ひだまりの君 04
身体に力が入らないのは時間が経つにつれて、解消されていった。
時間にすればほんの十数分くらいしか経っていなかっただろう。
手を握ったり開いたりして、陽菜は自分の身体の感覚を確かめる。
ヴィシュレルは陽菜の様子を陽菜の隣に座りじっと見ている。
「大丈夫ですか?」
「うん、もう平気みたい」
「一時的に法力を開放したショックで身体が驚いてしまったのでしょうね」
ヴィシュレルは先ほどの状況が、何故起こってしまったのか分かっているようだ。
陽菜は自分の身体の事なのにさっぱり分からない。
法術を生まれて初めて使って、それがきっかけで起こってしまったことらしい事は分かるが、一体何が起こって一時的にだが自分の身体に力が入らなくなってしまったかが分からない。
「先ほど法力について少し話したのを覚えていますか?」
こくりっと頷く陽菜。
ヴィシュレルは手を伸ばして優しく陽菜の頭を撫でる。
ふわりっと何か温かいものに包まれる感覚がした。
「基本的に法術は、法術の使い手が生まれ持った法力を使って発動させるものです。そしてその法力は人によって宿す量は違います」
そこでヴィシュレルは少しだけ悲しそうな笑みを浮かべる。
「ヒナが宿している法力量はとても強大のようです。ですが、法力を使い過ぎると今のように身体的に負荷がかかり身体に力が入らなくなってしまう事を覚えておいてください」
「うん、気をつける」
こくこくと頷きながら陽菜は答える。
気をつけると言っても、法術をまともに使ったのがさっきの事なので陽菜が法術を使う機会など今後も少ないだろう。
言葉を完全に覚えて、法術を正式に習い始めれば別だろうが。
「ですが、法力をコントロールするようになれば、陽菜は自分で自分のいた所に戻ることができるかもしれません」
「え?!」
ぱっと陽菜の表情が明るくなる。
その陽菜の表情にヴィシュレルは思わず苦笑する。
「転移法術というのは法力をそれなりに消費するものなのですが、陽菜のその法力ならば十分でしょう」
「本当に?!」
「コントロールができれば、ですよ?」
そこで、うっと黙る陽菜。
法力のコントロールと言われても、自分の中にある法力がどういうものか感じとることすらできない。
それで本当に自分の力で、元いた所へ帰る事などできるのだろうか。
「大丈夫ですよ、陽菜。少しずつやっていけば法力のコントロールは必ずできます。法力は生命力であり、自身の力、一部なのですから。自分のものを自分でコントロールできないという事はありませんよ」
陽菜の感じた不安が分かったのか、ヴィシュレルはにこりっと安心させるような笑みを浮かべる。
「でも、私に本当にそんな”ちから”あるのかな?生まれて今までそんな不思議な力なんて使えた事ないのに…」
超能力や魔法など、作り物の世界でしか聞いた事がない。
テレビの特集などで超能力などが取り上げられている事もあるが、生憎と実際目の前で事が起きなければそれを信じる事など難しいだろう。
生まれてこのかた、不可思議な現象など目にした事もない陽菜にはどうもピンとこないのだ。
先ほど自分の手の中に灯した光は、ヴィシュレルに言われるままにやっただけなので、自分の力だという認識があまりない。
「やってみると案外簡単にできるかもしれませんよ?」
「そうかな?」
陽菜は自分の両手を握ったり開いたりしてみるが、やはり法力などの感覚はさっぱり分からない。
時間はかかるかもしれないが、やるだけやってみる価値はある。
法力のコントロールができれば、自分で元の世界に帰ることができる可能性があるのならば。
「ヒナにやる気があるのならば、仕事の合間でよければ教えますよ」
「ヴィスが?」
「勿論です。ディスティドールには無理そうですからね」
「悪かったな…」
くすくすっと笑うヴィシュレルに対し、むすっとするディスティドール。
「ディス君は教えるの苦手なの?」
「ディスティドールは、過程を飛ばして結果を教えるような性格なんですよ」
「だって、んな過程なんて言ったって無駄だし面倒だろ?」
無駄かどうかは分からないが、過程の説明が面倒だというのならば確かに教師向きではないかもしれない。
その点、ヴィシュレルは陽菜から見るととても優しそうなので、教師役をやっても丁寧に根気よく教えてくれそうだ。
「んでも、ヒナが法術覚えるのは俺賛成。マスターの周囲は安全とは言い切れないからな」
「ディスティドール」
少し低い声で、ディスティドールをたしなめるように名を呼ぶヴィシュレル。
「ヒナを不安にさせるような事は慎みなさい」
「あ…了解、マスター」
ディスティドールは陽菜の方をちらっと見て素直に頷く。
陽菜はヴィシュレルの置かれている状況が分からないので首を傾げるだけだ。
少なくとも陽菜がここに来てから危険と思われる事は何もなかった。
今まで何もなかっただけで、これからなにか起こる可能性があるのだろうか。
「可能性の話だけですよ、ヒナ。ここはそう簡単に入ってこれない区域なので、そう危険はありません」
「んでも、万が一って事があったら困るからな。その時、ヒナが身を護れる手段が少しでもあれば、ヒナ自身も安心だろ」
確かに、と思う。
だが、ヴィシュレルの言葉で陽菜はふと疑問に思っていた事を思い出す。
今いるこの部屋と、陽菜の普段いる部屋とはそう離れていないし、狭いとは言えない広さの範囲を陽菜は移動できる。
誰かがそう簡単に入ってこれないのは分かったが、ここで陽菜が知っているのはヴィシュレルとディスティドールのみ。
「ここはヴィスとディス君しかいないの?」
そう、この世界に来て陽菜は2人にしか会っていないのだ。
窓から見渡せる街並みを見る限り、人口が少なそうには見えない。
ここに2人だけしか居ないのかが少し気になっていた。
「いいえ、もう1人いますよ。また、近いうちに紹介します」
この誰も簡単に入ってこれない区域にもう1人いるという事は、陽菜の移動範囲以上に制限されている区域は広いのだろうか。
「ここは一応この建造物の中では、重要区域になるからな。下手に使用人も雇えないし、身分がしっかりしてないヤツは、俺達以外は出入りも許されてないんだ」
重要区域という事は、ここにはよほど重要な何かがあるのか、誰かがいるのか。
陽菜は思わずヴィシュレルをじっと見てしまう。
それなりに偉い身分の人くらいにしか思っていなかったが、もしかしてヴィシュレルはものすごく偉い人なのではないのだろうか。
「どうしましたか、ヒナ」
「えっと…重要区域なのに、私がいても平気なの?」
陽菜は一般市民だ。
この世界ではどう定義されるのか分からないが、少なくとも特別な身分があるわけでも力を持っているわけでもない。
陽菜の言葉に、ディスティドールとヴィシュレルは互いに顔を見合わせてから陽菜に視線を移す。
「ヒナ、この国では召喚は一般的ではないのですよ」
「身元不明の一般常識がない小娘がうろうろしていて不審に思わないヤツはいないぜ?ココ、そういうの結構厳しいから」
ひょっこりやってきた身元不明でさらにはこの国の一般常識を知らない少女が、不審人物には厳しい場所でうろうろしていれば捕まってどうなるか分からない。
滅多に他人が来ないだろうここだからこそ陽菜は安全なのだ。
陽菜がいて平気だというよりも、陽菜はここからまだ外に出るわけにはいかないのだ。
「この建物は”グレイヴィア教団”と呼ばれる組織の本部なので、情報漏れを防ぐ為にもかなり厳しいのです」
「グレイヴィア教団?」
「この国ナラシルナを総括してる組織の名前だよ」
「え?統括って…」
初めて聞いた”グレイヴィア教団”という名に陽菜は、ディスティドールが言った言葉を一瞬理解できなかった。
この国はナラシルナという名である事は聞いた。
その国を統括する組織と言われれば、現代での政府のようなものなのだろうか。
「元々は法術を研究するだけの少し大きいだけの組織だったのですけれどね、いつの間にか国を統括する程巨大になってしまいまして、現在ナラシルナ王家は象徴としてのみ存在し、グレイヴィア教団の宗主が実権を握っているようなものですね」
話すスピードはゆっくりだが、長い言葉に陽菜は言葉を聞き取るのがやっとだ。
ゆっくりと頭でその言葉を理解する。
陽菜がいるこの建物はグレイヴィア教団の本部の建物であり、その教団はこの国ナラシルナを統括する組織。
通りでこの建物中心に街並みが広がっているように見えたわけだ。
(あれ?でも確かヴィスの名前、”グレイヴィア”って…)
ナラシルナを統括しているのはグレイヴィア教団、そしてヴィシュレルはヴィシュレル・ディラック・グレイヴィアという名である。
「ヴィスの名前…」
「ええ、私の最後の名には”グレイヴィア”がつきますよ」
「組織の創設者の身内、とかなの?」
「いいえ」
否定するように軽く首を横に振りながら、にこりっとヴィシュレルは笑みを浮かべる。
「”グレイヴィア”を名乗れるのは、代々のグレイヴィア教団の宗主だけなんだよな」
「え?え?」
「そうですね」
「え?」
ナラシルナを統括しているグレイヴィア教団の宗主、つまりトップのみが”グレイヴィア”を名乗ることを許されている。
つまりグレイヴィアを名乗ったヴィシュレルはグレイヴィア教団の宗主、ナラシルナの統括者だ。
「ええ?!!」
声を上げて驚く陽菜。
偉い人だとは思っていたが、国のトップとも言える人とは思えなかった。
トップと言えば白髪交じりの少し年老いた人くらいを想像する。
ヴィシュレルの姿は国のトップと思えないほど若く見えるのだ。
「だから、ここは重要区域なんだよ」
このナラシルナという国がどれだけ大きな国なのか陽菜には分からない。
だが、小国には見えず、それなりに大きな国に思える。
それを統括している組織の宗主である人のいる場所なのだ、出入りに厳しくして当然の事かもしれない。
「ヒナがこの国の一般常識を身につけていただければ、宗主は私ですからヒナの事を周囲に誤魔化すのは簡単ですよ。身元なんて簡単に作れますからね」
ヴィシュレルが浮かべているのは笑みなのに、陽菜は何故かぞくりっと背筋が凍るような感覚がした。
「ヒナは何か希望はありますか?」
「き、希望?」
「どんな身分でもある程度は偽造できますよ」
身元不明の陽菜だが、街の中に紛れ込むだけならばともかく、ヴィシュレルの側にいる為には身元はしっかりしていなければ駄目だろう。
何しろ事実上の国のトップの側だ。
しかし、さらりっと身分偽造をしてしまうと言い、さらにそれを実行できるらしいヴィシュレル。
今になって、とんでもない人に召喚されたのだと陽菜はようやく知ったのだった。
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