WOT -second- 01
ぼんやりと目に映る景色は懐かしい高校の校舎。
シリンはこれが夢だと分かっていた。
なぜなら今の自分は黒髪で黒い瞳、そして高校の制服を着ているからだ。
どこか不安定な校舎の中を歩く。
他の生徒がいるのに、その生徒たちの顔が見えないのは自分がもう覚えていないからか。
『姉さん!』
声変わりしたばかりの少し低い声に、”香苗”は振り返る。
『学校ではあまり声かけないでって言ったじゃない、ショウ君?』
『ヒナと同じ呼び方するなよ、気味悪いぞ』
『気味悪いなんて失礼な』
むっと腰に手をあてて睨むように相手を見る。
それでも決して怒ってはいいない。
一瞬の後、互いにふっと笑いあう。
『んで、何か用?』
『実は姉さんに重要な報告があるんだ』
ふっと真剣な表情で”香苗”を見る少年。
”自分”にどこか似た顔だちをした少年は、”香苗”の弟だ。
そう、紫藤香苗には弟がいた。
紫藤翔太という名の1つ下の弟。
『重要な報告?』
『そうなんだ。実は俺…』
すっと翔太が手を伸ばした先には、いつの間にか1人の少女が立っていた。
黒い髪に黒い瞳のとても可愛らしい女の子。
しかし、その子が来ている服は何故か浴衣で、ここは高校なのにおかしいと”香苗”はふと思う。
『俺、愛理と結婚したんだ』
『翔太君…』
照れたように笑みを浮かべているその子は確かに愛理だ。
唐突な言葉に”香苗”はぽけっとなる。
『って!ちょっと待った!翔太、あんた自分の年齢分かってるの?!』
『分かってるさ、勿論。姉さんこそ何慌ててるの?』
『何って…、だってあんたまだ15歳でしょう?!』
”香苗”の言葉に顔を見合わせる翔太と愛理。
この2人の組み合わせがおかしいという思いが吹っ飛ぶほどに翔太の言葉は衝撃的だった。
日本では男子は18歳にならないと結婚できない法律になっているはずなのだ。
『シリン知らないんだね、日本の法律変ったんだよ?結婚は15歳からできるんだよ』
『1週間前にニュースで言ってたじゃないか。姉さん、あんなに騒ぎになったニュースも忘れたのか?』
『ニュース?』
はて?と”香苗”は首を傾げる。
愛理が”日本”と口にしても今の香苗をシリンと呼んでも、不思議に思わないのは夢だからか。
『それに、もうお腹には子供もいるし』
『そうだな。俺と愛理の子供な』
『は?!こ、子供?!』
愛おしそうにお腹を軽くなでる愛理と、同じくそれを愛おしそうに眺めている翔太。
これが夢だと分かっているはずなのに”香苗”はそれどころではなく、弟に子供ができた事を衝撃に思っていた。
幸せそうに寄り添う翔太と愛理。
『ちょっと、待った。だって、翔太、あんたずっとヒナが好きだって…』
”香苗”は、翔太と”ヒナ”が付き合っているものだとずっと思っていた。
『実はヒナにはもう婚約者がいるんだ』
『ヒナちゃんの彼、銀髪の格好いい人だよね』
『愛理はあんなのが格好いいって言うのか?』
『格好いい人だと思うよ。大切な幼馴染を譲るには十分立派な人でしょ?』
『そりゃ…な』
苦笑しながらも、とても愛理と仲が良さそうな翔太。
”香苗”は未だに状況についていけない。
重要な報告が突然の結婚報告、そして子供までいるらしい。
『実は姉さん、子供の性別がもう分かってるんだけどさ』
『なんと双子の男の子なんだよ!』
『名前ももう決めてていてさ、カイとクルスって名前にしたんだ!』
『格好いい名前だよね』
”香苗”の動きがぴたりっと止まる。
『カイはきっと翔太君似の黒髪で黒い眼の子だよ』
『それならクルスは金髪に緑の瞳だな。きっとエルグ叔父さん似だ』
何やらおかしな会話を繰り広げる2人。
2人共黒髪に黒い瞳の東洋系の顔立ちだ。
翔太は日本人であり、愛理も日本人の血を引くのだから当然だ。
その2人から甲斐はともかく、クルスのような容姿の子が生まれてくるはずがない。
『ちょっと待った!甲斐はともかくクルス殿下はおかしいでしょ?!』
『おかしいかな?』
『姉さん、世の中科学じゃ説明できない事が結構あるんだ』
『いやいや、科学じゃ説明できないって言ってもこれは違うでしょ』
”香苗”と翔太は両親の血族をどう遡っても、皆日本人だ。
数十代前くらいには外国の血が入っていたかもしれないが、そんな血が混じっているとは思えないほどに純日本人の顔立ち。
『シリン、私と翔太君の子供を否定しないで』
『そうだよ、姉さん。姉さんにはちゃんと2人の面倒を見てもらわなきゃならないんだから』
『は…?』
『あれ?姉さん、結婚年齢改正法令以外にもう1つ法律の改正あったのも覚えてないのか?』
『弟の子供は姉が育てるって法律になったんだよ』
『……はい?』
そんな法律が成立するはずはない。
それなのに”香苗”はそんな事を思わずに思わず政治家達を頭の中で責める。
そんなアホな法律を作るなー!!と。
『シリンに任せっきりにするのは心苦しいけど…』
『法律だから仕方ないよな』
『ごめんね、シリン』
『頼んだよ、姉さん』
申し訳なさそうな愛理とは正反対に、満面笑顔の翔太。
その笑顔が面白がっているようにしか思えないのは仕方ないだろう。
ありえない、ありえないと思いながらも”香苗”はすでにこれが夢である自覚が消えてしまっているのか、ものすごく焦っている。
子供の世話などしたことがない。
しかも、その子供は甲斐とクルスである。
(甲斐は単純だからいいけど、クルス殿下なんて一癖もふた癖もあるのにー?!)
内心叫んでいる言葉に矛盾がある事に気づいていない”香苗”である。
生まれてくる子供の性格が何故今分かっているのか。
その前に愛理と”香苗”の弟である翔太が並んでいる事自体があり得ないのだから。
*
がばっとシリンは唐突にベッドから起き上がる。
額にはうっすらと汗がにじみ出ていて、呼吸が少しだけ荒い。
ゆっくりと部屋の中を見回せば、そこは見慣れたシリン・フィリアリナの部屋。
さらりっと揺れる髪の色は金髪である。
「ゆ、夢…」
その事を認識できたシリンは、はぁ〜と大きなため息をつく。
(あ、あり得ない夢を見ちゃったよ…)
最初は高校の校舎ができて懐かしくじんっとしていたのに、どこを間違ってあんな展開になってしまったのか。
(夢だってちゃんと自覚してたはずなのになぁ)
再び大きなため息をつくシリン。
ちらりっと窓の外を見てみれば、日が昇ってきている。
丁度朝のようだ。
コンコン
躊躇いがちに部屋の扉がノックされる。
扉の外から「姫様、起きていますか?」とメイドの声。
「うん、起きてます」
シリンの返答に扉が開き、メイドが大きな花束を抱えて部屋に入ってくる。
花束は桃色のバラが数十本ほどのかなり大きな花束だ。
「それ、どうしたんですか?」
「あ、やっぱり姫様でも驚かれますよね。姫様への誕生日プレゼントですよ。今日朝一で届いたんです」
シリンは首を傾げながらもベッドから降り、花束を受け取る。
本日は確かにシリンとセルドの9歳の誕生日だ。
しかし、シリンは誕生日プレゼントをくれるような相手はいなかったはずである。
去年の誕生日もこれといって何か贈られた覚えはない。
「クルス・ティッシ殿下からですよ、姫様」
「は…い?」
花束にメッセージカードが添えられている。
そこには確かにクルスの名と、怖れ多くもティッシ王族の印がある。
「こんなに大きな花束をもらっても…」
メッセージカードには誕生日のお祝いの言葉と「兄上からの贈り物は決して受け取らないように」と最後に妙な忠告が一言。
ティッシ国王がシリンに誕生祝いのプレゼントなど贈るはずもないだろう。
そもそもシリンとティッシ国王エルグには、本来は接点などないはずなのだ。
「姫様、どうなさいますか?花瓶に生けますか、それともドライフラワーにしましょうか?」
「うーん、半分はドライフラワーにしますね。あとは…花びらの蜜漬けってこの花でできるでしょうか?」
バラの花びらの蜜漬けは紅茶に入れて飲むと、また一味違うので結構好んでいる。
このバラの花でできるだろうか。
「そうですね、この色の花は見たことない品種ですし、庭師に聞いてみますね」
「うん、お願いします」
「けれども、薄紅色のバラなんて初めて見ました。王家の庭にあるというような事は聞いたことがあるのですが…」
「王家の庭……」
「送り主がクルス殿下ですからきっと」
「そこの花なんでしょうか?」
頭が痛くなりそうだ。
シリンだってこの色のバラなど見たのは初めてだ。
かなり珍しいものだろうに、そんな花の大きな花束をひょいっと贈ってくるという事は価値観が違うのだろうか。
「姫様が王家の方に好かれているという事は、私たちにとってはとても喜ばしく誇らしいことですわ」
「好かれているというか…」
「今年のお祝いの品はとても豪華になりそうですね、姫様。噂では姫様とセルド様にエルグ国王陛下からのお祝いの品もあると聞いてますよ」
「へ……陛下から?」
「名門フィリアリナ家とはいえ、国王陛下直々のお祝いの品が届くなんてとても名誉なことですね」
シリンは思わず額に手をあてる。
(名誉じゃなくて、面倒事が舞い込んでくるだけだと思う)
嬉しくない、非常に嬉しくない事態である。
エルグは、シリンには大人しい姫君でいる事を望んでいるのではなかったのか。
これでは注目されるに決まっている。
いっそのこと優秀なセルドだけにのみ贈ってほしかったと思ってしまう。
「兄上は性格が悪い」と言っていたクルスの言葉がぽんっと浮かぶ。
その言葉に再び大きく同意したいものである。
「それから姫様」
「はい?」
「お誕生日、おめでとうございます」
一瞬驚いたシリンだったが、お祝いの言葉に笑顔を返す。
「はい、ありがとうございます」
誕生日のお祝いは、心からの言葉というのが結構嬉しいものだ。
シリンとセルドはこうして屋敷の者達から毎年心からのお祝いの言葉を受け取る。
それがフィリアリナ家の当たり前の光景。
ただ、今年はほんの少しだけ違う。
(パーティーか…)
本日、シリン・フィリアリナ、セルド・フィリアリナ、9歳の誕生日。
身内だけの誕生パーティーなるものが開かれる。
名門だけあって、フィリアリナの身内は多い。
甲斐が居候していることもあって、甲斐をフィリアリナ縁の者たちに紹介するのが本当の目的だろうが、名目上は誕生パーティー。
この手のパーティー類には一切出た事がなかったシリンだが、両親もそろそろシリンにパーティーの経験が必要だと思ったのか、今回の出席は殆ど強制だ。
ダンスも礼儀作法も最低限は大丈夫だと思うのだが、少し憂鬱に思ってしまうのは仕方ないだろう。
才能ある優秀な兄セルドに対し、見た目も能力も平凡なシリンに向けられる目は、好意的なものばかりではないだろうから。
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