と突っ込んでくれただろう。

「レベルがどうとかは置いておいて。クルス殿下、悪いけどその法術を使ってもらってもいい?」
「構わないけど、大丈夫かい?」
「室内に簡単に結界張ったから、屋敷の外までは漏れないよ」
「私が言いたかったのはそう言う事じゃないんだけどね」
「分かってる、大丈夫」

にこりっと笑みを浮かべるシリン。
そして、左中指にはめてある指輪に親指を添え、”解放”と呟く。
淡い光と共に現れる扇子が1つ。

「それの使い方分かったのか?シリン」
「基本的な事はね」

扇の出し入れしか分かっていないが、他の補助的な法術陣は複数の法術陣が重なっていて解析が難しいのだ。

「それ、甲斐にもらったのかい?」
「うん。甲斐だけじゃなくて、甲斐と愛理と桜の3人でのプレゼントとしてだけどね」
「アイリ…っていうのは確かカイの妹だね」
「あれ?知ってるの?」
「シュリの上層部の人間の名前だけは聞いているよ。でも、”サクラ”という名前は聞き覚えがないね」
「そのうち紹介するよ。桜も一応朱里のヒトで、…えっと、なんて言うんだろ?一番分かりやすい説明は精霊とか妖精とかそんな感じ?」

人工知能生命体と言っても意味が通じないだろう。
寿命があるようでないようなものであり、人の攻撃がその姿…立体映像…には全く通じない事、触れれば人とはまた違う感触がある事。
一番近く、分かりやすい説明で考えて、シリンの頭に浮かんだのは”精霊”か”妖精”だった。

「確かに精霊とか妖精が一番近い表現だよな。オレもエーアイの事は、”始祖の遣い”とか”護り神”とかって聞いてるし」
「エーアイ?どうして君はシリン姫と違う呼び方をしているんだい?」
「だって、朱里じゃエーアイって名前が一般的な呼び名だったからさ」
「一般的呼び名がそれならば、シリン姫はどうして別の名で呼ぶんだい?」
「それは…」

甲斐は気まずそうに口を閉ざす。
シリンは甲斐がどこまで桜の事を理解しているのか知らない。
少なくとも桜の本来の力を開放するためには主が必要である事、その主は桜の問いに正確に答えを言えた者がなることは知っているだろう。
桜は朱里の切り札的存在、ティッシの第二王位継承者というティッシ玉座に近い立場にいるクルスに、桜に関しての詳細を話す訳にはいかないだろう。

「私が”エーアイ”って呼び名じゃ変な感じがするからって、桜が”もう一つの名前”を教えてくれたんだよ。ちょっと恥ずかしいんだけど、”エーアイ”って呼びににくくて…」

シリンは少し恥ずかしそうにクルスを見ながらそう説明する。
A・Iと呼ぶのが変な感じというのは本当で、桜の”もう一つの名前”というのも間違ってはいない。
朱里の人にとっては”エーアイ”が桜の名であるだろうし、シリンにとって桜は”桜”だ。

「それじゃあ、そのサクラは2つ名前があるってこと?」
「みたいだね。人とはちょっと違う存在だから、名前が2つあってもおかしくないんじゃないかな?」
「そういうものなんだね」
「うん、そういうものらしいよ」

甲斐がほっとしたような表情をするのが見えた。
桜の話題を出してしまったのはシリンだ。
朱里の立場が弱いものになってしまうのはシリンの望むところではない。

(誤魔化せた、かな?)

誤魔化せたかどうか分からなかったが、クルスはそれ以上聞こうとは思わなかったようだ。
クルスを信じていないわけではないが、桜の事は、朱里の事情を考えてもシリンの事情を考えても、そう簡単に話せる事ではないのだ。

「それより、クルス殿下。法術お願いしてもいい?」

ぱらりっとゆっくり扇を広げるシリン。
そのうちバッと格好良く広げるようになるのは、ちょっとした今の目標である。

「本当にいいのかい?」
「大丈夫だよ」

シリンは開いた扇子をクルスの方に向ける。
この扇子を使って簡単な法術を使って試した事はある。
法力の補助的なものと理解していても、それが間違っていて実戦で使えなかったら話にならない。
解析できた法術はちゃんと確認するのが一番だ。

「遠き果てに存在せしもの、暗き闇を招くもの、視界をふさぎし空間を今ここに、闇の霧にてこの場を覆いたまえ」

ぶわっと黒い霧が部屋の中を包み込もうとする。
攻撃系の法術ならば力で無理矢理相殺させる事は可能だ。
だが、クルスが今使った直接攻撃でなく間接的に効果を与える法術は防ぎにくい。

「舞え、風よ、包み込め光よ、闇を払いて真の姿を示せ」

さあっと淡い緑色の光を帯びた風が舞う。
と同時に黒い霧はその風と相殺されるかのように綺麗に消えていく。
風によって薙ぎ払われたのではなく、風によって中和されたような感じだ。

「すっげ…」
「…完全に相殺、したね」

ぱちんっと扇をゆっくり閉じるシリン。
身体にだるさは感じないところから、扇の法術陣で十分補助出来る範囲の法術だったのだろう。

(すごいな、この法術陣。結構高度な法術まであっさり使えそうかも)

シリンはシリンで扇の法術陣に感心していた。
先ほどの無効化の法術は決して難しいものではないが、法力をそう使わないものでもない。
普段のシリンが扇の補助なしで使おうとすれば、使った後は疲れて立ち上がれない程の法力は必要としている。

「無効化で一番大事なのは法力量のコントールかな?使われた法術を綺麗に相殺できるだけの法力を注ぎ込んだ法術を当てないと、もしかしたらとんでもない事になるかもしれないから」

そう、一番大切なのは使われた法力を綺麗に相殺させるだけの法力を込めた法術を使う事。
例えば今の黒い霧を出現させる法術、あれが広範囲に使われた場合、無効化する為には今よりも大きな法力が必要だろう。

「それはどうやって判断するんだい?」
「殆どは勘になるんだけど、今の無効化の法術は多少量を誤っても暴走する類のものじゃないから一度使ってみた方が分かりやすいかも」

今の人たちの法術を使う為に必要なのは呪文の暗記だ。
あとはその呪文を発動させるだけの法力があるかが大きな問題だ。
法術の理論を理解していれば、呪文を覚えなくとも応用でどうにかなるのだがそれが出来ないとなると、綺麗に組み上げた法術呪文を覚えるしかない。

(厄介なプロテクトだよね)

そんな事を考えながらシリンはゆっくりと呪文を復唱して、クルスと甲斐がそれを聞く。

「どうでもいいけど、君がソレ覚えても使えないんじゃないの?」
「あ、そっか。オレ、法力封じられたままだ」
「馬鹿だね」
「悪かったな!」

せっかくなのでシリンとしては甲斐にも覚えてもらいたいと思う。
しかし、法力封じがある状態では確かに満足に法力も引き出せないだろう。
シリンの持つ扇を貸してもいいが、これの使い方は理論を理解できない状況で使うのは、不可能ではないがすぐに使えるようになるものでもない。

「甲斐、両手挙げて」
「は?」

シリンの突然の言葉にきょとんっとする甲斐。

「いいから」

ぱっと両手をあげる甲斐に、シリンはぴしっと閉じた扇の先を向ける。
ちらりっと見える法力封じの腕輪。

「狭間の力、囲いし壁、限られた時にて力を断て」

法力封じの腕輪が淡い光に包まれた瞬間、甲斐から法力があふれ出す。

「っわ?!は…、シリン?!」
「一時的に法力封じを”封じ”ただけだよ。解除したわけじゃないからそれかけた人にはバレないし平気」

にこっとシリンは笑みを浮かべる。
きちんとかけられた法力封じの腕輪の法術を解析すれば解く事は可能だが、これは国同士で取り決めがされた事。
甲斐の法力が必要な緊急の何かがあるわけでもないのに、シリンが勝手に解くのはまずいだろう。
だから、一時的に法力封じの無効化、つまり法力封じを封じたのだ。
だが、ハタと思うシリン。

「…と、クルス殿下。甲斐の法力を一時的に戻したのはまずかったかな?」

甲斐の法力はティッシ国民を安心させるためのもの。
シリンがそれを一時的にとはいえ、無効化させる事が出来るというのはあまり好ましい事ではないだろう。
クルスはあまりそう言う事を気にしないだろうとは思いつつも、一応聞いてみる。

「私個人としては全く構わないし、気にしてないよ。他の人にバレなければ平気だよ、シリン姫」
「おいおい、それがティッシ国第二王位継承者の台詞か?」
「悪い?」
「いや、オレとしちゃ、全然悪くないけど…」
「それならいいじゃないか。それに、別に君自身がその法術を使えるわけでもない。使えるシリン姫は、時と場合、状況を考えて悪いようには使わないから問題なんて何もないだろう?」

成程、と甲斐は納得した表情になる。
普通はこれで納得しないものなのだが、クルス同様甲斐はシリンに対して信用をしている為、それで十分納得できるのだろう。

「それじゃあ、やってみようか?私がさっきの煙幕法術使うから順番にね」

きゅっと扇を握り締めるシリン。
2人がシリンの組み上げた法術を使えるようになるのはすぐだろう。
法術を無効化する法術を教える事が何に繋がるのかシリンには分からない。
けれど、クルスと甲斐がシリンを信用しているように、シリンも2人に信頼をおいている。
悪用する事はないだろう。
それだけは絶対だと言い切れる事だ。


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