ひだまりの君 01
ふわりっと柔らかいものに横たわっている感覚。
決して不快ではなく、爽やかな風が頬を撫でる。
(気持ちいい…)
陽菜はそう思ったが、すぐにはっとなり意識を覚醒させる。
ぱちっと目を開き、最初に目に入ったのはまっ白い見知らぬ天井。
状況が飲み込めず思わずぱちぱちっと瞬きをしてしまう。
(えっと…?)
何がどうなっているのか一瞬分からなかったが、ゆっくりと上半身を起こしながら意識を沈める前の事を思い出す。
そう、高校の図書室で本の整理をしていたのだ。
半分ほど終わるだろうと思った時に、急に眠気が襲ってきた。
その眠気に逆らえずに、図書室でそのまま座り込んで眠ってしまった。
(私、図書室で、しかも棚の前にしゃがみこんで居眠りなんて…っ!)
眠気に逆らえなかった自分が恥ずかしくて頭を抱える。
ほんのりと顔も赤くなっている。
(でも、ここってどこだろ…)
ちらりっと視線を上げて陽菜は見慣れぬ室内を見渡す。
まっ白い壁とまっ白い天井、陽菜の寝ていたベッドも天蓋付きではないもののかなり豪華だ。
少なくとも高校の保健室でもなければ、自分の家でも、幼馴染の家でもないだろう。
『Hey, you just woke up?』
突然の声に思いっきりびくっと身体を震わせる陽菜。
ひょこっといつの間に側にいたのか分からない声の主が、陽菜の顔を覗き込んでくる。
陽菜は驚きのあまりぴたりっと動きを止めてしまう。
(え、英語…?)
『Oh, sorry. Did I surprise you?』
幸い陽菜は英語がそう苦手ではなかった。
何となくだが、短い言葉ならば意味は分かるので、ゆっくり首を横に振る。
驚かせた?と聞いてきたので、一応否定をしておいたのだ。
にかっと笑みを浮かべたのは、陽菜よりもまだ幼い少年。
濃いめの金髪に、深く青い瞳。
一瞬冷たい印象を受けたのだが、少年の笑顔でその印象はすぐに消えてしまう。
『Do you understand what I'm saying?(俺の言葉は分かる?)』
『あ、えっと…Yes, I understand a little.(少しだけなら理解できます) 』
少年は少しだけ悩むような仕草をする。
陽菜は少年が英語を話した事に困惑する。
日本人ではないだろう少年の姿を見る限り、ここは日本ではなかったりするのだろうか。
陽菜が居眠りしている間にとんでもない所に浚われたりした、という事だったりするか。
『Let me introduce myself. I'm Distydorl. Get it? Distydorl. (自己紹介だけでもしよう。俺の名前は、ディスティドール。分かる?ディスティドール)』
『でぃす…?』
『Distydorl.(ディスティドール)』
『ディスティドール?』
『Yes(そう)』
『長いね』
『?What about your name?(?君の名前は?)』
『えっと、…My name is Hina Wakakusa.(私の名前は若草陽菜です)』
『Hina Wakakusa?(ヒナ ワカクサ?)』
『Name is Hina, and family name is Wakakusa.(名前が陽菜で、苗字が若草です)』
『Hina(ヒナ)』
『Yes(はい)』
ちゃんと通じているのか、陽菜としてはドキドキである。
英語の教師と会話をしたことはあるが、英語を日常語としている人と会話した事はないのだ。
陽菜の英語で通じるかどうかが少し不安だったりする。
少年、ディスティドールは陽菜を見ながらぽつりっと何かつぶやく。
しかしそれは早口だったので、陽菜には何を言っているのかよく分からなかった。
『え、何?』
聞き返せば、にこりっと笑みを返されてしまう。
『Hold on a minute. (ちょっと待ってて)』
ひらひらっとディスティドールは手を振り、その場からぱっと消える。
『へ?!』
陽菜は先ほどまで目の前にいたはずの少年の姿が、忽然と消え完全に固まる。
忽然と、本当にぱっと一瞬の瞬きの内にその姿は消えてしまったのだ。
『え?ええ?!』
部屋のどこを見渡しても、ディスティドールの姿は見えない。
しゃがみ込んだわけでも、天井に張り付いたわけでもない、本当にその場から消えたのだ。
まるで今まであった姿が幻であったかのように。
(な、何?!もしかして、これって夢だったり?!)
わたわたしながら陽菜は部屋の中を見回すことしかできない。
陽菜が知る限り、こんなに急に人が消えたりすような現象は起きないはずだ。
(か、神隠し…じゃないよ、そうじゃないって!えっと、えっと、えっと…一体、な、何?そ、そういえばここどこなんだろ?英語圏の所、なのかな?)
ずっと慌てていても何が解決するわけでもない。
だんだんと気持が落ち着いてくる陽菜。
先ほどの少年が話していたのは英語で、良く分からないこの場所で、英語でも話が通じるだけよしと考えるべきだろうか。
(そう言えば、居眠りする前に何か声が聞こえたような気がしたんだけど…)
雰囲気というか、陽菜は自分がその言葉に”応えた”ように感じている。
意識がしっかりしていたわけではないのに、そこは妙な確信がある。
(まさか、幽霊に呼ばれた…とか。うわーうわー!やだ、幽霊怖いっ!かなちゃん、翔くん!)
陽菜は自分の身体を抱きしめるように縮こまりながら、幼馴染の名前を心の中で叫ぶ。
呼んだところでこんな見知らぬ場所にすぐ来てくれることなどないだろう事は分かっているが、心の中でとはいえ叫ばずにはいられなかった。
不安な気持ちが心の底からだんだんと湧き上がってくる。
知らない場所、知らない部屋、良く分からない状況、目の前から消えた少年、そして英語。
『Hina?(ヒナ?)』
先ほどの少年の声がすぐ近くで聞こえ、陽菜はびくりっと大きく肩を揺らして、ばっと顔を上げる。
顔を上げた陽菜にはわずかに彼を恐れるような感情が浮かんでいる。
決してディスティドール自身に恐怖を抱いたわけではないのだが、急に怖くなったのだ。
『I called Vishurel.(ヴィシュレルを呼んで来たんだけど)』
『びしゅれる?』
『He is the one who summoned you here.(ヒナをここに喚んだ人だよ)』
『Summoned me?(喚んだ?)』
どうやら自分は誰かにここに連れてこられたらしい。
その自分を連れてきた人をディスティドールが連れてきたようだ。
ふっと部屋の扉の方に目をやれば、彼はディスティドールと違い歩いてここまで来たのだろうか、扉を開いたままの姿でにこりっとこちらに笑みを浮かべる男の姿が見える。
(男の人…だよね?)
状況も忘れて陽菜は彼の姿に純粋に驚く。
見た所普通の人間にしか見えないのだが、その容姿と色が陽菜にとってはとても珍しいものに見えた。
さらさらの銀色の長い髪に、透き通るような蒼い深い海の色の瞳、顔立ちは綺麗な女の人と言えば通じてしまうような整った顔立ち。
『How do you do, Hina.(はじめまして、ヒナ)』
『は、はじめまして!』
思わず英語など頭の中からすっとんで日本語で普通に話してしまう陽菜。
彼はそれを気にした様子もなく、ゆっくりと陽菜の方に近づいてくる。
『I heard you understand our language a little. May I explain your situation now?(言葉は少し分かるようだとディスティドールに聞きました。状況を話しても構いませんか?)』
『え?あ、あの…Actually, I only understand little of your language.(言葉は本当に少ししか分からないのです)』
ぺらぺらっと言った彼の言葉が半分くらいしか聞き取ることができなかった。
決して英語は苦手な方ではないと思っていたが、普通に会話をするとなるとやっぱり違うようだ。
説明しても理解してもらうのは難しいと判断したのか、彼はくすりっと笑う。
(うわ…本当に綺麗なひと)
思わず見とれてしまうほどに彼の顔立ちはとても綺麗だ。
『My name is Vishurel Dirag Gravia. Please feel free to call me Vishurel or Vish.(私の名前は、ヴィシュレル・ディラッグ・グレイヴィアです。ヴィシュレルでも、ヴィシュでも呼びやすいように呼んで下さいね)』
こくこくっと頷く陽菜。
自己紹介をしてくれた事と、彼の名前は長いようなので呼びやすいように呼んでもらって構わないと言ってくれた事は分かった。
(なんか、この人が私をここに連れてきた人みたいだけど、そんなに悪い人じゃないっぽいし)
今の対応と彼、ヴィシュレルの表情を見て陽菜は緊張を解く。
状況はまだ良く分からないままだが、悪い対応はされなさそうだ。
『Please ask Distydorl if you have any questions. I will wait before explaining the current situation until you get used to the language and the life here.(分からない事はディスティドールに聞いて下さい。ここの生活と言葉に慣れるまで、状況説明は保留にしておきますね)』
とりあえず頷いておく陽菜。
ヴィシュレルがディスティドールへちらっと目くばせしたので、彼を頼れと言っている事はなんとなく分かった。
『Please relax. We are not here to harm you.(私たちは、貴女に危害を加えるつもりはありませんから、安心して下さいね)』
『えっと、あ…Thank you. (ありがとう)』
陽菜はじっとヴィシュレルを見る。
綺麗な顔立ちもそうだが、よく見れば来ている服もとても高級そうなものに見える。
そしてどう見ても日本人が着るようなものではなく、どことなく中世のヨーロッパ風を思わせるような服装だ。
ただ、色々と装飾品を付けているのが気になるのだが、このあたりではそれが普通なのかもしれないと思う事にする。
すでにここが日本でない事は流石に気付いている。
(これから、大丈夫かな?)
ヴィシュレルはディスティドールに陽菜の事をいくつか頼んでいるようである。
じっとヴィシュレルを見る陽菜。
陽菜の視線に気づいたのか、ヴィシュレルはにこりっと陽菜に笑みを向けた。
反射的に陽菜もへにゃりっと笑みを浮かべる。
陽菜が返した笑みが変なものだったのか、ヴィシュレルは小さくだが驚いた表情を浮かべた。
(え?え?何で?!私の笑顔変?)
ぺたぺたっと頬に手をやるが、未だかつて陽菜は自分の笑顔で驚かれた事はない。
普通の笑顔でこれと言って見苦しいものではないはずだが、ここでは感覚が違ったりするのだろうか。
陽菜が困惑しているのが分かったのか、ヴィシュレルは小さく首を横に振って陽菜の頭を撫でる。
その時優しそうな笑みを真正面から見てしまった陽菜は、顔がだんだん赤くなってきているのを自覚する。
(うわ、うわ、うわー!)
内心の言葉も説明になっていないような状態である。
ヴィシュレルはくすくすっと笑い、陽菜の頭から手を離す。
手が離れてしまったことが少し寂しいと感じる。
『Please take care of her well, Distydorl.(彼女を頼みますよ、ディスティドール)』
『Of course, Master.(分かってるよ、マスター)』
(マスター?)
ディスティドールのヴィシュレルの呼び方に疑問を持ったが、そういう所なのかもしれないと思う事にする。
ここが日本でないのならば、陽菜の知っている常識とは違う所は多々あるのだろうと。
前向きな考えはいいことだ。
特にこんなよく分からない状況では。
(とにかく、英語をちゃんと話せるようにならないと状況分からないままだろうし、がんばろう!うん)
ぐっと拳を握りしめて陽菜は決意したのだった。
この世界がどんな世界であるか、まったく知らないまま…。
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※英訳はとある方のご好意に甘えさせて頂き、翻訳して頂きました。ありがとうございます!