WOT -second- 05



パーティーは特に何事もなく無事終わり、シリンは次の日にまずエルグから贈られた手鏡を確認する事にした。
高級そうな紫紺の布に包まれたそれを、シリンは手に取る。
くるんっとひっくり返して裏を見れば、そこには法術陣が刻まれている。

(確かに護りの法術陣…?あれ?これ、護りの法術陣ではあるけどそれだけじゃない)

大きく描かれた護りの法術陣に絡むように別の法術陣も描かれている。
シリンは内心首を傾げる。
学院に通っていないので、ティッシでどのような法術を主流としているのかは分からないが、少なくともティッシの法術は呪文での発動が主流のはずだ。

(それにこれ、使用者が使う法力がかなり少なくていいように細かく組み込んである…通信機?発信機機能もある?)

シリンが見る限り、連絡手段が必要な人のためのものに見える。

(結構高度な法術…かな?)

一般的な法術書はフィリアリナの屋敷にもあるので、シリンはそれを読んだ事はある。
法術陣についての法術書は本当にまれにしか見ないので、いくつもの機能を備えた法術陣が描かれた書物は見た事がない。

(もしかして、これを通して指示があったりするんだろうか)

シリンはエルグの部下になったわけでも何でもない。
もしかしたら、今後何か頼むことがあるかもしれないような事は聞いているが、それだけだ。
ものすごく嫌な予感がしてくる。
今すぐにこの手鏡を見なかったことにして奥の方にしまって放置したい気分になるが、誕生日のお祝いに頂いた…しかも国王陛下からの贈り物だ、使わず放置はまずいだろう。
深く考え込みそうになったが、考えてもエルグの目的がわかるわけでもない。

(とりあえず保留。陛下に会う機会があれば、それとなく聞いてみよう)

シリンは手鏡を紫紺の布に包み直してしまう事にする。
発信機機能がついているものを持ち歩きたいとは思わない。
せっかくもらった贈り物だが、しばらくは使われることはないだろう。

(あと、今日やろうと思っていたことは…)

誕生日プレゼントに甲斐と愛理、桜の合同プレゼントとしてもらった指輪、左中指に昨日かはら嵌められたそれを眺める。
じっと見ていても、この指輪に刻まれた法術陣は細かすぎて、手鏡に刻まれたものと違って何がどうなっているか分かるはずもない。

(桜呼んでも平気かな?)

基本的に朱里にいる桜。
呼べば来てくれるだろうが、朱里で何かをしている時だったら悪い気がするので、シリンは必要以上に桜を呼ばないよう心掛けている。

「呼ばれぬとも、主が望めばくることはできるというのにの」

聞こえた声に、シリンはばっと身を起こす。

「桜?!」

いつ現れたのか、桜の姿がシリンのすぐそばにある。
先ほどまでいなかったのは確かだ。

「妾に移動距離も状況も関係ないのじゃよ。本体が目覚めた今ならば、姿を2ヶ所同時に現す事も可能じゃ」
「そうなの?」
「妾の本体は海の底、この姿が立体映像である事は主は分かっておるはずじゃろう?」

確かにそうだ。
桜の本体はかつて日本があった場所にあり、今では海の底。
人と話をする時に存在を認識しやすいように立体映像の姿で出てきているだけなのだ。

「実は今日は主にその贈物の使い方についての事もあったのじゃが、そろそろ頃合いかと思うて来たのじゃ。主、今日は何か予定は入っておるか?」
「いつも通り、予定も何もないけど…頃合いって」
「日本への招待じゃよ」
「日本…!」

シリンの表情がぱっと変わる。
今は海の底に沈んでしまっているという日本があった場所。

「行けるの?」
「勿論じゃ。招待先は海の底じゃがの、標高の高かった場所は今でも島として残っておるよ」
「全部海に沈んだんじゃなかったんだ」

日本は山が多い国だったからか、平地ばかりだったら全部沈んでしまっていただろう。
”香苗”として生きていたのは800年以上も前の事だが、やはり”故郷”が少しでも残っているのはなんとなく嬉しいものだ。
愛国心があったわけでもなく、住んでいた場所に執着心があったわけでもないが、生きていた”昔”が残っているのは嬉しい。

「本体の調整も最低限はできておるから大丈夫じゃろうと思うての」
「調整?」
「随分長い間休止状態じゃったから、修復の必要な部分があるのじゃよ」
「完全に修復するまでは、まだ時間がかかるの?」
「そうじゃの…、あと数年はかかるじゃろ」
「数年?!」
「心配せずとも、妾の行動に支障はない。ただ一度に多くの事を処理できないだけじゃ」

桜を人として考えるのならば今のままでも十分な能力を持っているだろう。
完全に本体が稼働するようになれば、桜の能力は人のそれと比べ物にならない。
シリンは、桜が桜の意思ある存在であることにほっとする。
ひとつ間違えれば、桜の力は大きな凶器となりうるほどのものだからだ。
意思があるという事は、何が良くて、何が悪いのか、それを桜が選ぶ事が出来る。
桜はシリンにすっと手を差し出す。

「転移法術で一気にゆく故、手を…良いか?」
「うん」

人とは違う温かさのある桜の手をとるシリン。
桜の温かさを感じた瞬間、ふわりっと身体が浮く感覚がした。
これは転移法術を使う時の、移動する時の浮遊感。
シリンにとっては9年ぶりの日本。
きっと懐かしい街並みなどないだろうが、シリンは次に目に映る光景に少しだけ期待した。



かつんっと足音がその空間に響く。
どこまでも広がるかのような広い部屋の床は、石でも土でもない…シリンの知らない材質でできた床だ。
部屋を照らす明かりは蛍光灯だろうか?炎ではない事は確かだ。
そして、大きなスクリーンと多くのキーがあるパネル。
そこから少し離れた所に、座りごごちの良さそうなソファーがある。

『ようこそ、”桜”の主殿?』

シリンと桜を出迎えたのは、白衣を着た黒い髪黒い瞳の青年だった。
深い笑みを浮かべたまま、ソファーへとシリンを促す。

「あの…」
『悪いな、できれば日本語でいいか?英語はあんま得意じゃないんだ』
『あ、うん』

何が起こっているのか分からないシリンだったが、促されるままにソファーに腰を降ろす。

(てか、この人誰?!)

じっと彼の姿を見る限り、顔立ちは完全に東洋系。
顔立ちが整っているかと言われれば、甲斐や昴に比べればそうでもないという程度。

(けど、なんかどこかで見たことある顔のような気がするんだよね)

どこか楽しそうに急須にお湯を入れて、茶碗にお茶を入れる彼を見るシリン。
隣では羊羹を用意している桜の姿。
白衣の青年と着物の美女、奇妙な組み合わせである。

『長野県産のお茶な、あと桜手作りの栗むし羊羹』

シリンの分だけのお茶と羊羹が置かれる。
桜は立体映像なので飲む事も食べる事もできないのは分かるが、青年の分もないということは彼も立体映像なのだろうか。

『って、長野県産のお茶?』
『正確には飛騨とか木曽とか赤石あたりが島として残ってる所にある茶畑からな。流石に標高が高かった所あたりは沈みきらなかったみたいでさ』

元長野県の沈まなかった場所あたりで育った茶葉を使ったお茶ということなのだろう。
自然に生えたい放題の茶畑なのか、それとも桜が手入れでもしていたのだろうか。
その辺りの細かい事は今度詳しく聞こうと思った。

『父上、まずは自己紹介からすべきではないのかえ?』
『あ、そっか、そうだな。なんかこっちは事前に聞いていたから知っている気分になってたもんで必要ないと思ってた』

ぽりぽりっと頭をかく青年。

『分かってるとは思うが、今の俺は立体映像でな、俺自身は随分昔に死んでる。今の”俺”は俺の記憶と性格パターンをデータ化して”桜”の本体に保存しておいたものだ』
『人間の機械化クローンのようなものじゃな』
『クローン程のことはできねぇんだけどな。子供も作れんし、俺の場合は桜とちがって法術も使えんしな』
『父上が妾の話し相手の為だけに作ったものじゃからの』
『話相手なら、姿と記憶と性格パターンだけで十分だしな』

会話でなんとなく状況がつかめた。
この青年はやはり立体映像で、桜とはまた違う存在のようだ。
桜の父上…創造主である人が桜の話し相手として”自分”の記憶と性格パターンをデータとしてコンピューターにインプット、人格をコピーしてデータ化したようなものか。
ものすごいところまで科学は進歩したものだと思うが、もしかしたら桜の”父上”が天才なだけかもしれない。

『あの、けど、貴方は朱里には姿がなかったよね?どうして?』

立体映像だとしても、桜と一緒に朱里にいることは可能だろう。
青年は一瞬驚いた表情をした後、困ったように笑った。

『それがさ、桜の本体が封じられてただろ?今は本体解放されてるから俺も姿を出せるけど、俺の本体は桜の本体の中にあるわけよ。だから、桜の本体が封じられた状態だと姿かたちがなくてな』
『妾と”話す”ことだけは可能だったのじゃが、他の者との意思疎通は不可能な状態での』
『しかもここ800年ほど、殆ど寝てたようなもんで記憶のデータもまだ修復が必要なトコあるんだけどさ、どーにかこーにか会話できそうだったから呼んだわけだ』

青年のシリンへの態度は妙に親しげな気がする。
だが、それに対してシリンは全く気にならない。

(何でだろ、知らない人のはずで桜の”父”親なんだろうけど…懐かしい?)

初めてなのに見たことのあるような気がする顔立ち。

『ん?どうした?』
『…なんでもないよ』
『なんでもないね。どーでもいいことだけど、何で俺にタメ語?見た目30代かもしれないけど、中身60だぜ、俺』
『ろくっ…?!』
『父上は法術を使って老化を遅らせておったからの』
『仕方ないだろ。奥さん美人なのに俺だけシワシワなんて耐えられんっ!』

青年の姿が一瞬誰かの姿に重なった気がした。
あれ?とシリンが思った時には、誰の姿が重なったのか分からなくなってしまう。

『ま、変に丁寧語で話されても妙な感じするだけだからいいんだけどさ』
『妙な感じ?』
『慣れないっつーかな』

青年はそこで言葉を止めて、どこか照れたように目をさ迷わせる。
ほんのり顔が赤くなっているは本当にそう思っているからか、そう見せているのか分からない。
呆れたように桜がため息をつくのが見えた。

『…父上』
『って、仕方ないだろ!何言ったらいいか分からねぇんだよ!』
『普通に挨拶で良かろう?』
『そりゃそーだけどな』

シリンはきょとんっと首を傾げる。
青年は何を迷っているのだろう。

『ちゃんと丁寧語の方がいいの?それとも別に言葉遣いは気にしない?』
『丁寧語はやめてくれ!…なんか企まれている気分になる』
『失礼な。初対面の相手に…しかも桜の”父親”を騙したりなんてしないよ』
『初対面?』

青年の顔が顰められる。
何か間違ったのだろうか。
シリンは不思議な懐かしい気持ちを感じても、彼とは初対面だろうと思ったのだ。

『違うの?私と会ったことある?』
『えっと、あ〜…』

青年はくしゃりっと自分髪をかく。
照れている…のだろうと思う。
シリンは青年をじっと見て、桜は青年の傍でくすくす笑って口を青年が”言う”のを待っているようだ。

『俺だよ』

ふっと小さな笑みを浮かべる青年。

『…姉さん』

その言葉にシリンは大きく目を開く。
一言も言葉が出ないほどに、青年からの言葉に驚いた。
シリンはそう呼ばれたことが”過去”にあった。
けれど、耳にした声は知っている声よりもだいぶ低い。
目の前の青年は恐らくまだ科学力が失われていなかった時代、日本が存在していた時に生きていた人のはずであり、シリンが知っている”彼”である可能性も全くないわけではないのに、今更気づく。
自分は紫藤香苗の家族がどうなったのか知らない。
何故なら、紫藤香苗は死んでしまったからだ。
香苗は死んでいても、他の誰かが生きていたら?

『しょう…た…?』

紫藤香苗には弟がいた。
そして、目の前にいる青年はどこか見覚えのある顔立ちをしている。
それは朧げながら覚えている弟の顔立ちの面影があるからなのではないだろうか。


Back  Top  Next