WOT -second- 07
ばさりっとシリンは自分の部屋で、指輪に描かれた法術陣の図面を広げていた。
翔太に電子パネルのバージョンもあると聞いていたのだが、紙の方をもらった。
電子パネルバージョンは、小さいものが出来れば持ち歩けるんだけど…と言ったら、時間がある時に作ってくれるそうな。
(随分と頼りがいがある男になっちゃったもんだよね)
日本に行って翔太に会ったのは昨日の事。
昔の日本の光景など見る時間もなく、あのまま話をして終わってしまった。
(時間があれば、翔太と一緒に日本めぐりとかしてみたいけど、どうだろ?)
くすりっとシリンは笑う。
多分今の自分はすごく嬉しいのだと思う。
”弟”が無事であったこと、少なくとも60歳までは生きていたという事、それが分かったのだから。
(とにかく、この指輪の法術陣の解析を急ぎますか)
ざっとシリンは法術陣の図面に目を通す。
本当に複雑なもので、法術は基礎以外独学のようなもののシリンにとってこの解析は時間がかかるだろう。
「えっと……”解放”」
指輪を内側から親指でそっと撫で一言呟けば、ぽうっと淡い光の中からひとつの扇が出てくる。
シリンのまだ小さい掌には少し大きい扇だが、そんなに派手なものでもなく、しかし高級そうな感じがする。
ぱらっと両手を使って扇を開いてみる。
何の変哲もない扇に見えるが、うっすらと刻まれているのは法術陣。
「細かっ…!」
やる事が細かいというかなんというか、作った翔太をすごいと尊敬してしまう。
(あ、なるほど、この法術陣ってあれだ、補助系。ってことは、これを応用すれば、あれとかあれとか使えそうだよね)
足りない法力を引き込む法術陣がこの扇には組み込まれており、引き込んだ法力はシリンの身体で引き受けずとも、扇が溜め込んでくれる仕組みだ。
これを使えば身体に負荷をかける事もないだろう。
シリンはきゅっと左手で扇を握る。
「”封印”」
シリンがそう呟けばふっと手の中の扇は消えた。
細かい法術陣の効果を知らずとも、今の扇ひとつで十分なのではないのだろうかと思う。
(ああ、でも、翔太のいた時代はそれだけじゃ不十分だったのかも)
翔太も今のシリンも法力には決して恵まれていない。
法力をカバーする法術陣があったとしても、あの当時それだけでは護りきれない状況だったのかもしれない。
「さっきのは何かな?シリン姫」
背後からの突然の声に、びくっと大きく肩を揺らして振り向くシリン。
「ク、クルス殿下?!」
「久しぶりだね。それから、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
にこりっと笑みを浮かべたクルスがいつの間にかそこにはいた。
クルスが窓から入ってくるのはいつもながら変わっていない。
「去年はシリン姫の誕生日過ぎてからその日を知ったから、今年こそはって思ってたんだ」
「そんなに気を遣わなくてもいいのに」
おめでとうの言葉だけで十分嬉しいのだ。
だが、クルスはクルスで考えてプレゼントを贈ったつもりではあるのだろう。
下手に豪華な高価なものを贈ってもシリンは喜ばない。
だから、無難に花にしたのか、それとも花には別の意味が込められているのか。
「シリン姫?その法術陣は何?」
クルスはシリンが広げておいた指輪の法術陣を見て首を傾げる。
しまったと思いつつ、シリンはゆっくりとそれを折りたたんでしまう。
「うん、ちょっと…役に立ちそうなものを研究というか解読というか…」
「ふ〜ん、別に私には理解できない範囲の事だろうから構わないけどね」
「理解できないって…ああ、そうだ。実はクルス殿下に、1つ提案があるんだ」
理解できないという言葉で思い出す。
クルスに法術理論を教えると約束して1年、その成果は全くない。
自分の教え方が悪いのか、時間がなかなかとれないからか、と思っていたが理由が別にある事を今のシリンは解っている。
どんなに頑張っても、初級の法術を理解するので精一杯だろう。
遺伝子レベルで組み込まれたものはどうにも出来ないのだから。
「提案?」
「そう。法術理論講座やってるでしょ?朱里とのいざこざがあってからちょっと中断してたけど。あれの方針をちょっと変えていこうと思っているんだけど、いいかな?」
「シリン姫がいいと思うなら私は構わないよ。けれど、方針を変えるって何をやるつもりだい?」
部屋の椅子にすとんっと腰を降ろすクルスを見て、シリンは部屋に備え付けの紅茶セットでお茶の準備をし始める。
綺麗な水と紅茶の葉は、いつもシリンの部屋に常備されている。
水は簡単な法術を使ってお湯にする事が出来るので、いつでも暖かな紅茶を飲む事が出来る。
「理論をやっていくよりも、実戦で役に立ちそうなものをやった方がいいかなって思って」
「実戦で役に立ちそうなもの?」
「実際存在する法術を防ぐための法術。やっぱり役に立つものの方がいいでしょ?」
「私はどちらでも構わないよ」
にっこりと笑みを浮かべるクルス。
クルスに法術理論を理解する気がないわけではないのである。
シリンが理論を説明している時、クルスは真剣に聞いてくれている。
理論の説明が時間の無駄になってしまうかもしれない事を知っているシリンとしては、シリンの話を聞いてくれているのに全く実にならないクルスに、申し訳ないと思っていたのだ。
「シリン姫がその方針にするのなら、今ある高等法術をリスト化してみた方がいいかな?」
「う〜ん、高等じゃなくて防ぐのが難しい法術とかあれば、その法術を無効化する方法とか教えられると思うんだけど…」
「それなら無効化する事が不可能って言われている法術がいいかな?」
「無効化が不可能なんて法術があるの?」
「あるよ。力で制す事は出来ても、無効化とかは結構難しいみたいでね」
人が作り出したものである以上、人が考えたもので防ぐことは可能なはずである。
ただ、防いだり無効化するとなると、やはりその防ぐ法術以上の法力が必要になるかもしれない。
「けれど、シリン姫。そうなると広い場所が必要になるよね」
「そうなんだよね」
法術によっては、この部屋でも十分なものもあるかもしれない。
しかし、攻撃系のものとなると室内はまずいだろう。
(転移法術陣作って、別の場所との道を作ろうかな?)
転移法術があるように、転移用の法術陣を作ろうと思えば作れる。
2つ1組のものを作り、転移先に1つの法術陣を、転移元に1つの法術陣を描く。
同じ場所に移動するのならばその方法はかなり便利だ。
不便な点は、転移先と転移元の法術陣が少しでも崩れてはいけないという事だ。
「場所については私がなんとかするよ。暫くは大人しめの法術の対応方法にすれば、この部屋の中でも、城下町でも出来るし」
「室内でも発動できる法術ね。それらしい法術をいくつかピックアップしてくるよ」
「うん、それはお願い」
ティッシ国内に存在する法術がどういうものなのかをシリンは知らないし、高度なものになると知ることすら不可能だ。
似たような法術を組み上げる事は可能だが、現存する法術に対してのものを実際やった方がいいだろう。
「そう言えば、シリン姫。クオンに会ったんだね」
「クオン殿下?誕生日のパーティーに来て下さって挨拶はしたよ」
「うん、クオンに聞いたよ。それでね、シリン姫」
にっこりとクルスは必要以上に深い笑みを浮かべる。
思わずその笑みにぎくりっとなるシリン。
その類の笑みにはあまり良い印象を受けない。
「兄上に誕生日のプレゼントを贈られたんだって?」
「私だけじゃなくて兄様もいただいたよ」
「そうだろうね。シリン姫にだけ贈っても不自然だろうからね」
クルスはそう言うが、普通ならば考え方は反対だろう。
セルドにだけ贈るのはシリンに対して失礼にあたるかもしれないので、シリンにも贈った、と。
「粉々にするから、見せてもらってもいいかな?」
さらりっとクルスはとんでもない事を言う。
しかも笑みを浮かべたまま、しかし、決して瞳は笑っていない。
「あ、あの…クルス殿下。流石に国王陛下からの贈り物を粉々にするのはまずいと思うんだよね」
「弟の僕がいいって言うだから、構わないよ」
「そういう問題でもないような…」
「シリン姫。もしかして、兄上からの贈り物がすごく気に入ったの?私に見せたくないほどに気に入った?」
「イエ、寧ろ私も出来る事ならば粉々にしてもらいたいくらいだけど」
「それなら構わないよね」
すっとクルスが笑みを浮かべながら右手を差し出してくる。
エルグから贈られたものを出すようにという事なのだろうが、だからと言って渡すわけにもいかないだろう。
シリンははぁっと大きなため息をつく。
「あのね、クルス殿下。もらったのは手鏡なんだけど、法術陣が描かれていてね」
「何の法術陣だったんだい?」
「表向きは護り、細かく言えば盗聴機能と発信機能があるもの」
「盗聴と発信だって?」
「護りの法術陣がかなり頑丈なものだから、多分簡単には粉々にはできないんじゃないかな?」
シリンは手鏡に刻まれていた法術陣を思い浮かべる。
持ち主を護る機能は確かにある。
だが、それだけの法術を鏡のみで発動させるという事は鏡はその法術に耐えられるものなければならない。
鏡の材質ではなく、壊れないようにする為の法術陣も小さく刻まれいてたのだ。
「行動読まれた…」
むっとしたように呟くクルス。
クルスが手鏡を粉々にしようとするのを見越したから、エルグはこの護りの法術陣を選んだのか。
「シリン姫」
「うん」
「兄上はすごく優秀で尊敬できる人で、それに何よりもティッシの国王だから、兄上から命令が下ったらシリン姫だってそれを承諾しなければならないのは分かっている」
(私に表向きで下る命令なんて大したものじゃない事が多いと思うけど)
シリン・フィリアリナ個人に対して、エルグが下せる命令は周囲が不振に思わないものしか無理だろう。
だから、戦地に出向けとか、人質になってこいとか、起こっている事件をどうにか解決してこいとか、そんな大変なものはないはずだ…と思いたい。
「それでも」
「うん?」
「私がどうしても駄目だと言ったら、兄上の命令にも逆らってくれるかい?」
シリンはクルスの問いに少し驚く。
唐突な問いに思えるが、そうでもないかもしれない。
随分と年の離れた優秀な兄である国王陛下、そしてかなりクルスに懐かれてしまっているシリンの状況、そのシリンはエルグに気に入られているのだろうか、シリンにはまだ分からないが構われかけている状況にはなってしまっている。
シリンはふっと柔らかい笑みを浮かべる。
「そうだね。クルス殿下がどうしてもって頼むなら、私は貴方の頼みを断れないだろうからね」
シリンはあまりティッシ国内の常識的な考え方に囚われていない。
基準は”日本”の考えであって、ティッシ国内でおかしいと思える事は無理やりそれが正しい事だと思い込もうとはしていない。
だから、王政のティッシでも国王が絶対の存在だとは思っていない。
「ティッシ国民の1人としては、本当はいけないことかもしれないけど。私はより身近な人の気持を優先したいと思っているよ」
明確な優先順位が決まっているわけではないが、身近な人の気持ちは大切にしたいとシリンは思う。
クルスはシリンの言葉に、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
だから、シリンがこう思っている事は、少なくともクルスにとっては間違いではないのだろう。
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